境界の遊戯
デーモンは手にした鉄塊――かつてアカネが誇りとともに帯びていた銀の長剣を、無造作に下へと向けた。
刃の先端が、冷たく湿った黒土に突き立てられる。そのままじりじりと、嫌な音を立てて大地を割き、一本の歪な線を描き出した。その一連の動作には、獲物をいたぶる冷徹な儀式のような、不気味な静謐さが漂っていた。
ーー何が始まるというのだ。
理性が辛うじて疑問を抱く。しかし、限界を迎えた脳は、その問いを言葉へと変換する余裕をすでに失っていた。乾いた唇から零れ落ちるのは、ただ一つの呪詛にも似た懇願だけだった。
「死にたくない死にたくない死にたくない……」
壊れた蓄音機のように、ただそれだけが冷えた大気に消えていく。
デーモンは、血の滲むような切っ先を、今度はゆっくりとアカネの喉元へと向けた。
「この線から先が、俺たちの領土だ。そして今、お前がへたり込んでいる線の手前が、お前の領土だ」
アカネの視線が、吸い寄せられるように地へと落ちる。黒土に刻まれた一本の境界線。それが生と死を分かつ奈落の裂け目のように見えた。
「お前が自分の領土にしがみついている限りは、俺たちは一切の手出しをしねぇ。だが一歩でも俺たちの領土に足を踏み入れた瞬間、俺たちはお前を全力で捉えにいく。捉えられたお前がどうなるか、その足りない頭でも想像がつくな? 待っているのは、勿論……」
デーモンは敢えてそこで言葉を区切り、残虐な沈黙を置いた。
語られなかった結末が、かえってアカネの脳内で無数の酸鼻極まる拷問のイメージへと膨れ上がっていく。想像力が恐怖という名の劇薬となり、彼女の五臓六腑をじわじわと侵食していく。
「死にたくない死にたくない死にたくない……」
加速する恐怖を押し殺すように、呟きはさらに速度を増していく。
「さぁ、ここからが本題だ。お前は今から、この境界線を越えて俺たちの領土に侵入してこい。そして、ここにいる俺たち全員の身体に直接触れ、生きて自分の領土へと戻ることができたなら……お前のその薄汚い命、見逃してやる」
デーモンは上体を屈め、アカネの顔を覗き込んだ。その口から放たれる生臭い吐息が、彼女の頬を撫でる。
「折角のゲームだ。参加せずにこの場から逃げ出そうなんて考えるなよ? もしそんな真似をしてみろ。地の果てまで追い詰めて、五体をもれなく消し飛ばしてやる。お前は確か、人間どもの間では『勇者』などともてはやされていたそうだな。なら、その名に相応しい執念ってやつを、少しは見せてみろよ」
言い終えると同時に、デーモンは興味を失ったように長剣を放り投げた。
金属が岩にぶつかる乾いた高い音が、仲間のいない洞窟に虚しく響き渡る。
「さぁ、いつでもいいぜ。お前のタイミングで来い。ーーゲームスタートだ」
異形たちの顔に、同時に愉悦の歪みが走る。
ーー生きるチャンスが、生まれた。
その不条理極まりない宣告は、絶望のどん底にいたアカネにとって、蜘蛛の糸のような狂おしい希望だった。この狂った遊戯に勝ちさえすれば、私は、この冷たい土と同化せずに済む。もう一度、生きて呼吸をすることができる。
アカネは激しく震える両膝に力を込めた。泥に塗れた身体をゆっくりと起こし、立ち上がる。
身体を支配する恐怖は、いまだ一ミリたりとも衰えてはいない。それでも彼女の眼光には、泥泥とした生の執着が、確かに宿り始めていた。




