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もうガラスの靴は必要ない

まず、時間を約20分前まで戻そう。


ルシファーは未だバフォメットと戦い続けていた。煙塵と瓦礫があたり一面に舞い散る。目の前にいる悪夢そのものへの恐怖に駆られたバフォメットは、拳と脚を絶え間なく振るい続け、さらには悪夢の波動弾まで放っていた。ただ一撃で相手を葬り去り、過去の悪夢を消し去るために。


しかし、ルシファーはあえて全力を一度に解放しようとはしなかった。むしろ、楽しむように戦いを引き延ばしている。「坊や、そんなに焦らなくてもいいですよ。」


再び拳を軽々とかわしながら、ルシファーは余裕たっぷりに笑う。「せっかくこうしてもう一度、憧れのお方にお会いできたのですから、もう少し昔話でもいたしませんか?」


その一言一言が、バフォメットの逆鱗を正確に踏み抜いていた。バフォメットは怒りに我を忘れ、無茶苦茶に攻撃を繰り出す。だが、それこそがルシファーにさらなる隙を与えることになった。「雷槍・セト!」無数の雨針へと変化した雷撃が、すべてバフォメットの身体へと降り注ぐ。全身を貫くような激痛に、バフォメットの怒りはさらに燃え上がった。時折、憤怒に満ちた咆哮が戦場に響き渡る。


「閣下! もう遊ぶのはやめてください! 早くあいつを倒して、立春さんと六日さんを助けないといけないんですよ?!」瓦礫を避けながら逃げ回っていたリリアンは、ようやくルシファーの戦いを安全に眺められる場所を見つけた。

「もう少々お待ちください。」ルシファーは相変わらず気楽そうに答える。「あいつの体内でも、別の戦いが起きているのですからな。」

「体内にも誰かがいる……って、ちょっと待ってください! それについては後でちゃんと説明してくださいよ!」リリアンは呆れと怒りが混じった声で叫ぶ。

「まずは私の演技を見てください。今回だけは無料サービスですよ。」そう言った瞬間、ルシファーの身体は青い雷に包まれた。青い雷は内側から外側へと広がっていき、やがて巨大な防護壁を形成する。

「これは魔斗祭の……!」リリアンは息を呑む。


ルシファーは再び挑発するように手招きをした。「握手でもいたしましょうか?」


バフォメットは怒り狂い、一直線に突進する。しかし、防護壁へ侵入した瞬間。


その腕には、まるで血を求める蛭のような青い雷が絡みつき、瞬く間に焼き焦がしていった。「雷撃・インドラのマッサージ、気持ちいいだろ?」バフォメットは慌てて黒焦げになった腕を引き抜く。身体には痺れが走り、しばらく動くことすらできない。再び苦痛の咆哮を上げる。


目の前の、この傲慢で生意気な男に、決して屈するものか。


青い雷の防護壁の内側。そこではさらに一本の赤い雷が、ルシファーの身体の隅々まで絡みついていた。その赤雷は狂ったように成長を続け、ゆっくりと外側へ広がり、厚みを増していく。それは、次なる一撃のために力を蓄えていた。


そして、時間を現在へ進める。


もし、ここで歩美の幻影を殺してしまったら。自分は本当に歩美のことを忘れてしまうのだろうか。歩美は、もう自分にとって大切な存在ではなくなってしまうのだろうか。


そんな不安が、満の心の中に残っていた。あれほど強い言葉を口にしたというのに、目の前の状況を前にして、まだ迷い続けている。


巨人が大きな一歩を踏み出し、満へと襲いかかってきた。まるで小さな蚊を叩き潰すかのように、巨大な手のひらを振り下ろす。


満は間一髪でそれを避けた。その瞬間、周囲の地面が揺れるほどの衝撃が走った。


手に握ったナイフとフォークに刻まれたタンポポの紋様が、絶え間なく緑色の光を放っている。まるで、自分を導いているかのようだった。満はわずかに構えを変える。そして、足の動きを速め、一気に彼女へ向かって走り出した。


まずは相手の動きを封じるつもりだった。


しかし、巨人はその巨体からは想像できないほど軽やかに跳び上がり、攻撃をかわす。すると、どこから取り出したのか、カボチャを次々と満へ投げつけてきた。


満はそれらを避ける。だが、地面に落ちたカボチャはすぐさま爆発し、水色と薄紫色の煙を大量に撒き散らした。視界が奪われる。満はナイフとフォークを振り回し、周囲の煙を払いながら前へ進もうとする。


その時、巨大な手のひらが突然煙を切り裂き、凄まじい速度で自分へ迫ってきた。次の瞬間には、遥か遠くまで吹き飛ばされると思った。しかし、叩き潰されるような痛みは訪れなかった。満は、まだその場に立っていた。そして、手に握っているナイフの感触が変化していることに気づく。顔を上げる。そこにあったのは、ナイフではなかった。それは、鍋返しだった。満はそれを使い、巨人の攻撃を受け止める。そして力を込め、一気にその腕を押し返した。


(……そうか。まだ他の形にも変えられるんだ……)満は理解する。


いつもの自分のやり方で、もう一度戦う。そう決めた。


鍋返しを引きずりながら、怪物へ向かって突撃する。


地面を何度も素早く擦る。最初は火花が散った。やがて、その火花は星のように瞬きながら集まり、炎へと変わった。


二人がいる場所一帯が、激しい炎に包まれる。満は先ほど爆発したカボチャの破片を鍋返しですくい上げ、巨人へ向けて放つ。熱を帯びたカボチャの破片が直撃し、巨人は苦痛の叫び声を上げた。


だが、巨人も負けてはいない。


軽く指を振る。すると、童話に出てくる魔法の杖のようなものから、クリスタル色の小さな星の光が舞い散った。その光に包まれた瞬間、自分の髪が変化する。


ガラスと水晶で作られた、歩くたびによろめく二次元の姿をした姫や、戦馬の軍団へと変わっていく。大量の姫と戦馬が、満へ向かって突進してきた。


鍋返しは再び、先ほどのナイフへ戻る。


二度の斬撃。


姫と戦馬たちは、瞬く間にガラスと水晶の破片へと変わった。破片は地面へ落ち、激しい音を響かせる。しかし、終わりではなかった。落ちたガラスの一片一片には、満の姿が映っていた。


まるで小さな人間のように、そのガラス片たちは立ち上がる。そして、示し合わせたように同じ方向へ飛び跳ねていく。無数の破片が集まり、融合していく。


やがて、満の目の前には。


姿も背丈も自分とほとんど同じ、ガラスの戦士が立っていた。身体中に亀裂が走っている。それでも恐れることなく、ガラスの満は本物の満へ向かって突進してきた。もし満が間に合わず防御していなければ、今頃、自分もあのガラス戦士のように全身ひび割れた姿になっていただろう。


状況に合わせて、満は武器を変化させる。全身に無数の棘が生えたフォークへと変え、このまま相手を粉々に砕くつもりだった。しかし、ガラスの満のフォークもまた、自分のものと同じ形へと変化する。互いの攻撃がぶつかり合い、相殺された。次にナイフをティースプーンへ変える。その軽やかな動きで相手を巧みに捉え、そのまま遠くへと投げ飛ばした。


だが、ガラスの満は自分を生み出した巨人の腕を足場にする。そして、勢いよく跳ね返り、再び満へ迫る。刃とフォークによる攻撃が、満の身体を傷つけた。服が切り裂かれ、傷口からゆっくりと血が滲み出る。満は苦痛に顔を歪めながら、自分の傷口を押さえ、出血を止めようとする。


その時。ガラスの姿をした満が、ついに口を開いた。「……あれから、もう随分と時間が経ったというのに。」


「それでもまだ、光の下へ戻ることを望んでいるのか?」その言葉に、満は思わずその場に崩れ落ちる。


ガラスの満は続けた。「俺たちの時間は、とうの昔に止まっている。」


「いや……あの時で止めなければならなかったんだ。」


「俺たちは、歩美を裏切ることなどできない。」目の前にいるのは、紛れもなく自分自身だった。


しかし、その表情は暗く沈み、その心は、深い闇に染まっていた。


痛みに耐えながら、満は顔を上げる。そこで目にしたものは——


巨人が、意識を失った美紀子をその手に掴んでいる姿だった。


ガラスの満の声には、長い間積み重なった空虚さが滲んでいた。「俺たちは……ずっとここにいるんだ。」


巨人は、大きな口を開く。その巨大な口は、すべてを飲み込もうとしていた。


その瞬間、美紀子が突然、目を覚ました。彼女は迷うことなく、手にしていた香水瓶を巨人の顔へ投げつける。香水瓶は、巨人の硬い皮膚にぶつかり、粉々に砕け散った。中身の香水が、巨人の顔いっぱいに飛び散る。それは激しい痛みを引き起こす特殊な香水だった。


「グァァァァッ!!」巨人は耐えられない痛みに顔を押さえ、苦しみながら大声で叫ぶ。そして、美紀子を手放した。美紀子はなんとか体勢を整え、無事に地面へ着地する。


ガラスの満は、苦痛に悶える巨人を睨みつけた。


満と同じ側に立った美紀子を、悔しそうに見つめる。


美紀子は急いで満のもとへ駆け寄る。「大丈夫?」そう声をかけながら、満を支え起こす。そして懐から応急用の包帯を取り出し、満の傷口へ巻きつけた。


「私は……」満は、今の美紀子に対して強い罪悪感を抱いていた。簡単に彼女の顔を見ることができない。満はそっと顔を背ける。


すると、美紀子のほうから先に口を開いた。「まさか、こんなに重いことを私に隠していたなんて……ずっと知らなかった。」


「……」

「たぶん、あんたは……自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感を、簡単には捨てられないんだと思う。」美紀子は、まっすぐ満を見つめながら言葉を続ける。「でも、それはあんたのせいじゃない。」


「あんたは、あの時まだあんなに幼かったんだよ? そんなあんたに、いったい何ができたっていうの?」


「全部の責任を、あんた一人で背負う必要なんてない。」美紀子の声は、少し震えていた。「私は……あんたが一人で苦しみ続けて、孤独なまま生きていくなんて、耐えられない。」


「あんたが犠牲になって、私だけが幸せになる未来なんて……私は望んでいない。」そう言うと、美紀子は堪えきれず満を抱きしめた。張り詰めていた涙は、糸が切れた真珠のようにこぼれ落ち、満の肩を濡らしていく。「……私の未来に、あんたがいないなんて嫌だよ……」


満は、もうずっと長い間、美紀子の温もりを感じていなかった。


悪魔の体温は人間より低い。本来なら、抱きしめ合うような距離では、お互いに心地よさを感じにくいはずだった。それなのに、今、満が感じているものは、かつてないほどの温かさだった。


まるで、寄り添い合う小さな鳥たちのように。寒い冬でさえ、二人なら乗り越えられると思えるほどの温もり。


満はようやく、心の底から笑った。


そこにはもう、罪悪感も迷いもなかった。優しく、穏やかな笑顔だった。「ありがとう、美紀姉。もう……迷わない。」


しかし、その瞬間。巨人とガラスの満が再び襲いかかってくる。二人はすぐに戦闘態勢へ入った。美紀子は満を支えながら立ち上がり、拳を握る。そして、豪快に笑った。「あんたはもう一人のあんたを相手にして。大きいほうは、私に任せて。」


「気をつけて。」満が心配そうに言う。


すると、美紀子は不敵な笑みを浮かべた。「それはわたしのセリフでしょ!」


彼の過去は、もうすでに崩れ落ち、腐り果てていた。だが、彼にはまだ、遥か先に続く未知なる未来が残されている。


満は再び、ナイフで相手の攻撃を受け止めた。ガラスの自分は、あまりにも手強い。何よりも厄介な敵。

なぜなら、目の前にいるのは()()()()だからだ。


だからこそ、ここで超えなければならない。


自分自身を。


そして、自分の心に巣食う悪夢を完全に打ち破らなければならない。


殺すためではない。


満は、まるで挑発するように口を開いた。「なあ、……あんたずっと苦しかったんだろ?」


「相手の戦士として存在することに満足していたとしても……結局、心は解放されなかったんじゃないか?」

「……それがどうした?」怒りを滲ませたその声。


その言葉の響きは、確かに満自身のものだった。


満は静かに言う。「だから……もう終わらせよう。」

その言葉に、ガラスの満は案の定、激しく怒りを露わにした。歯を食いしばりながら叫ぶ。「終われるわけがない……!」


一方、美紀子のほうは、こちらよりもずっと余裕があるようだった。香りが残り続ける限り、巨人は苦痛から逃れることができない。そしてどうやら、自分の家族に対してだからこそなのか、美紀子の態度は特に気取らず、いつものように軽かった。「あなた、歩美って名前で合ってるんだよね?」


「小歩って呼んでもいい?」


「小歩には……ちょっと酷いことをしちゃったけど……」


「ごめんね。でも、ここから出るためには、あなたを倒さないといけないから……!」


巨人は怒りに任せ、美紀子へ拳を振り下ろす。しかし、美紀子は軽やかにかわした。まるで一羽のハチドリのように優雅で俊敏な動き。そのまま相手の顔へ飛び乗る。


そして、自分の服の襟元を緩め、自らの匂いを、さらに相手へとまとわせた。「女の身体って、お金だけの価値じゃないんだからね!」


さらに濃く香りを浴びた巨人は、耐え難い痛みに襲われる。激しく首を振り、美紀子を振り落とそうともがく。苦しげな叫び声を上げながら、必死に暴れ続けた。


二人の満は、互いのすべてを懸けて戦っていた。ガラスの満は、本物の満の動きも、武器の形態も完全にコピーしてくる。その時、満は気づいた。ガラスの満が身体を捻り、手足を動かす瞬間。そのガラスの身体に、わずかな亀裂の隙間が生まれている。


……そういうことか。ガラスの満を形作る破片たちは、常に移動しながら組み替わっている。満の一つ一つの動き。そして攻撃。それらを真似するために。


つまり......


「自分の攻撃を……コピーしている?」燃え上がる炎が、満の疑問に満ちた顔を照らした。

「そうそう。」ルシファーは焚き火に薪をくべながら答える。「まあ、皆さんこういう技を大したことのないものだと馬鹿にしたり、見下したりするのですがね。ですが、他者の攻撃を何度でも完全にコピーできる悪魔など、そう多くは存在しませんね。」以前、二人は山へ松茸狩りに出かけた。しかし、他の登山客に先を越されてしまい、ほとんど採ることができなかった。それでもルシファーは諦めなかった。満を連れて、さらに山の奥へ進んでいく。その結果、下山に適した時間を逃してしまい、二人は山の中で一晩過ごすことになった。


「まあ、幸いにも私はいつもキャンプ道具を持ち歩いておりますからね。」ルシファーは誇らしげに言った。


満は心の中で思う。(こうなることを予想して対策を用意していたっていうのは……慎重と言うべきなのか、それとも最初から無計画と言うべきなのか……)


「おい、今回はただの偶然ですから。」もちろん、ルシファーは満の心の中の言葉まで読んでいた。キャンプの準備を終えた二人は、焚き火を囲みながら、深い森に包まれた満天の星空の下で語り合った。その夜の会話によって、悪魔たちに関する秘密でさえ、いつの間にかすべて明かされていった。


「確かに多くはありません。ですが、だからといってあなたの目の前に現れないとは限りません。ただ、慌てる必要はありませんよ。いつでも常に、あなたを完全に真似できるというわけではありませんからね。ああ……この松茸、あまりにも小さいじゃないですか?」

「……よく分からないんだけど。それ、あなたが採ったものですよね?」

「たとえあいつがずっとあなたのそばにいたとしても、才能、身体能力、知識……そういったものには必ず差が生まれます。たとえこの瞬間、完璧にあなたを模倣できたとしても、次の瞬間には身体能力や才能の違いによって、模倣にズレが生じる可能性があるそこが、反撃するための最高の瞬間なのです。本当に私が採ったものなんですか?」

「本当にそんなことが起こるんでしょうか?」満は不安そうに尋ねる。「もし、あいつがそのまま鍛え続けて……私と何一つ違わない存在になったら、私はどうすればいいんの?分からない。でも、あなたもそれで誤魔化すつもりはないでしょうね。」

「そんなことにはなりませんよ。」そう言って、ルシファーは自信に満ちた笑みを浮かべた。その表情は、焚き火の光に照らされていた。そして、小さな松茸を一つ、満へ差し出す。「これを食べなさい。」


「人は皆、決して同じではない存在なのですから。」ルシファーの手にある少し大きな松茸。


そして、満の手にある小さな松茸。それを見比べながら、満は尋ねた。「……どうして今、急にそんな話をするんですか?」


「……さあ、どうでしょうね?」短い沈黙。


もちろん、それだけでは会話を続けることなどできなかった。


そして今。


まさに、ルシファーが言っていた状況が現実になっていた。


倒す必要なんてない。最初から、そう考えていた。


満はフォークを突き出す。すると、ガラスの満もまた、同じようにフォークを突き出した。二人のフォークが、互いへ向かって伸びていく。


視点は再び、ルシファーのもとへ戻る。


「閣下、焼けましたよ!」

「そんなことありませんよ! 目を逸らさないことをおすすめしますね!」そう言って、雷撃・インドラの防護壁を解除する。赤い雷に全身を包まれ、まるで蒸し上がったばかりのロブスターのように真っ赤になったルシファーは、まず高く空へと飛び上がった。突然、翼をたたみ。


断罪を手にしたまま、バフォメットへ向かって急降下する!


「雷撃・アテナ!」

「痛覚香気・セブン!」

「タンポポの斬撃!」


三つの攻撃が重なる。


バフォメットの頭部は、耐えきれず崩壊した。


痛みに耐えられなくなった巨人もまた、その場に倒れ伏す。


ガラスの満は、フォークによって動きを封じられていた。


もし今、無理やり力任せに動けば、自分の身体は確実に砕け散る。


そして、次に同じだけの力を出せる保証もない。「ぐっ……好きにしろ……」また、同じ言葉を口にする。

しかし。勝利したはずの目の前の存在は、安心したように、優しく笑った。「……そんなことはしないよ。」

ガラスの満は、理解できずに困惑する。「……なんで?」

満は静かに答えた。「だって、忘れてはいけない存在だから。」


その言葉を聞いたガラスの満は、しばらく呆然としていた。そして最後には、静かに武器を手放した。


痛みだけではなかった。巨人の姿もまた、少しずつ消えていく。まるで、十二時を迎えた瞬間に解けてしまう魔法のように。


もはや、その姿に以前のような醜さや憎しみはなかった。


まず老人の姿へ。


次に成人の姿へ。


そして、少年少女ほどの姿へ。


彼女の時間は、絶えず巻き戻っていく。


やがてそこに現れたのは、疲れ切った、小さな少女の姿だった。身体も徐々に縮んでいき。虚ろな瞳。微動だにしない身体。少女は、そのまま地面へ倒れた。


美紀子はそっとしゃがみ込み、彼女の目を優しく閉じる。そして、小さな声で告げた。「……おやすみ。」


少女の姿が消えると同時に、ガラスの満の身体にも亀裂が走った。そして今度は、粉々のガラスではなく、硝子の砂のような細かな粒となって崩れ落ちていった。


頭を失い、瓦礫の中へと仰向けに倒れ、轟音と共に大量の灰煙と砂埃を巻き上げるバフォメット。


その姿を見て、ようやく安心したリリアンは廃墟の中から顔を出した。そして、嬉しそうに自分の主を称える。「すごいです、閣下!」


「閣下一人だけなのに……魔王様ですら苦しめられた魔神を倒してしまうなんて!!」

「まあ、私が勇猛果敢で、なおかつ知略に富んでいるからです。」ルシファーは誇らしげに答えた。

「……さっきまでずっと時間を無駄にしていた気がしますけどね。まあ、結果オーライです!」

「あなた、本当にお仕置きされたいようですね。」

「閣下! あいつ、また立ち上がりました!」祝福の言葉を言い終える前に、頭を失ったバフォメットが、再び立ち上がった。ふらつきながらも、決して諦めることなく。二人へ向かって襲いかかってくる。


「閣下! 早く何か竹とんぼとか、どこでもドアとか出してくださいよ!!!」

「これは『ドラえもん』じゃありません! 私には断罪があります! 落ち着きなさい!!!」そう言いながら、ルシファーは先に雷槍を放とうとする。


「満君……!」美紀子が叫んだ。「さっきの子が消えたあと……巨大な黒い心臓が現れたの!しかも、ずっと回転しながら……爆発しようとしてる!」二人は慌てて振り返る。そこには、突如として現れた巨大な黒い心臓。絶え間なく回転し続け、各所から不気味な光を漏らしながら、今にも爆発しようとしていた。

「美紀姉さん、六月ちゃんを守って! 私は先に――」


もし、この瞬間に突っ込んで心臓を斬り裂いたら。


もしかすると、状況はさらに悪化するかもしれない……。


四人が混乱と焦りに包まれていた、その時。一つの影が、誰よりも早く飛び出した。


それは、直感。本能。そういったものに突き動かされた行動だった。ずっと昔から、彼女はそうだった。


心臓が爆発する、その寸前。凄まじい力によって、黒い心臓は強引に握り潰された。そして、そのまま完全に砕かれる。


黒い心臓が崩壊すると同時に、バフォメットの肉体もまた、徐々に崩れていった。まるで腐食していくかのように、身体は一つ一つの肉塊へと変わり、地面へ落下し、積み重なっていく。


ルシファーたちを覆っていた黒い影は、少しずつ薄れていった。そして彼らは気づく。再び降り注ぐ太陽の光が。眩しすぎるほど強く感じられることに。


その影は一気に上空へ駆け上がった。まるで、最高の景色を見るための場所を求めるかのように。彼女は、心臓を粉砕したその手を高々と掲げる。


黒い血液。


そして、その手にこびりついた肉片。


それらが彼女の姿をさらに威風堂々たるものへと変えていた。獣のような荒々しさ。同時に、どこか人々の心を奮い立たせる姿だった。


「六月ちゃん……」

「六日ちゃん……」

「六日!」信じられない。それでも、胸の奥から湧き上がる喜びを抑えることはできなかった。彼らは次々と、彼女の名を呼ぶ。


ルシファーは呆然と六日を見つめていた。そして、無意識のうちに断罪を強く握り締める。


記録用の撮影機が復旧したのは、まさに六日がその雄姿を見せた直後だった。その姿は、完全な形で記録されることになった。


再び訪れようとしていた災厄を、たった一人で止めた六日。その姿を目にした観客や他の参加者たちは、

ただただ、信じられないという感情しか抱けなかった。


悪魔になって、まだ二ヶ月。それも、まだ生まれたばかりのような存在。


そんな悪魔が、ここまでのことを成し遂げたのか?


夢のような現実をようやく受け入れた後、彼らの心に生まれたものは、歓喜。尊敬。後悔。


そして、不満。


これから先、六月六日は、もう道端に転がる小さな石ころではない。彼らが真正面から向き合い、対抗しなければならない強大な存在になったのだ。


六日は勝利と栄光の喜びを、ゆっくり味わうことすらしなかった。そのまま、力なく後ろへ倒れていく。

地面へ落ちる寸前、月光が六日を受け止めた。月光は、まるで長い夢から目覚めたばかりのように、ぼんやりとした意識の中で呟く。「……私、さっき……」


まさか、ルシファーが消えていたとは。海棠は何度考えても理解できなかった。しかし、真実を暴くことはしなかった。


倒れていた大暑と星児も、ようやく復活した。二人は瓦礫の中から顔を出す。雲一つない青空が、彼らへ向かって微笑んでいた。


「まさか……全部……」

「終わったのか?」二人がまだ状況を理解できずにいると、こちらへ急いで駆け寄ってくる他の参加者たちの姿が見えた。その目的は明らかだった。心配。状況確認。そして負傷者の治療。


美紀子が無事だと分かったマリアは、彼女の胸へ飛び込んだ。まるで子供のように、声を上げて泣きじゃくる。


雨水と立秋は、眠りについた六日を疑うような目で見つめていた。


後方では、原生種のリズとリサもまた、困惑を隠せず互いに顔を見合わせている。


影の中に隠れたマモン、普段の余裕など一切なかった。真剣で、緊張に満ちた色が浮かんでいた。誰一人、それに気づく者はいなかった。


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