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フェアリー・ゴッドマザーの務め


 ベッド街で発生した大火災は、連日のように新聞の一面を飾り、レンノ市中で大きな話題となっていた。


出火原因については、人々の意見もさまざまだ。ガス漏れだという者もいれば、粉じん爆発ではないかと語る者もいる。現時点で最も有力視されているのは、何者かによる放火だった。だが、その犯人はいまだ特定されておらず、警察は引き続き捜査を続けている。


 さらに、地域で厚い信頼を集めていた月神教の教会が事件に関わっていたこともあり、この事件はより複雑な様相を呈し、社会ではさまざまな憶測が飛び交っていた。


 爆発による死傷者は非常に多い。その中に、満が気に掛けていた「金眼の子」が含まれていたのかは分からない。だが、彼らが本当に特殊な能力を持っているのなら、爆発が起きた時点で逃げ延びていた可能性もある。


 実際、あの場から逃げる途中、彼らの姿は一人として見かけなかった。


 空白の話によれば、彼らはいつか再び姿を現すという。満には、まだ理解できないことが数多く残されていた。


 空白の言っていた「世界の終わり」とは、一体何を指しているのか。そして、彼らの口にする唯一の「成功したキメラ」とは、いったい何者なのか。


 病院で意識を取り戻すと、満はすぐに警察から事情聴取を受けた。しかし事件の目撃者でありながら、満は犯人について何も話さなかった。今さら話したところで、何の意味もないと感じていた。警察は当初、満が何かを隠しているのではないかと疑っていたが、最終的には満の説明を受け入れ、その場は収まった。


 美紀子たちに心配される一方で、当然のように問い詰められることにもなった。「どうしてまた宗教なんかに関わったの?」

満は申し訳なさそうに視線を逸らす。「……すごく気になる人に会ってさ……」その答えを聞き、雨水と美紀子は顔を見合わせた。雨水は呆れたようにため息をつく。


「お前さ、前にお姉さんからうつされた『病気』、まだ治ってなかったのか?」

「ちょっと——」美紀子が小さく雨水をたしなめる。


 満は慌てて言い訳を続けた。「最初は、本当に様子を見に行くだけのつもりだったんだ……」言いながら、自分でも言い訳になっていないことは分かっていた。

しばらく黙り込んだあと、素直に頭を下げる。「……ごめんなさい。」


 美紀子は小さく息をつき、それから優しく切り出した。「満、やっぱり私の家の近くに引っ越してこない?そのほうが、また一人で余計なことを考え込まずに済むでしょ。」その声には、心配と慈しみ、それからどこか懇願するような響きがあった。

 ここまで言われてしまえば、満もこれ以上断る理由はない。「……うん。」少し考え込んでから、満は逆にお願いする。「その代わり……美紀ねが、こっちに引っ越してきてくれない?」


「えっ……?でも、私のところのほうが住む環境はいいし……景色もきれいだし、家賃だって安いのよ?」


 もちろん、満がそう言い返してくる可能性は、美紀子も考えていなかったわけではない。「うーん……でも、私……ペットを飼いたいんだ。」満の住むマンションは、ペットの飼育が認められている。


「……え?」美紀子は不思議そうに眉を上げた。「……ペット?」

「うん。犬を飼うつもり。」と、満は付け加えた。「まだ飼ってないけど、もう決めてるんだ。……本当に、つい最近だけどね。」


 美紀子はわずかに眉をひそめると、雨水を外へ呼び出し、こう切り出した。「ちょっと、今住んでる部屋の敷金の件で話があるんだけど。」その言葉の裏には、退去を決めた美紀子の事情があった。実際、美紀子と雨水は同じアパートに住んでおり、この物件も当時、雨水が空き部屋があると紹介してくれたものだった。


 満はベッドのシーツをぎゅっと握りしめる。


 もういい歳なのに、こうして人に迷惑ばかりかけている。だが同時に、自分はきちんと管理されるべき存在でもあるのだろうとも思う。


 魔神化の一件を経て、少しは大人になったつもりでいたが、結局のところ自分は何も変わっていないのかもしれない。


 そして結局、彼は満のもとへは来なかった。


 状況を伝えに来たのは、雨水だけだった。


「何か言ってた?」満が尋ねる。

「健康が一番だってさ。」満は、その言葉が本当に雨水の発言なのか疑わしく思った。


 退院後、慌ただしく退去を進める美紀子の引っ越しを、満も手伝うことになった。だが満の部屋の隣や近隣には空室がなく、美紀子は結局、満の部屋の真下へと引っ越すしかなかった。隣よりも距離はあるとはいえ、プライバシーはむしろ確保しやすいはずだった。しかし「前科」がある以上、美紀子は安心できなかった。彼女は時折突撃のように様子を見に来ては、満の行動を逐一確認する。少しでも連絡が取れなければ、すぐに駆け上がって無事を確かめに来る始末だった。満にとって、その日々はまるで監獄のようだった。


 しばらく平穏な日々が続いたころ、美紀子は満を誘った。いや、正確には半ば強制的に相席イベントを決めた。


「まだ諦めてないんだ?」監視されていた日々へのささやかな仕返しとして、満は遠慮なく言う。


 美紀子は少しむっとした様子で答えた。「婚活に行けば、ちゃんとした人に出会える可能性は高いでしょ?」彼女は本気で結婚し、家庭を築きたいと思っていた。「たとえ大変でも、誰かと人生を一緒に歩きたいの。」


 正直、二人とも大きな期待はしていなかった。うまくいけば良縁を得ればいいし、ダメなら社会見学と経験の一つにすればいい。それに、商店街を歩き、食べ歩きをするだけでも十分に気分転換にはなる。


 会場に着くと、そこには既に多くの恋を求める独身者たちが集まっていた。すでに目配せをして成立しそうな者もいれば、自分を売り込むように必死に語る者もいる。中には「死んだ魚のような目」をして、明らかに自発的ではない者もいた。


 満と美紀子の目立つ容姿は自然と注目を集め、二人は次々と声をかけられた。美紀子はある男性と意気投合し、その後も交流を続けることになる。


 一方で満も、派手な雰囲気の黒ギャルの女性から強い関心を向けられ、その自由奔放で熱烈な態度に、少しだけ連絡先を交換してもいいかもしれないと思った。


 結果として、二人はそれぞれの目的をある程度果たすこととなった。


 しばらくの駆け引きの末、二人は付き合うことになった。どちらも初恋ではなかったため、恋愛に関してはある程度慣れており、互いに距離の詰め方も手慣れたものだった。


 恋愛経験豊富なギャルは、すぐに満へと積極的に身を預けるようになる。彼女は満の過去を知らない。満もまた、その汚点を永遠に埋めてしまいたいと思っていた。


 誰にも知られないまま、果実の甘さは一瞬だけ許される。


 正直なところ、今回の関係は両思いであり、無理強いもない。それでも満は、彼女のあまりに奔放な距離感に、内心ひやりとすることがあった。


 中学か高校の頃、無料の健康診断を受けたことをきっかけに、満は身体の健康の重要性を知った。年齢的には義務ではなかったが、それ以来毎年、美紀子と共に検診を受けている。そしてその結果は常に良好で、致命的な病気などは一切なかった。


 満はそれを、自分に許された唯一の「神の慈悲」だと思っていた。


 悪魔となった今では本来そこまで気にする必要もないはずだが、それでも定期的に美紀子と悪魔専用の検診を受けている。


 そこで医師の冷淡な皮肉を聞き流し、さらに人間社会で医師を務める雨水に意見を求め、悪魔医療を統括する立場の者へと苦情を伝えるのが常だった。


 時間が経つにつれ、ギャルもまた満に少しずつ本音を漏らすようになっていった。彼女は幼い頃に両親が離婚し、どちらにも引き取られず、親戚の間をたらい回しにされて育ったという。「……今の話、目の前でしちゃったら、やっぱり聞かれるよね。」彼女の声は、いつもの明るさとは違い、どこか幼い頃のように弱々しかった。「どうしたらいいのか分からなかった。誰にも相談できなかった。」


「気づいたら、初めての男に処女を奪われて、そのまま捨てられてた。」そのあと、彼女はまたいつもの軽薄な調子に戻る。「そのあとも何人か付き合ったけど、まあ当然全部続かなかったけどねー!」彼女は満の身体にもたれかかる。豊満な体温が、痩せた満の体に押しつけられる。「こんな暗い話やめよ。ねえ、やろ?やろやろやろー!」足を楽しげに揺らしながら、まるでそれが当然のように笑った。


 欲情に突き動かされているわけではない。ただ、目の前の恋人をどう扱えばいいのか分からなかった。

ため息をひとつつき、満はそれを受け入れた。「……うん。」


 その関係が続くうちに、満は気づいていく。


 彼はいつも、傷を抱えた女性を世話しているときだけ、奇妙な使命感と責任感に支配されていた。


 歩美、堇、そして空白の姿が頭をよぎる。


 それが本当に愛なのか、それとも自分自身の空白を埋めるためなのか、もう分からない。そして気づけば、強い自己嫌悪が残っていた。


 ギャルと別れたあと、満は空いた時間に、同じように心に傷を抱えた女性を探すようになっていた。そういった人間は、意外にも少なくなかった。


 まるで灰かぶりの前に現れる妖精のように、魔法をかけていく。


 ただしその魔法は、必ず午前零時には解けてしまうものだ。


 それでもその一瞬は、確かに誰かを救ってしまう。満はそれを理解していた。


 だからこそ、次は失敗しないように、事前に詳細なルールと契約書を作るようになっていた。最悪の場合には、相手の記憶を操作し、自分に関する記憶そのものを消す。それは、すべてが手遅れになったときにだけ使う、非常手段だった。


 確証を得て以降、一切の問題が順調に収まるようになると、満はそれらの出来事を「アルバイト」と呼ぶようになった。もちろん、その内容を詳しく他人に語ることはない。満はまた、金銭を受け取る形で関係を整理していたことに安堵していた。未成年に対しては、あくまで無料の「話し相手」として精神的な支援に留めていた。その結果、何人かの少女を名門大学合格へと導くことにもなり、最悪の事態は避けられていた。


 すべてが適切に処理されていると判断されると、口うるさい大人たちも次第に干渉しなくなり、時折それとなく忠告する程度に収まっていった。周囲の不安や、避けられない偶発的な出来事は理解していた。

満自身も、機会があれば常に自省を繰り返しながら日々を過ごしていた。


 そうしてしばらくは、平穏な時間が続いた。それでも噂話は消えなかったが、すでに大きな波を経験した満にとっては、それらは些細な風に過ぎなかった。かつて満と関係を持ち、今では妙に距離の近い存在となっているマリアの視線は、正直なところ刺すように痛かった。だが互いに決定的な衝突はなく、表面上は平穏な関係が保たれていた。


 満はただ、何も知らないふりを続けていた。


 ギャルと別れた理由は、単純明快なものだった。満は、いまだ心の傷を癒やせない彼女を責めることはできなかったが、それでも彼女が自らを傷つけるような選択をしていることには、わずかな苛立ちを覚えていた。二人が付き合っておよそ二年が経った頃、満は彼女の浮気の兆候に気づいていた。


 歯ブラシが妙に増えていること。


 自分たちのものではない髪の毛。


 そして、どちらも口にしないような特殊な菓子の包装ゴミ。


 すべてがあまりに露骨で、もはや挑発のようですらあった。


 ある日、満は偶然にもその現場を目撃してしまう。ベッドの上で絡み合う二人の裸の姿。


 満は怒鳴ることも取り乱すこともなく、ただ静かに状況を確認した。気づかれたギャルは、いつものように感情を爆発させ、泣き叫びながら満の足にすがりつき、許しを請うた。そこへ、相手の男が正論のような顔で割って入り、彼女を庇うような態度を取った。「そうやって突き放すから、彼女は不安になるんだよ!」


 その瞬間、満は理解した。ここで関係を続ける者は、自分ではないのだと。満はただ静かに別れを告げ、彼女の涙と懇願を背に、荷物をまとめてその場を後にした。


 後になって、その男とギャルはできちゃった婚をしたと聞いた。梅雨の湿った空気と鈍い灰色の空の下、雨の止まぬまま式が執り行われ、忘れがたい結婚式になったという。


 満だけでなく、美紀子もまた、あの誠実で堅実な眼鏡の男と別れていた。「なんで別れたんだよ。あいつ、かなりまともだったろ?」満の問いに、美紀子は重い表情で答えた。「私、やっぱりSにはなれないのよ。」それ以上、満は何も聞かなかった。


 月神教はすでに実質的には消滅していた。


 満の信仰もまた、かつての記憶操作の産物だと告げられていた。それでも満は思う。あの時抱いていた月の女神への信仰こそが、自分を支えていたのだと。それは今の自分を形作る一部でもあった。


 だからこそ今もなお、満は祈りを捧げ続けている。そして月神教の理念に従い続けていた。


 もちろん、それには空白の死の真相を追うという目的もあった。


 満は、あの時手元に残しておいて正解だった正規の未翻訳経典を何度も読み返していた。関連書籍を探し、歴史を調べ、理解不能なまま放置されていた重要な一文を解読しようと試みる。翻訳してもなお意味不明な文章も多い。それだけ月神教に関する情報は、あまりにも少なかった。


 月神教の経典・正本は、実はヘブライ語ではなく、通用ギリシャ語で記されていた。満が当初想像していたものとは異なり、より多くの人間に理解され、流通しやすい言語が選ばれていたのだ。それは結果として、多くの信徒が月神教に引き寄せられた理由の一つでもあったのだろう。しかし現代において、通用ギリシャ語を翻訳できる学者は学術界に限られており、言語への知識不足は満を長い間苦しめた。


 やがてインターネットが発達すると、満はそこに助けを求めた。経典の全文を送った相手から返ってきたのは、今でも忘れられない一文だった。『でたらめを言わないでください。』後になって満は、この世には『ブロック』という機能があることを知る。既読無視を二年続けた末にブロックされた相手のことは、今でも解除する気はなかった。仮に相手が頭を下げて頼んできたとしても、解除するつもりはない。


 その後は学習方法を変え、満は直接インターネットで通用ギリシャ語の講座や個人指導を探すようになった。しかし見つかるのは「情報なし」か、あるいは法外な学費ばかりだった。長い間、満は大学に進学しなかったことを後悔した。だがやがて、自分が憧れていた料理系の専門学校ではそもそもこの分野は扱われていないこと、そして当時の学力では大学に入ることすら難しかったことを知り、ようやく少しだけ納得する。


 幸いにもインターネットはさらに発展し、満は少しずつ通用ギリシャ語を習得していった。完全な解読にはまだ遠いが、それでも進展はあった。


 そしてその頃、満の予想通り、月神教の残存信徒たちが彼の前に現れた。


 ある月のない夜。暗い路地で、黒衣の集団が満を取り囲む。外套を翻した瞬間、闇の中で蛍のように光る金色の瞳が浮かび上がり、思わず背筋が凍る。


 彼らは人間社会の基本的な礼節を理解しておらず、単刀直入に満へ依頼を持ちかけた。「唯一のキメラ」を探してほしい、と。満はそれを受け入れた。


 だが、都市でも田舎でも、「金眼の子ども」が生まれたという報告は一切なかった。空白の言っていた通り、完成されたキメラは自らの存在を隠しているのだろう。


 時間は一枚一枚、紙のように剥がれ落ち、風に流されていった。そして気づけば、時代は新千年紀へと移り変わっていた。


 その日、満と美紀子は多忙な仕事を終えたあと、ようやく携帯の通知に気づいた。雨水からの着信は、数十件にも及んでいた。折り返した電話の向こうで、雨水の声は抑えきれない嗚咽のせいで掠れていた。

外は長く降り続く雨。小雨だが、しばらく止む気配はない。「ルシファー様と、他の四名の魔王が同時に亡くなった。」


 二人は言葉を失った。ただ茫然とし、現実を受け入れることができなかった。


「明日、葬儀がある。二人も出席してくれ。」通話はそこで切れた。


 美紀子はそのままソファに崩れ落ち、声を上げて泣いた。


 ルシファーやアスモデウスから多くの恩を受けていた彼女には、その死を受け止めることができなかった。一方の満は、衝撃のあまり何も問い返せないまま、その夜を終えた。


 翌日、ようやく事態の全貌を知ることになる。


 魔王ルシファーと四名の魔王の葬儀は二段階で行われる。第一段階は人間界の拠点で行われ、第二段階は地獄で執り行われる。その際には地獄の原生種や変異種も参列するという。


 しかし魔王やサタンという存在であっても、参列者は決して多くなかった。現代の悪魔社会では、権力者の死よりも、その後の勢力図の変化の方が重要視される傾向にある。それでも参列している者の多くは、義理や情を持つ者たちだった。だが悪魔の身体構造の影響で、感情を外に表す者は少ない。内側では何かが渦巻いていても、それを涙や叫びとして表現することはできなかった。そんな重苦しい空気の中でも、予想外の事故は起きる。なぜか葬儀用のBGMが、よりによってネットミーム的な怪談音声に差し替えられていたのだ。「先輩やめてくださいよォォォ!!」当時録音を担当していた悪魔のバイトは崩壊寸前で、会場中に二人の絶叫が響き渡った。「おいテメェ、あの時何録ってたんだコラァァァ!?!?」


「知らねぇって!!俺も知らねぇって!!」館内に響く絶叫とループ再生される音声に、場は一時騒然となった。


 あまりの惨状に、あまりにも惨烈な状況に、魔王の中でも比較的温厚なマモンが前に出て、二人をなだめた。彼は「亡くなった者たちも、こんなに陰鬱な空気の中で沈み込むことは望んでいないはずだ」と語り、場を落ち着かせようとする。こうした明るい話を流すことで、場の雰囲気を和らげる効果がある。マモンがそう言う以上、内心不満を抱えていた雨水とベルゼブブも、その場で強く反発することはできなかった。やむなく再生は停止され、会場には再び小声のざわめきだけが戻る。そして葬儀場は一気に静まり返り、本来あるべき厳粛な空気だけが残った。


 最高権力者たちの葬儀にしては、その設えも進行もあまりに簡素だった。国外にいたため難を逃れたマモンは、参列者たちに事情を説明する。「実はここは昨日、天使の襲撃を受けている。」普段の軽薄さは影を潜め、今日の彼はやけに真剣だった。余計な冗談もなく、慎重に言葉を選んでいるようだった。「だが、我らが偉大なるサタン様と他の魔王たちは、その瞬間に防護結界を展開し、外部への被害は防がれた。天使はサタン様を仕留めると同時に撤退したが、再襲撃の可能性を警戒し、葬儀は簡略化されている。敵に隙を与えないためだ。人間界での式はこれで終了となる。地獄で第二部を執り行う予定だ。希望者はそのまま同行し、下葬を見届けることもできる。地獄行きの参加者は、庭園で受付を済ませてくれ。」天使襲撃の事実が告げられた瞬間、場の空気は一気に張り詰めた。ざわめきが広がり、あちこちで不安の声が漏れる。だが、ここで動揺を見せることは、逆に天使に隙を与えることになる。参列者たちはすぐに表情を引き締め、互いに警戒しながら周囲を見回した。


 化粧を直しに廊下へ出た満は、廊下の隅で声を上げて泣いている小さな女の子を見つけた。幽霊であろうと、幼くして悪魔になった子であろうと、とにかく慰めようと近づく。


 だが、近寄って初めて、その子が()()だと気づいた。


(……なんでここに人間が?)その事実に、満は思わず背筋が寒くなる。


 幼い女の子は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、不安そうに満を見上げていた。


 アンティークゴールドの瞳は涙に濡れ、宝石のようにきらきらと輝いている。外の薄曇りの光を受けて、その輝きはいっそう幻想的だった。見ているだけで胸が締めつけられる。


 満は疑問をひとまず脇に置き、ハンカチを取り出して彼女の涙と鼻水を優しく拭ってやる。彼女に接するときよりも、何倍も優しい声で尋ねた。「どうしてそんなに泣いてるんだ?」


 彼女はしゃくり上げ続け、しゃっくりが止まらない。鼻水がまた垂れてきて、満はもう一度そっと拭いてやる。ハンカチはすっかりべたべたになり、もう寿命が近そうだった。少女は途切れ途切れに言った。「ル……ルシファーが……死んじゃったぁ……」その一言でまた悲しみが込み上げ、顔は再び涙と鼻水でぐしゃぐしゃになる。

(そんな呼び方だ……知り合いなのか……?)満は驚きながら尋ねた。「ルシファーを知ってるの?」

少女は鼻をすすり、小さくうなずく。「うん……」そして、少し恥ずかしそうに続けた。「大きくなったら……私と結婚するって約束してくれたの……」

(婚約……? ルシファーが、この子と……? 一体どういう事情なんだ……)気になって仕方がなかったが、今はそれを聞く場ではない。「それは……本当に、大変なことだったね。」

 少女は袖で涙を拭った。袖は濡れるばかりで、顔はちっともきれいにならない。「私……弱かったから……ルシファーを守れなかった……」


「それは当たり前だよ。」満は優しく首を振る。「まだこんなに小さいんだから、自分を責めちゃだめだ。」(……しかも人間なんだから。)もちろん、そんなことは口には出さなかった。


 少女はうつむいたまま、小さな声でつぶやく。「でも、お父様が……」


(お父様……?幼稚園くらいの子にそんなことを言うなんて……厳しいどころじゃない。完全に毒親じゃないか……?というか、あの人が人間の子を育てているなんて……)


 満は余計なことは言わず、穏やかに微笑んだ。「君はまだ子どもなんだ。だから、そんなことで自分を責めなくていい。お父さんの言葉も、あまり気にしなくていいよ。」そう言って、べたべたになったハンカチを少女の手に握らせる。「今はまだ力がなくても、これから努力すれば、きっと強くなれる。」


 満は少女の頭を優しく撫でた。「ルシファーも、それを信じていたからこそ、君を守ろうとしたんだと思う。」


「だから、ずっとここで泣いてばかりいたら……ルシファーもきっと悲しむよ。」


 それでも少女の涙は止まらなかった。「でも……悲しいの……ずっと……悲しいよぉ……」泣き声はさらに大きくなる。


 しかし次の瞬間、何かを思い出したようにぴたりと泣き止んだ。ぱちりと瞬きをすると、べたべたになったハンカチで懸命に顔を拭き始める。だが上手く拭けず、かえって顔は汚れ、小さな子猫のようになってしまった。


 少女は満を見上げ、あどけない声で尋ねる。「お兄ちゃんって……悪魔なんだよね?」


(……お兄ちゃん、か。もうそんな歳じゃないんだけどな……まあ、いいか。)


「私は……」やはりこの子は、悪魔という存在を知っているのだ。

「じゃあ、お兄ちゃんは持ってる? 悲しみを消す力。そうしたら、もう泣かなくて済むし、どんなことがあっても勇敢に立ち向かえるようになるから。」満は思わず目を見開いた。幼稚園児が口にするような言葉ではない。いったい、どんな教育を受けてきたのだろう。「ねえ……悲しまないこと、泣かないことが、勇敢に立ち向かうってことじゃないよ。」


「私たちが勇敢に向き合えるのは、自分の悲しみを理解しているからだ。自分がどんな苦しみを嫌だと思うのか、知っているからだよ。自分の悲しみや痛みを理解したからこそ、時には思い切り泣くこともある。」


「つまり、悲しめないことも、泣けないことも、本当の意味で立ち向かうことにはならないんだ。」満はそこで、ようやく決心した。「でも……私なら、君の悲しみを少しだけ軽くすることはできる。君の記憶を少し消すことで。」


「……どうかな? それでもいい?」


少女はまだ完全には理解していないような表情を浮かべながら、それでも小さく頷いた。


「じゃあ、小さな契約を結ぼう。」


「この契約は少し特殊だから、時間が経てば自然に効力を失う。でも、その頃にはきっと、私が言った意味も分かるようになっていると思う。君にはこれから魔法をかける。ルシファーに関する記憶を少しだけ曖昧にするんだ。ただし、それは君が成長するにつれて少しずつ消えていく。その時には、きっと君自身の力で悲しみに向き合えるようになっているはずだ。契約を結ぶには名前が必要だ。君の名前は?」

「六月六日。」少女は答えた。「でも……悪魔と本当の契約を結ぶ時は、父の名を冠するんだって。」


「六神六月六日。」


「父様がそう言ってたの。」


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