アイシングクッキーを贈りましょう
(……やっぱり、婚約を破棄した後も王都に残る道を探すべきね)
この人達は、たとえ私が"ベスティ侯爵家の婚約者"でなくなったとしても、変わらず接してくれるはず。
こんなにもいい環境を手放すのは、あまりにも惜しい。
「そうでした。工房長にお渡ししたいものが」
私は机の隅に置いていたバスケットを手にし、かけておいた布をずらす。
「よかったら作業の合間にでも、皆さんと食べてください」
途端、二人が「食べる!?」と声を上げた。
ルーベンス様はバスケットの中をじっと見つめ、
「この香り……もしかして、この白いレースのような模様が描かれたものは、焼き菓子ですか?」
工房長もまた、確かめるように香りを吸い込み、
「ふうむ、白く艶々とした表面がなんとも美しいもんで、ご令嬢の好む飾りの類かと思いましたぞ」
(わかるわ。私も辰彦様から"アイシングクッキー"をいただいた時は、本当に驚いたもの)
辰彦様に作り方を教えていただいた私は、料理人の皆の力を借りつつ、この"アイシングクッキー"を完成させた。
色とりどりで美しかった辰彦様のクッキーとは異なり、白いアイシングだけになってしまったけれど、つやりとした表面は本当に美しい。
特に皆が出来を競っていた緻密なレース模様なんて、それこそ陶磁器の小物のよう。
「"アイシングクッキー"という、異国の手法を施したクッキーです。この白い"アイシング"は、卵白とお砂糖を混ぜ込んだもので作っているので、安心して召し上がってください。私もお手伝いをさせていただいたので、お口に合うと嬉しいのですが」
「リアナ嬢も、お手伝いを……?」
ルーベンス様の頬が引き締まる。
「工房長。交渉を望みます」
彼は場違いなほどに真面目な様相で、
「僕にもこのクッキーを数枚恵んでください。今度、ワインを数本持ってきます。チーズ付きで」
「ふむ、悪くありませんな。交渉成立ですぞ」
「ありがとうございます!」
料理長からクッキーを受け取ったルーベンス様が、鼻歌交じりに笑む。
私は疑問に首を傾けつつ、
「ルーベンス様はクッキーがお好きなのですか? あ、アイシングが気になるようでしたら、また後日お届けしても」
「それもとても魅力的なのですが、すでに目の前にある馳走をみすみす逃すのは性に合わずでして。ちなみにクッキーへの愛情は人並みです。"アイシング"とやらを試してみたい気持ちもありますが、なによりも」
ルーベンス様は一枚を私に示してみせ、片目を器用に閉じてみせる。
「リアナ嬢お手製とあっては、僕にはダイヤ以上の価値があるクッキーですから」
「……!? お、お手製といいますか、私は、本当に少しお手伝いをした程度で……!」
「例え僅かでも、リアナ嬢が調理に関わっていることに違いはありませんから。こちらは後ほど屋敷に戻ってからいただきますね。大切に味わいたいので」
それこそ宝物を扱うかのように丁寧にハンカチに包み、キラキラとした爽やかな笑みを向けられる。
(な、なんと言えばいいのかしら)
妙な恥ずかしさで頬が熱い。
つい視線を下げると、工房長が「ふむ」と考えるようにして、
「前々から思っていたもんですが、お二人は非常に"お似合い"という言葉がしっくりと……そうですな。仕事だけではなく、本当の"パートナー"になられてはいかがかと。我々としても、頼りあるお二人の絆が更に強固になるというのは、喜ばしい限りですぞ」
「!」
私が言葉に迷ったのは、一瞬。
なぜなら即座にルーベンス様が反応されたから。
彼はいつもの笑みのまま軽く肩を竦め、
「工房長、リアナ嬢には婚約者がいるんです」
「なんと……! これはこれは、大変な失礼を」
「いえ、失礼だなんて。お気になさらないでください」
工房長が、安堵したように息をつく。
それからしみじみといった風な声色で、明らかに肩を落としながら、
「考えてみれば当然とはいえ……そうでしたか。いやはや、なんとも口惜しい……いや、欲張ってはなりませんな。ちょいとこのクッキーを工房の連中に渡してきます。お茶を淹れてくるので、飲んで行ってくだされ」
とぼとぼとした背中を見るに、工房長は本気で私とルーベンス様が寄り添うことを望んでくれていたのね。
(……"お似合い"のように見えるのだとしたら、ルーベンス様がお優しいからだわ)
私を仕事のパートナーとして対等に扱ってくださるばかりか、困った時には、そっと助けてくれる人。
そしてこんな私にも、誠実に好意を向けてくれる人。
(……私も、ちゃんと話をしておかなきゃ)
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