第36話 4人目の艦長
翌朝。
昨夜のエールが少し残っている。頭が重い。普段飲まない人間が飲むとこうなる。
メーディアの食堂で水を飲んで、顔を洗って、操縦席に座った。
ドッキングベイ17の外部カメラを確認する。
もう来ていた。
金髪。背筋がまっすぐ。小綺麗な作業着。ドッキングベイの入り口に立って、こちらを見上げている。
時計を見た。約束の1時間前だ。
早い。あの日バイトの初日に来た時も、時間ぴったりだった。今日は1時間前。気合いが入っている。
ハッチを開けた。
* * *
「お約束通り、参りましたわ」
シャルロッテが背筋を伸ばして言った。きれいなお辞儀。ゲラルドが「教わらないとできない」と言った、あのお辞儀。
「早すぎだろ。1時間前だぞ」
「遅れるのが怖いので」
分割払いの時と同じ理由。この女は約束に対して真剣だ。
「入ってくれ。ガルドとリーネも呼んである」
「はい」
メーディアの食堂。
ガルドとリーネがすでにいた。ガルドは肉を噛んでいる。朝から肉。リーネは端末を触りながら紅茶を飲んでいる。いつも通り。
シャルロッテが食堂に入った瞬間、整備ロボが動いた。
テーブルのセッティングが変わった。
3人分だったのが、4人分になった。
椅子が1つ増え、カップが1つ増え、ナプキンが1つ増えた。
そして、花が4つになった。
ロボが勝手にやった。シャルロッテを検知して、自動で4人分に切り替えたのだ。
「……こいつら、覚えてるのか」
ロボは答えない。だが、セッティングが完璧だった。シャルロッテがバイト時代に座っていた、あの位置に椅子が置かれている。
シャルロッテが小さく息を呑んだ。目が潤んでいる。
「座ってくださいな」
……俺のセリフだったはずだが、リーネに先を越された。
* * *
4人がテーブルを囲んだ。ロボが紅茶を4杯注いだ。
シャルロッテがカップを両手で包んだ。一口飲んだ。目を閉じた。
「……美味しい」
何回目だろう、彼女のこの反応。だが、今日のは少し違った。前のような「久しぶりの温かさ」ではなく、「帰ってきた場所の味」に近い顔だった。
「で。提案を聞かせてくれ」
単刀直入に行った。
シャルロッテがカップを置いた。背筋を伸ばした。まっすぐな目。
「客室係と、輸送。この2つを、わたくしにやらせていただけませんか」
テーブルが静かになった。
ガルドが肉を噛むのを止めた。リーネが端末から顔を上げた。
「客室係は、メーディアに乗って担当します。接客はバイト時代にやらせていただきましたので、仕事の内容は把握しています。VIPの対応も、わたくしの育ちが活かせると思います」
事実だ。彼女がいた時のチップ率は100パーセントだった。ヘルムート夫人が「常駐してほしい」と言っていた。
「輸送は、わたくしの船で担当します。ボロですが、自動航行も搭載されていますし、積載に特化した船ですのでメーディアで積みきれない荷物を引き受けられます」
2つの問題を、1人で解決する提案。
* * *
「……前は断ったのに?」
聞いた。聞かなければならない。
「はい。前は断りました」
「何が変わった」
シャルロッテが少し間を置いた。言葉を選んでいる。
「前は、甘えになると思いました。自分の力で立てていないのに、居心地のいい場所に逃げ込むことになると。それは嫌でした」
「今は?」
「今は、自分で立てるようになりました」
声が穏やかだった。強がりじゃない。事実を述べている声だ。
「分割払いは完済しました。船の修理も終わりました。仕事も取れるようになりました。近距離輸送で月の稼ぎが安定して、貯蓄もできました」
ゲラルドが言っていた。「遅れたことがない」と。船を自分で直していると。
「自分で立てるようになったからこそ、選べるようになったんです。どこで、誰と、何をするか。それを自分の意志で決められるようになった」
自分の意志で。
「わたくしは、ここを選びます。この船と、この人たちを」
テーブルが沈黙した。ガルドが腕を組んでいる。リーネが眼鏡の奥で何か考えている。
俺は紅茶を一口飲んだ。
* * *
「もう少し聞いていいか」
「はい」
「正直に言ってくれ。お前の船の積載は」
「1000トンですわ」
3人が黙った。
1000トン。
ガルドが先に口を開いた。
「……うちの全艦合わせてもそんなにねえぞ」
「3隻とも積載ゴミだからね」
リーネが淡々と言った。
「30メートルの小さな船ですけれど、中身は全部カーゴですわ。武装はありません。センサーも最低限。装飾も当然ゼロ。その分、全部の空間を積載に回しています」
小さいけど積める。でかくて積めないうちの3隻と正反対だ。
シャルロッテが続けた。
「あなた方は戦えます。情報を集められます。お客様をおもてなしできます。でも、荷物が積めない」
全部事実だ。
「わたくしは逆です。戦えません。情報収集もできません。でも、積めます。そして、接客ができます」
足りないものを、埋め合う。
パズルのピースが目の前に置かれている。はまるかどうかは、俺が決める。
* * *
「もう1つ聞きたい。昨日、護衛って言ってたな。客室係と輸送は分かる。だが、護衛ってどういう意味だ」
シャルロッテが少し目を伏せた。それから、顔を上げた。
「この船を守りたいんです」
声が、少し低くなった。
「初めてこの船に乗った日のことを、今でも覚えています。赤絨毯。シャンデリア。ステンドグラス。昔の……わたくしの家にあったものと同じ品質の美しさが、ここにありました」
あの日。彼女が廊下で立ち尽くして、目を潤ませた日。
「自分の船で頑張っている間、ずっと考えていました。わたくしが本当に守りたいものは何だろうって。自分の船も大事です。自分の仕事も大事です。でも、それとは別に、守りたいものがある」
シャルロッテがシャンデリアを見上げた。光が彼女の瞳に映っている。
「この船ですわ。この美しい船を、わたくしにできる形で守りたい。戦闘はできません。でも、この船の装飾を手入れして、お客様をおもてなしして、荷物を運んで。それが、わたくしなりの護衛です」
護衛。
剣で敵を斬る護衛じゃない。
この船の美しさを、暮らしを、日々を守る護衛だ。
* * *
ガルドが口を開いた。
「根性あるな、あんた」
「以前も言っていただきましたわね」
「2回目も本気で言ってる。没落して、ボロ船で1人でやって、自分の力で立ち直して。その上で、ここに来た。根性がなきゃできねえ」
「意地ですわ」
「意地と根性は同じだ」
「……そうかもしれませんわね」
同じやり取り。前にもあった。だが、今回のシャルロッテの声には、強がりがなかった。
リーネが紅茶を飲み干した。
「ケイト。わたしの意見を言っていいかしら」
「聞く」
「最初からこの子しかいなかったのよ。たぶん」
「……たぶん?」
「いいえ。たぶんじゃないわ。確実に」
リーネが言い直した。珍しい。この女が言い直すのは、最初の表現が正確じゃないと判断した時だけだ。
* * *
俺は紅茶のカップを置いた。
シャルロッテを見た。まっすぐな目が、こちらを見ている。
あの日、ボロ船から出てきた時と同じ目だ。疲れていたけど折れていなかった目。今は、疲れてもいないし、折れてもいない。ただ、まっすぐだ。
「条件がある」
「はい」
「雇用じゃない」
シャルロッテの目が少し動いた。
「お前は自分の船を持ってる。自分で稼いできた。自分の力で立ってる。そういう人間を『雇う』のは違う」
「……」
「うちのチームに加わるなら、4人目の艦長としてだ。対等なパートナー。ガルドもリーネも、それぞれ自分の船の艦長だ。俺の部下じゃない。お前も同じだ」
ガルドが頷いた。リーネも頷いた。
「お前の船で輸送を担当してもらう。だが、お前はお前の船の艦長だ。俺の指示で動くんじゃない。チームとして動く。対等にな、客室対応は別途報酬を払うよ」
シャルロッテの唇が震えた。
目が潤んだ。
堪えている。いつも通り。この女は泣かない。堪える。
「……よろしいんですか」
「よろしいもなにも、お前がそれに見合う人間だから言ってる」
「わたくしが……対等な……」
声が揺れた。
没落して、ボロ船で1人で、分割払いを1日も遅れず返して、工具の使い方を覚えて、自分の船を自分で直して。仕事を取れるようになって、貯蓄ができるようになって。
その全部が、「対等」の根拠だ。
俺が決めたんじゃない。彼女が自分で積み上げてきたものが、彼女を「対等」にした。
* * *
「……はい」
小さく、だが確かに。
それから。
「ありがとう」
敬語が消えた。
「ございます」がなかった。「ですわ」もなかった。
ただの、素の2文字。
前にも聞いた。バイト最終日の「楽しかった」。あの時と同じ、地が出た声。
だが、あの時とは重さが違った。
すぐに口元を手で隠した。
「し、失礼しました。ありがとうございます、と申し上げるべきでしたわ」
「いや。さっきのほうがいい」
「え」
「ありがとう、でいい。こっちもそう言うから」
シャルロッテの顔が赤くなった。耳まで。
ガルドが肉を噛みながらニヤニヤしていた。リーネは眼鏡の奥で静かに微笑んでいた。
* * *
シャルロッテが正式にチームに加わった。
4人。
メーディアの艦長、ケイト。
ヴァナルガンドの艦長、ガルド。
ヘルメティカの艦長、リーネ。
そして。
名もなき輸送艇の艦長、シャルロッテ。
「そういえば、お前の船って名前あるのか」
「……ないんですわ。父の事業の船だったので、登録番号しかなくて」
「名前、つけたらどうだ」
「名前……」
シャルロッテが少し考えた。
「……今すぐには思いつきませんわ。少し考えさせてください」
「ゆっくり考えろ。自分の船だ。いい名前をつけてやれ」
「はい」
食堂のシャンデリアの下で、4人が紅茶を飲んでいる。
テーブルの上に花が4つ。
前に4人で囲んだ時は、バイトとして。期限つきで。
今日は、パートナーとして。期限なしで。
テーブルが少し狭くなった。
前にも同じことを思った。3人が4人になった時。
あの時は、すぐに3人に戻った。
今度は、戻らない。
狭いくらいが、ちょうどいい。




