第21話 10年越しの想いの果て
凛人視点です。
翌早朝、風雅に呼び出された俺は、昨夜の行動と言葉の意味を問われた。
「あれは」
あれは、酔っていたのだと。とっさにそう言い訳をしようとした。
実際、昨日は少しばかり酒が入っていた。父に付き合わされたのだ。
成人した息子と酒を酌み交わすのが夢だったなどともっともらしいことを言ってはいたが、本当のところはただ確かめたかったのだろう。俺が伯父と同じかどうかを。
父自身が極度の下戸だということは失念していたのか、グラスに半分も飲まないうちにあっさり潰れて、俺のほうは二年ぶりの酒を味わう暇もなく介抱させられる羽目になったが。
俺は酒に酔わない。よほど度数の高いものを相当量飲みでもしないかぎり。
それはイギリス滞在中、ともに十六から飲酒を始めた風雅ならば当然知っていることだ。酔っていたなどという見え透いた嘘が通用するわけがない。
なにより俺は、誰よりもよく風雅の気持ちを知っていた。
風雅がどれだけ天音を想っているか、いずれ妻にするつもりで彼女をそばに置いていることも。それでも譲れないと思うならなおのこと、風雅を欺くような真似はしたくなかった。
ひとつ息をついたあと、俺は口を開く。
「意味もなにも。見た通り、聞いた通りだ。天音は俺がもらう」
意を決してそう告げれば、風雅は穏やかな微笑みをわずかにも崩すことなく、けれどほんの少しだけ肩をすくめてみせた。
「そう、わかった。いいよ。他ならぬきみになら、いいだろう。だけどね」
こちらへと歩み寄ってきた風雅の、その拳が俺の胸へと押し当てられる。
「天音はまだ十歳の子どもだ。条例の保護対象の。ゆうべのことは見逃すけれど、次があれば容赦しない」
梨実さんのときのような言い訳は、今度は通用しないからね。
耳もとでささやかれた言葉に、忌々しい思いがよみがえる。いっそ忘れられるものなら忘れてしまいたい、だがあれは確かに、俺自身が犯した過ちだった。
「俺としては、きみが二度も同じ条例違反を犯すほど愚かではないと、信じているけれどね」
風雅の言葉が、ひどく白々しく聞こえる。
実際俺がどうしようもなく愚かだったから、あんな事態が起きたのだろうに。
一年ほど前、俺が十九だった当時。
俺が御巫にしたことは、世間的には許されないことだったのだろう。だが御巫が俺にしたこともまた、到底許しがたいことだった。
あの一件を、軽薄な父などは「りーくんやるなぁ」と俺を揶揄い笑い飛ばしたが、母からは平手を食らった。
最終的に起訴猶予処分になりはしたものの、逮捕されるようなことをしでかしたのだから、その程度ですませてもらえて幸いと言うべきなのだろうが。
普段は気丈な母が見せた涙は、さすがに心にこたえた。あんな思いはもう二度と御免だ。
あのときは俺自身まだ未成年であり、御巫の実年齢を本人に偽られていたという釈明があった。だが今回、俺は成人し、天音が十歳の青少年だということも知っている。
衝動を抑えられなかったとはいえ、あれ以上のことをするつもりはなかったが。まだ小学生の少女に対して、不適切な行為だったことは確かだろう。
「そうだな。俺が軽率だったことは認める。すまなかった」
「俺に謝ってもらいたいわけじゃない。だけど、そうだね。きみにとっては酷なことだろうけれど、あと数年は……、天音が十八になるか、正式に婚約でもするまでは、そういうことは控えてもらわないと困る」
きみにだけは、天音を傷つけるような真似をしてほしくないんだよ。
そう言った風雅の目が俺から逸らされる。視線の先は、まだ天音が眠っているだろう風雅の部屋の方向。
風雅の言い分はもっともなことだ。ああいった条例は本来、十八歳未満の青少年の心身を大人の身勝手な欲望から守るために定められているのだから。俺としても、天音の気持ちを無視してまでというのは本意ではない。
「わかった。自重する」
俺がそう言えば、こちらに向き直った風雅は端麗な顔に安堵したような笑みを浮かべていた。
あのころの俺は、自分は風雅に必要とされているのだと、そう思っていた。ここにいることを風雅に望まれ、求められているのだと。
それがとんだ自惚れだったと知ったのは、ずいぶんあとになってからのことだ。
御巫との一件が、俺を排除するために風雅によって仕組まれていたのだと聞かされるまで、気づきもしなかったのだから。
だがそれも、風雅を差し置いて天音を抱きしめ、あまつさえその顔にくちびるで触れた俺への報復だったのだと言われれば、当然の報いだと納得した。
風雅にどうそそのかされようとも、俺に誘いをかけたのは御巫自身の、それに応じたのも俺自身の意思だったのは確かなのだから。
むしろ風雅をそこまで怒らせていたことに気づかなかった己の鈍さに呆れたほどだ。
そんなことがあったから、爺さんの葬儀のあと、風雅から「全幅の信頼を置くのはきみ以外にありえない」と言われたときは、本当に嬉しかった。
ようやく俺は風雅に赦されたのだと、そう思っていた。
もしかしたら俺は、また思い違いをしていたのだろうか。風雅は俺を赦してなどいなくて、あるいは俺が新たにあいつを怒らせるなにかをしでかしていて。
だから『今』、風雅は姿を消したのだろうか。
たとえ紙の上で妻となり、俺の子を産もうとも。天音の心が俺に向けられることはない。そう確信できたから、天音を置いていったのだろうか。
天音を得たいがために、花音だけでなく風雅まで裏切って、ようやく長年望み続けた天音との結婚が叶うという今、天音が求める相手が俺ではないのもまた、自業自得なのだろうか。
昼間、子を産みさえすれば俺からも解放されるのだと話したとき。よほど嬉しかったのか、天音は俺に抱きついてきた。
喜びに微笑んでいただろう天音の顔を見る勇気が、俺にはなくて。しがみついてくる天音を抱き返した。
おまえはいずれ自分の意思で選んだ好きな相手と結婚して、好きな場所で好きなように生きられるのだと。俺から離れてどこへでも好きなところへ行けるのだと、天音にはそう言いながら。
おまえを放したくない、どこへも行かせたくないんだと叫びたい気持ちを、必死で押し殺した。
天音が誰を想おうと、かまいはしない。天音が幸せでありさえすれば、それで。
花音が死んだあとの十年。天音に避けられていた三年。
愛する者のそばにいられない世界で生きていくことに、俺は慣れている。どれほどのつらさや苦しみに苛まれようとも、存外、生きていけるものだ。
ましてや俺には、仮初めであっても天音と夫婦として過ごせる数年があるのだから。
あの男を想い、風雅を求めながら眠る天音の、その手を両手で包み込み、額へと押し当てる。
どれだけ隔たれようとも。おまえがどこで生き、その隣に誰がいようと。ふたたび会うことが二度と叶わないとしても。
「天音。アマーリエ」
俺のすべてをかけておまえを、おまえだけを想う。おまえの幸せを願う。
命が尽きるその瞬間まで、ずっと。
だから。
「愛してる」
この言葉を俺が口にすることは、もう二度とない。
【補足】
凛人十九歳当時、日本における成人年齢は二十歳でした。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
章設定はしていませんが、一応ここで一区切り、長かった前置きがようやく終わったかなというところです。
天音と凛人が10年に渡って抱えてきた想いについて、天音のほうは19話にて「届かず消えていくもの」、凛人のほうは今回で「伝えない」という決着がつきました。
互いの想いを知ることのないままふたりがどうなっていくのか、この先も見守っていただけたらと思います。
後半ちょっと駆け足になりましたので後日加筆修正するかもしれませんが、全体的な流れは変わりません。ご了承ください。




