第43話 紅茶と情報
囮任務から5日後。俺たちは、いつもの日常に戻っていた。ノヴァ・セレーネ便。2組の旅客を乗せ、シャルロッテが優雅に接客し、ガルドが船内を護衛し、リーネが航路を管理する。すべてが、いつも通りだ。
この「いつも通り」に戻れたことは喜ばしい。だが、俺の頭の隅には、ゼクス方面での一件がずっと引っかかっていた。軍からの「次のステップ」はまだ届かず、ヴェルナーの内偵も続いている。まるで、嵐の前の静けさのようだ。
レグルスに帰還し、メーディアをドッキングベイに入れた直後、端末にメッセージが入った。差出人はヴェルナー。
「すぐに会いたい。重要な情報です。メーディアに伺ってもよろしいですか」
いつものカフェじゃない。わざわざ俺の艦を指定してきた。ヴェルナーが場所を変える時は、人に聞かれたくない、よほど重要な話がある時だ。俺は短く返信した。
「来てくれ」
* * *
30分後。ヴェルナーがメーディアにやってきた。食堂に通すと、シャルロッテが慣れた手つきで紅茶を淹れ、ヴェルナーにはコーヒーを出した。いつの間にか、彼の好みまで把握しているらしい。ガルドとリーネも呼び、5人がテーブルを囲む。
ヴェルナーの表情は、いつもと違っていた。穏やかさは変わらないが、その奥に張り詰めたような緊張が見える。目の動きが鋭い。この男がこんな顔をする時は、とんでもない「お土産」を持ってくる時だ。
「内偵を続けていたところ、予想外のものを掴みました」
予想外。ヴェルナーが「予想外」と言うのは珍しい。この男は大概のことを予測している。それが外れた、ということは、よほどの事態なのだろう。
「聞かせてくれ」
俺は身を乗り出した。
* * *
「ゼルヴァの内部で、幹部クラスの会合がありました。私が接触していた管理職の紹介で、末席ですが参加できました」
「幹部会合に? 危なくなかったのか」
ガルドが低い声で尋ねる。ヴェルナーは静かに頷いた。
「危なかったです。正直に言えば。ですが、合理的なリスクの範囲内でした」
合理的なリスク。この男の「合理的」は、普通の人間の「無謀」に近い。俺は内心でため息をついた。まったく、肝が据わっているにも程がある。
「会合には8人ほど集まっていました。傭兵の隊長格と、運営側の幹部。トップは来ていません。ですが、トップの声が通信で流れました」
「声?」
「変換されていました。相変わらず。顔を見せず、声も変え、通信越しに指示だけ出す。徹底して慎重な人間です」
声すら変換する。50キロまで接近して数的優位がなければ即撤退する指揮官。徹底して正体を隠すその姿勢は、まるで幻影のようだ。
「声の内容は?」
「今後の方針の伝達です。資金の状況、航路データの分析結果、次の行動計画。通常の会議でしたが、1つ、決定的なものがありました」
ヴェルナーはコーヒーを一口飲んだ。そして、わずかな「間」を置いた。この男が間を置く時は、次の言葉が重い。俺たちの視線が、一斉に彼に集中する。
「会合で使われた暗号プロトコルが、赤牙のものと完全に一致しました」
テーブルが、シン、と静まり返った。その言葉は、まるで冷たい氷の刃のように、俺たちの間に突き刺さった。
「完全に一致? 前にクラウスが持ってきた通信データは、赤牙のプロトコルの改良版だったはずだ」
俺の問いに、ヴェルナーは頷く。
「そうです。外部向けの通信には改良版が使われています。ですが、内部の指揮系統では、オリジナルのプロトコルがそのまま使われていました」
リーネが眼鏡を押し上げた。彼女が深く思考する時に見せる癖だ。
「外向きは改良版で、中は原本。つまり、外部には改良版で足跡を消しつつ、内部の指揮系統ではオリジナルをそのまま使ってる、と」
「そういうことです」
「オリジナルのプロトコルを知っている人間は、赤牙の内部にいた人間だけよ。しかも指揮系統用のプロトコルとなると、末端の兵士じゃない。上層部。赤牙の指揮に関わっていた人間……」
上層部。赤牙の上層部にいた人間が、ゼルヴァの中にいる。そしてそれが、トップの指示で使われている。これは、もはや偶然では片付けられない。
「……確定か」
「赤牙の上層部にいた人間がゼルヴァを動かしている。これは確定です」
ヴェルナーがはっきりと言い切った。この男が断定するのは珍しい。それだけ、証拠が固いということだ。
* * *
ガルドが、テーブルに拳を置いた。静かに。殴ったのではなく、置いたのだ。その仕草に、彼の抑えきれない感情が滲む。
「リーダーだろ。赤牙のリーダー本人だ!」
「それは分からない」
ヴェルナーは冷静に答える。
「なんでだよ! 上層部で、指揮系統のプロトコルを知ってて、組織を率いてる。リーダー以外に誰がいるんだ!」
「副官かもしれない。参謀かもしれない。上層部が複数いたなら、その中の誰かだ。リーダー本人とは限りません」
ガルドが唸った。納得はしていないが、論理的には否定できない。俺たちには、赤牙の内部構造など知る由もない。リーダーが1人で全てを仕切っていたのか、それとも複数の幹部がいたのか。それが分からない限り、断定はできない。
「ただ」
ヴェルナーが続けた。その声は、さらに重みを増す。
「赤牙の上層部にいた人間が、新たに組織を作り、拡大し、こちらの航路を調査し、攻撃の準備をしている。これは事実です。リーダー本人かどうかに関わらず、脅威であることは変わりません」
その通りだ。誰がトップかは後で分かる。今重要なのは、奴らが何をしようとしているか、だ。
* * *
「もう1つ。会合で、航路データが共有されていました」
ヴェルナーの声が、さらに低くなった。まるで、深淵から響くような声だ。
「プリンセスお護り隊の囮任務3回分のデータが、完璧に分析されていました。編隊構成、速度パターン、航路変更への対応力、ガルドとリーネが離脱して復帰した際の所要時間まで、すべて」
「全部バレてるってことか」
俺は思わず呟いた。冷や水を浴びせられた気分だった。俺たちは囮任務で相手の情報を取ったつもりだったが、向こうも同じだけ、いや、それ以上に俺たちの手の内を読んでいたのだ。非対称どころか、互いに丸裸。いや、むしろ俺たちの方が、より深く見透かされていたのかもしれない。
「そして、次の行動計画が議論されていました」
「行動計画?」
俺の問いに、ヴェルナーは一言で答えた。
「定期便の襲撃です」
食堂が、再び静まり返った。シャルロッテの手が、紅茶のポットを持ったまま止まっている。その場にいる全員が、息を呑んだのが分かった。
「正面からの攻撃ではなく、航路上に罠を仕掛ける形だと。具体的な時期は未定ですが、準備は着々と進んでいるとのことでした」
「罠?」
「詳細は聞けませんでした。末席の私にそこまでの情報は降りてこない。ただ、正面からぶつかるつもりはないということです。あの指揮官は、正面戦闘を好まない」
正面からぶつからない。50キロまで来て、5隻に戻ったら即撤退した指揮官。罠を仕掛ける。待ち伏せか。それとも、航路を利用した、何か巧妙な仕掛けか。嫌な予感が、胸の奥で渦巻く。
* * *
「まとめると、こうだ」
俺は紅茶を置いて、指を折った。頭の中を整理するように。
「1つ。ゼルヴァのトップは赤牙の上層部にいた人間。確定」
「2つ。リーダー本人かどうかは不明。だが脅威は同じ」
「3つ。うちの囮任務3回分のデータが完璧に分析されてる。手の内がバレてる」
「4つ。定期便の襲撃を計画してる。正面からじゃなく罠で。時期は未定だが準備は進んでる」
ガルドが、再び拳をテーブルに置いた。今度は、先ほどよりも少しだけ、力がこもっているように見えた。
「……やるしかないだろ」
「ああ。だが、どうやるかはちゃんと考える」
リーネが端末を開いた。その指が、素早く画面を操作する。
「軍に共有すべきね。ヴェーバー中佐は拠点の絞り込みを進めているはず。この情報と合わせれば、軍も動ける」
「クラウスにも、だな」
「そうね。彼のネットワークから裏が取れるかもしれない」
シャルロッテが、止まっていた手を動かした。淹れたての紅茶を、ヴェルナーのコーヒーカップの隣に静かに置く。その所作は、まるで儀式のようだ。
「ヴェルナーさん。ありがとうございます。危険な場所から、わたくしたちのために情報を持ってきてくださって」
「仕事ですから」
ヴェルナーはいつものように、穏やかな微笑みを浮かべた。だが、その目元には、わずかな疲れが見て取れる。幹部会合に潜り込んだ緊張が、まだ抜けきっていないのだろう。
「仕事だとしても。ありがとうございます」
シャルロッテは、深く頭を下げた。ヴェルナーは、彼女の淹れた紅茶を一口飲む。
「美味しい。やはり、プリンセスの紅茶は格別ですね」
「プリンセスの紅茶って言うな」
俺は呆れて言ったが、ヴェルナーは涼しい顔で返す。
「事実ですので」
* * *
ヴェルナーが帰った後、4人だけで食堂に残った。紅茶が冷めかけている。ロボが新しく淹れ直そうとしたが、シャルロッテが「わたくしが」と言って、自らポットを手に取った。
4杯。花が4つ。シャンデリアの光が、テーブルに柔らかく降り注ぐ。
「向こうが仕掛けてくるなら、待ってるだけじゃダメだ」
俺の言葉に、リーネが頷く。
「そうね。軍とクラウスに情報を渡して、私たちも準備する。航路の見直し、警戒態勢の強化、最悪の場合の退路の確保……」
「殴りに行くのは?」
ガルドが、期待のこもった目で俺を見る。俺は首を横に振った。
「まだ早い。相手の拠点が確定してない。突っ込んでいって18隻に囲まれたら終わりだ」
「……分かってる」
ガルドは肉串を噛んだ。いつもより強く。その歯軋りが、彼の焦燥を物語っていた。
シャルロッテが紅茶を配り終えて、自分の席に座った。その瞳は、いつになく真剣な光を宿している。
「ケイトさん」
「何だ」
「わたくしにできることがあれば、何でも言ってくださいね」
「紅茶を淹れてくれ。それが一番助かる」
「……それだけですの?」
シャルロッテは、少し不満げに唇を尖らせた。俺は、真剣な顔で答える。
「それだけだ。こういう時に紅茶があるかないかは、結構でかい」
嘘じゃない。こういう重い話の後で、温かい紅茶があるだけで、頭の温度が少し下がる。考えが整理できる。シャルロッテの淹れる紅茶には、そういう不思議な効果があるのだ。
「……はい。では、たくさん淹れますわ」
彼女は小さく笑った。
* * *
夜。メーディアの艦橋。
シャンデリアの光を見上げる。無数のクリスタルが、宇宙の闇を映してきらめいている。
赤牙の上層部が、ゼルヴァを動かしている。
俺たちのデータを完璧に分析している。
定期便を襲撃する準備を着々と進めている。
待ちの段階は終わった。ここから先は、俺たちも動かなければならない。軍に情報を渡し、クラウスに裏を取らせ、航路を見直す。そして、いつか来るであろう「その日」に備える。
向こうが、こいつの光を追って来るなら、この光で迎えてやる。こいつは目立つ。嫌になるくらい目立つ。だが、目立つからこそ、隠れる必要がない。来るなら来い。俺たちには、火力馬鹿と、データの鬼と、紅茶の騎士と、穏やかな傭兵がいる。十分だ。




