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悪魔の領土からの帰還  作者: 星狼


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3/5

生への疾走

「死にたくない死にたくない死にたくない……」


 鼓膜を揺らすのは、己の喉から絶え間なく溢れ出る呪詛の群れ。

 一人のデーモンが、その不気味な音の連なりを、耳障りだとばかりに鼻で笑った。


「いつまでブツブツ言ってんだよ、コイツはよぉ!?」


ーーだが、生き残る道は、この奈落の先にしかない。


 思考を遮断する。アカネは一歩、黒土に引かれた境界線を越え、奴らの領土へと深く踏み込んだ。

 地を蹴る。爆発的な前傾姿勢。


「あっ」


 静寂を破る、デーモンの動揺した声。

 油断、あるいは傲慢。それが彼らの反応をコンマ数秒、確実に遅らせた。引き絞った弓の如く突進したアカネの右手が、最前列にいたデーモンの脇腹を鋭く捉える。


 一人。ーー残りは、六人。


「く、くそっ……! この野郎……!」


 背後で巻き起こるデーモンの怒号。だが、そんな雑音に割く猶予など一瞬たりともない。耳を貸せば恐怖に足が止まる。残り六人。全員の肉体に触れさえすれば、私はあの「安全な境界」の向こうへ帰ることができる。


 視界が激しく揺れる。肺を焼くような荒い呼吸。アカネは速度を落とさぬまま、左右の手を同時に突き出した。

 右手が、身を翻そうとした巨体の太腿を掠める。

 左手が、驚愕に目を見開いた別の奴の剛腕へと滑り込む。


 これで三人。ーー残りは、あと四人。


「おいおい、人間如きにしてやられてんじゃねぇよ!」

 戦場に地鳴りのような咆哮が響き渡る。異形たちの本気の殺気が、大気を震わせた。

 怖い。恐ろしい。今すぐ踵を返し、あの線の手前へと逃げ帰りたい。だが、クリア条件を満たさずに戻れば、待っているのは執拗な追跡と確実な死だ。


 アカネは裂けんばかりに声を張り上げ、己の魂を極限まで鼓舞しようとした。


「死にたくない死にたくない死にたくない……!」


 しかし、どれほど気力を振り絞ろうとも、喉からせり上がってくるのは、どこまでも情けない恐怖の呟きだけ。

 なら、それでもいい。無様でいい。残りは四人。あと四人をこの手に収めるだけだ。


 上体を深く沈め、地面を這うような低空の軌道を描く。

 伸ばした右手が、迎撃しようとしたデーモンの臀部を捉えた。

 同時に、左手が別のデーモンの膝頭へと鋭く接触する。


 だが、その執念の突進の代償として、アカネの右足が濡れた泥に足元をすくわれた。

 世界が反転する。凄まじい衝撃とともに、彼女の身体は無様に地面へと叩きつけられ、激しく転がった。


「おっと、惜しかったな?」


 絶望的な影が、倒れ伏すアカネの頭上を覆う。

 まだタッチしていない、残る二人のデーモン。彼らが笑みを浮かべながら、確実に彼女を「捉える」ために、じりじりと包囲網を縮めてくる。


ーー終わりだ。捕まる。


 凄絶な恐怖が脳の全神経を麻痺させていく。


「死にたくない死にたくない死にたくない……」


 それでも、唇だけは命乞いを止めない。

 この二人に触れ、あの線の向こう側へ這い戻りさえすれば、私は生きられる。まだ、終わらせてたまるか。


 アカネは泥水を噛み締めながら、肉体の底に残った最後の、文字通り最後の一滴の力を爆発させた。

 地を這う虫のように、泥まみれの両手を前方へと突き出す。


ーーその指先が、デーモンの足先を、確かに掠めた。


 全員だ。七人全員の肉体に触れた。

 あとは、あの安全な我が家へと帰るだけ。


 誇りなど、最初から泥の中に捨ててきた。

 アカネは立ち上がる時間さえ惜しみ、文字通り地面を転がり、狂ったように這いつくばりながら、境界線の手前ーー己の領土へと滑り込んだ。


ーーこれでゲームクリアだ。

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