第15話 願いに必要な対価
凛人視点です。
しまったな。靴が少し擦れたかもしれない。
身を屈めて靴の状態を確認していると、南門のほうから門叶が姿を現した。いつも通りの無表情かと思ったが、銀縁めがねの奥で細い目がわずかにみはられたようだった。
「伽藍さん。手を出さないようお願いしたはずですが」
「手は出してない。脚はかすったかもしれないが?」
よかった、この程度の傷なら靴クリームを塗り込めば大丈夫だろう。
大した擦れではなかったことに安堵して顔を上げれば、門叶が地べたに這いつくばって呻いている三人に歩み寄って様子を見ていた。
やたらと大げさに痛がっているようだが、骨にも内臓にもそれほど損傷はないだろう。受身もろくにとれない素人が相手だからと、これでもずいぶん手加減したのだから感謝してほしいくらいだ。
まずは武装を解除させようとナックルを蹴り上げあるいは踏み抜いて砕いた弾みで、装備していた手がどうなったかまでは知らないが。
もっとも、女を殴るような手だ。使い物にならなくなったところでかまいはしないだろう。
「てめェっ、俺らにこんなことして、タダですむと思うなよ!」
「おまえから襲ってきたって、親父に言いつけてやる!」
お決まりの捨て台詞すぎて、呆れるのを通り越して感心する。思ったより元気がありそうだ。もう少し痛めつけてもよかったか。
というか、二十代半ばも過ぎた息子の小競り合いを報告されても、親父さんも困るだろうに。
コートのポケットに突っ込んだままにしていた、携帯電話を握っていた手を抜き出す。倒れ伏したままのやつらに合わせて腰を落とし、見やすいように画面を向けてやって、停止ボタンをタップしてから録音再生する。
『よーう伽藍の。ちっと顔貸してもらおうか』
『なにか用か』
『てめェはよお、風雅が失踪してすぐに天音に……』
聞こえた音声に三人が息をのみ、顔を見合わせている。
「自分たちから突っかかっておいて返り討ちにされたなんて恥をわざわざ晒したいなら、ご勝手に?」
口々に卑怯だのそれをよこせだのと喚きはじめるが、無視して携帯をしまう。
「伽藍さんは車へ。お三方には私からお話があります。動けるようになったら私の執務室にてお待ちを」
門叶の執務室への呼び出しは、大抵ろくなことにならない。三人も察したのだろうが、逃げられるものでもない。
俺は身を起こすと、三人がそれぞれ覇気のない返事をするのを背後に聞きながら、南門に停められた門叶の車へと向かった。
「機嫌が悪そうですね」
車に乗り込みシートベルトを締めていると、門叶が言う。当たり前だろうが。
「いいように利用されて、気分が良いわけがない」
「お気づきで」
やはり、まんまと門叶の思惑通りに使われたというわけだ。癪に障る。
風雅と天音の件が告げられ、分家の面々が驚きあるいは戸惑うなか。あらかじめ知らされていたために平然としていた銀鏡家の当主のほかにも、大して反応を示さない者たちがいた。あの三人だ。
不可解だった。彼らは天音との結婚には相当執着していたのだから。
天音本人になのか、天音に付属する財産になのか、あるいは両方になのかはわからないが。それを俺に持っていかれた形になって少しも悔しがりも怒りもしない。その時点で奇妙だと思いはしたのだ。
門叶に南門を指定されたときも、なにか引っかかった。
本家の屋敷には中央・東・西・南・北の五つの門がある。南門は通りへのアクセスが悪く、ふだんから使われることはめったにない。
帰っていく分家の者たちで混み合うほかの門を避けて南へ誘導されたのかと思ったが、垣根によって人目のさえぎられる小道であいつらの姿を見たとき、ようやく嵌められたと確信した。
極めつけはあのナックルダスターだ。いつ俺を襲撃できるかもわからない状態で、やつらがあんな物を常日頃から持ち歩いているとは考えにくい。
あいつらは知っていたのだ。今日の会合で話される内容も、俺がひとりで南門に向かうことも。門叶から事前に、それとなく教えられていたのだろう。
「手を出すなってあれも、わざとだろう」
「あなたは拳による打突技よりも脚による蹴撃技のほうが優れていますからね」
伯父には身長も体重も腕の長さも劣る俺が、唯一対抗できたのが蹴り技くらいのものだった。門叶との手合わせでも、かろうじて入った一撃は足技によるものだ。
「こちらの思惑通りに使われ、期待通りの結果を出してくれる者というのは、なかなかいないものです」
褒めているつもりだろうか。腹立たしい。
「ですがまぁ、これで彼らには天音さんの夫となる者を襲撃したかどでお灸をすえることができます。あなた自身も少しは気が晴れたことでしょう。相互利益というものです」
「俺があいつらに負傷させられる可能性が考慮されていないんだが?」
イギリス滞在中に伯父に鍛えられはしたが、帰国してからも鍛錬を欠かさずにいたわけではない。十年前に一度手合わせをしたきり、門叶と拳を交えることもなかった。今の俺がどの程度か、門叶が正確に把握できていたとは思えない。
「あなたが彼らに? ご謙遜を。ですがそうなったとしても彼らへの対応は変わらず、問題はありません」
なるほど。俺がやつらにやられたとしても門叶の目的は果たせたというわけか。
「結果的に天音のためになるなら協力はする。だが俺を利用するな。不愉快だ」
風雅も門叶も、揃いも揃って目的を明かさずに俺を動かそうとする。試されているようで気分が悪い。
「ではぜひともご協力願いたい。あなたが夫であるあいだに、天音さんには役目を果たしていただきたいのです」
俺との結婚期間中に、天音には男女の子を、次代の当主と道具を産み終えてほしいということだろうか。
もとより天音には俺の子を産ませるつもりでいた。天音が俺では嫌だというなら無理強いするつもりもないが。
「天音さんが産む子であっても、彼らの子種に仕えるのは御免被りたい」
思わず苦笑が漏れる。この男がそんな選り好みをするとは思わなかった。それにしても、俺も大して好かれてはいないが。あいつらもずいぶん嫌われたものだ。
「そこまで言うならあいつらを候補から外せばいいものを」
「それができるものなら苦労はしません」
それもそうか。直系の女の夫候補には、一族の男であれば条件さえ合えば誰でもなれるものだ。
天音は爺さんの遺言によって選ぶ権利を得たが、基本的に直系の女側に選択権はない。候補者本人が辞退を申し出ない限り、候補から外れることもない。
天音が俺との子をなせないまま期間を過ぎれば、俺たちの婚姻関係は解除され、次の夫にはあいつらのうちの誰かから選ばれることになる。もっとも誰が選ばれようとも、あいつらは天音を共有する気でいるらしいが。
天音をそんな目に遭わせるくらいなら、いっそ俺が連れて逃げたほうがマシだ。
そんなことを考えて、ふと自嘲する。
俺が天音を連れて逃げる。そんなこと、できるわけがない。自惚れもいいところだ。あの風雅でさえ天音を連れては行けなかったのだ。風雅にできなかったことを俺がしてみせようなんて、思い上がりもはなはだしい。
男女の子を産みさえすれば、神門は天音を必要としなくなる。
神門の当主の座に一生縛られるはずだった風雅と違い、天音は役目を終えさえすれば解放される。そのはずだ。
わざわざ神門から逃げるなどと、そんな危険を冒すまでもない。
「天音が次代を産みさえすれば、そのあと俺と離婚したとして、あいつらとの婚姻を強要されることはないんだな?」
俺の問いに、門叶が訝しげな顔をする。
「それはまぁ、そうですが。子が生まれたあとは離婚なされるご予定なので?」
天音が俺との結婚を承諾したのは、あくまでも課せられた義務を果たすためだ。役目を終えたのなら、神門からだけでなく俺からも、解放してやるのが筋というものだろう。
神門に子を引き渡したあとであれば天音は一族からの干渉を受けることなく、生殖機能のない相手とも、あの男とでも結婚することができる。そのためにほんの数年、俺との結婚生活を耐えてくれさえすれば。
結婚する前から離婚することを考えるなんて、妙な気分だ。それでも。
「りぃと、わたし、おそとにいってみたい」
花音がよくそんなことを言っていたのを思い出す。彼女は舌足らずで、俺の名をうまく発音できなかった。彼女に『りひと』と呼ばれたことは、結局一度もなかった気がする。
片足首を失っていた花音は、屋敷内のちょっとした移動さえ自力では満足にできず、どこかへ行きたいときには「りぃと! ふーが!」と大声で俺と風雅を呼びつけた。俺たちはそんな花音を代わる代わる背負いあるいは抱き上げて、彼女の望む場所へと連れていった。
花音を屋敷の門の『外』へ出してはいけない。
それは子どもの俺たちにもきつく言いつけられていた絶対の決まりだった。もしも破れば、罰として花音は残された片足か目を失うことになると言われれば、どれほどせがまれようとも『外』へ連れていくことはできなかった。
だが花音は、部屋の窓から庭から、空を見上げては『外』に行きたがった。
大人になったら花音と結婚して、子どもをつくって。彼女が役目を終えて自由になったならきっと叶えてやろう。花音が見たがり焦がれ続けた『外』へ、彼女が望むどこへでも俺が連れていってやろう。そう思っていた。それなのに。
花音は屋敷の『中』しか知らないまま、たった八歳で死んだ。
天音は歴代の直系の女たちに比べればはるかに優遇されているほうだろう。体を欠損させられることもなく、ほかの子どもと同じように学校に通い、護衛付きであっても外出も許されている。
神門の内部では分家どもが不満を持つほどの特別待遇だが、世間一般からしてみれば充分に異常な扱いだ。なにより天音自身が、自分の置かれている境遇に疑問や不平を感じないよう思考を制御されている時点で、それがどれだけ尋常ではないかわかるというものだ。
それでも天音は、神門のお膳立てによらない相手を見つけた。俺でもあいつらでも一族内の誰かでもない、神門とはまったく無関係の『外』の男と出会い、想い合う仲になった。
あの男が生殖機能を失っていなければ、わざわざ俺と結婚して子をつくってから、なんて手間をかけずにすんだのかもしれないが。
「子が生まれたからとなにも離婚なさらずとも、婚姻関係を継続して手もとに残される子をおつくりになればよろしいのでは」
「天音が産む子はいつ予備として持っていかれるかもわからないのに?」
俺が結婚を考えた女は花音と天音以外にはいない。どちらも神門の直系の女だ。
花音のときは俺自身もまだ子どもでよくわかっていなかったが、風雅に天音をもらうと宣言した二十歳のころには、それがどういうことか理解していた。
生まれた子は神門に奪われ、俺の手もとに残ることも、父と名乗ることも許されない。
妻にと望んだ相手が天音である以上、俺は生涯『自分の子』を持つことはない。俺にとってはとうに覚悟を決めたことではあったけれど。
もしかしたら天音はずっと、役目を終えたはずのそのあとでも、いつまた神門に子を奪われるかという不安を抱えて生きていく羽目になったかもしれない。それを思えば、天音の想う相手に子をつくる能力がなかったことは、かえって幸いだったといえなくもない。
花音の願いは叶えてやれなかった。風雅は自力で神門を捨てていった。
生まれたときから一緒にいたあの兄妹に、俺がしてやれたことなどなにもない。だからせめて彼らの妹は、天音だけは、俺の手で自由にしてやりたい。その対価が俺の子であってもかまいはしない。
近い将来に役目を終えて『外』に出る自由を得た天音が、ともに生きていきたいと望むだろう相手が、俺ではないことだけが残念でならないが。




