婚約者と真実のダンスを
軽やかなステップで私を導きつつ、ルーベンス様がこそりと耳打ちをする。
「見えますか? この場にいる大勢が、リアナ嬢に魅了されていますよ」
にこりと爽やかに笑むルーベンス様に、私はほっと小さく息をつく。
「ダンスの練習が間に合ったようで安心しました。助けになってくださりありがとうございます、ルーベンス様」
マルガレット様と今日この日の"作戦"をたてはじめてから、キリコグラスの製造確認や工房長たちとの調整に、ダンスレッスンも加わった。
元より侯爵家でレッスンを受けていたおかげで及第点はいただいたものの、より美しく、魅力的に踊れるようになる必要があるからと、マルガレット様が直々に指南をしてくださった。
その時、ルーベンス様にも練習を付き合っていただいたのだけれど……。
(お二人の苦労を無駄にせずに済んだなら、良かったわ)
ルーベンス様は相も変わらず軽やかに踊りながら、
「いえいえ、役得でしたよ。リアナ嬢と何度だって踊れたのですから」
「ルーベンス様はお優しいですね。グラスのことも、無知な私にも呆れずに付き合ってくださいますし……。本当に、いつも感謝しております」
すると、ルーベンス様はちょっと考えるような顔をしてから、
「リアナ嬢。ご婚約を破棄されるのでしたら、僕と婚約しませんか? 僕たち、いい伴侶になれると思うんです」
「……えっ?」
(こ、婚約? 伴侶?)
突然の話題に動揺した私の乱れたステップも、ルーベンス様はさり気なく拾い隠して、
「ご存じの通り、僕は叔母様に憧れを抱いてきましたから、結婚した貴族女性が働くことになんの異論もありません。むしろ、リアナ嬢とでしたら、仕事面でもいいパートナーになれるはずです。年下の男は嫌いですか?」
「いえ、そういったことは……」
「なら、考えてみてください。僕を選んでくださるのでしたら、一日でも早く今の婚約が破棄できるよう全力でお手伝いしますよ。叔母様も喜んで協力してくれるでしょうし。……僕はリアナ嬢を大切に思っています。大切な人には、幸せになってほしいのです。どうか、リアナ嬢自身の幸せに繋がる選択を願います」
「ルーベンス様……」
どこか切なげな瞳にためらいを覚えたと同時に、音楽が終了を告げた。
(あ……いつの間に)
身体を離し、周囲からの拍手が飛び交う中で互いに礼をすると、ルーベンス様が私の手を再びすくい上げる。
「この手が空くのを待ち構えている輩が群れていますね。リアナ嬢さえよければ、このまま僕ともう一曲――」
「必要ありません。俺がいますので」
背後から私の手を奪ったその人に、思わず声を上げる。
「フレデリック様……!」
「遅くなってすみませんでした。よほどの事態が起きない限り、今夜の仕事は終いです。これから先の時間は、俺にください」
ちゅ、と流れるように指先に唇を落とされ、心臓がドキリと跳ねる。
(こ、"婚約者"の肩書上ってことよね……!)
近頃はそれなりに慣れてきたと思っていたけれど、なんだか今日のフレデリック様は、普段よりも"婚約者"の演技に熱が入っているような。
「も、もちろんです」
ぎこちなくもなんとか笑顔で首肯すると、フレデリック様が喜ぶようにして目尻を緩めた。
と、瞬時にその笑みを消して、ルーベンス様を見遣る。
「俺の"代役"をありがとうございました」
(な、なんか言葉にトゲがあるような!?)
ヒヤリとした空気を感じたのは、私だけだったのかしら。
ルーベンス様は「楽しいひと時でした。では、僕はこれで」といつもの笑みで紳士的な礼をして、
「リアナ嬢、先ほどの返答はいつでも構いませんので。次は、叔母様の執務室でお会いしましょう」
くるりと背を向け離れていったルーベンス様の姿を追っていると、待ち構えていたご令嬢たちにあっという間に囲まれている。
そうよね。だって見目も良ければ、マルガレット様の事業をいくつも共同で担う確かな実力もお持ちだし。
ご令嬢方が放っておくはずがないのに、どうして私に――。
「……リアナ嬢。次の曲が始まりそうなので、一曲お相手願えますか?」
「は、はい。私でよければ」
(いけない。フレデリック様の"婚約者"としての務めもちゃんと果たさなきゃ)
先ほどよりも数の増えたペアの中に混ざり、向かい合って礼をする。
曲の始まりに合わせて身体を寄せ、周囲と同様に踊り出す。
(失敗しないように集中しなきゃ)
「……リアナ嬢。初めて共に踊った、あの夜会を覚えていますか?」
突如の問いに、私はダンスに神経を張り巡らせながらも「はい」と頷いて、
「フレデリック様には恥をかかせてしまいまして、大変失礼いたしました。今回はきっと大丈夫なはずですので……」
「確かにあの夜、確信しました。俺は、リアナ嬢とは踊れないと。けれどそれは、リアナ嬢のダンスが理由ではありません。俺自身の情けなさが原因です」
「……? 好奇の目に晒されるのが嫌だった、などでしょうか?」
フレデリック様は弱ったような苦笑を浮かべ、
「あなたと近い距離で見つめ合うだけでも心臓がうるさく跳ねまわるというのに、こうして触れ合っている箇所の熱にばかり気がとられてしまい、次のステップすら忘れてしまいそうになるのです」
「……え?」
「己の欲に素直な耳はあなたの唇から漏れる吐息ばかりを拾ってしまって、音楽など聞こえてはきません。それに、あなたに夢中な俺の目を盗み、リアナ嬢の一挙手一投足に他の男どもが見惚れているのではないかと腹立たしくなります。それでもこうしてなんとか取り繕っているのは、あなたには無様な姿を見せたくない一心で、持ちうるすべての集中力を費やしているからです。……だから、あなたとは踊れないと判断したのです」
「そんな……っ」
信じられない想いが口をついて出た私に、フレデリック様はくっと少し顎先を上げ、
「この汗が証拠です」
「!」
首筋に滲む汗を見つけ、ますます目を丸めてしまう。
(フレデリック様が、この程度のダンスで汗などかくはずがないわ)
まさか、本当に……?
「信じてください、リアナ嬢」
私の手を握るフレデリック様の手に、ぐっと力が込められる。
「俺が心から想いを寄せているのは、リアナ嬢です。"愛しい"という感情も、あなたから学びました。嘘偽りなく、俺にはずっとあなただけです」
「……!」
耳を震わせる声も、私を見つめる瞳も、その全てが真実なのだと訴えかけてくる。
だからこそ余計に、戸惑う。
(それならどうして、これまで)
この二年間の冷遇は、いったい何だったというの?
その理由を知ったとして、私は、彼を許せるの?
受けた仕打ちも、苦痛も、決して無くならないというのに……!
音楽が途切れる。終了を悟った身体は考える間もなく、自然と礼をしてみせた。
(私も随分と、"令嬢"らしくなったということかしら)
そうよ。私はもう、苦悩に打ちのめされていたあの頃とは違うわ。
「リアナ嬢……?」
同じく終了の礼をしたフレデリック様が、心配気な様子で近づいてきた。
私は奥歯を噛みしめていた頬の緊張を解き、"淑女らしく"微笑んでみせる。
「フレデリック様がこんなにもご冗談がお好きだなんて、知りませんでしたわ。あ、飲み物をいただきに参りませんか? 随分と喉が渇いてしまいした」
刹那、フレデリック様は傷ついたような顔をした。
それでも直ちに頬を引き締め、
「ワインと紅茶、どちらにしましょうか」
「出来れば、お紅茶を」
わかりました、とフレデリック様が腕を曲げ、エスコートの形をとってくれる。
「紅茶ならデザートの側です。行きましょう」
優しい頬笑みはきっと、私のためにと貼り付けてくれたもの。
そう、推察することは出来るけれども、それが本当に"真実"である自信がない。確かめる勇気も。
だから私もにこりと笑んで、その腕に手を添えた。
「はい、フレデリック様」
思考が乱れる。
その中でも一つだけ、決して揺るがない明確な意志がある。
(もう勝手に期待をして、裏切られたと思いたくはないわ)
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