4 淡い夢 ~現れる恋のライバル~
「お姉ちゃん……。私には純一さんがいる」
姉のことを思い出そうともがいていた智香。
しかし彼女は、純一の上着の温もりに一旦落ち着く。
苦しそうに、上着に包まっていた。
「純一さん。私、どうしたらいいんでしょう」
不安気な声で、智香は純一に問い掛けていた。
答えなんて帰って来る筈がない。
答えなんて求めていない。帰って来なくていい。
ただ智香は、問い掛けたかっただけなのだから。
自分にも問い掛けていた。
自分に、問い掛けていた。
「大丈夫大丈夫」
質問の答えなんかわからない。
わからないけど、何も答えない訳にはいかなかった。
智香を励ましてあげたくて、純一は必死に声を掛けていた。
何度も大丈夫と繰り返し、安心させてあげようとしていた。
「大丈夫大丈夫」
次第に、智香も元気を取り戻してくる。
いや、正気を取り戻してくる。
元気を取り戻してなんかいない。そんな筈はない。
しかし、自分の大失態に気付いたのだ。
「大丈夫じゃ、ないんです。大丈夫? わからない、大丈夫です」
純一には聞こえない声の大きさで、智香は何度も問い掛ける。
自分自身に。
正気を取り戻すことができた智香を見て純一は、ほっと胸を撫で下ろした。
「お姉ちゃんお姉ちゃん」と狂ったように連呼していたあの時は、完全に正気を失っていた。
その状態から比べればまだマシだと、そう思っていた。
(俺が何とかしなくちゃいけない。こんな時こそ俺が……)
閉鎖空間に閉じ込められたショックから智香は、思い出したくない過去を思い出してしまったのではないのか。
俺が連れ回してしまったばっかりに智香にこんな辛い思いをさせてしまったのではないか。
そう罪の意識を純一は感じていた。
(……くっ。俺が不甲斐ないばっかりに……)
ぎゅっと固く拳を握り締める純一。
手に持っていた携帯電話からメキメキといった嫌な音が鳴っていた。
「――っ! ま、待てよ……?」
とここで純一は一つ、名案を思いついた。
「そうだよ。何で俺はこんな簡単なことにも気が付かなかったんだ……。閉じ込められたなら、普通に助けを呼べば良かったんじゃないか!」
冷静に考えれば、すぐにわかることである。
「アイツなら来てくれるだろう」
閉じ込められたから来て欲しい。
そんなことを言っても、普通ならわかってはくれない。
しかし、純一は知り合いにいたんだ。
頼ることの出来る存在が。
「助けを呼ぶから、ちょっと待ってて。安心していいよ? すぐ来てくれると思う」
そう言って、智香のことを安心させる。
そして純一は電話を掛けた。
と思ったら、すぐに切ってしまう。
数秒後、扉が外側から蹴破られた。
「純一、どうしたのよ。あんたがあたしを呼んでくれるなんて、珍しいこともあるもんだわ」
長い髪を靡かせ、純一と同年代くらいの少女が現れた。
彼女の髪は鮮やかな茶色。暗闇の中月に照らされて、まるで光を放っているかのようだった。
可愛らしい顔、すらりとした体。そして表情は、こんなところなのにニッコニコ。
しかし、智香の存在に気付くと笑顔が恐ろしく歪んでいく。
「誰? 誰なのよ、その女。あたしというものがありながらっ!」
「ち、違うんだ夏菜! これには深い訳があって――」
「言い訳無用!」
胸倉を掴まれた純一はそのまま背中から壁に叩きつけられてしまった。
鈍い音が教室中に響き渡る。
一連のやり取りをただ見ていることしか出来なかった智香の口は開いたままだった。
突発的な出来事を前に、直前まで苦しめられていた姉の件などすっかりどこかへと飛んでしまっていた。
「全てを吐きなさい! この女が誰で何者なのか! この女とどういう関係でどうしてこんな場所で二人きりになっていたのか! それからこんないかにも怪しい場所で二人きりで何をしようとしていたのか! 答えなさい! 今すぐ!」
「この子は智香ちゃんだ。見ての通りごく普通の可愛らしい女の子。今日初めて会ったばかりなんだけど、俺が強引に連れ回したせいで良くわからない怪現象に襲われてここに閉じ込められてしまった。どうやってここから脱出するべきかを考えた結果、夏菜を呼ぶに至った。――これでいいか?」
純一は必死に説明をした。
しかし、夏菜の表情は和らいでくれたりしない。
むしろ逆に、どんどん怒りが増していっているようにも思われた。
「可愛らしい女の子? あたしにそんなこと言ってくれたことあったっけ? 強引に連れ回した? なんで初めて会った子を強引に連れ回したりするのよ。どうして怪奇現象により閉じ込められたのに、あたしを呼ぶ気になったのよ。あたしのようなか弱い美少女をっ!」
あまりに夏菜が怒っているので、純一は目を丸くしてしまっていた。
彼にはわからなかったのだ、夏菜が怒っている理由が。
女心を全く知らない純一だから。
しかし智香にもわかっていなかった。
だから目の前で繰り広げられる光景に唖然としてしまっていた。
乙女心を忘れてしまった智香だから。
「まず落ち着こう。話は聞くから、ゆっくり話しては貰えないかな」
怒っているのはいつものことだと、純一はいつも通り落ち着かせようとする。
いつもとは比べ物にならないほど、夏菜の怒りは凄まじかったのに。
だから驚いていたくせに。
「落ち着こうもなにも、あたしはいつだって冷静よ!」
怒り心頭の夏菜に、純一の話がまともに通じるわけがなかった。
これでは会話すらままならない。
どうしたもんかと頭を悩ませる純一。
その時だった。
――ガタガタッ、ガタガタガタッ。
まるで計ったかのようなタイミングで、教室内の机が一斉に音を立てて動き始めた。
「――っ! ま、まただ! これだよ、これ! 俺たちが襲われたやつ!」
弁解することに必死で、風のせいにしたことを完全に忘れてしまっていた。
立て続けに起こった出来事が原因で、純一の頭は軽くパニック状態に陥っていた。
「へぇ~。これが例のポルターガイスト現象っていうやつなのね?」
そんな純一とは対照的に、夏菜は至って冷静だった。
未知なる現象を前にしてもなお、怯えるどころかむしろ興味ありげな眼差しでじっと観察していた。
「……ふむ。どうやらあたしたちのことを追い出そうとしているらしいわね」
「どうしてそんなことが分かるんだ?」
「なんとなくよ、なんとなく」
智香は驚き戸惑った。
夏菜の冷静さ、鋭さ。
かなりの危険人物だと悟る。
「こんなところに入ったことが間違っていたんです。追い出そうとするのも当然ではありませんか」
あえて智香は夏菜の話に乗った。
純一にはもう”先客”がいることを知ったから。
だから、これ以上近付くのが急に怖くなって。
智香は当初の目的の為に動くことにした。
今を生きる彼ら、過去を生きた自分。
最初から触れあえる筈もなかったんだ。
「う、ごめん」
少し凛とした智香の態度に純一は戸惑う。
彼は智香のことを気に掛けていたから。
怖がる智香のことを。
それがわかっていたから、智香も怖がる振りをしていた。
しかし、手が届かないことを改めて感じた智香。
傷付くことを恐れて、手を伸ばすことをやめてしまっていた。
怖がる演技を最初にした理由は何か。
それを思い出すことはもう出来なかった。
純一に近付きたい。
でも傷付きたくない。
自然と智香は心を閉ざしていった。
「随分素直ね。対応が全然違うじゃない」
「そんなことないって」
他愛もない会話をする彼らが羨ましかった。
仲良く戯れる青春真っ只中な彼らが羨ましくて仕方がなかった。
智香のそんな気持ちが大きくなっていく。
それと比例して、ポルターガイスト現象も。
――どんどん勢いを増していった。
机が音を立てるだけには留まらなかった。
先ほどとは比べ物にならないくらい、窓ガラスが振動していた。
それはもう、割れてしまうのではないかと錯覚してしまうほど強く、叩きつけられるかのような音が鳴り響いていた。
まるでホラー映画のワンシーンにも似た光景。
「これはちょっと、まずいことになって来たわね……」
「そうだな」
純一はもちろんのこと、夏菜もまたこの現象と智香が深い関わり持っているなどとは微塵も疑ってなどいない。
だからこそ、加速度的に酷い状況へと向かってしまった。
純一と夏菜が共にいる限り――。
智香の前で二人が仲良く会話する限り――。
この二人がいる限り智香の心が穏やかになることは――――ない。
「夏菜危ない!」
「――えっ?」
智香の意志に突き動かされ、教室の一番端に置かれていた机が一直線に夏菜へと向かって放たれた。
それにいち早く気が付いた純一はすぐさま間に割って入った。
夏菜を守りたいという一心で。
そして次の瞬間――。
「きゃああああああああっ!!!」
夏菜の悲鳴が教室内にこだました。
「純一さん? 大丈夫ですか? ねえ……」
心配そうに、申し訳なさそうに、智香は純一に歩み寄る。
怯えているような、重い足取りで……。
――自分と関わったせいで純一が――
そう思うと、智香は純一に近付けなかった。
助けたくても、一定の距離を取っている。
それ以上決して近付いたりしなかった。
このような緊急の場面でも、彼女の思いは変わらない。
自分に近付くということは、死者に近付くということ。
死者に近付くということは、死に近付くということ。
そう考えると、近付ける筈がなかった。
「純一さん純一さん純一さん純一さん」
何度も何度も呼び掛けた。
触れることは出来なくても、声なら届くから。
「こんなの、あたしが認めないわっ! バカ」
口を押さえ固まっていた夏菜。
しかし、現在置かれている状況を必死に考えた。
混乱する頭で、なんとか大量の情報を処理した。
――純一のためには一体どうしたらいいのか。どうするべきなのか。
頭の中で必死に考える。
考えながら、何度も純一の名を呼び続けた。
そんな切なる思いが届いたのか。
智香と夏菜の声に反応して純一の瞼がわずかに動いた。
「……う、うぅ」
震える手で頭を押さえながら、純一は呻き声を漏らしていた。
静かに目を開け、ぼやけた視界の中、周囲の状況を確認しようとしている。
いち早く気が付いた夏菜が声をかけた。
「純一っ!?」
「……? ……夏菜、か?」
「ええ。あたしよ!」
言いながら夏菜は、純一のすぐ傍まで歩み寄った。
「夏菜は――無事、なのか……? 怪我は……?」
頭から血を流すほどの怪我を負っているのにも関わらず、気が付き、真っ先に口にしたのは夏菜の身の心配についてだった。
「なんともないわ。純一が庇ってくれたおかげよ?」
「そうか。それは良かった……」
心底安心したように純一は呟いた。
自分の怪我よりも夏菜のことを一番に心配する純一を見て智香は思っていた。
――私には無理なのだ、と。
「智香ちゃんは? 怪我とかしてないよね」
夏菜の無事を確認すると、今度は智香に確認を取る。
その言葉が、智香の心には凄く痛かった。
自分のせいで夏菜は危ない目に遭った。
そしてそれを庇い、純一は怪我をした。
それなのに、純一は自分を心配してくれている。
純一の優しさで、智香の心は傷付いていた。
「はい。私は大丈夫です。それより純一さんは? 大丈夫なのですかっ?」
夏菜のように、純一に歩み寄って行きたかった。
自分がどんな目に遭ってでも、智香は純一の傍に行きたいと思っていた。
しかし、そのせいで傷付くのが自分ではなく純一なら?
そんな中近付けるほどは、智香だって強くなかった。
「うん。問題ないよ」
無理して笑う純一。
二人に心配掛けさせまいとしての行動であった。
それが逆に二人を苦しめているというのに。
自分のせいで純一は……。
二人ともそう思ってしまっていた。
自分を庇って純一は怪我をした。
夏菜は己を責めていた。
自分の力で純一は怪我をした。
智香も己を責めていた。
それなのに――。
「いや~、それにしてもまいったまいった~」
純一は笑っていた。
頭からわずかに血を流しながらも、必死に笑顔を作って見せていた。
悲しい顔をしないでほしい。
そんなに落ち込まないでほしい。
二人にはもっと明るく笑顔でいてほしい。
そういう思いから、「俺は大丈夫だぞ」ということを元気さを見せることで殊更アピールしていた。
それによって二人が更に傷つくということも知らずに――。
「皆も無事。あの変な現象の方も止まった。それで十分じゃないか。それにほら!」
純一は教室の後ろの出入り口を指差しながら言った。
「あそこから脱出できるようになった」
教室後方の出入り口。
その扉が一枚外れていた。
夏菜が割って入って来たガラスの隙間から入り込んだ風が、純一たち三人の前を通過して廊下へと駆け抜けていた。
「よかったね。これでこの教室ともお別れだ」
「さぁ行こう!」と言って立ち上がった純一。
ところが思ったよりも頭部への影響があるらしく、足元がふらつき、再び床に倒れ込んでしまった。
散乱する机をいくつも薙ぎ倒しながら頭から倒れ込んだ。
「純一大丈夫!?」
「大丈夫ですか!?」
二人は慌てて駆け寄った。




