俺が心に決めた婚約者は彼女だけ
俺はもう、リアナ嬢の信頼を得ることは出来ないのだろうか。
もう何度目かもわからないため息を吐き出すと、前方からブルルと不満気な声がした。
見れば愛馬のガロンが首をひねり、じとりとした目を向けている。
ブラッシングの手を止めたのを責めているのだろう。
悪かった、と苦笑して再び手を動かすと、ガロンは満足そうに前を向いた。
「……言葉が交わせなくても、お前とは信頼関係が築けたのにな」
「そもそも向き合ってもいない相手と、どうやって信頼関係を築けってんだよ」
「! セド」
「訓練場にいないと思ったら、厩舎でうじうじと……。ったく、こんな情けない男よりも、ルーベンスの坊っちゃんのほうがよっぽどお似合いだな」
グサリ。そんな音が胸に響いたような気がして、思わず手で覆う。
セドはそんな俺に気づいているのかいないのか、声高らかに、
「堂々とした華々しい出で立ち! 嫌味のない爽やかさ! 女性の扱いも紳士的で、ましてや婚約者ちゃんにとっては頼れる仕事のパートナー! お前だって気づいただろ? 向こうはがっつり狙いに来てるうえに、ありゃマルガレット夫人も本気で婚約者ちゃんを囲いにきてるぞ」
「……そうだな」
「実際、俺も驚いたんだぞ? "噂"で色々聞いてたとはいえ、とんでもない才能の持ち主だな、彼女。いや、"開花させた"って言ったほうが適切か。どちらにせよ、婚約者ちゃんの幸せを第一に考えるなら、どうあがいてもルーベンスの坊っちゃんと一緒になったほうが正解だろ。そりゃあお前だって、顔よし身体よし剣術よしの家柄まで揃っているとはいえ、現状、婚約者ちゃんにとってはどれもさして重要じゃなさそうだしな」
「…………」
(本当は、俺だって理解している)
急ぎ入場したパーティー会場で目にした二人の姿は、まさしく"お似合い"だった。
リアナ嬢が、夫人の用意したドレスを纏っていたからではない。
踊る二人の間には、確かな信頼が見えた。
彼女が考案したという"キリコグラス"も素晴らしいものだったというのに、俺はこれまで彼女の才能に気がつかなかったばかりか、未だに手助けひとつ出来ていない。
セドの言葉通り、"情けない男"。
おそらくはリアナ嬢も、同じ考えを抱いているだろう。
その優しさから、口にしていないだけで。
(すべて諦めて、引き下がるべきなのか)
握りしめた手の内で、爪が食い込む。
(だが、俺から望んで彼女を手放すなんて――)
「――フレデリック。ここにいたのか」
「ギル卿!」
突如として現れたその人に、セドと共に姿勢を正す。
「少し、話を出来るか」
「はい。セド、すまないが後を頼む」
ブラシをセドに渡し、急ぎ厩舎を出た。
ギル卿の半歩後ろを歩く俺を、卿が顔だけで振り返る。
「てっきり訓練場にいるものだと思っていたのだがな。近頃、少々気が緩みすぎではないか? いつ重要任務が発生するとも分からないのだぞ」
「……申し訳ありません」
(どうやら目に余るほどに弛んでいたようだな)
せっかく第一騎士隊の副隊長に就かせてもらったというのに、なにをやっているんだ。
胸中で叱咤して、不甲斐なさに奥歯を噛む。
ふと、ギル卿が歩を止めた。
「悩んでいるのは、婚約者のことだろう? 無理もない。建国祭のパーティーは衝撃的だったからな」
「! ……本当に、才能に溢れる素晴らしい女性でして」
「そうだな。類まれなる才を持っているようだ。だが騎士の妻には向いていない。理解しているだろう、フレデリック。キミは侯爵家の跡取りで、実力も申し分ない優良な騎士でもある。多忙で不在がちな主人に代わり、屋敷と領地を最優先に守れる女性を迎えなくては。クレコ伯爵令嬢は、ガラスグラスの事業を広げていくつもりだそうじゃないか」
「っ、それは」
「キミだって、彼女の活動を制限するのは心苦しいだろう。どうだろうか。ここは互いの為にも、別の道を歩むのは。……ゼシカだが、"剣姫"に選ばれたというのに、キミの木剣が手に出来なかったと酷く悲しんでいてな。どうやらキミへの恋心を捨てきれずにいるようだ。クレコ伯爵令嬢も"良いパートナー"がいるとのことだし、今一度、ゼシカを新しい婚約者として迎える件について前向きに考えてみないか?」
「……申し訳ありません」
あれほど悩んでいたというのに、自然と頭が下がった。
考えるよりも先に、口が動く。
「すべて、不甲斐ない俺の責任です。これまでゼシカ嬢にはたったの一度も、特別な愛情を感じたことはありません。……誤解を招くような行いを繰り返してしまい、本当に申し訳ありませんでした」
俺はぐっと顔を上げ、ギル卿と対峙する。
「ゼシカ嬢は素晴らしいご令嬢です。それにまだ年若く、いくらでも選べる立場にある。どうかギル卿からも、女心の分からぬ朴念仁など早く切り捨て、もっといいお相手へ目を向けるようお伝えください」
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