裏切られたくはないのに突き放せない
比較的落ち着いている店内で、黙って私の言葉に耳を傾けていた香穂様が、にこりと笑んで両手を合わせる。
「えーと、リアナちゃん。お家に遊びに行ってもいいかな? その"婚約者"さんとやらにどういうつもりなのか、面と向かってじーっくりと取り調べさせていただきたいんだけど」
「やめとけって。こういうのは部外者が乱入すると、余計に拗れるだろーが」
「もう充分に拗れてるんだから、今更でしょ。アタシの大事なリアナちゃんを苦しめるなんて、許せない!」
香穂様がいつになくご立腹なのは、私がお二人に、あれから晴れずにいる胸の内を明かしたから。
「だってさ!? 二年だよ!? 二年もリアナちゃんを袖にしておきながら、今更になって"ずっと好きだった"とか図々しすぎでしょ!? リアナちゃんはとっくに新しい道を進み出しているのにさ!? 切り捨てられそうになってから焦るんなら、最初から話を聞けよの典型パターンだし!」
びくりと肩を跳ねあげた辰彦様は、「で、でも」となぜか心苦しそうにしながら、
「リアナさんはまだ、その婚約者のことをはっきりと拒絶しきれなくて悩んでるんだろ? つーことは、まだ気持ちが残ってるってことで」
「その気持ちが"愛"だとは言ってないし。そもそも結婚の約束をしている相手の言葉が信じられないって、大問題でしょ。それこそ結婚なんてしちゃったら、ずっと"夫"を疑い続けないといけないんだよ? 本来なら、一番の味方なのにさ。リアナちゃんが不安に思うのは当然だよ」
「……ありがとうございます、香穂様」
私は自分の心と対話するようにして、一つずつ言葉にしていく。
「都合のいい言葉ばかり信じて、勝手に裏切られたような気持ちになるのは、避けたいのです。なのに……どうしてか、完全に突き放すことも出来ないままで……」
「なら尚更、突き放せない理由が分かってからのがよくないか? 約束した結婚の日までは、あと一年くらい残ってるんだろ?」
「辰彦さあ、なーんか随分とリアナちゃんの婚約者の肩を持ってない?」
じとりと疑わし気に両目を眇めた香穂様から、辰彦様が分かりやすく視線を逸らす。
「俺の立場上、胃がキリキリするんだって。あ、だからって、その婚約者のためにリアナさんが我慢すればいいなんて話じゃないからな。既に一切の後悔もないっていうなら、早いトコ別れたほうがいいと思うし。まだ迷ってるなら、焦って結論を出さなくてもって――」
「あの、それが……。早く結論を出さなければならない事情がありまして。仕事を手助けしてくださっている方から、今の婚約を破棄して、自分と新たに婚約しないかとのお申し出がありまして……」
途端、香穂様が「え!」と声をあげ、
「なら断然そっちの人のが良くない? あ、タイプじゃないとか、気が合わないとか? びっくりするくらい年上!?」
「いえ、とても素敵な方です! お仕事以外でもとても頼りになりますし、優しいですし、お歳も私より少し下なだけです。……彼との婚約を望む女性も、多くいらっしゃいます」
「そんなに条件がいいんなら、なおさらその彼にしちゃうのもアリだと思うけどなあ。一度信頼出来なくなった相手より、これから新しい可能性しかない相手のほうが不安も少ないしー」
「まて、まってくれ。その男とはまだ知り合って日も浅いんだろ? まだ悪い所が見えてないだけかもしれない。なんらかの理由ですれ違ってたとはいえ、この二年間ずっとリアナさんを想ってた婚約者の愛の深さのほうが、信用できるんじゃないか?」
「だから、"愛が深い"なら最初から――」
「人の心ってのは、目に見えないから難しいよねえ」
「三樹様」
お盆を手に現れた三樹様は、目尻を和らげて「おまちどうさま」とテーブルにグラスを置く。
「今夜のオススメ、『二兎 純米大吟醸 雄町四十八』だよ。このお酒は『二兎を追うものしか二兎を得ず』ってコンセプトの銘柄でね。例えば"味と香り"とか"酸と旨味"ってものから、"甘と辛"、"複雑と綺麗"みたいに一見正反対のように思える要素も両立させて、最高のバランスと味わいを生み出しているのが特徴なんだ」
(正反対の、両立? そんなことが可能なのかしら……?)
妙に耳に残った言葉に答えを求めるような心地で、グラスの中で揺らめくお酒をくっと煽る。
「なんて芳醇な……! こくのある甘味の中にみずみずしい果実を思わせる酸味が香って……舌の上では濃密な印象ですのに、キレが良くて後味はスッキリと軽やかです……!」
「まさにいくつもの"二兎"が手を取り合ってるよねえ。このお酒に使われている"雄町米"ってお米の特徴がよく出ていて、食事とも相性がいいんだよ。ぜひとも合わせてもらいたいのが、こちらの"八丁味噌の土手煮"! 二兎は愛知ってところのお酒なんだけれど、同じ地方で愛されている、濃厚な味噌と牛すじの煮込みだよ」
出された小皿の中を見て、思わず「えっ」と声をあげてしまう。
「これも味噌……なのですね」
黒ずんだスープにも見えるトロッとしたソースの中で、形が崩れるほど煮込まれているのが牛すじ……なのよね。
乗せられたネギの緑がとても映えるけれど、華やかながら洗練された印象のあるお酒とは随分と対照的なお料理だわ。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!
気に入りましたら、ブックマークや下部の☆→★にて応援頂けますと励みになります!




