最後になるはずのディナー
「お綺麗です、リアナお嬢様!」
「お疲れ様でございました。本当によくお似合いでいらっしゃいます」
支度を整えてくれた侍女たちに、「ありがとう」と礼を告げる。
彼女たちだって、フレデリック様が私との婚約を破棄をしようとしていると察しているだろうに。
こうして変わらず良くしてくれて、ありがたい限りだわ。
椅子から立ち上がり、鏡に自身を写す。
あっという間に迎えてしまった、フレデリック様とのディナーの日。
その約束の刻が、間近に迫っている。
フレデリック様はやはりお忙しいままで、ほとんど顔を合わせられないままだった。
やっぱり対面で話す時間も惜しいとディナーを取りやめて、言付けや書面での婚約破棄になる可能性も考えていたけれど。
今朝、ノイマンが「坊ちゃまからの贈り物にございます」と渡してきたのは、新しいドレスだった。
添えられたカードには、ぜひ今夜のディナーに着てほしいとのメッセージ。
(……彼なりの餞別なのかしら)
ディナー時に適切とされるドレスは足が隠れる長さで、デコルテが開いた形が主流になっている。
けれどもフレデリック様が贈ってくださったものは、膝下程度の長さで足さばきがよく、形も生地も、ドレスと言うよりはワンピースに近い。
ディナーよりも、街中への買い物やピクニックに向いているものだわ。
(実家に帰っても使いやすいようにと、選んでくれたのかしら)
今夜のディナーは邸宅でと聞いているから、必ずしも"貴族のマナー"に合わせずとも問題ないし。
私としても、本来のドレスコードに添ったドレスよりも、何倍も嬉しい。
(それに、このワンピースなら居酒屋にも着て行けそうだわ)
「お嬢様、こちらはいかがいたしますか?」
侍女の一人が持ってきてくれたのは、建国祭の時にフレデリック様から贈られたブローチ。
"マナー"だけを考えるのならば、付けていくべきでしょうね。
(今夜の主旨を考えれば、皮肉のようになってしまうかしら)
「……お願いするわ」
侍女の、一切の疑いを持たない善意の瞳に負けてしまった。
まあ、外せと言われたなら外せばいいし、返せと言われたなら返せばいい。
「――お嬢様。お支度のほど、整いましたでしょうか」
扉をノックするノイマンの声に応え、侍女に見送られつつ部屋を出る。
彼はにこりと微笑み、
「階段前にて、坊ちゃまがお待ちにございます。どうぞ、楽しいお時間をお過ごしください」
(……ノイマンですら、婚約の破棄については知らされていないのかしら?)
違和感に思考を巡らせる前に、「リアナ嬢」と呼ばれた。
視線を向けると、着飾ったフレデリック様が。どことなく、私のワンピースの色味と合わせられているようにも思える。
近寄り、差し伸べられた手に右手を添えると、指先に唇を落とされた。
「よくお似合いです。今夜は俺のために、大切な時間をありがとうございます」
「い、いえ。私こそ、お忙しい最中にこんな素晴らしいプレゼントまでご用意いただいて……ありがとうございました」
(彼なりの最後の礼儀、なのかしら)
周囲の目を気にする必要もないと言うのに、"婚約者"のように接する彼に戸惑う。
そんな私に、フレデリック様はふわりと目尻を和らげ、
「ブローチ、付けてくださったんですね。嬉しいです」
見ればフレデリック様の胸元にも、あのブローチが。
付けて来て良かった。そう安堵すると同時に、ますます違和感が強まる。
(これから別れを告げる相手への配慮にしては、やっぱりやりすぎのような)
と、エスコートする彼の足取りが、予想とは違う方向に向いた。
「……? フレデリック様。食堂はこちらでは……?」
「今夜は食堂ではなく、庭園に用意しています」
庭園、ということは、よくお茶をいただいているガゼポのことよね。
確かに景色が美しい場所ではあるけれど……。
夜は暗すぎて、キャンドルを置いたとしても、せいぜい料理の形がわかる程度にしかならないと思うのだけれど。
と、フレデリック様がにっと口角を上げた。
まるで私の思考を読み、安堵させるような笑み。
(……フレデリック様にお任せしよう)
私よりもこの邸宅に詳しい彼が、知らないはずがない。
扉を出て、庭園へと向かう。
刹那、即座に気が付いた。庭園がいつもよりも明るい。
「これは……!」
見ればガゼポへと繋がる石畳の両端に、点々といくつものキャンドルが置かれ、柔らかな灯りが揺らめいている。
その幻想的な光景に「素敵……」と零すと、フレデリック様はその腕に添えていた私の手を握り、
「裾の長いドレスでは火が心配だったので、そちらの服を指定させていただきました」
「そうだったのですね。本当に……驚きました」
手を引かれるようにして、ガゼポへとゆっくり導かれる。
きょろきょろと周囲を見渡している私を気遣ってか、ずいぶんと歩調は遅い。
すると、フレデリック様は優しい声で「リアナ嬢」と呼び、
「驚いていただけたようですね」
「ええ、本当に。もしかしてこれは、フレデリック様が……?」
「残念ながら、俺一人の力ではありません。発案もそうですが、キャンドルを並べるにも、皆の手を借りました。……ですが」
間もなくガゼポだという直前で、その先を遮るようにしてフレデリック様が足を止める。
「リアナ嬢への想いは、誰よりも込めたつもりです。……それを証明するための、今夜です」
「え……?」
フレデリック様が身体を退き、私をガゼポへと導いた。
周囲に小さなキャンドルが灯る屋根下に踏み入れると、優しい光に包まれる。
テーブルの上には二枚のお皿。
中央には、艶々とした黒く四角い容器が置かれていて、その蓋に描かれた金の美しい画がキャンドルの灯りを反射している。
なんだか珍しい形の……そう、まるであの居酒屋に置いてありそうな――。
「……そんな、どうして」
言い表せないほどの驚愕に、声が震える。
その、黒い容器の隣。私の"キリコグラス"の隣に置かれていた瓶は、ワインではない。
あれは間違いなく――"ニホンシュ"だわ。
(な、んで? もしかして、お爺様が差しあげた? きっと、そうだわ。でも、それならフレデリック様はどこまで――)
ドクリドクリと激しく胸を叩く心臓と、混乱に立ちすくむ。
と、フレデリック様がするりと私の手を放し、テーブルへと歩を進めた。
そっと容器の蓋を取る。
現れたのは数多のジュエリー……いいえ、美しいお料理が、少量ずつ並べられている。
「これは"ベントウ"と呼ぶそうです。料理は、辰彦に手伝ってもらいながら、俺が作りました。香穂嬢や店主にも味を確かめてもらったので、問題ないと思います」
「!?」
(フレデリック様も、あの居酒屋に行ったの!?)
どうやって? いつ?
それにお料理って、三樹様はもちろん、辰彦様や香穂様もそんなお話は一度も――っ!
「リアナ嬢、お願いがあります」
着席を促すようにして椅子を引いてくれたフレデリック様が、緊張を浮かべた瞳で私を見つめる。
「一緒に"ニホンシュ"を飲んでいただけませんか? 長くなりますが、聞いてほしい話があるのです。それに、聞きたいことも。……互いに言えずにいたこれまでを、明かし合いませんか」
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