39 黒雪:すべてが始まりに戻る
ひどく長い時間、どこでもないどこかにいた気がする。
悲しくて、自分が死んでしまえたらと思う反面、生きなきゃいけない気もしていた。
その間でずっと悩んでいた。
少年の顔が浮かび、家族の顔が浮かんだ。
あの恐ろしい夜のルチヤの一族の顔が浮かび、そして自分の顔とあの氷の世界が浮かぶ。
どれもが相反していて、でも最後に思い出したのがレイニのことだった。
一緒にいてほしいといわれ、まだ返事をしていなかった。
一緒にいろといわれてうれしかった。
そんなことを考えていたからか、目が覚めた時、なんとなく寂しい気持ちで起きてしまった。
涙がにじむのがわかり、手で拭う。
その自分の手が見えて、色が普通に見えることに驚いた。
いつもあの手の無茶をすると、視神経もやられていたり、言語もおかしいので、元に戻るのに時間がかかる。
…普通に考えてしまったけれど、私は今、生きてるのか。
もの寂しい気持ちが胸をよぎる。
つまり私はゲームに勝ち、少年はいなくなり、そして自分は今を生き続ける。
その選択の結果は、どうなるかなんて考えたくもない。
顔を両手を覆って、込みあげてくるものをこらえる。
落ち着いてくるとようやく自分がどこにいるのか気になってきた。
柔らかい布地、ふかふかの枕、周りを見渡してようやくわかった。
まさかの寝床で寝ているとは思わなかった。
どうせまた聖堂の中に放り込まれているんだろうぐらいにしか思わなかった。
それがやけにふかふかのベッド、なんとなくいい匂いすらして、すごくいい待遇だ。
「ここ、どこだ」
かすれた声がだる。
どこかで何かが動いた気がした。
顔だけそちらにむけると、メイドだろうか、驚いた様子でこちらを見ている。
「気が付かれたんですね。お体はどこか悪いところはないですか? 誰か呼ばなくちゃ」
慌てた様子でひとしきりしゃべると、どこかにいなくなってしまう。
いったい、なんだったんだろう。
また睡魔に襲われて、瞼が重く落ちてくる。
今度は騒々しさに意識が引き戻された。
体を起こそうとするも腕にまだ力が入らない。
顔の向きを変えて見回すと、ドアが突然開いた。
ざわめきとともに複数の人が入ってくる。
誰だ?
先頭に立って歩くのは物々しい恰好の男性だ。
黒地に金糸の羽織を着て、肩から動物の顔つき毛皮をかけているがなぜか似合ってる。
黒髪に黒い目で眼光が鋭く、長い髪をオールバックにして一つに結い上げている。俳優みたいに顔がいいけれど、そうではなくて何か記憶にひっかかる。
男性の顔に入れ墨のような黒い印が首筋にも同じく印があるのが見えた。
この人がここの皇王か。
初めて見た。
そうだった。
この人の嫁になりに来たんだっけ。
皇王はこちらをみつけるなり、あの目を細めて微笑む。
急にあの鋭さが消えて、見た覚えがある気がした。
とっさにその嫌な予感を頭から消そうする。
「気分は?」
声もやっぱり聞き覚えがある気がする。
何を言ったらいいかわからず、とりあえず首を振った。
「あなたはあの日から丸二日は起きなかったんだ。」
心配した。
つぶやいて本当に安堵したかのように微笑む。
自分の寝ているすぐ隣のベッド上に腰かけると、やけに優しくこちらを見つめてきた。
そんな風にみられる覚えが全くない。
私がぴんときていないことに相手は何か腑に落ちない様子だったけれど、しばらくして合点がいったかのように言った。
「ああ、そうか。」
相手が言うと、後ろで結んでいた何かを無造作にもぎ取る。
周りが陛下と呼びかける声がしても気にしない。
ふと後ろにいる人が目に入る。
あの兼任神父!
見つけるなり、悪寒がするが、それ以上に何か嫌な予感がした。
下りてきた長い髪を男性は手で乱雑にほぐす。
あー!
「わかる?」
わかりたくない。
思わず首を激しくふった。
明らかにわかるといっているも同然だった。
それがわかってかレイニが笑った。
そう、あのレイニだ。
誰なんだろうとずっと思って居た自分が悔やまれる。
なんで気づかなかったんだろう。王には入れ墨のような印があるとずっと聞かされていたのに、見えなかった。
目を見開いたまま何も言えないでいると、レイニが近寄ってきて自分の髪に触れる。
「調子は?」
触れられるところから、緊張のあまりピリピリする気がした。
「悪く…ないです」
「あれから何が起こったか気になる?」
気にならないと言えば嘘になる。
ただそれどころじゃないほど、自分が落ち着かない。
沈黙を肯定ととったのか、レイニが続けた。
「どこから意識があるかわからないが、興味がありそうなところだと、聖堂は崩れた。」
「崩れた…?」
自分は仕事をしそこなったのか?
ちょっとぞっとする。
「でもそれでよかったんだろう。あれから都ではずっと風が吹いている。ちょっと前みたいに。霊峰ザキニに向かって風が吹き、穢れが流れていくのがわかる」
そうか。
色々事後処理が入りそうだけれど、依頼をしてきたその人が良いというのだからよいのだろう。
「あなたが倒れて聖堂から穢れの塊のような獣が飛び出してきた。でもその処理したときに汚染が噴出したがほぼ同時に、突然、空間から何もなくなったみたいにしばらくこの国から清浄も穢れもなくなった。あれは何がおこったかよくわかってないが。」
少年が言っていたことを思い出した。
確かにこれはギフトかもしれない。
「今は驚くぐらいトラブルが減った。まだ獣や虫は出るらしいから、処理は続くけどね。みんなの士気が違う」
言ってレイニはにっこりと笑う。
かっこいい。
思わず掛けられている布をたくし上げて顔を隠したくなる。
「ほかに知りたいことは?」
「…なんで?」
「なにが?」
「聞いてないです」
「言ってないね」
「だから、なんで名前」
違う。
国王の名前ぐらい覚えている。
「私が知ってる名前はアリ、アウオ…」
「アリオウスティヌス」
そう、それ。
「それは王としての名前で、代々それになるからさ」
なんと。
「騙された。」
「だましてない」
思わず言ってしまったらしい。
顔が赤くなる
「…わかってたんですか?」
「何を」
「私が、誰かって」
相手が肩をすくめるのが見えた。
恥ずかしすぎる。知らなかったのは自分だけだってことだ。
「騙すつもりはない。ただ言いそびれてた」
恨めしい。
引き上げたシーツの隙間から見る目が厳しくなっても文句は言えないはずだ。
「ごめん。」
レイニが言って額に口づけてくる。
顔が真っ赤になるのがわかる。
「王がそんなことをしてはいけません」
「なぜ?」
「なぜも何もおかしいです。私はただの教会員です」
「…あなたは俺の皇妃でしょう」
「…」
衝撃だった。
こんなことになるとは。
「いや、それは、形式上で合ってないような話というかお相手はそんな気ないって」
「大丈夫。その気はしっかりあるよ。俺の奥さま」
あああ。
心の中で叫び声をあげて、真っ赤になった顔を手で隠す。
「末永く宜しく」
レイニが優しく笑うのが見える。
信じられないくらいかっこいい。
私の体調がよくなるのに、更に一週間ほどかかった。
その間も王はちょくちょく会いに来ては、どうでもいいような話をして帰っていく。
そんなに暇じゃないだろうに。
そして徐々にだけど記憶が薄れていっている。
正確には感情が薄れていってて前ほどの悲しみも絶望も怒りもない。
日本にいたときも含めて所々思い出せないところが増えてきている。それに少し安堵する自分もいる。
起きて歩けるようになってようやく教会に連絡が取れるようになった。
この国は魔術が発達していないと聞いていたが、魔術でがちがちに固めた部屋があり、そこでなら固定された場での話ができる魔術式があった。
この国の脈が強すぎて、影響を受けないようにあらゆる手を尽くしていないと、会話すらできないという脈の強力さ。
会話する固定術式はかなり一般的なのに、ここまでしないと使えないとは。
術式だらけの部屋を見回しながら思う。
「永久就職おめでとう」
通話がつながり次第、早速の姉のセクハラ発言に絶句しそうになる。
「聞いてないです」
「なにが?」
「何もかもですよ」
なんで私はずっとここにいることになってるのか。
きけば、私はこっちにずっといていいとか。
皇妃になるなんて知らないし。
とにかくすべてが知らない。いうことをとにかくまくしたてるように言い切った。
「それで全部か?」
「ま、まあ」
「…全て問題ない」
じゃといって連絡が切られた。
し、信じられない。
おおざっぱにもほどがある。
絶句したまま通話先を見つめる。
もうちょっと聞くことあるだろう。
それに問題が多すぎる。
ここに留まることを認めているなんて。
部屋の術式が急速に光を失い、ただの壁むき出しのそっけない部屋になった。
とりあえず私は私の運命にもう少し向き合うことを決意してしまった。
苦手なことだらけで、でも逃げることはあまり許されなくて、でも今度は一人じゃないかもしれない。
部屋を出て後宮に戻ろうとする。
ほそい道の先に長い髪を束ね、あの兼任司祭を後ろに連れているレイニが見える。
自分を見つけるとあの怖い目を緩めて、やさしい目でこちらを見つめている。
おいで。
声に出さずいってくる彼の言葉に顔がほころび、歩みを早める。
ここから先は今までとはまた全く違う話になる。
今まで何度と繰り返した話よりも、遥かに険しく、あわただしいお話に。
実は始業してなかったって悪夢だね。




