第10話 スプーン勇者、変な依頼を受ける
小さな村だった。
木造の家がぽつぽつと並び、道は土のまま。
畑の匂いと、どこか湿った空気が混ざっている。
その入口で――
俺たちは、止められた。
「……あの」
声をかけてきたのは、村の男だった。
視線が、俺の手元に落ちる。
いや、正確には。
――スプーンだ。
「……その……」
言い淀む。
周りの村人たちも、遠巻きにこちらを見ている。
ひそひそと声が飛ぶ。
「スプーン……」
「ほんとに持ってる……」
「噂の……」
「やめろその見方!!!」
思わず叫んだ。
なんなんだこの空気。
「……勇者様、ですよね?」
「違う」
即答した。
「いやでもスプーンを……」
「やめろそこ基準にするな!!!」
俺の抗議は、まったく通じていない。
「お願いがあります」
男が頭を下げた。
その動きが、やけに切実だった。
「……なんだよ」
「村の外れに、“変な石”があるんです」
「変な石?」
「触ると……不幸になるんです」
「は?」
聞けば。
その石に触れた者は――
転ぶ。物を落とす。ケガをする。
ひどいときは、家畜が死にかけたこともあるらしい。
「いやそれ完全にヤバいやつじゃん」
「はい……」
「なんで放置してんだよ」
「近づきたくないんです……」
そりゃそうだ。
そして、男は俺の手元を見る。
「……ですが」
「いや待て」
「“スプーンの勇者”様なら」
「なんでだよ!!!」
カイルが、ぱっと顔を上げた。
「スプーン様なら……不幸も掬えるかもしれません!」
「どこ情報だよそれ!!!」
ちら、とエルミナを見る。
彼女は腕を組み、少しだけ考えてから言った。
「……可能性はある」
「マジで?」
「“何を掬うか”の問題だ」
「いやその理論まだ信用しきれてないんだけど」
「試す価値はある」
あっさり言い切られた。
逃げ道が消える。
「……行くしかないのか」
「行くしかないな」
「やだなぁ……」
村の外れ。
人の気配が途切れる場所。
問題の石は、そこにあった。
見た目は――普通だ。
少し黒い、ただの石。
それだけ。
「……これ?」
「はい……」
村人が、距離を取ったまま答える。
一歩、近づく。
その瞬間、足がもつれた。
「うわっ!?」
危うく転びかけて、慌てて踏ん張る。
「……ほら」
村人が青ざめる。
「だから言ったんです……!」
「いやこれ普通に危ねぇな!?」
さらに一歩。
その瞬間。
――コツン。
どこからともなく転がってきた小石が、足先に当たる。
「は?」
バランスが崩れる。
踏み直そうとして――
ぐにゃり。
足元の土が、崩れた。
「うおっ!?」
なんとか踏ん張る。その直後。
――ぽと。
「……え?」
肩に、ぬるっとした嫌な感触。
ゆっくりと視線を上げる。
木の枝の上に、鳥。
こちらを一瞬だけ見て―― ギュエー、と妙な声で鳴いた。
次の瞬間、何事もなかったかのように飛び去っていく。
「なんで今だよ!!!」
意味がわからない。
「……妙だな」
エルミナが目を細める。
「明確な攻撃ではない」
「じゃあ何だよこれ」
「“運が悪くなる”現象に近い」
「それが一番嫌なんだが」
カイルが、小声で言う。
「なんだか……嫌な感じがします……」
珍しく真面目だ。
「健太」
「……あ?」
「やれ」
「雑!!!」
でも、やるしかない。
石を見る。ただの石。なのに。
近くにいるだけで、イラッとする。
落ち着かない。嫌な感じ。
「……これ、なんなんだよ」
返事の前に、ほんの一瞬だけ、空気が張り詰めた。
「“何を掬うか”だ」
エルミナの声。
何を?
不幸?運?呪い?
わからん。でも。
「……これ、消えてほしい」
それだけは、はっきりしている。
スプーンを構える。
相変わらず、見た目はふざけている。
「……消えろ」
カンッ。
軽い音。
手応えは――ない。
一瞬。
空気が、変わった。
「……?」
さっきまであった“嫌な感じ”が、すっと消える。
風が、普通に流れる。
何も起きない。
「……え?」
恐る恐る、一歩進む。
転ばない。
もう一歩。
何も起きない。
石を、持ち上げる。
普通だ。
ただの石。
「……消えた?」
「消えたな」
「消えました!!!」
村人たちが、ざわめく。
「おお……」
「すごい……」
「本当に……」
カイルが目を輝かせる。
「スプーン様……不幸すら掬うとは……!」
「やめろって!!!」
俺は石を見つめる。
本当に、ただの石だ。
「……なんだったんだよ、これ」
「おそらく」
エルミナが言う。
「“現象”を掬った」
「現象?」
「不運という状態そのものだ」
「意味がわからねぇ」
一拍。
自分の手元を見る。
銀色のスプーン。
どう見ても、ただの食器。
「……いや待て」
じわっと、理解が追いつく。
「このスプーン、なんでもありかよ!!!」
「現状はそうだな」
「よくねぇだろ!!!」
そのとき。
少し離れた木陰で、影が一つ、揺れた。
「……なるほど」
低い声。
誰にも聞こえない距離。
「報告通りか」
細い目が、こちらを見ている。
正確には、スプーンを。
「確かに――」
わずかに、口元が歪む。
「厄介だな」
風が吹く。葉が揺れる。
その姿は、もうなかった。
こうして。
俺の知らないところで、状況は、また一つ進んでいた。
ただし。
「……やっぱ納得いかねぇ」
俺の気持ちだけは、相変わらずだった。




