お手製の弁当と日本酒で乾杯を
夜に沈み濃さを増したグリーンのガラス面に、キャンドルの灯りが揺らめく。
その動きと共に輝きを変えるグラスの内側に、フレデリック様の手によって"ニホンシュ"が注がれていく。
彼は「これは店主に教わってきたのですが」と前置いて、
「千葉県という地の、"不動 ひやおろし 純米吟醸 生詰原酒"と名付けられた"ニホンシュ"だそうです。"ひやおろし"については、リアナ嬢に伝えれば分かるだろうと聞いているのですが……」
「ひやおろし! 確か、春に絞ったお酒を夏のあいだ熟成させ、秋に出荷する種類のことだと伺いました」
フレデリック様は目元を緩めて首肯し、
「もう少し詳しく説明すると、冬から春に醸造されたお酒に一度だけ火入れを行い、夏の間は蔵で熟成させ、秋に外気と蔵の温度が同じくらいになった頃、通常行われる加熱処理をせずに常温……これを"冷や"とよぶそうなのですが、その状態で樽や瓶に"卸して"いたことが本来の語源となるそうです。近頃は技術の発展により、出荷時期も多様化しているのだとか。加えて、このお酒は"生詰原酒"のひやおろしなので、貯蔵前に火入れが一度行われていますが、一度も火入れを行っていないものは"生酒"と呼ぶそうです」
どうぞ、と眼前にグラスの片方が置かれる。
礼を告げ、フレデリック様が着席するのを待ちつつ確信する。
彼は、三樹様の居酒屋である『縁』に行ったのだと。
そして間違いなく、私が密かに何度も通っていたことも、既に知っているのだと。
(怒って……は、いないようね)
密かに伺うようにして視線を遣った刹那、バッチリと目が合ってしまった。
「リアナ嬢?」
「あ、いえ! いただきましょう」
グラスを持ちあげた私に倣うようにして、フレデリック様もまた、グラスを持ちあげた。
乾杯の合図に次いで、グラスに口をつける。
フレデリック様と"ニホンシュ"で乾杯する日がくるなんて……と、違和が過ったのも束の間。
「これは……熟れた果実に似た香りと甘さがしつつも、優しくて、落ち着いた味わいですね」
喉を通っていった美味しさについ発すると、フレデリック様もまた感銘を受けたようにしてグラスを見つめながら、
「店主から"夏中寝かせたことによって、旨みやまろやかさが増すんだよ"と聞いていたのですが、こうした風味になるのですね。味に厚みが出るというか」
「分かります! こう、深みのあるコクといいますか、それでいて強すぎないといいますか」
「同感です。これは確かに、"ベントウ"に入れたどの料理とも相性が良いはずです。取り分けても?」
「あ、私が」
「いえ、俺にやらせてください。リアナ嬢は、座ったままで」
立ちあがったフレデリック様は机上に置かれていたお皿を手にすると、手際よく"ベントウ"からお料理を移し取っていく。
現在この邸の実質的な主人である彼の、さながら使用人めいた行動にも、制止をする者がたったの一人も現れない。
(おかしいわ。有事のためにと、様子を伺っている使用人が必ずいるはずなのに――)
「心配いりませんよ、リアナ嬢」
落ち着かない心中を見透かしたかのような声で、フレデリック様が宥めるように笑む。
「この邸での"俺達"に、社交界のルールを押し付ける者はいません」
どうぞ、と眼前に料理で彩られたお皿が置かれる。
「銀杏とキノコと鶏肉の海苔塩炒め、秋茄子たぬき、山芋の糠漬け、干し柿ブルーチーズです」
「わあ……どれも食べたことのないお料理です」
「俺も初めて知る味ばかりでした。料理も店主から知識を借りてきましたので、任せてください」
告げるフレデリック様の得意げな顔には、明らかな期待。
つい頬が緩んだ私はその微笑ましさを隠すことなく、「では」とお皿に視線を落とす。
「まずは馴染みのあるナスからいただきます」
くたりとした柔らかな身をフォークですくい、タレが零れないよう気を付けながら口内へ。
「! ……っ、ナスに沁みこんだタレがジュワッと広がって……たまりません! このタレは"ショウユ"……よりも甘さを感じますね。まぶされいてる細かな丸い食材の香ばしさが、よく合います」
「お察しの通り、このタレは"ショウユ"を使った"めんつゆ"と呼ばれる調味料だそうです。丸い食材は"揚げ玉"と言って、本来は別の料理の調理過程で発生する廃棄品なのだそうですが、食材を大切にという考えのもと、料理への活用を積極的に行っているのだと聞きました」
「こんなに美味しいのに、廃棄品だなんて。コクもありますし、様々な料理に使えそうですね」
「ええ。"食材を大切に"という考え方も、素晴らしいと思います」
頷くフレデリック様との和やかな空気に、すっかりリラックスした私は次のお料理に手をつける。
「この大きな豆が"ギンナン"でしょうか?」
「それなのですが、銀杏は豆ではなくイチョウの実だそうです」
「え!? あの独特な香りの!? で、ですがこちらのお料理からはまったく……どころか、美味しそうな香りしか」
「正直なところ、俺も口にできるものなのかと戸惑いました」
フレデリック様が苦笑するのも無理はない。
だってこの国にもイチョウはあるけれど、あの実はとても食べようだなんて思うものではないもの。
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