第26話 巡らされる思惑
奏良視点です。
さて、どうしたものかな。
考えを巡らせながら、久しぶりに腕の中におさめることができた天音さんの寝顔を眺める。
眠る前にあんな話をしてしまったせいだろう。人形のように作りものめいたその顔は、心なしかいつもの穏やかさには至れていないように思える。それでも眠れているらしいことに安堵して、さらさらとしたつややかな栗色の髪を指で梳く。
髪のあいだから見え隠れする首筋。なめらかなその白い肌に、ほんのわずかにだけれど、小さな赤みがある。よく見てみれば、鎖骨のあたりにも。
かぶれのような皮膚炎とは違う、皮下出血の痕。おそらくは従兄につけられたものだろう。思わず笑いが漏れる。
安い挑発だ。
わざわざ服で隠れにくい位置につけるあたりに、意図が透けて見える。
ずいぶんと意識されたものだ。会話を盗聴されていたというから、てっきりすべて承知の上なのかと思っていたけれど。
私と天音さんがどういう仲なのか、兄はともかく従兄のほうは正確に把握できてはいないのだと、これではっきりした。この誤解は、私にはむしろ好都合だ。
天音さんを起こしてしまわないように気をつけながら、スケッチブックを引き寄せて、描いた絵を見やる。
この男の姿を見たのは、あの雪の日が初めてではなかった。以前にも、マンションのエントランスで何度か見かけたことがある。
都会の近所付き合いなんて、隣に誰が住んでいるのかもわからないような希薄なものだ。それでもマンション内で幾度か顔を合わせていたから、住人なのかもしれないと思って、なんとはなしに会釈をしたことがあった。
あちらも軽く一礼を返してきたが、そのときに向けられた、およそ好意的とは言いがたい鋭い視線を、当時は不思議に思っていたけれど。
なるほど、あれが天音さんの従兄、伽藍凛人。
正体がわかってしまえば、いっそ敵意ともとれるあの険しい眼光にも得心がいくというものだ。
この三年、天音さんが想い、ひたすらに求め続けていた男。誰よりもそばにいてほしいと願い続けた相手。
天音さんにはああ話したけれど、十中八九、お兄さんの失踪はあの男が仕組んだものではないのだろう。
たまたま目が合って、会釈をし合う。そんな、たかだか数秒程度の接触でさえ、私に対して感情を抑え表情を取り繕うこともできないような男だ。良くも悪くも短絡的で直情型、およそ狡猾に謀を巡らせるタイプではなさそうだ。
だがそれならそれで、あの直後の天音さんにも、変に気を回さずにそれまで通りに接してやればよかったものを。あの男が対応を間違えたから、天音さんの心の傷はより深いものになったに違いないのだから。
あげくに、ようやく天音さんの想いを受け入れる気になったのかと思えば、子どもができたら離婚する仮初めの結婚ときた。
天音さんから祖国も母語も母方の親族も名すらも奪って、このうえ生まれる子どもまで、夫となった自分自身さえ取り上げて『外』へ放り出そうなどと、よくも言えたものだ。
『外』で生きていくための能力も知識も、天音さんには与えなかったくせに。
遠縁と聞いていたけれど、しょせんはあの男も神門の血筋ということか。
天音さんの長年の想いが報われるというなら、祝福するつもりでいた。心から。この先、ほかの男の妻となる天音さんにかかわるなと言われれば、従うつもりだった。
もちろん寂しくはあるけれど。天音さんが求めて焦がれてやまないひとの代わりに彼女のそばにいよう、そう決めたときに同時に、いつか終わりがくる関係なのだということも心得ていたのだから。
けれど。
役目を終えた天音さんに用はないというなら。子どもさえ産ませてしまえば彼女はもう必要ないというなら。
神門が、あの男が。天音さんを手放し、あの家から解放してくれるというのなら、願ってもいない。私はただ、待っていればいい。叶うことはないと思っていた望みが叶う、その時を。
さしあたってこの三年、天音さんがどれだけ心細く寂しい思いをしていたか、知る由もないあの男には。
「天音さんをほったらかして泣かせた報いと、私に喧嘩を売った返礼は、相応に受けてもらわなくてはね」
スケッチブックをベッドの隅へ放って、腕の中の天音さんを胸もとへと抱き寄せる。せめて夢の中では安らかに幸せであるようにと祈りながら、私も目を閉じた。




