十三話 良い契約
窓から差し込む朝日で、自然と目を覚ます。
上半身をゆっくりと起こして息を思いっきり吸ってから、大きく伸びをして息を吐いた。
公爵邸のベッドは本当に上質で、今までの人生で一番よく眠れた。
_____コン、コン。
「おはようございます。朝のお支度のお時間でございます」
「おはよう。入っていいわ」
丁度良いタイミングで、私の専属侍女となったアンナが部屋に入ってくる。
「今日はどのような装いになさいますか?」
アンナからそう問いかけられて、私は迷いなく答えた。
「動きやすいコーディネートをお願いできるかしら。今日は、大事な初仕事の日だから」
***
昨日リュシアン様に丁寧に案内していただいたこともあって、執務室まで迷わず来ることが出来た。
シンプルだけれど上品で、重厚感のある扉の前に立って、深呼吸をする。ベルフォール侯爵家では、執務室は私のテリトリーだった。けれど、ここはリュシアン様のテリトリー。
でも大丈夫、私は私で、出来ることをやるだけよ。
____コン、コン、コン……。
「リュシアン様、ミレイユです」
「どうぞ」
「失礼します」
自分の手で扉を開いて、慎重に足を踏み入れた。
整理された書類の束、独特な紙とインクの匂い、時を刻む時計の針の音……。
____仕事が出来る人の部屋だわ、というのが一目でわかった。
「お待ちしておりました。ミレイユ、あなたにはまず、この帳簿の確認をお願いします。終わったら声をかけてください。そちらの席にどうぞ」
「はい! ……リュシアン様しかいらっしゃらないのですか?」
「いつもはもっと人がいますよ。ただ、今の期間は挙式の準備を優先させているので。では、私は作業に戻ります」
「あぁ、なるほど……。わかりました」
シン……と静まった執務室の中で、紙を捲る音やペン先がカリカリと走る音が響いて、心地良い。
……それにしても、よく纏まっている帳簿だわ。でも、ちゃんと見ると所々にミスがある。
せっかくだから、私の方で修正しちゃいましょうか。
それにしても、やっぱり久々の仕事は楽しいし、嬉しい。生きている心地がするもの。……書類を前にこんなことを考えている私は、きっと可愛げのない公爵夫人なのだろうけれど。
***
「終わりました」
「……もう、ですか?」
「? はい、そんなに量もありませんでしたし……。あ、所々数値に間違いがありましたので、纏め直したものがこちらになります」
「…………資料まで、作ってくださったんですね。拝見します」
リュシアン様が、パラパラと私が纏めた資料を食い入るように見ている。それから、「これは……」と口に手を当てて考え込んでしまった。
「……あの、やっぱり出過ぎた真似でしたよね、すみません」
「いえ、素晴らしいです。あなたが領地を任されていることは知っていましたが……正直、想定以上でした。……あなたは、侯爵家でもこんな仕事を?」
「そうですね、というか、私が責任者だったので……」
「そうですか。では、次は、こちらの帳簿を確認いただけますか? つい先日、執事長が「数字が合わない」と嘆いていたもので」
そう言って、リュシアン様が私に帳簿を差し出す。……執事長でもわからなかった異変が、私なんかにわかるのかしら?
「……あなたなら、できますよ」
リュシアン様が、小さく呟く。顔に不安が出てしまっていたのだろう。
でも、ここまできたいされてしまったら、不安よりも、正直____
「ありがとうございます。むしろ……燃えますわ」
____やる気しか、湧かないわよね。
私はその場で帳簿をパラパラと捲る。自慢じゃないけど、私の特技は速読だ。これは、幼い頃に私が読んでいる本をロザリーが「早く貸して頂戴!」と必ず奪ってくるものだから、奪われる前に読み終わるために身についた特技だ。
資料の数は多いけれど……絶対に、見つけてみせるわよ。
***
「…………わかりました。ここですね。小麦の仕入額が今年から変わっているせいで、ズレが生じているのだと思います」
「………………本当に、ベルフォール侯爵は勿体ないことをしましたね」
「え?」
「いえ……私は、良い契約をしたのだなと、改めて実感しただけです。ミレイユ、これからあなたには、領地経営の補佐をお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「っ、良いんですか!?」
思わぬリュシアン様からの提案に、私は嬉しくて手に持っていた帳簿を抱きしめた。
嬉しい、私、公爵家でも仕事が出来る、役に立てる!
「ありがとうございます! 本当に、本当に嬉しいです!」
「あなたは、仕事が好きなのですね」
「はい、大好きです。それに……私をあの地獄から連れ出してくれたリュシアン様に、これで少しでも恩返しができますから。私、頑張りますわね」
私はそう言って、嬉しさの余りリュシアン様の手をぎゅっと握りしめた。
リュシアン様はピクリと肩を揺らしながら、「……よろしくお願いします」と、小さく呟く。
「次の仕事をいただけますか?」
「いえ、今日のところはこちらで十分です。残った仕事は私が片付けますので。あとは昼食まで、部屋でゆっくり休んで……」
「そんなわけにはいきません! リュシアン様が働かれるのなら、私も働きます」
「あなたは嫁入りしたばかりの貴婦人なのですから、もっとゆっくりしてください」
「そんなことを言ったら、リュシアン様だって結婚したばかりなのに働き詰めですわ。それに、今は人手が足りていないのでしょう? こういう時こそ、夫婦で協力しなければ」
私が食い下がると、リュシアン様は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、「夫婦、ですか」と呟いた。
「そうです。夫婦なのですから……リュシアン様も、もっと私を頼ってくださいね」
そう言って、私はもう一度リュシアン様の手をギュッと握った。リュシアン様はゆっくりと瞬きをしてから、「わかり、ました」とぎこちなく話す。
「……ですが、今日のところは本当に大丈夫です」
「そうですか?」
「はい、明日は家令が仕事内容を教えますので、明日から正式にお願いします。午後はドレス選びがあるので、それまでは部屋で休んでください」
「……わかりました。でも、本当に無理をしてはだめですよ? では、失礼いたします」
……結局リュシアン様には勝てるわけもなく。こうして私は、泣く泣く執務室を後にしたのだった。
「…………小さくて、温かい手だったな」
____部屋を出る際、リュシアン様がそんなことを呟いていたような気がするけれど……きっと聞き間違いよね。




