過去よりも大切にすべき今
話していて、理解した。
リアナ嬢は、ここで出会った彼らを信頼し、愛している。
そして彼らもまた、リアナ嬢のことを心から大切に想い、力になり続けている。
俺なんかよりも、よっぽど。
(やはり俺は、リアナ嬢の足枷でしかないのか)
「……でも、フレデリックさんは」
店主の声に、知らずと下げていた視線を上げる。
彼は宥めるように目元を和らげ、
「私たちの知らないリアナさんのことを、これほどまでに知っている。賞賛されているリアナさんの"才能"も、彼女の"努力"によって築かれたものだと、深く理解している。それは決して、簡単ではないと思うよ」
「ま、確かに? リアナちゃんのことが本当に大好きなんだってことはよく分かったかな。だからって、これまでの仕打ちを許せはしないけど!」
「むしろ、なんでここまで拗れたのか不思議っつーか」
よし! と手を打った店主が、ウキウキといった風にグラスを取り出し、
「知らないことは知っていくのが一番! ロイドさんとリアナさんは、日本酒っていうこの国の伝統的なお酒をすごく気に入ってくれていてね。フレデリックさんには、ぜひともこの一本を味わってほしいなあ」
「"ニホンシュ"……」
店主が瓶詰にされていた酒を、グラスに注ぐ。
水のように透明だが、これがその"ニホンシュ"という酒らしい。
「"而今 特別純米 無濾過生原酒"。日本酒の中でも人気が高い一本でね。この国の、三重という地域のお酒なんだ」
(ロイド卿とリアナ嬢が気に入っている、異国の酒……)
どうぞ、と置かれたグラスを手に取り持ちあげると、酒にしては甘い香りが。
一気に飲み干さず、一口をしっかりと味わうのだというアドバイスに頷き、薄いグラスからゆっくりと口内に流し込んだ。
「! この国では、こんなにも甘い果実が大量に栽培されているのか!?」
「それがね、これは果実じゃなくて、お米っていう穀物から作られているお酒なんだ」
「穀物? ああ、酒に砂糖を混ぜているのか。だがどうにも砂糖の甘みとはまた異なるような……蜂蜜の香りでもないし」
「ものによっては水あめなんかで甘さを調整することもあるけれど、この日本酒には入っていないかな。製造工程で発生した、お米由来の糖だけだよ」
「この、果実のような香りも、みずみずしい甘さも、穀物のみで……?」
信じられない心地で、もう一口を味わう。
初めて味わう柔らかな甘みに気を取られていたが、少し遅れて広がる酸味と苦味がどこか心地いい。
複雑な風味は意外にもまとまっていて、余韻が残るのに、すっきりとした後味なのも飲みやすく……。
「菓子のようながら、"酒"としての顔もしっかりと持った、なんとも美味い酒だな。ロイド卿とリアナ嬢が気に入るのもよく分かる。初めて口にしたというのに、不思議と心の強張りが解けていくようだ」
店主は嬉し気にうんうんと頷いて、
「わかるよ。お米の懐の深さっていうのかな。日本酒って、お料理はもちろん、その人自身に寄り添ってくれるような深い味わいがあるよね。じっくりと沁み込む旨さっていうか」
「寄り添う、か……」
「特に、而今っていうのは、『今、この一瞬』という意味があってね。過去は変えることが出来ないし、未来は誰にも分からない。けれど、「今」だけはわかるし、変えることもできる。だから過去や未来に囚われず、今をただ精一杯生きようっていう想いが込められたお酒なんだ。"今"のフレデリックさんに、ぴったりだと思って」
刹那、「それ! やっぱり"今"が大事なんだって!」と香穂嬢が声を上げ、
「今を逃したら二度と"今"はないわけじゃん? あれこれ考えたって、思いもしない事態が起きることだってあるしさ。今を最大限に楽しむ! 推しは推せるうちに推す!! ってことで、やっぱり今度のイベント遠征しよ。会いに行くからね、ノアくん!」
香穂嬢が勢い良く取り出した絵……それも、透明な板に書かれているらしい男に話かけ始めた。
どうやらこの絵の男が"ノアくん"らしいが……。
(なんだ? この国では絵と会話が出来る魔法があるのか? いや、絵を介して本人との会話を……?)
戸惑う俺に視線を合わせるようにして、辰彦が「悪い。気にしないでくれ」と片手を上げ、
「なあ、ずっと気になってたんだけどさ。……もしかして、リアナさんに小さい時から好きだって、伝えてなかったりしないか?」
心臓が、ひやりと竦む。
「それは……今更伝えたところでなんの意味もなさないからと、告げてはいないが……」
「やっぱり。それがそもそもの選択ミスだな」
香穂嬢が絵の男から俺へと視線を移し、
「あー、アタシも同意。そこサボっちゃ駄目だって。だっからリアナちゃん、自分との婚約は仕方なしで選ばれた"契約結婚"だって思いこんでるんじゃん。そりゃいくら好きだって言われたところで、裏があると思うでしょ」
「なっ!? 断じて仕方なしなどでは……! 俺にとっては、奇跡のような幸運で!」
「だからさ、それをそのままリアナさんに伝えたらいいんじゃないか?」
「それは……っ、リ、リアナ嬢は、気味が悪いとは思わないだろうか? 俺を、嫌いになったりは……」
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