第13話 抱き枕の葛藤と独占欲
凛人視点です。
「存外、手が早い」
門叶の車に乗り込むなり、そう言われる。
なんのことを言っているのかはすぐにわかった。御巫も感づいていたのだ。門叶にわからないはずもない。
気づいていないのは天音本人くらいだ。気づいたうえで人をダニ扱いしているのかとも思ったが、あの様子だと本当に虫刺されだと思っているのだろう。
「もう仕込まれたので?」
「まさか」
門叶のあけすけな物言いを、鼻で笑ってやる。
睡姦は趣味じゃない。反応のない女を相手にしてなにが楽しいのか。
「夜這いをかけられたのはこっちだ。それなりに応じるのが礼儀ってもんだろ」
イギリスにいたころ、顔見知り程度の女にベッドに忍び込まれたことがある。
とくに食指が動く相手でもなかったので袖にしたところ、女性に恥をかかせるものではないとたしなめられた。いわゆる据え膳食わぬは、というやつだ。
男にも選ぶ権利はあると思うのだが。
「天音さんはそういうつもりではなかったのではと」
それはそうだろう。言われるまでもない。だがそれをわかっているからこそ、あえて手を出した。
もっとも俺にしてみれば、キスマーク程度は手を出したうちにも入らない。
天音がどういうつもりで俺の部屋に来たかなんて、わかっていた。風雅がいなくなって淋しい、ただそれだけだったのだろう。天音にとって風雅は今やたったひとり残った家族なのだから無理もない。
天音はもともと、あまり寝つきが良くないほうだ。日本に連れてこられたばかりのころは、急な環境の変化もあったせいか、とくにそれが顕著だった。
人肌のぬくもりがないと寝つけない、そのくせひどい人見知りときた。天音にしてみれば知らない場所でどこの誰だかもわからない人間たちに囲まれて、不安と恐怖しかなく眠れるわけもなかったのだろうが。
血のなせる業なのか、風雅が添い寝をすれば寝入りはするようだった。それでも眠りは浅く、ちょっとした物音や風雅の身じろぎで目を覚ましてしまう。
睡眠の質が悪いというのはしんどいものだ。子どもであればなおさら。かわいそうに思いはしても俺にしてやれることもない、そう思っていた。
あるとき、風雅の部屋で転寝をしていた俺の隣に、気づけば天音が寝ていた。
そのころには風雅に対するのと同じくらい俺にもなついていたから、触れ合うことに抵抗がなかったのだろう。
揺り動かしても抱き寄せても目覚める気配はなく、俺の腕の中でそれはもう気持ちよさげにすやすやと眠っていた。風雅に添い寝をされているときですら見られなかった熟睡ぶりだった。
「りひとは、あったかくて、あんしんする。すごく、きもちいい」
数時間後にようやく目を覚ました天音にそう言われた。人を抱き枕扱いかと思ったが、悪い気はしなかった。
その後も俺が風雅の部屋に泊まるたび、当たり前のように三人で一緒に眠った。天音はまだ子どもだったし、風雅がいる場でなにかしようと思うほど、俺も節操がなかったわけじゃない。
天音が無防備な寝姿をさらすのは、俺か風雅の前以外ではありえない。
ずっとそう思っていた。大した思い上がりだった。
あの一件のあと、天音が俺に怯えるからと極力接触を控えていたそのあいだに、天音は俺に代わる抱き枕を得ていた。いや、今となっては俺が代わりなのか。
ゆうべ、俺の部屋に来た天音が「ここで寝たい」と言ったとき。
天音にそういうつもりがないのはわかっていたし、なにもする気はなかった。以前のようにただ添い寝をして眠らせてやろう、そう思っていた。
天音が寝言であの男の名を呼ぶまでは。
昼間見た天音の外見は、三年前とそれほど変わってはいないように思えた。顔立ちはやや大人びてますます綺麗になりはしたが、背もあまり伸びず、小柄で華奢なまま。だが寝衣ごしに触れたその体は、もう子どものものではなかった。
ベッドに入って五分と経たずに天音は眠ったようだったが、さて俺のほうはこの状況で眠れるだろうか。腕に体に伝わってくる柔らかな感触と、ほのかに香る甘い匂いに、どう抗ったものかと苦悩していたそのとき。
寝返りをうった天音が、こちらを向いた。
なめらかな頬に影を落とす長いまつ毛。形の良い小さな鼻。薄紅色のつややかなくちびる。
俺にとってこの世でもっとも愛おしく美しい顔が、無防備な姿をさらしていた。
あまりにも目に毒で、視界に入らないようにと頭の後ろに手を添えて肩口へと抱き寄せれば、天音は俺の首筋に顔をすり寄せてきた。「奏良さん」と。あの男の名をささやきながら。
「ベッドでほかの男の名前を口にするとか、ありえないだろ」
「なにか?」
思わず口をついて出た言葉に、門叶が反応する。
「いや別に。なにも」
天音の交友関係はごく狭いものだ。風雅が意図的に制限していたことに加え、天音自身が警戒心が強く、人との接触をあまり好まない。やや潔癖症で性的に奔放なところはなく、心も体もたやすく人に許しはしない。あの一件以降はとくに。
同性と勘違いしていたにせよ、あの男がどんな手段でもってそんな天音と親密な仲になりえたのか、俺には知りようもない。
ただ風雅から、天音があの男とともにいる時間の大半を、眠って過ごしていることは聞いていた。あの男と定期的に会うのは安眠目的であって、性的な関係はないのだと。
日月奏良は性機能を持たない男性だった。
幼少期の事故で下腹部に重傷を負い、失ったのだそうだ。風雅がおこなった身辺調査書に添えられていた写真で見た姿は、涼やかな目もとのスレンダーな美女。そう見えた。男性とはとても思えない容姿も声も、理由を知ってしまえば納得できるというものだ。
男性であっても生殖機能を持たない以上は、どうあっても天音の夫にはなりえない。だから天音があの男と接触することになんの問題もない。風雅はそう言った。だが。
なるほど確かに、こうして俺の腕をあの男のものと思って眠る天音が、安心しきっている様子を見れば。あの男はどれほど体を密着させようとも天音に欲望を覚えることなく、ただ添い寝をしていたのだろう。そうでなければ天音がそばに居続けられたはずもない。
そしてその状況に慣れきった天音は、俺に対しても、同様のことを求めるのか。
それとも俺が手を出せるわけがないと侮られたのか。そんなことはしないだろうと信用されたのか。
夜中に女が男の部屋に来て、一緒に寝たいと言う。それがどういうことかわからないというなら、わからせてやろうと思った。
あの男はおまえになにもしなかっただろうが、なにもできないのであって、俺は違うのだと。
寝衣を開けあらわにした肌に直接手を這わせても、くちびるで触れても、天音が目を覚ます気配はなかった。呆れるほどよく眠っていた。寝ているふりをしているのかとも思ったが、そんなこともない。
ひどく虚しい気分になった。それでも、近々会うだろうあの男に、俺は天音に手を出せる立場にあるのだと見せつけるために、首の高い位置に隠しようもない痕をつけた。
じつにくだらない対抗心だ。
「着きました」
門叶の声に顔を上げれば、車は神門の屋敷の車寄せに停められていた。降りようとしたところを門叶に引き止められる。
「伽藍さん。話はすべて私からいたします。あなたは黙って座っていてくださればいい。彼らも関係者として召喚しましたが、けっして手を出されることなきよう、お願いします」
あいつらとはあれ以降、まともに顔を合わせていない。あの直後には相応の目に遭わせてやろうと思いもしたが、風雅に揉め事を起こすなと言われ、やめておいた。
今でも思うところがありはしても、あんなやつら相手にわざわざ俺からちょっかいをかけるのも馬鹿馬鹿しい。
「わかってる」
「よろしい。では参りましょう」




