第37話 久しぶり
シャルロッテがチームに加わってから、初めての定期便だった。
行き先はノヴァ・セレーネ。VIP客が3組で、客室は満室だ。
それに加えて、今回は復路で現地の商社から工業素材の輸送依頼も受けていた。かなりの大口だ。
今までなら、旅客を乗せた状態でこれほどの荷を積むのは物理的に不可能で、泣く泣く断っていた組み合わせだった。
「メーディアは旅客に集中して、輸送品はシャルロッテの船に積む。いけるか?」
「余裕ですわ。この程度なら積載の1割にも届きません」
1割にも届かない。俺たちがどうひねり出しても無理だった量が、彼女の船にかかればただの端数らしい。
素直に助かる、と思った。
* * *
メーディア、ヴァナルガンド、ヘルメティカ、そしてシャルロッテの輸送艇。4艦の編隊で宇宙を行く。
宮殿、葬儀場、通信基地局、それにボロい軽トラ。並べてみると相変わらずちぐはぐな見た目だが、今さら気にしたところで始まらない。
シャルロッテ本人は客室係としてメーディアに乗り込んでいるため、彼女の輸送艇は無人のまま自動航行で後ろをついてきている。メーディアの航行データを中継し、距離と速度をピタリと合わせる仕組みだ。
モニターの隅にちょこんと映るその姿は、メーディアの3分の1ほどの全長しかない。それでも積載量は倍以上あるのだから、なんだか忠実な荷馬車のようにも見えた。
出航前の食堂では、シャルロッテがロボと並んでテーブルのセッティングを確認していた。
「ナプキンの角、こうですわね」
ロボがアームを微かに下げて同意を示す。
彼女がかつて教えた折り方をロボは正確に記憶しているが、やはりシャルロッテ自身が折ったものの方が一段きれいに見える。ほんの0.5ミリの差。数字にすれば些細な違いだが、それだけでテーブル全体の空気がふわりと変わるのだ。
* * *
VIP客が乗艦してきた。馴染みのヘルムート夫妻と、新規の客が2組。
案内に出たシャルロッテの所作は、丁寧でありながらどこか自然体だった。以前うちでバイトしていた時よりも余計な力が抜けている。自分の船で接客の経験を積んできた分、体が完全に覚えているのだろう。
ヘルムート夫人は彼女の姿を認めると、小さく目を細めた。
「おかえりなさい」
「……ただいま戻りましたわ」
シャルロッテの声がほんの少しだけ揺れた。すぐにいつもの完璧な笑顔を取り繕ったが、俺には見えた。
新規の客たちは、メーディアの内装を目の当たりにして感嘆の声を上げていた。いつもの反応だ。シャンデリアを見上げ、赤絨毯の感触を確かめ、ステンドグラスからこぼれる光に見入る。
その傍らには、常にシャルロッテが控えている。
「何かございましたら、いつでもお声がけくださいませ」
ロボが的確にサービスをこなし、シャルロッテがそこに柔らかな言葉を添える。配膳と会話。機械と人間。どちらか片方だけではどこか物足りないが、両方が揃うと不思議なほど場がまとまる。
以前、ヘルムート氏が「テーブルが寂しくなった」とこぼしていたのは、きっとこのことだったのだろう。
* * *
航行中、シャルロッテが客に紅茶を振る舞う様子を眺めていた。
彼女は客のカップの残量をさりげなく確認し、最後のひと口を飲み干す前にポットを手に取っている。客がカップをソーサーに置いた瞬間には、もう次を注げる態勢が整っているのだ。
俺が何ヶ月もかけてやっと「2秒前」まで縮めたタイミングを、彼女は息をするように「3秒前」でやってのける。頭で考えているのではなく、完全に体に染みついている動きだった。
張り合っても仕方がない。育ちが違うのだから。
食事の時間もそうだ。ロボが料理を運び、シャルロッテが「こちら、本日の料理でございます」と微笑みながら添える。ロボが静止する0.3秒の間と、彼女の笑顔。
客の反応が明らかに違った。食事の合間に、自然と会話が生まれている。シャルロッテに紅茶の銘柄を尋ねたり、ステンドグラスの色合いについて語り合ったり。
ロボだけの時は、客はただ静かに食事を済ませ、静かに自室へ戻っていった。そこに会話の余地がなかったからだ。
今は違う。シャルロッテという生身の相手がいることで、客は心からリラックスできている。
たったそれだけのこと。だが、その「たったそれだけ」が、うちにはずっと足りていなかったのだ。
* * *
航行開始から6時間が経過した頃だった。
「センサーに反応。方位270、3隻。宙賊よ」
リーネの報告が響く。
「3隻か。ガルド」
「見えてる」
「シャルロッテ、戦闘になる。客室にいてくれ」
「はい。お気をつけて」
初めての戦闘体験のはずだが、彼女の声は驚くほど落ち着いていた。
メーディアが前に出てオーラを展開し、宙賊の注意を引く。いつもの手筈だ。
回避機動を取るたび、艦橋のシャンデリアが大きく揺れてクリスタルがガシャンガシャンと甲高い音を立てる。
ふと食堂のモニターに目をやると、シャルロッテが素早い手つきで食器を片づけていた。振動で割れないよう、ロボと協力してテーブルの上のものを安全な場所へ移している。
その動きの中で、ロボがすっとシャンデリアの下に移動し、アームを伸ばして揺れを支え始めた。シャルロッテも手を伸ばし、ぶつかり合うクリスタルを必死に押さえている。
……客の避難よりシャンデリアの保護か。この2人、優先順位が明らかにおかしい。
まあ、客はすでに自室へ戻っているから実害はないのだが。
ガルドが片づけるのにかかったのは1分半。3隻撃破。いつも通りの鮮やかな手際だ。
「終わったぞ」
すぐにシャルロッテから通信が入った。
「クリスタル、1つも落ちていませんわ」
「……お前は無事か?」
「はい。わたくしも無事ですわ」
「そっちを先に言ってくれ」
「あ、すみません」
戦闘後、リーネが宙賊の残骸をスキャンし、いくつか使えそうな部品があることを知らせてきた。
「シャルロッテ、拾えるか?」
「はい。輸送艇を寄せますわ」
彼女は手元の端末で輸送艇の自動航行を切り替え、遠隔操作で器用に残骸へと近づけた。ガルドが周囲の警戒にあたる中、使える部品を次々と回収して積み込んでいく。作業は30分ほどで完了した。
以前なら、こうした部品は積載の余裕がなくて見て見ぬふりをするか、通りがかりの船に足元を見られながら二束三文で分け合うしかなかった。
それが今は、全部うちの取り分になる。そんな当たり前のことが、少しだけ嬉しかった。
* * *
ノヴァ・セレーネに到着し、客を降ろす。
受け取ったチップの額は、シャルロッテがいなかった時期と比べると格段に跳ね上がっていた。手応えがまるで違う。
降り際、ヘルムート夫人がシャルロッテに声をかけていた。
「次もお願いね」
「はい。お待ちしておりますわ」
慣れた動作のきれいなお辞儀。だが、その横顔はどこか嬉しそうに見えた。
復路の準備に入る。現地の商社で輸送品を受け取り、シャルロッテの輸送艇に積み込む。
メーディアの艦橋から端末を操作する彼女の手つきは手慣れたものだった。
「積み込み完了ですわ。固定も問題ありません」
「ありがとう」
メーディア自体は空荷のままだ。旅客はすでに降りており、輸送品はすべてシャルロッテの船に収まっている。積載率はほぼゼロに等しく、本来の機動性をフルに発揮できる状態だ。
これまでは復路で輸送依頼を受けると、メーディアのカーゴが圧迫されて船体が重くなり、万が一宙賊に遭遇した際に逃げ切れるかどうかが常に不安の種だった。
だが今回はその心配がない。重荷は別の船にある。こいつは身軽なまま宇宙を飛べるのだ。
こういう当たり前のことが、今まではどうしてもできなかった。それができるようになった。ただそれだけのことだ。
だが、ひどく気が楽だった。
* * *
レグルスへの帰還後。メーディアの食堂には4人が集まっていた。
ロボが4人分のテーブルセッティングを済ませている。花が4つ、紅茶が4杯。
帰ってきてから、今日の稼ぎをざっと計算してみた。旅客の運賃、チップ、そして復路の輸送報酬。
「悪くないな」
「悪くないどころじゃないわよ。旅客と大口輸送の同時受注ができるだけで、日当が倍近く跳ね上がってる。このペースが続けば、維持費の高騰もなんとかなるわ」
リーネが端末から目を離さずに言った。淡々とした口調だが、その声の端には確かな安堵が滲んでいる。信用ランクの低下警告が出て以来、彼女もずっと資金繰りに頭を悩ませていたのだ。
ガルドが無言で肉串を一本、シャルロッテに差し出した。
「食え」
「あ、ありがとうございますわ」
ガルドなりの不器用な歓迎だった。自分の肉を分ける。それがこの男にとって、一番ストレートな好意の表現なのだ。
「今日の稼ぎ、あんたがいたからだろ」
「わたくしは、ただ荷物を積んだだけですわ」
積んだだけ。確かにその通りだ。彼女がやったのは、自分の船に荷物を積むことと、客に紅茶を出すことくらいだ。
だが、その「だけ」ができなかったせいで、俺たちは何ヶ月も苦しい思いをしてきた。それは紛れもない事実だが、わざわざ言葉にして恩着せがましく言うことでもない。本人だって分かっているはずだ。
「まあ、助かってる」
俺はそれだけ口にした。
「……はい」
シャルロッテは小さく頷き、肉串を一口かじった。相変わらず、上品に食べるのが上手い奴だ。
* * *
ガルドとリーネがそれぞれの船に戻り、食堂に残ったのは俺とシャルロッテだけになった。
ロボはすでに休眠モードに入っており、シャルロッテが手持ち無沙汰に自分の紅茶を注ぎ足している。
「今日、戦闘中にシャンデリアを押さえてただろ」
「はい」
「客の避難よりシャンデリアが先って、お前、ロボと優先順位が同じだな」
「……だって、落ちて割れてしまったら大変ですわ」
「まあな。修理費がバカにならない」
「修理費の問題じゃありません。あの光がなくなってしまったら、この食堂が暗くなってしまうじゃありませんか」
暗くなる。そんなことを心配していたのか。金のことではなく、この空間の光を。
「……そうだな」
俺は手元の紅茶をすすった。シャルロッテが淹れた紅茶は、ロボが淹れるものとは少しだけ違う。温度が1度か2度高いような気がする。ただの気のせいかもしれないが。
「ケイトさん」
「何だ」
「今日、ありがとうございました。初めての仕事で、至らないところも多かったと思いますけれど」
「至らないところなんてあったか?」
「戦闘中に、ついシャンデリアの方を守ってしまいましたし」
「あれは至らないっていうか、単なる方向性の問題だ」
「方向性、ですか」
「合ってるかどうかは別として、お前はお前なりにこの船を守ろうとしてくれた。それで十分だ」
シャルロッテは手元のカップに視線を落とした。少しの沈黙の後、ぽつりと小さな声で言った。
「明日も、よろしくお願いしますわ」
「ああ。よろしく頼む」
シャンデリアの柔らかな光が、静まり返った食堂を照らしている。
4人で囲んだテーブル。一度は3人に減ってしまったが、また4人に戻った。
前は一時的なものだった。でも今度はしばらく続く。




