彼のためのデルフィニウム
お爺様ははっは! と声を上げて笑い、
「さすがは店主だの! あの店に通っていた頃、花が好きな妻が育てていた庭園で楽しめる酒はないかと尋ねたことがあってな。ぜひとも飲んでもらいたい銘柄があるものの、販売時期が決まっていて、すぐには用意出来ない代物なのだと言われたのだよ。手に入り次第、飲ませてくれると約束をしていたのだが……その後しばらくして、通うのを辞めてしまってな」
どこか寂し気な眼差しで瓶を見つめ、お爺様は「あの店主はやはり人がいいの」と呟く。
私は湧き出た感情をぐっと抑え、「お爺様」と笑みを浮かべ、
「私もいただいてもよろしいですか? "キリコグラス"、もう一つ持ってきていますので」
「もちろんだとも。リアナと"ニホンシュ"を味わえるとは、ますます店主に感謝せねばいけんな」
言いながらお爺様は瓶の蓋を開け、並べたグラスにそっとお酒を注ぐ。
グラスのカッティングに反射して、キラキラと光る水面が美しい。
お爺様はグラスを手に取り、一つを私に手渡した。
「では、愛孫の二年ぶりの帰省に」
二人で乾杯をして、同時にくっと飲み込む。
私は「わあ」と感動に声を上げ、
「本当に爽やかな香り……! 口当たりも柔らくて、ほんのりとした優しい甘さと旨味が広がって……美しい味わいがします!」
「ああ、スッと切れが良いのも心地いいの。花を使っているというからもっと派手な印象を想像していたが……素朴で清純な……ああ、まさしくこの庭園で飲むによく合う。ワシの好みをよく覚えていたものだ」
(やっぱり、お爺様はまだ三樹様やあのお店が恋しいのだわ)
なら、なぜ。
押し込めた疑問が喉までせり上がった、刹那。
「花と言えば、リアナ。侯爵邸の庭園にもデルフィニウムの花が咲いているのか?」
「え、と。デルフィニウムの花、ですか?」
「ほれ、小さい頃、あの男のために伯爵邸の庭園に植えたいのだと婆様にせがみにきただろう? この庭園には植えられていたからな」
たしかに庭園の所々では、立派なデルフィニウムが花開いている。
(そういえば……そんなこともあったわね)
それ一つで充分に華やかな花が連なる花穂は、この時期に圧巻の存在感を放ち、白や紫と多色な花弁でこの時期の庭園を彩る。
その中で私が求めたのは、深い青色のデルフィニウムだった。
記憶の中の、幼いながら大人びた雰囲気を漂わせたフレデリック様の横顔が浮かぶ。
「侯爵邸の庭園を眺めていると、リアナ嬢を思い出すことがあります。活力に溢れる緑が、あなたの瞳のようで」
唐突に告げたフレデリック様は、きっと驚いた顔をしているであろう私の瞳をじっと見つめ、
「リアナ嬢と過ごした時間を思い起こしている間は、心が休まります。……ここは、良い所ですね」
そう言って再び視線を前方に向けた彼の横顔が、なんだか寂しそうに見えて。
(……私の家の庭園に、フレデリック様の瞳の色と似た花を植えたら、喜んでくれるかしら)
私には首都での生活も、有力貴族家の跡取りとして受けるべき教育も、何一つ分からない。
フレデリック様について知っていることなどほとんど無いに等しいけれど、ただ、嬉しかった。
私にとって全てであるこの場所を、良い所だと言ってくれたことも。
私と過ごすこの時間を退屈ではなく、心休まる時間として思い返してくれていたことも。
だからほんの少しでいいから、彼を元気付けたいと思った。
(その方法が同じように庭園に彼の色を加えるだなんて、私も幼かったわね)
結局その後、お祖母様と一緒にデルフィニウムを植えてはみたけれど、花開く時期にフレデリック様が訪ねてくることはないままで。
植えたことも伝えられないまま、疎遠になってしまったのよね。
すっかり思い出した私は、眼前のお爺様に「私は薄情者ですわね」と苦笑して、
「侯爵家の庭園にも、見事なデルフィニウムが咲いております。ですがお爺様に教えていただく今の今まで、忘れていました。お祖母様にもあれほどご迷惑をおかけしたというのに……申し訳ありません」
「はっは! そうかそうか。いやなに、謝る必要はない。リアナのすることに迷惑だなんぞ、たったの一度も思ったことなどないのだからな。それに……人の記憶とは、そういうものだ」
お爺様はグラスを持ちあげ、輝く表面に庭園の色を閉じ込める。
「忘れたくはないとどれだけ祈ろうと、気付けば薄らいでいる。かと思えば、忘れたいと願うものほど、いつまでも心に刻まれているものだな。己で制御できるものではない」
「……お爺様にとって」
私は膝の上で、ぐっと己の指を握り込める。
「お爺様にとって、三樹様は。あの世界での出来事は、忘れたいと願う記憶なのですか?」
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