愛しい娘に相応しい最上の伴侶を
ゼシカの母親は他者に伝染する可能性が高い重病を患ったがために、幼いゼシカに移すわけにはいかないと、断腸の思いで家を出ていったことになっている。
陛下の協力を得て限りなく真実となっているこの話によって、美談好きの貴族たちはゼシカを"英雄の娘"としてではなく、"涙ぐましい母の愛に守られた悲劇の子"として扱った。
そうしてゼシカは母がいない寂さも乗り越え、美しく自信溢れる"令嬢"へと成長した。
自慢の、何よりも愛おしい娘。
だからこそ――欲が出た。
気づけば年頃になっていたゼシカが、初めての恋をした。
「お父様、私、結婚のお相手は絶対にフレデリック様がいいわ。けれど、彼を慕う女性が沢山いるでしょう? フレデリック様は相手にされていないようだけれど、心配なの。お願い、彼が誰かに頷いてしまう前に、婚約を申し込んで」
ゼシカがそうねだってきたのは、フレデリックが騎士団に所属してまだ一年ほどしか経っていない頃だった。
ベスティ侯爵家の跡取りでありながら、器量も良く、なにより剣の才に溢れる青年。
鍛えれば確実に、"天才的な若き騎士"として開花するであろうことは分かっていた。
(誰よりも"幸福な娘"であるゼシカの婚約者となるのだから、最上の名声を得てからの方が相応しいだろう)
フレデリックはフレデリックで、結婚はおろか、社交活動にも消極的だった。
令嬢を相手するよりも剣の稽古を好む彼が、侯爵夫妻のすすめる相手との縁談も断り続けているのは、有名な話。
急ぐ必要はないと思った。
むしろ、ゼシカとの縁談で色恋にのめり込み、剣への情熱が削がれては困る。
俺はゼシカにこう告げた。
フレデリックは間違いなく最上の騎士となる。が、今お前という愛らしい存在に現を抜かしては、堕落する可能性が高い。
だから、少し待ってやってはくれないか。
心配するな。
時がきたら、必ずフレデリックとの縁談をまとめると約束しよう――と。
(わからない。あれほど数多の令嬢を袖にし続けていたというのに、なぜこれほど田舎の伯爵令嬢などとの婚約に固執するのだ?)
フレデリックから突然と婚約を知らされた時は、愕然とした。
が、婚約者を侯爵家に迎え入れてからも、フレデリックの勤務態度が変わることはなかった。
むしろ、それまで以上に騎士団で過ごす時間が増えていたほどだ。
その事実に、安堵したものだ。
婚約者にのめり込むどころか、少しでも離れていたいと思うような相手なのだろうと。
(所詮は侯爵夫妻の顔を立てるための、仕方なしの婚約か)
ならば、俺がゼシカとの縁談を提案すれば、喜んでこちらを選ぶに違いない。
ゼシカに劣る部分などないばかりか、騎士としての大成を望むフレデリックにとっても、明らかに条件がいいのだから。
――だというのに。
誰よりも幸福でなくてはならない娘が泣くのは、俺のせいだ。
(どんな手を使ってでも、ゼシカとの約束を果たさねば)
蝋燭の明かりが揺れる食堂で席についてから、どれほど経ったか。
背もたれに身体を預け、息を吐きだす。と、
「……お父様」
「! ゼシカ……!」
遠慮がちに扉を開けたゼシカの目元は、暗がりでも分かるほどに腫れていて痛々しい。
「……まだ、夕食をとられていないと聞いたの。私が来るまで、食べないのだと思って、それで……」
「ああ、ゼシカ……!」
俺はたまらずゼシカに駆け寄り、抱きしめる。
「辛いだろうに、不甲斐ない父親の食事を気遣って出て来てくれたのか……! こんなにも優しい娘が愛する者と結ばれないなど、あってはならない!」
そうだ。これはきっと俺に与えられた試練の一つなのだろう。
彼女が出ていった時のように。
愛する娘を、本当に幸福にするための。
「心配ない。お父様が必ず、フレデリックと結婚させてやる」
「本当の本当に? フレデリック様と、結婚させてくれるの?」
「ああ、約束したからな。そのためにも、だ。ゼシカがフレデリックの新たな婚約者として披露された際に、僅かな綻びもあってはならない。横取りを企む他の令嬢に、つけ入る隙を与えないためにもだ。お前は素晴らしいことに、今回の"剣姫"に選ばれた。儀式を完璧に務めあげ、"剣姫"の称号を確実なものにするんだ。この国でゼシカと張り合える令嬢などいないと、誰もが理解できるようにな」
ゼシカはそろりと上げた目で俺を見つめ、小さく頷いた。
「わかったわ。フレデリック様の妻となるのだもの。儀式も完璧に務めてみせるわ」
「本当に健気で有能な娘だな、ゼシカは。フレデリックが羨ましい限りだ。さあ、食事にしよう。大勝負の前に倒れてしまっては困るからな」
扉前で待機していた使用人に合図をだし、食事の準備に取りかからせる。
ゼシカは食卓までエスコートして、引いた椅子に座らせた。
蝋燭の明かりが一回り大きくようなったように感じる。
「さて、あの男は良くも悪くも頭が固いからな。しっかり準備をしなければ」
これまでの大戦も、けして"運良く"勝ち続けていたわけではない。
勝利を掴むには、優れた戦略と入念な準備が不可欠なのだ。
「今年のゼシカの誕生日パーティーは、盛大に執り行うとしよう。今からなら新しいドレスも招待状も、まだ間に合う」
脳裏で策を張り巡らせながら、"父親"の顔で優しく笑む。
誰よりも幸福な娘が、誰よりも美しい愛を実らせるその瞬間を思い描いて。
「俺の愛しい娘は多くの者に祝福されながら、望んだ愛を手に入れるだろう」
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