2 恋の風 ~霊感ない彼鈍感で~
「何だろう、この部屋。何室とも書いてないけど……」
続いた廊下の先に、いかにも不気味な教室があった。
そんなところ、純一が興味を持たない筈がない。まったく躊躇うこともせず、楽しそうに扉を開けた。
「ここはっ!」
慌てて智香はそれを止めようとする。
別に、この部屋に入られたからって秘密がばれるとは限らない。
むしろ、重要な手掛かりがないことを智香は知っていた。
人間に秘密を暴けるはずがない。そう思ってはいた。
しかし、何かを発見されてしまうかもしれない。
それをきっかけに興味を持ち、秘密へと近付いて来てしまうかもしれない。
「どうしたの?」
智香の声に純一は不思議そうに振り向いた。
これで少しは時間を稼げた。このまま別の場所へ導こう。
智香はそうしたかったのだが、生憎その方法を考えてはいなかった。
「こ、ここは……。止めておきませんか? その、幽霊なんていなそうですもん」
これから行こうとしている教室は、いかにも幽霊が出そうな不気味な教室だった。
少なくとも、純一はそう感じていた。
しかし智香はこの短時間でも感じていた。
幽霊がいそうですし。
怖がらせようとしてそう言っても、純一は喜んで行ってしまうだろうことに。
……。
…………。
………………。
純一たちが足を踏み入れた教室は、全体的に薄ら寒かった。
他の場所とは、明らかに何かが違った。
雰囲気からして、不気味さが漂っていた。
「おおっ。確かにここは……」
何かがある――。
純一は直感的に、そう思っていた。
「はい、これ」
「――えっ?」
突然、懐中電灯を手渡された。
「怖いんでしょ? 俺なら大丈夫だからさ。それ、持ってなよ」
「は、はい……」
頑なに渡そうとしなかった懐中電灯をこんなにも簡単に手に入れることができてしまったことに、智香は驚きを隠せなかった。
一方、純一はというと――。
軽く、夜目が利き始めていた。
窓から差し込む月明かりを頼りに、教室内を隈なく物色し始めていた。
机の中を――。
教卓の中を――。
ロッカーの中を――。
一つ一つ、丁寧に見て回っていく。
「あ、あの……純一さん?」
「…………」
あまりの集中具合に、智香の声は耳に届いていなかった。
(え、えっと……)
一人残されてしまった智香は、懐中電灯片手に、教室のドアの前で立ち尽くしていた。
やがて智香は、少しでも秘密を隠す為の努力をしようと考えた。
幽霊の状態なら、純一に気配すら感じられない。それが分かっているので、まず幽霊に戻った。
幸い純一は集中しているので、智香がいないことにも気付かない。
少しでも見られたくないものは、純一に見つかる前に自分の手で包んだ。
そして純一が既に調べ終えた場所に隠していった。
「あんまり何もなかったね。もう行こうか、智香ちゃん。智香ちゃん?」
満足するまで徹底的に調べると、やっと純一は智香が見えないことに気付く。
「はい? どうかしたんでしょうか」
疑問を持たれる訳にはいかない。
智香は純一からは見えない場所に急いで姿を現した。
そしてずっとそこにいたように、自然と純一の前に出て行ったのであった。
「何もなかったんですか? だからいなそうって、言ったではありませんか」
そう微笑んだ智香は、引き返して歩いてきた廊下を戻ろうとする。
しかし純一は智香を呼び止めたのであった。
「智香ちゃん、どこ行くの? ほら、先に進もうよ。それともやっぱり戻ることにしたの?」
その言葉に、智香は酷く驚愕した。
あれほどまでに自分に気付かなかった純一が、隠し廊下に気付くなんて……。
純一が指差していた先は――黒板だった。
今でも一般的に良く普及している、スライド式の黒板。
長い年月が経ち、脆くなってしまったところを、純一が無理矢理動かそうとして左半分を壊してしまった。
その結果純一は、偶然にも隠し廊下へと続く入り口を見つけてしまったのだった。
智香は、目の前に広がる小さな秘密を隠そうと必死になるあまり、本来なら一番に気を使わなければならなかったはずの場所を、疎かにしてしまったのだ。
まさか壊すはずがない。
そういう思い込みがあったからこそ、それが災いし、不運となって逆に智香自身を苦しめる結果を産んでしまったのだった。
「いや~、ちょっとスライドさせるつもりだったんだけどさ。滑りが悪くてこう――ドンッとやったらなんか取れちゃって……」
「…………」
本当に申し訳なく思っているのだろうか。
頬を掻きながら苦笑を浮かべる純一に対して、智香は言葉を失っていた。
「あれ? どうかした?」
場違いな、呑気な声が教室内に響き渡った。
「ほら、進もうぜって」
その空間には、月明りも全く届かない。
しかし純一はそこへ、懐中電灯も持たずに入って行こうとする。
「待って下さい。何を仰ってるんですか」
そこに行かせない為に、智香は一芝居うつことにする。
「どこに進もうと言うのですか? それはただの黒板、そしてそれを純一さんが壊してしまっただけです」
何もない。何も見えない。そう演じてやろうと言うのだ。
「でもこれで、隠し扉みたいなん見つけた。だったら、進むしかないでしょ」
「何を仰ってるんですか。それは扉ではありません、黒板です。暗い為、壊れた部分が通路のように見えているだけでしょう」
見つけられてしまったものは仕方がない。
しかし、自分が付き添っていてもそこに行かせる訳にはいかない。
だから智香は何もないと、純一に信じさせることにしたのだ。
「そんなことないよ、ほら」
そう言って純一は手を入れようとするが、壁にそのままぶつけてしまう。
智香の言葉を純一が信じてしまったから。
”気のせい”そう脳が判断してしまったから。
「あ、あれ……? おかしいな。確かにここに通路があったはずなんだけど……」
「そんなの、あるわけないじゃないですか。ちゃんと良く見てください。ほら」
智香は恐る恐る、黒板を懐中電灯で照らした。
壊れた黒板の先には――月明かりの一切届かない、真っ暗な通路が不気味に通っていた。
懐中電灯の光なんか淡すぎると、そう物語っているかのように、闇が光を完全に呑み込んでしまっている。
がしかし――。
智香の言葉を信じてしまい、“気のせい”だと、そう思い込んでしまった純一目には、単なる染みのついた壁にしか見えていなかった。
もちろん、智香の目には壁ではなく、しっかりと通路が見えていた。
「本当だ……」
「暗かったですし、勘違いしてしまうのもわかります」
「あ~もう、ビックリした。もの凄い秘密を発見しちゃったかと思ったよ」
苦笑いを浮かべる純一。
「確かに、こんな場所に隠し通路があったりなんかしたら、誰でもビックリしますよね。でもそんなの、全然現実的じゃありませんって」
「だよね……。ごめん、俺の早とちりだったみたいだ。じゃあ次、行こうか」
なんとか誤魔化せた。
智香はほっと、一安心。
する暇も、純一は与えなかった。
「これなんだろう」
楽しそうに言う純一の声に、智香は恐る恐る視線を向けた。
今度は何を発見したのか。
智香は見るのが最早怖くなってきていた。
「どうかしたのですか?」
しかし、その気持ちを表情に表したりはしなかった。
不思議そうな表情を作り、純一に問い掛けた。
「ただの落書きだった。でも、何が書いてあるんだかわからなくてさ」
落書き? それには智香も覚えがなかった。
ずっとここで暮らし、何でも知っているつもりだった智香は驚愕した。
「どこかに落書きされいるんですか? 見せて下さい」
キャラを作るのも忘れ、純一が見ているものを智香も覗き込む。
そこには確かに何かが描かれていた。
しかし、その何かが何なのかはわからない。
純一はもちろん、智香にもわからないのであった。
「どうしたのさ、智香ちゃん。今までこんなに興味を持つことなかったのに。いきなりどうしたのさ」
不思議そうな目を向けてくる純一に対して、智香は少しばかり焦りを感じてしまっていた。
正体がバレてしまうのではないか――。
偶然とはいえ、先ほどの隠し廊下の件があったからこそだった。
幽霊なんてこの世に存在するはずがないと思い込んでいる純一相手に、今更そんな心配をしなくてもいいのに智香は、必要以上に気にし過ぎていたのだった。
「そ、そそ、それは……」
なんて誤魔化そうか。
智香は必死に頭の中で言い訳を考えていた。
「それは……?」
「こ、怖いモノは少し苦手なのですが……。な、謎解きは割と好き、なんですよ!?」
完全に口から出任せだった。
「へぇ~。そうなんだ?」
純一から返ってきた答えは、割とあっさりしたものだった。
「――ってことはさ! もしかしたら俺たち、良いコンビになれるかもしれないね!」
「こ、コンビっ!?」
「うん。俺がどんどん謎を見つけていくから、それを智香ちゃんが次々に解いていくんだ。それで最終的には二人で、この旧校舎に住み憑いていると噂の、例の幽霊の正体を掴む! ――なんてね♪」
純一も冗談のつもりで言ったのだが、智香は冗談と取ることが出来なかった。
それを阻止しなければ。
智香はそう決意していた……。
「本気だね。智香ちゃんのそんな表情、初めて」
決意する智香を見て、純一は感心して言う。
彼自身もそこまで本気じゃなかった。
だから、智香の瞳を見て驚いた。そして、更に純一はヤル気を出してしまった。
「いえ。幽霊なんて、いないと思います。幽霊なんて、いる筈がありません」
どう返していいかわからず、智香は自分の存在を否定した。
智香は誰よりも幽霊を信じていなかったからだ。
「そうだね。そうかもしれない。でもさ、噂の正体を暴きたいんだ。もしかしたら、本物の幽霊かもしれないし」
智香の言葉は、純一の闘志を燃やさせるだけだった。
それには気付き始めていたが、智香は余計なことを言ってしまう。
任務の為に純一に接触した智香だが、新しい気持ちも芽生え始めていた。
そしてそのことにも、智香は確かに気付いていたから。
「あ、あの私実は――」
そう智香が言いかけた時だった。
――ガタガタッ。
「「――っ!?」」
教室の窓ガラスが音を立てて揺れ始めた。
まるで智香の言葉を遮るかのような、絶妙なタイミングだった。
――ガタガタガタッ。
その音は次第に強くなっていく。
「…………え、えっと……風の仕業かな?」
そう言う純一だったが、風の影響で窓ガラスが振動しているわけではないと、直感的に悟っていた。
智香を怖がらせないため。
そして何より自分自身が冷静でいられるように、あたかも風のせいであるかのように思い込ませようとしていた。
「……どうやらそのようですね」
突然の出来事に最初こそ驚いたものの、智香は至って冷静だった。
これ以上怪しまれることのないよう、咄嗟の判断で純一の言葉にあえて乗ることにしたのだった。
風の仕業なんかではない。
どんな力が働いてこのような不可思議なことが起きているのか、それすらも智香は分かっていた。
――ポルターガイスト現象。
原因はそれだった。
「このまま風が強くなっても危険です。そろそろ帰ることにしますか」
純一を追い出す為、智香はそんなことを言った。
なんとしてでも、何をしてでも追い出したかった。
しかし智香の想いが純一に届く筈がない。
純一には、智香の言葉すら届いていなかった……。
「風と共に、幽霊も現れるのではっ」
帰るつもりなどさらさらなかった。
風の仕業、そう思う訳ではないから。
「あっごめん。智香ちゃん、幽霊とか怖いんだっけ?」
興奮して言ってしまったが、純一は智香を見てすぐに謝った。
その言葉に、智香はきょとんとしてしまう。
彼女はその幽霊なのであって、恐れることは何もなかった。
しかし純一が折角そう言っているので、智香はそのキャラも演じることにした。
「は、はい。あまり好きではありませんね。いないとは思うんですが、怖いじゃありませんか」
わざと震える声を出し、怯えているような振りをした。
思ってもいないことを、必死に言った。
怯えている設定なので、少し変なところで間が開いたって大丈夫だ。よく考えて、もうミスをしないように言った。
二人はお互いにこの現象が風によるものではないことを知っていた。しかしながら、あたかも風のせいだと言わんばかりに会話を重ねてしまった。
そのせいなのか。
突如大きな音を立てながら前と後ろ、両方の教室のドアが閉まってしまった。
まるで、何者かの怒りを買ってしまったかのように……。
まるで、純一たちをその場に閉じ込めてやろうという悪意が込められているかのように……。
「ちょ、嘘だろ!? ビクともしねぇ!」
いくら力を込めようとも、ドアが動くことは決してなかった。
廊下側から抑えつけられているわけではない。
外に人の気配がないことくらい、流石の純一も気が付いていた。
「も、もしかして……」
「……ああ。閉じ込められちゃったみたいだ……」
正直に答えた。
もう見え透いた嘘でこの状況を誤魔化すことなどできなかった。
閉じ込められたんだということを二人がしっかりと認識した瞬間、それまで続いていたポルターガイスト現象は途端に収まった。




