閑話1 スプーン勇者、日常がおかしい
昼下がり。
森を抜けた先の小さな宿で、俺たちは一息ついていた。
木のテーブル。
窓から入る柔らかい光。
静かな時間――のはずだった。
――キュッ。
――キュッ。
妙に規則正しい音がする。
「……なあ」
顔を上げる。
視線の先に、カイルがいた。
真剣な顔で、俺のスプーンを磨いている。
布を指に巻きつけ、細かい部分まで丁寧に。
角度を変えて光を確認し、また磨く。
無駄に、神聖な空気。
「何してんの」
「お手入れです」
「なんでそんな丁寧なの」
「スプーン様ですので」
「やめろ」
さらっと返された。
おかしいだろ。
「いや、それただの食器だからな?」
「違います」
即答だった。
迷いが一切ない。
「健太さんの力を受け止める、重要な器です」
「その言い方やめろ」
カイルは満足そうに頷くと、最後にふっと息を吹きかけた。
布で軽く磨く。
「……よし」
差し出された、"それ"を受け取る。
――ピカピカだ。
「変わってねぇだろ!!!」
「輝きが違います」
「気のせいだ!!!」
エルミナが紅茶を口に運びながら、ぼそりと言った。
「手入れ自体は悪くない」
「そっち側!?」
納得いかねぇ。
*****
その後、食事が運ばれてきた。
スープ。パン。
そして――
――スプーン。
テーブルの上に、同じ形のスプーンがいくつも並ぶ。
ふと、嫌な予感がした。
「……あれ?」
手元を見る。
スプーンを見る。
テーブルを見る。
「……俺のスプーン、どれ?」
沈黙。
「は?」
カイルが固まる。
「いや、ちょっと待て」
一本持つ。
見る。振る。
何も起きない。
「違うな」
もう一本。
カンッ。
……反応なし。
「いや全部同じに見えるんだけど!?」
店主が不思議そうに言う。
「スプーンなんて、どれでも同じだろ?」
「違うんだよ!!!」
カイルが慌てて手を伸ばす。
「スプーン様を見失うなんて……!」
「お前のせいだろ!!!磨いただろ!!!」
混乱する。本気でわからない。
エルミナが、静かに一つのスプーンを指さした。
「それだ」
「なんでわかるんだよ」
恐る恐る持つ。
――すっと、手に馴染む感覚。
「あ」
わかる。これだ。
「なんで ”持った瞬間にわかる” んだよこれ!!!」
納得いかねぇ。
カイルが、その様子を食い入るように見ていた。
「……あの」
少し遠慮がちに、手を挙げる。
「もしかして、それ……持った人によって違うのでは……?」
「は?」
「だとしたら――」
一歩、近づく。
「……試してみてもいいですか?」
「何を?」
「スプーン様を」
「やめろその呼び方」
でもまあ、どうせ何も起きないし。
「……いいけど。もし使えたら、そのまま“スプーンの勇者”の称号くれてやるわ」
「いえ、恐れ多いです……!」
「そこは遠慮すんなよ!!!」
カイルが、慎重にスプーンを持つ。
両手で。
ちょっと神聖な儀式みたいになってる。
「いきます……!」
ぶんっ。
――何も起きない。
「……あれ?」
もう一度。
ぶんっ。
やっぱり、何も起きない。
「……おかしいですね」
「いや普通だよ」
スプーンを返される。
「健太さん、もう一度」
「なんでだよ」
同じように振る。
カンッ。
空気が、わずかに震える。
「うわ出た!!!」
カイルが目を見開く。
「やっぱり……!」
エルミナが、淡々と言った。
「使用者依存だ」
「は?」
「それは“武器”ではない」
「じゃあなんなんだよ」
「お前の認識と結びついている」
「余計わかんねぇよ!!!」
頭を抱える。
「つまり」
エルミナが続ける。
「他人が持てば、ただのスプーンだ」
間。
「……いやそれ、俺にしか使えないってこと?」
「そうなる」
「めちゃくちゃ不便じゃねぇか!!!」
カイルが、うんうんと頷く。
「ですが、それが“特別”ということです」
「ポジティブすぎるだろ」
もう一度、スプーンを見る。
ピカピカ。
ただの銀色。
なのに。
ゴーレムを吹き飛ばし、衝撃を掬い、不運すら消した。
「……ほんと、なんなんだよこれ」
エルミナが、わずかに口元を緩める。
「だから言っただろう」
「“何を掬うか”だ」
「いやそれまだ納得してねぇからな」
窓の外。風が吹く。
変わらない日常。
変わってしまったスプーン。
「……やっぱ納得いかねぇ」
その結論だけは、今日も変わらなかった。




