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光と影が交わる一点  作者: 柳瀬 鯨
贖罪
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第九五話 名を呼ばれる

影狼との訓練が終わったあとも、訓練場にはしばらく誰も立ち上がれなかった。


石畳の上に倒れたまま、若い騎士たちは肩で息をする。


全身が重い。


走っただけのはずなのに、剣を振るう訓練より数倍きつい。


影狼は容赦なく追い、隙を見せれば即座に喉元へ来た。


「……逃げるだけで、こんなに……」


「脚が終わった……」


「明日二十体って嘘だろ……」


呻き声の中、ユウだけが平然としていた。


影を足元へ戻し、欠伸を一つ。


レオンは水筒を口に運び、アレンは倒れた騎士たちを見ながら苦笑している。


「最初にしては残った方だ」


「三人残ったのは予想より多い」


レオンが淡々と返す。


そのとき。


ユウがふと視線を止めた。


最後まで残っていた王直属騎士。


膝をついたまま息を整えている青年。


門で見た顔。


昨日、一撃で吹き飛ばした相手。


今日も最後まで食らいついた。


ユウは少し近づいた。


青年は気配で顔を上げる。


まだ息が荒い。


その前でユウが短く言った。


「そういえば」


一瞬、間があく。


「名前、聞いてなかった」


訓練場の近くにいた騎士たちが少しだけ静かになる。


青年もわずかに目を見開く。


昨日から何度も向き合っているのに、たしかに名乗っていない。


王直属騎士として呼ばれることが多かった。


だが今は違う。


ゆっくり立ち上がる。


背筋を伸ばす。


正面を向く。


「……マーニです」


声は真っ直ぐだった。


名を口にした瞬間、自分でも少しだけ胸が固くなる。


父の名ではない。


自分の名。


奪われた側ではなく、自分として立つ名。


ユウはその名を一度だけ繰り返した。


「マーニ」


短く確認するように。


そして少しだけ目を細めた。


何かを探るような顔になる。


その反応に、マーニの心臓がわずかに跳ねる。


まさか。


思い出したのか。


だがユウはそこで視線を外した。


「ああ、なるほど」


「……?」


「だから残ったのか」


意味がわからず、マーニは眉を寄せる。


横からアレンが笑う。


「何かわかったのか?」


ユウは肩をすくめる。


「目が似てる」


「誰に?」


数秒だけ沈黙。


そのあと、ユウは珍しく少しだけ言葉を選んだ。


「昔、王都で最後まで前に出てた兵士がいた」


空気が変わる。


マーニの呼吸が止まる。


周囲は気づかない。


だが本人だけはわかった。


父のことだ。


ユウは続けない。


ただそれだけ言って背を向ける。


「まあいい」


影を踏むように歩く。


「明日も来い、マーニ」


名を呼ばれた。


一瞬だけ理解が遅れる。


今まで「お前」「槍」「王直属」だった。


初めて名前で呼ばれた。


それだけなのに、妙に重かった。


胸の奥で複雑なものが揺れる。


憎しみが消えたわけではない。


許したわけでもない。


だが――


父のことを覚えていた。


しかも軽くではない。


最後まで前に出ていた、と言った。


見ていたのだ。


あの日。


あの混乱の中で。


マーニは拳を握る。


わからなくなる。


この男をどう見るべきか。


レオンが横を通りながら言う。


「名前を覚えられたなら期待されてる」


「……そうなんですか」


「ユウは興味ない相手は顔も覚えない」


かなりひどい評価だった。


だがアレンが苦笑して頷く。


「否定できないな」


少し離れた場所でユウが振り返る。


「明日は狼二十」


一拍置いて、


「マーニ、お前だけ先頭な」


「……え?」


「残ったから」


周囲の騎士が一斉に同情の目を向ける。


「先頭って一番狙われるやつだろ」


「終わったな」


「ご愁傷さま」


ユウは完全に本気だった。


マーニは疲労の残る脚を見下ろす。


そして深く息を吐く。


「……はい」


断らなかった。


その返事に、ユウはほんの少しだけ口元を上げた。


本当にわずかに。


気づいたのはアレンだけだった。

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