九話 ようこそ
眩しい光に照らされて、ゆっくりと瞼を開く。意識が半分眠っている中で、ふわりと香る良い匂いが鼻腔を擽った。視界に映るのは、キラキラと氷の結晶みたいに輝く薄水色の髪。
「……目が覚めましたか?」
心地よいテノールが鼓膜に響く。
あぁ、そうだわ。私……もう一度結婚することになったんだった。
いや……書類上ではもう夫婦になったのよね、あまり実感がないけれど……。
というかこの人、顔だけじゃなく匂いまで良いのね。
「おはようございます。すみません、私ずっと眠ってしまっていたみたいで……」
「疲れていたのでしょう。まぁ、あの家では眠れないのも無理はないでしょうね」
「えぇ、いつ寝首を掻かれるかわかりませんでしたから」
「……公爵邸ではそんなことは起きませんよ。ベッドの質も良いので、よく眠れます」
「ふふ、流石は公爵閣下ですね」
別にベッドの質は気にしていないのだけれど……まぁエヴァンローズ公爵家ともなれば、ベッドもさぞふかふかなんでしょうね。それにしても、やっぱり気にするところがちょっとズレていると思うけれど。
それにしても、起きたら翌朝で公爵邸に着いているだなんて……私ったらどれだけ寝ていたの?
……待って、そもそも起きた時にはもう馬車は止まっていたわよね。ということは、私が
起きるのを待っていたってこと?
「あの……公爵邸には、いつ到着したのでしょうか?」
「昨晩です」
「昨晩!? 起こしてくださって良かったんですよ!?」
「何度か声はかけたのですが……全く目覚める気配がなかったのと、すごく気持ちよさそうに眠っていたものですから。それに……」
「ま、まだ何かあるんですか……?」
「なんだか、見ていたくなったので」
…………?
私、観賞用の小動物と同じような扱いをされているのかしら。というか、ものすごく気恥ずかしいのだけれど……!
……寝言とか、言っていませんように……。
「ミレイユ嬢も目覚めたことですし、邸の中へ入りましょう」
「それはいいんですけれども……その、ミレイユ嬢という呼び名はやめませんか? もう夫婦になったのですし……」
「では、ミレイユと。私のこともリュシアンで構いません。お手をどうぞ」
「ありがとうございます。リュシアン……様と、呼ばせていただきますわね」
そう言って、リュシアン様の手を取る。その瞬間、リュシアン様が微かに微笑んだ____気がしたけれど、一瞬すぎて気のせいだったかもしれない。
門番が私達の姿を見るなり、慣れた動作で門を開ける。
門をくぐると……そこには、とても美しい庭園が広がっていた。
色鮮やかな花の上で蝶々が軽やかに飛んでいて、呼吸をすると花の香りが身体中に沁みわたる。噴水の水の音が心地よい。本当に、素敵な庭園。
正直に言うと、もっとシンプルなお庭を想像していた。完全に偏見だけれど、スッキリとした無駄のないものを好むイメージがあったから。
けれど、案外感性は豊かな方なのかしら。
扉の前に控えていた使用人が、深く礼をしてから扉をゆっくりと開く。
____その直後、私の身体が宙へと浮いた。
正確に言うと、リュシアン様によって軽々と抱きかかえられてしまったのだ。俗に言うお姫様抱っこというやつ……。
胸板の筋肉の存在を感じ取って、鍛えているのね……と少し驚く。美しすぎる見た目も相まって、あまり鍛えていらっしゃるイメージはなかったから。
なんだか、さっきから思いもよらない事ばかりだわ。
「リュシアン様、一体何を……?」
「花嫁を抱き上げた状態で敷居を跨ぐと幸せになれるという風習があるでしょう」
「……でも、契約結婚ですし……」
「大事な花嫁であることには変わりませんから」
……なんだか、調子が狂う。
けれどここで抵抗するのも変だし、リュシアン様の腕の中で大人しく縮こまった。
そんな私達の様子を見て、使用人達は「あらあら!」「旦那様ったら……!」と嬉しそうに騒いでいる。
それでもリュシアン様は顔色一つ変えずに敷居を跨いで、「これで今度は幸せになれるかもしれませんよ」と、まるで他人事のように私に語りかけた。
……やっぱりこの方、ちょっと変わってるわ。
でも、この距離感が今の私達には丁度良い。
「あの家から逃げ出せただけで、私は十分幸せですわ」
私がそう返すと、リュシアン様はゆっくりと瞬きをしながら「それは良かったです」と言って、私を丁寧に下ろしてくれたのだった。




