第16話 スプーン勇者、呪いを否定する
その日の午後。
俺は、村の一角にある古びた家の前に立っていた。
「……またか」
思わず呟く。
背後には、ずらりと並ぶ村人たち。
列である。完全に列である。
「人気者ですね、勇者様!」
カイルが満面の笑みで言う。
「違う!!!!!」
即答した。
人気とかじゃない。
これ、完全に“治療待ち”だからな???
「……自覚がないのが一番まずいな」
エルミナがぽつりと呟く。
「何が!?」
「お前が何をしているかだ」
「だから知らねぇって言ってるだろ!!!」
本当に知らないんだって!!!
そのとき。
「あ、あの……こちらです」
家の中から、一人の男性が顔を出した。
やつれた顔。
だが、それ以上に焦りが滲んでいる。
「妻が……様子がおかしくて……」
「様子?」
男は一瞬言い淀み、それから小さく声を落とした。
「……呪われたように、突然苦しみ出して……」
「呪い?」
思わず聞き返す。
横でエルミナの表情がわずかに変わる。
「……入るぞ」
短く言って、先に中へ入る。
俺とカイルもそれに続いた。
家の中は薄暗く、空気が重い。
窓は閉め切られていて、外の光もほとんど入ってこない。
奥のベッドに、一人の女性が横たわっていた。
「……っ」
思わず息を呑む。
顔色は悪く、呼吸は荒い。
額には汗が滲み、指先はわずかに震えている。
「……これは」
エルミナが近づき、じっと様子を観察する。
「魔力の流れが乱れている……いや、歪んでいるか」
「わかるのか?」
「多少はな」
淡々と答える。
そして、ちらりと俺を見る。
「……健太」
「やめろ」
即答した。
もう流れがわかる。
「これは明らかに“異常”だ」
「そうだな」
「そして、お前はそれを“掬える”」
「知らねぇって言ってるだろ!!!」
なんでそんな確信持ってんだよ!!!
でも。
女性の様子を見る。
苦しそうだ。
さっきの子どもより、明らかに重い。
「……」
小さく息を吐く。
「……やるだけやる」
「ありがとうございます……!」
背後で、男性の声が震える。
俺はゆっくりとベッドに近づく。
手にあるのは――スプーン。
「……いやほんと何なんだよこれ」
小さく呟く。
状況が状況なのに、これを使うしかないのが納得いかない。
女性の体に、そっとスプーンを近づける。
触れるか触れないか、その距離。
さっきと同じ。
でも、今度は――
「……なんか、嫌な感じするな」
空気が、重い。
見えない何かが、そこに“ある”気がする。
まとわりつくような、粘つくような、不快な感覚。
「……これか?」
スプーンを動かす。
すくうように。
引き剥がすように。
その瞬間。
「――っ」
指先に、強い抵抗があった。
さっきとは違う。
重い。粘つく。
まるで“張り付いている何か”を無理やり剥がすような感触。
「うわ、気持ち悪っ……」
思わず声が漏れる。
それを、無理やり。
掬う。引き抜く。
「……っ!」
一瞬、手の中に“何か”が集まる感覚。
冷たいような、重たいような、形のない何か。
それはすぐに、ふっと消えた。
次の瞬間。
「……あ、れ……?」
女性の呼吸が、ゆっくりと落ち着いていく。
荒かった息が整い、震えていた指先が止まる。
「……苦しく、ない……?」
かすれた声。
ゆっくりと、目を開ける。
「あなた……?」
「……っ!」
男性が息を呑み、駆け寄る。
「戻った……!」
その声が震える。
周囲の空気が、一瞬で変わる。
「……」
俺はスプーンを見下ろす。
何も変わらない。
ただのスプーン。
なのに。
「……いや、何を掬ってるんだこれ……」
小さく呟く。
背筋に、ぞわりとしたものが走る。
「……呪い、だな」
エルミナが静かに言う。
「は?」
「今のは明確に“外部からの干渉”だった」
「いやさらっと言うな」
「それを、お前が取り除いた」
「いや知らねぇって言ってるだろ!!!」
本当に!!!
そのとき。
「……奇跡だ……」
誰かが呟いた。
振り返ると、家の入口に人が集まっている。
「呪いを……解いた……」
「神官様だ……!」
「いや、聖者だ……!」
「違う!!!違うから!!!」
全力で否定する。
そんな大層なもんじゃない!!!
「勇者様!!」
また別の声。
「うちにも……!」
「だから待てって!!!」
もうダメだこれ。
完全に広がってる。
「……終わったな」
エルミナが再び呟く。
「さっきも聞いた!!!」
嫌な確定演出やめろ!!!
視線が集まる。
期待と、尊敬と、盛大な勘違い。
「……」
手の中のスプーンを見る。
いつもと同じ。
ただのスプーン。
なのに。
「……いや、ほんと怖いんだけど」
ぽつりと呟く。
誰も、その正体は知らない。
ただ一つ。
確かなのは――
こいつが、どんどん“おかしい方向”に進んでいるということだけだった。




