第51話 プリンセスのお供
燃料補給と荷物の中継地点として立ち寄ったのは、辺境のうらぶれた港だった。ガルドが取ってきた輸送ルートの経由地であり、特有の油臭さと、荒くれた傭兵たちの熱気が入り混じっている。
積み込み作業をシャルロッテに一任し、俺とガルド、そして護衛として同行していたヴェルナーの3人は、管理棟での手続きを終えて帰路についていた。
その声が通路に響いたのは、ちょうど薄暗い酒場の前を通り過ぎようとした時だった。
「おい……あれ、ヴェルナーじゃねえか。元赤牙の……」
壁際にたむろしていた傭兵風の男が、連れに向かってひそやかな声を漏らす。小声のつもりだろうが、反響しやすい金属の通路では嫌でも耳についた。当然、ヴェルナーにも届いているはずだった。俺は一瞬、足を止める。何か言うべきか。それとも無視して通り過ぎるべきか。この辺境宙域の空気感というやつを、俺はまだ完全に掴みきれていない。
だが、先に動いたのはガルドだった。あいつは振り返りもせず、立ち止まりもせず、ただ低い声で吐き捨てた。
「気にするな。この宙域じゃよくある話だ」
「……そういうものか?」
「そういうもんだ」ガルドは前を向いたまま、歩調を一切崩さずに答えた。「ギルドに直接刃向かいでもしなきゃ、誰も他人の過去なんざ気にしねえよ。お前はまだ、こっちの空気に慣れてないな」
俺は隣を歩くヴェルナーを盗み見た。彼は何も言わなかった。後ろを振り返ることもなく、表情を歪めることもなく、いつも通りの静かな歩き方で前だけを見据えていた。聞こえなかったわけではない。ただ、それがどうしたという静かな顔だった。
任務が終わり、各艦が港を離れて無重力の静寂に包まれた頃、俺はヴェルナーの艦へ通信を入れた。
「はい」呼び出し音が一回鳴るか鳴らないかのうちに、応答があった。
「少し話せるか」
「ええ、構いません」
「嫌な過去を穿り返す気はない。ただ、旅団の艦長として聞いておきたい」俺はシートに深く腰掛け、モニター越しに言葉を紡いだ。「港でああいう声が上がった。ガルドは気にするなと言っていたし、俺もそれでいいと思ってる。ただ……お前がなぜ赤牙に与していたのか、そういえば聞いたことがなかったなと」
スピーカーの向こうで、わずかな沈黙が落ちた。彼が言葉を選んでいるのか、それとも過去の扉を開けることを躊躇っているのか。通信越しでは、その呼吸の機微までは読み取れない。ただ、エンジン音が低く響くのだけが聞こえていた。
「……そうですね」やがて、ヴェルナーが静かに口を開いた。「聞かれなかったので、話してきませんでした。ですが、話せるなら話します」
彼の声はひどく落ち着いていた。ただ、普段の淀みない報告よりは、少しだけテンポが遅かった。
「最初から傭兵だったわけではありません。もともとは辺境で、小さな輸送業をやっていました。小さな艦で、妹と2人で回していたんです」
「妹がいたのか」
「ええ。今は別の、安全な場所で暮らしています」そこで一拍、ヴェルナーは息を継いだ。「ある時、ゼルヴァから直々に輸送の依頼が来ました。当時は彼らが何の組織か、裏の顔を知らなかった。仕事を終えてから気づいたんです。自分が運んだものが、ひどくまずいものだったと。その時点でもう、向こうは俺を手放すつもりがなかった」
「断ろうとはしたんだな」
「当然です。ただ、気づいた時には妹が組織に抑えられていました。逃げれば妹がどうなるか分からない。当局に頼ろうにも、辺境では軍は動かず、証拠もない。妹の居場所すら分からなかった」
「それで、従い続けたと」
「はい」ヴェルナーはそこまで語ると、ふと自嘲するような気配を見せた。「ただ、困ったことに——向こうが言うには、俺には才能があったようです。最初は裏の輸送だけだったのが、気づけば戦闘任務に回され、こなしていくうちに組織の中で信頼を得てしまった。こうして専用の艦まで与えられるほどに」
「望んでもいなかったのにな」
「ええ。ただ、皮肉な話ですが、この艦と立場があったからこそ、妹を守り切れた部分もある。複雑なものです」
俺は小さく息を吐いた。急かす気も、安っぽい慰めを並べる気もなかった。
「3年ほど経って、組織の内部で小競り合いが起きた隙を突き、妹を完全に安全な場所へ移しました。それが確認できた時点で、俺は内偵に転じた。組織への義理など最初からありません。ただ、知りすぎていた。このまま放置しておくわけにはいかなかった」
話が終わった。再び、重い沈黙が降りた。俺は何も言わず、ただ事実を事実として飲み込んだ。特別扱いする気はない。同情で肩を叩く気も、過去を責める気もない。ヴェルナーがどういう道を歩き、今ここで旅団にいるのか。それが分かっただけで十分だった。
「……これから、どうする」
「プリンセスのお供を続けます」迷いのない、即答だった。「それだけです」
「そうか」
俺が通信を切ろうとコンソールに手を伸ばした時、ヴェルナーが不意に声を張った。
「一つだけ、聞いていいですか」
「何だ」
「あなたは、俺の話を聞いて……どう思いましたか」
予想外の問いだった。俺は伸ばしかけた手を止め、コンソールの光を見つめながら少しだけ考えた。かけるべき言葉を探したわけじゃない。ただ、純粋に思ったことをそのまま口にした。
「才能があったのに、使いどころが悪かったな、と思った」
短い沈黙。それからスピーカーの向こうでヴェルナーがわずかに息を吐く音がした。笑ったような気配だったが、確証はない。ただ、声に張り付いていた硬い芯のようなものが、少しだけ解けた気がした。
「そうですか」
「ああ」
「……ありがとうございます」
任務が完全に終わり、ブリッジで航路の再確認をしていた時だ。今度はヴェルナーの方から、不意に短い通信が入った。
「一つだけ、言っていいですか」
「何だ、今度は」
「メーディアは、良い艦ですね」
唐突な一言に、俺はモニターから目を離した。「……急にどうした」
「いえ。先ほどの話を聞いてもらった後で、改めてそう思っただけです。こういう艦だからこそ、こういう旅団ができるのだろうと」
通信が切れた。俺は呆れたように息をつき、誰も座っていない黄金の玉座を振り返った。全長98mの、無駄に豪華な宮殿艦。積載の4割を装飾品が食いつぶし、プリンセス・オーラを撒き散らす、目立って仕方がないネタ艦。良い艦かどうかは見る人間の正気を疑うところだが——あのヴェルナーがそう言うなら、そういう見方もあるのかもしれない。
「そうか。こいつには言っておく」
届くはずもない独り言を呟きながら、窓の外を見た。無限に広がる宙域に、今日もメーディアは優雅に光の尾を引いて進んでいる。
こいつに伝えたところで返事はないが……まあ、暇な時にでも、艦橋の大理石パネルを丁寧に磨いてやろうか。
こういうのも悪くないと思う、今のところは。




