36 黒雪:創造に伴う勇気
そしてようやく思い出したいま、まだ神様と海辺にいた。
虫の気配が皇都にあふれ、汚染が離れていても増えていくのがわかった。
混乱してた。
自分と神様のゲームを思い出してわからなくなった。
私が誰かを好きになって人生を喜んで生きること。
私はそれが叶えられたらみんなはあの過去を忘れられること。それができたら苦しまなくて済む。
そして今は、仕事の最中で、すぐに向かわなくちゃと思っていたのに、足が動かなかった。
なんで自分は普通に生きて、普通に人と話をして、なんでこの国をよくするんだろう。
反吐が出そうだった。
少年を忘れていたこともショックだった。
神様は最初のころと違ってちょっと存在が薄くなっていた気がした。
「今回でゲームは最後だよ。」
神様は海辺でこれだけ言って消えていった。
それでいいんじゃないだろうか。
もう私も負けでよい。
疲れたのだ。
神様の努力を無駄にしてしまうけれど、もう充分頑張ったんじゃないだろうか。
この国がどうなろうと、いいのでは…?
魂が抜けたようになってさまよい歩いて向かったさきには、叫び声とひどい汚染を感じた。
職業病か思わず影に入り、屋根に上って人から見えないところで状況を把握しようとした。
ひどかった。
もともと活気ある部分がすくなかったのに、いまやそこを虫が壁を這いまわり、人が逃げ惑う姿が見えた。
ほっといてもいいじゃないかと思った。まっさきに思ってしまった。
正直なところ人らしさを失いそうになっていた。
みんな苦しめばいいのに。
頭の中にちらっと浮かんだ言葉に、自分で恐怖を感じた。
そのとき、レイニが見えた。
なんでいるんだろうと思ったけれど、ようやく彼がなんであんなに汚染をため込むのか分かった。
ため込むというより彼がそういう性質なんだろう。
自分から汚染を吸うのが見えた。
そして自分の中の清浄とぶつけている。
その時にエネルギーのすさまじさは見えている人にしか何が起こってるかわからないだろう。ただ強いだけではないのは、そのためだった。
身を削るようにして戦うのに、街の人を全く傷つけない。
自分の中の何かが音もたてずに引いた気がした。
なんであんなことができるんだろうと不思議だった。
彼には死んでほしくないと思った。あんなやり方じゃ、長生きできない。それともこの国の人はみんなそうなんだろうか。
汚染を読み取り、吸い取った。
それが真実。それが経緯。あの町から急速に汚染が消えたのは、教会員としてでもなく、街を助けたいでもない。
自分はそんなにいい人じゃない。人の不幸を願う汚い自分が自分のエゴのためにやっている。
そこから先は少し記憶がない。
気が付いたら、また聖堂にいた。
おそらくあの城下町で汚染を吸い取りすぎて、調子が悪くなった後、蒼志にほうりこまれんたんだとわかる。
だけれどもう終わりに差し迫っているのはわかった。
このゲームも、この国が立ち向かっている難局も。
ゲームを終わりにする方法は簡単だった。
私が時間切れまでに好きだと伝えるか、もしくは伝えないかだ。時間切れはいつなのかというと、姉の言う二週間じゃない。
今までドローになった時は、いつも私の汚染が上限まで達した時だ。
だから今まで自然とそれだけは避けてきた。
つまり終わりは単に汚染が上限まで行けば終わる。そして今回は彼が言った通り最後だ。だから上限を迎えてもゲームはドローにならない。
私は死ぬ。
そして神様も終るんだろう。
そんなことをぐるぐると考えながら、あおから任された汚染まみれの人から汚染をただひたすらとった。
何も考えない。
何も考えないと言い聞かせながら。
そうでもしないと混乱して、泣き出してしまいそうだった。
汚染まみれの人が助かったのは、自分がやったかというより彼の運がよかった。
あんな集中していないボロボロの自分なのだから、彼が助からなくてもおかしくなかった。
その人が安心できる状態になると、彼を聖堂から引きずり出し、誰か見つけてくれそうなところにおくと、城壁を超えて城を出た。
人のいない海が見たくなった。
あの銀色に輝く月が奇麗な海は、生まれた故郷の月に似ている気がした。
ずっと、ずっと見ていた。見ながら考え事をしていた。
聖堂の問題と、私のゲームは別のこと。
平行しているから混乱しかかるけれど、聖堂がひどく汚れた理由だけ解決しても実際は問題ない。
きっとこの国の問題はある程度解決する。
その時、私の汚染が上限に達せば、私達が繰り返してきたゲームは終わる。
そして私は負け、彼も負ける。それだけの話。
風が吹き抜け、髪がまった。
仕事は仕事だから。割り切ってできたらいいのに。
今はそこに手が伸びない。
でももし自分がこの状況を残し、このまま消えると考えると、あの姉が怒る顔が浮かぶ。蒼志の仕事もしねえのかよと煽る声も。
そしてあの人の顔。
くせっけの彼の顔が浮かぶ。不思議とあの人と話すと嫌な気持ちにならない。
彼に迷惑をかけるだろうか。
ため息をつきながら遠くの海をみる。
月明りが水面に反射して奇麗な光の道を作っている。どんな時も月の明かりが自分の人生のそばにあった気がする。
あの怖かった夜も、神様の顔を照らしてくれたのは月の明かりだった。
「何してる?」
声がかけられるとは思っていなかった。振り向き見ると彼がいた。レイニがいた。
胸がどきりとする。思わず涙が出そうになって、顔をそらした。
いつも本当にタイミングよく来る。それに彼が来るのがいつも自分はわからない。
「…月を見てました」
「一緒に歩いていい?」
小さくうなずいた。
泣いていたのがばれそうなのが嫌だったので、うつむき加減に歩く。
何も言わずに歩き出すとレイニが隣にならび歩き出した。
「何を考えてる?」
おそらくいま一番言われたくなかった。
自分が、全てを終わりにしようかどうしようか悩んでいるなんて、とてもじゃないが言えない。同時に少しだけ頼りたいのも事実だった。
でもこの自分がこの人を頼っていいのだろうか。
街で彼が虫をつぶしていたのを思い出す。
あんな風に人のために動いていたのに、自分はこの街を見捨ててもいいかなんて考えていた。
その自分が?
「自分がそんなにいい人じゃないなって…」
「…そう?」
「…意外ですか?」
何か腑に落ちないような返答に思わず彼を顧みる。
癖のある長い髪で顔が隠れているものの、いつもより顔色があまりよくない。
汚染が相変わらずまとわりついているのに、一方で彼自身のエネルギーが増しているというか、活性化していて、普通ならばしんどいだろうに平静なように見えるのが不思議だった。
思わずまとわりつく汚染を吸い取る。
「お、楽になった」
そういう彼の少し顔色がよくなった気がする。
こちらを見て彼がふっと笑う。
思わずどきりとして目を見開いてしまった。
レイニが大きな手で自分の髪をなで、そのまま滑り込ませて頬を撫でる。
「いい人じゃない人なんてそこら中にいる」
さっきの話しの続きが出るとは思わず驚いた。
「何を悩んでいるのかわからないけれど、いい人じゃない人なんてそこら中にいる。むしろ完全無欠のいい奴がいたら俺ならいやだけどな」
「どういうことですか?」
少しだけ見上げると、彼がにやりと笑う。
「清廉潔癖できれいごとばかりのたまうやつよりも、ちょっとぐらい腹黒い方が人らしくていい」
「…」
とっさに自分のことが浮かんだ。
過去の色々な自分。
思わず一歩後ろに引き下がる。彼の手から逃げるみたいだった。
わからない。
ちょっとぐらいで済まされるんだろうか。
何かをしたかといわれたら、自分は何もしていない。
でも自分のこの真黒な感情を必死に抑えて、それを言い訳にして何もしなかった。
言われたことだけやるのが自分だからと、指示しないことを言い訳に色々なものを見過ごした。
助けてという人を助けなかった。
人に触れるのを極端に恐れて、それを強さと思いこんで、自分が実は臆病なのをごまかしてきた。
「どうした」
「私は…人と一緒になんていられない」
声が上ずる。
こんなの見せたくなかった。
自分たちをはめた人たちも呪わずにいられない。
でも人が不幸になるのを思わず願うような自分もあの人たちと変わらない。そう思うと、大嫌いだった。そんな自分が誰かと一緒になんていられない。
さらに一歩と下がりそうなところを腕を取られて抱きすくめられた。
「大丈夫、俺は結構腹黒い。たぶん周りが考える以上にね」
彼の声は優しく体に染み渡るようだった。もう何も言わないでこのまま何も知らなかったらと思えるほどに。でもできない。
「あなたが悪い人なら、俺は大悪人だけどね。」
「…私は、言えないです。言えないほど、悪いことをいっぱい考えている」
「なら同じ」
彼が頭をなでる。手が気持ちよくて、思わず涙が出る。
「それに意外と悪人も一人にならない。」
「そう、ですか?」
思わず見上げた。そこには優しい顔をした彼がいる。
うんと彼はうなずいた。
「そう、だから一人になるかどうかは解決策じゃないし、ならいっそいて見えるところで迷惑かけてるほうがいい」
教会の自分の兄弟たちが頭に浮かんだ。
迷惑かけていいのか。
少し胸のつまるような息苦しさが抜ける。
声を殺して泣いた。
彼の手が優しく撫でてくれるのに甘えて泣き続けた。本当はそんなのを受ける立場でもないのにそれを言えなかった。
「何があった?」
優しく聞く彼にただ首を降った。
「…昔のことを…思い出して」
「むかし?」
いえなかった。
うまく説明できる気がしない。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「拒絶は何も生まない。祖母の言葉で、俺はあの人の言うことが好きだった。」
いきなり何を言い出すんだろうとレイニを見た。
彼はやさしい顔をして、私の涙をぬぐった。
「おばあ様?」
「うん、だいぶ前にね。一族が短命なのか病気で家族が死ぬことが多かった。まあ、祖父と祖母は寿命を全うしたって感じだけれど、父も急だったけど他界した。」
「そう、だったんですか」
そんな風には見えなかった。
「父が亡くなる時は本当に急すぎておれがまだ学院で勉強中だったから、まだ卒業できてない。それだけ見るとだめな学生なんだよな。誰もいないって思っても、嫌でも人がいた。嫌な人だから人がいるって思えなかったけどね。いい人が周りにいることを望むものなんだなって思ったよ。腹が立って嫌な奴らをいきなり飛ばしたけど」
「とば…え?」
何を言ってるんだろうか。頭がよく働いてないからわからない。
「いや、こっちの話し。でも飛ばしてみてわかったけど、その人たちがいたから成り立ってたものがあった。やることが増えたし、色々あったし、嫌なことをさんざん言われたけれどそれも広く見れば自分を含む周りのためだった。でもその時は受け入れられる気がしなかった」
それはわかる気がした。
「だから何かを言われないように仕事をしたけれど、それはそれであんまりうまくいかなかった。理由がよくわからなかったけれど、ひとつわかるのは自分が認めてなかったってこと」
「なにを?」
「自分が拒絶してた。切り捨てて改めて始めたらうまくいくだろうと思って、周りのせいにばっかりしてた。自分がやってるように見えて、誠実にやってなかった」
それは自分もそうかもしれない。
「どっかの誰かが不器用なくせに真面目にやってるのを見てそう思った。だから自分ももう少しまじめにやってみようかって思った」
「…そんな人がいるんですね」
ニコニコしだしたレイニが不思議だった。
「大丈夫。君がそうだから」
「はい?」
頭を撫でられながら、聞き返す。
「君がその不器用でまじめな人だから俺を変えたのは君だよ」
耳元でささやかれ顔が一気に赤くなった。
「私は、何もしてないです」
「そうだな。でも俺からするとそう見えたことが俺には大事だった。」
「私が、不届き者だったとしてもですか?」
レイニが思わず吹き出す。
「時々面白い言い方するよね」
「…」
恥ずかしい。
他に言い方はなかったんだろうか。
「人でも殺した?」
「そんなことはしてません」
「じゃあなんだろな。どう不届きかわからないけれど」
レイニは私の手を取って、そっと手の甲に口づけた。
「おれもそこそこだから」
「そこそこってどういう意味ですか?」
「悪い程度ではそこそこ悪いことをしているよってこと」
不思議と今までのすさんでいた気持ちが少し軽くなる。
「俺と一緒にいよう。」
自分を見つめていうレイニは、時折見せる冷たさが全くない。
こんな風に見つめられると、このまま一緒にいる選択でもいいのかもしれないと思う。
『そしたら自分の過去はなくなるの?』
どこかの自分がささやいてぞっとした。
ついさっきも見放そうとしたじゃないか。
「…俺は君と一緒にいたい」
「…やらなくちゃいけないことがあります」
レイニがいぶかしげな顔をする。
ようやくそれだけを絞り出すように言った。
どの過去かもわからないひどく冷めたそして悪意に満ちた自分を思い出す。
教会員なのに、あれだけ人を恨み、人を拒絶し、助けられる人を見捨ててきた。
せめて自分が今までしてきたひどいことの代わりに、私は責任を取らなくちゃいけない。
「あなたの、おかげです。感謝してます。私は一人では踏み出せなかったから。」
今までの自分の身勝手な逆恨みでどれだけの人を見捨ててきたんだろう。
そしていまだに自分はあの日々を忘れられず、恨み続け、神様の思いにもこたえられていない。だからこそこれで安易に返事ができない。
そしていつかわたしは、こんな自分をこの人にさらけ出さないといけない。
いまならまだ逃げられる?
ふと浮かんだ考えに驚いた。
仕事を盾に、自分と向き合わず人と向き合わず、逃げるという選択肢がある。
「それは仕事のこと?」
レイニに尋ねられて、ゆっくりうなずいた。
うなずきながらも目が合わせられない。
そうか、私は人が怖いのか。人にどう思われるかが怖い。何もしてないくせにといわれるのがこわい。
レイニに私がどんな人か知られるのが怖い。
「…やることがあって、でも昔のことを思い出したら、できなくなりそうでした。でもいまは、少し頑張ろうと思ってます」
「君はいなくなるのか?」
いきなり要点を突くような質問をしてきた。
はっとしてしまい思わず、色々な感情を考えを自分の中に隠し込む。その勘は一体どこから来るんだろう。
いなくなるかといわれたら、今はわからない。
私はどうするのか、まだ決められていない。
そのままどこかに逃げられたら楽なのかもしれない。
逃げるのではなく、終わりなのかもしれないけれど。
「…わたし、いきます。」
いまなら、まだ逃げられる。
フードをかぶりながら思う。胸が痛い。
このまま何もなかった方がいいかもしれない。きっと自分も相手もつらい思いをしなくて済む。
思わず口を突いて出た。
「さようなら」
言うなり腕を掴まれた。
何事かわからないままに強引に引き寄せられ、口づけされていた。
腕をつかむのは痛いくらい強引なのにキスは優しい。
この人の温かさが自分の中の何かを溶かしていくようだった。
「今のは本当にさよならするつもりの言葉にきこえた。」
涙が見る見る間にあふれた。
その通りだった。
でも何も言えない。
「私は、悪い人間なんです」
「それでもいいよ」
さっきもいったけどね。
涙がぽろぽろとこぼれる。
レイニがぎゅっと抱きしめた。
「あとででいいから、話せる時が来たら教えてよ。君がどんなに悪い人間かを」
怖くて思わず首を腕のなかでぶんぶんと振った。
「大丈夫。俺も言った通り、そこそこ悪い」
自分はいま、かなりきたないのに、戸惑うことなく抱きしめてくれるレイニの腕がいとおしい。
このまま甘えて、すがって何も考えられなくなったらどれだけ楽か。
数年分の涙をだしきるようにレイニの腕の中で声を殺して泣いた。
レイニがそれを許すみたいにずっと付き合って頭をなでていてくれた。
「…必ず帰ってきて。帰って来なかったら迎えに行く」
矛盾しているのは重々承知しながらも、思わずうなずいた。




