35 黒雪:神様とゲーム
彼は神様で、小さな地域を守る土地神様だった。
厳しい気候ながらも本当にほそぼそと穏やかに慎ましく、私たちが暮らす土地だった。
そして私は彼を神として信じる人たちの一人だった。暮らしていたのは最北に近い北の土地だった。氷と雪に閉ざされ、生き抜くだけで厳しい世界だった。
だから神様の存在が大事で、日々の糧を得られたときはとても感謝した。
その彼を、あの日々を忘れていたなんて信じられなかった。
私はずっと、記憶があるのは孤児院だと思っていたが、正確には違かった。孤児院に行く前、私はその北の果て、氷と雪の世界で暮らしていた。
神様とゲームが始まった前後をあまりよく覚えていない。だからあそこからどうやって孤児院に行ったのかはよく覚えていない。
ただこの少年は、ほかの神と違って神らしい感じがなく、あまり力もなく、失礼だけれどすごいことができなかった。自分たちと、あともう一つの部族によって、ひっそりとあがめられた神だから仕方がないかもしれない。
信じる人の数や思いの強さの比例して、神は力を持つものらしいから。
得られるご利益的なものは、虫歯にならないとかそんな程度で子供心にも驚いた記憶がある。
でも彼が自分たちをよく見ていてくれる気はしていた。そして母も父も数少ない自分の友達たちも、彼が大好きだった。
毎日、祈りを捧げ、喧嘩したり、失敗したりしたら、神様に話しかけに行っていた。土地がやせていて生きていくのが厳くても、日々に感謝してたのは神様のおかげだった。
それを彼も幸せに思ってくれてるならうれしいと思っていた。
そんなつつましい日々は、私が5歳か6歳ぐらいで崩れた。
それはある日、突然来た。
ある夜、外が騒がしい気がして寝床から起きた。ぱちぱちと暖炉で火がはぜる音がする。いつもと何も変わらない。だけれど毛布の中から見た父と母は険しい顔をして話をしていた。
何を話しているんだろう。
そして母はなぜか荷造りをはじめ父は扉のそばで聞き耳を立て始めた。
「おかあさん、どうしたの?」
私が声を出したことに、ぎょっとした顔でこちらを二人が見た。
起きていたと思わなかったらしい。寝間着のまま起きて居間に来た自分を母は走り寄って抱きしめた。
まずかったのか。
今ならわかる。外で起きてしまったことをどうやって私に伝えるかわからなかったうえに、外に私の声が聞こえるのを恐れたのだ。
「ああ…、しっかり聞いて。これから外へ行かなきゃいけない」
「どうして? お外はまだ夜だよ?」
外を見た時には、私は何が起きてるのかわからなかった。
窓の外が赤くなっていた。
夜の暗い空と対比して、恐ろしい色に見えた。なんで赤い? 白でも黒でもなく、なぜ赤なんだ。
「…これからいろいろなことが起こるけれど、よく聞いて。あなたは何も悪いことをしていない」
「お母さん?」
母の顔を見た。
涙をこらえる母の顔はこんな時でもきれいだった。
輝くような銀色のまつげも、髪も、いつもキラキラしていた。
子供心に母を見るたびにどきどきしたのだ。その母が涙を浮かべながら自分の頬を撫でている。
「しっかり聞いて。あなたは何も悪くない。私たちの大事な子。これから信じらないことが起こるかもしれないけれどあなたは何も悪くないの」
お母さんは私に話しかけながら、服を着せていく。それも外に出る時の一番しっかりした恰好。
「お母さん…」
不安しかなかった。
「それから、こんなことをしなくてはならない私たちを許して」
耳の当たりに鋭い痛みが走る。
お母さんが自分の口を押え、何かを耳に押し当てた。
「…!」
信じられないような痛みが走る。それも両耳に。泣きながら叫ぶのにお母さんが口を押えたまま、離してくれない。
ごめんねと何度も言う母を泣きながら見上げた。
母は自分の耳を何かで抑えて、そして包帯をぐるっと巻くとそのまま帽子をかぶせる。
「あなたが、この一族だってばれないように、ばれないようにしないと。生きて。生き抜くの」
お父さんが小さな声でお母さんを呼ぶ。
その時、扉がいきなり大きな何かをぶつけられるような音がした。
お父さんが扉を抑え、早くという。
「いい? 音がしなくなったら、裏のドアから逃げなさい。小さくなって、息を殺して。これはかくれんぼだから、絶対に見つかったらいけない。」
「おかあさん」
違うと思ったけれど言えなかった。怖くて、もう震えだしていた。
おかあさんは、私に小さな荷物を持たせると、部屋の奥にある食料庫の奥に私を隠した。
「じっとしてるのよ」
それが最後の言葉だった。扉がけ破られる音。
叫び声。裏のドアが開いてる。そんな声が聞こえた。
そしてはっきり聞こえたのは。
「逃がすんじゃない。一人残らず人買いに渡すんだ。俺たちがあいつらとの条約の痕跡も消すからな!」
意味がわからなかった。
何を言ってるんだろうと思ってた。
ただこの声は、一緒に暮らしていた別の部族の叔父さんの声だということはわかった。
いつも厳しくても優しいおじさんで、おじさんの子とも一緒に遊んでいたのだ。
そして父と母からはいつも言われていた。
『自分たちはこの見かけがおとぎ話に出てくるエルフに少し似ているから、昔、大陸で追われていたことがあるの。でもその自分たちをかくまってくれたのがいま一緒にいるルチヤ族だから、仲良くするのよ』
そう仲良くしていたのだ。
この北の大地で先住民族といわれていた彼らの一角に住まわせてもらい、そして一緒に生きてきた。
そうだったよね。
何度も教えてもらったことを頭の中で反芻しながら、混乱しかなかった。
聞いたこともないような怖い声。そして外の罵声に怒号。
怖かった。
落ち着いたのは少ししてからだった。静かになり始めた。
出ていいものかわからず、食料の間から顔をのぞかせると、部屋の中にはだれもおらず、風がひゅーひゅーと音を立てていた。誰もいなくなった様子を確認して、ひっそりと食料庫から音をたてないように出た。
全てが変わった気がした。足が、手ががくがくと震えて、歩き出すのも怖かった。けれど、お母さんとの約束を守らなければいけなかった。
裏のドアから外を伺うと、まだ夜中らしく暗かったが、月が奇麗で周りがよく見えた。だれもいるようすはない。
そっと足を雪の中に踏み出した。
だから私は気が付けなかった。少し歩き出してから、叫ぶ声がしたときは、全身の血が引く気がした。なぜばれたんだ。わからなかったけれど、とにかく全力で走った。
あの…、白い…
途切れ途切れに声が聞こえた。
男の人たちが叫んでいる声だった。
それを泣きながら聞いて、わかった。
頭を隠してなかった。自分たちの髪は白くて、月の明かりによく反射した。
ルチヤの人たちは黒い髪で、よく言われた
『夜にかくれんぼしたらすぐにわかるね。だって君たちは、きらきらするもの。』
ぞっとした。足が雪にとられ思うように進まない。
怖くて涙がぼろぼろ出て、前がかすんだけれど、とにかく進むしかなかった。良く見えなかったから、足を踏み外したこともしばらく気づけなかった。
崖から落ちていた。落ちた後、動けなかった。
仰向けになった自分は空に輝く月が、自分を見下ろしているように見えた。遠く上のほうから声が聞こえたが、もうそれも徐々にわからなくなってきていた。
なんでだろう。
動かなきゃいけないと思ったのに動けなかった。
「動いちゃだめだ」
声がした。
でもこれは声なのかわからなかった。
ふと見るとすぐそばに小さい男の子がいた。この場にそぐわない服装だった。赤い蝶ネクタイに白いシャツ。短い金髪に、ぽっちゃりとした頬。
すごく悲しそうな眼をして、ぼろぼろ涙を流しながら、自分のそばに立っていた。
「君は大けがしてるから、動いちゃダメ」
ふっと見た自分の腹部になにかが出ていた。
ああ、落ちた場所が悪かったんだと思った。お腹から枯れた木が飛び出していた。
体から体温がどんどん抜けていった。
「守ってあげられなくてごめん」
全てを聞いたわけでもないのに、わかった。
この人が自分たちが毎日お祈りを捧げていた神様なんだと。
「ゲームをしよう」
何を言ってるのかと思った。
この氷の世界で。
「私には、もう何もない」
「大丈夫。君がゲームにかけられるものがある」
彼がいったのは意外な一言だった。私の願いは、脳内をめぐりめぐった。あの恐ろしい映像。今まで仲の良かった人達がまるで違った表情をして、自分たちを追いかけてくる。そして母たちが泣き叫び、苦しそうな顔をしている。
怖い。
こんなのなかったことにしてほしい。
そう。私の願いは。
『私の一族の記憶を、どうか消して、私たち一族が苦しまないようにしてほしい。』
私のあの氷の世界での願いだ。なぜ忘れられたんだろう。
擦り切れるほどに疲れて、感情を感じることにも疲れたのに、涙が出そうだった。
それから自分と神様のゲームは始まった。私は何をもってしても人を好きになれなかった。過去を変えることはできないから、自分が孤児院にいたところからだいたい人生は始まった。
神様はすごく努力をしたけれど、私を人に打ち解けさせることができなかった。何度か繰り返す人生の中でたいがい私は孤児院に助けられ、中央教会に引き取られ、姉に教育を受けて教会員となって仕事をすることが多くなっていた。
でもそれまで。
鉄のように変わらない表情と、望みを持たない態度で、人ともずっと距離をあけて生きてきた。
そのうちどこかのタイミングで、ルチヤの一部の人が、自分たち一族をエルフに似ているからと取引していたことを知った。
おぞましかった。本当のエルフならきっと彼らは手が出せなかったんだろう。でも自分たちはエルフに似ているただの人間だった。そして北の世界は生き抜くには厳しすぎる世界だった。
大きくなってから北を見に行こうかと思ったこともある。だけれど、見に行って何ができるわけでもないし、自分の風貌で同じ目に合うわけにはいかなかった。
そしてもう一つ気づいた。自分の耳が、昔からぎざぎざとちぎれたようになっている理由。
ぞっとした。
似ているのは、ただ耳が長いということだけかもしれなかった。
そのことに気づいて、そんなことで自分たちは襲われて売られたかもしれないことに、何度も吐きそうになって、自分の顔をみるたびにおぞましさに襲われた。
だから隠した。耳も髪も顔も。自分の一族に会ったら、なんて言ったらいいかわからないから。自分が、この見た目のせいで、人を恨んでも恨み足りないくらいの気持ちになるから。世界が憎くてしょうがなくなるから。
何度目かの人生で汚染が吸い取れることがわかった。吸い取ると自分が汚染にまみれ、黒くなり、人が遠ざかっていった。
自分が望んでいるのだと思った。黒い汚染まみれになることも、その汚染もたまりすぎると自分が苦しい思いをしながら引きずり出さなくちゃいけないことも、自分が望んでいるんだと思った。
ゲームで人を好きにならなければいけないのに、汚染まみれになると人が離れて行くことに喜びを覚えた。違う。人が汚染にまみれた自分を見ると少なからず怯え恐怖を覚えることが密かな快感だった。
これは私の復讐だと気づき、そんな自分が嫌でたまらなった。だから汚染を抉り出すのが、痛くて苦しくてしょうがないのも、自分への罰だと思った。
もう自分でも限界だと思った。
憎くてしょうがないのに、憎みきることもできず、おかしくなりそうだった。
そして少年の神様は私を異世界に飛ばした。たぶん彼にとっては人生において最大の大きな仕事だったかもしれない。何もかも違う異世界に飛ばした。
そしてあまりにも違うからか、私はそれまでの過去を忘れ、自分の顔も平凡になったけれど、平凡な人生のまますべてを忘れてた。
でもゲームはそのまま死ぬことを許さず、時間切れでドローになった。
何度目かのドロー。
そしてまたこの世界で始まった。
日本からの記憶がそのまま引き続いてしまい、それまでの過去を忘れたままだった。
だから今回は少し違ってただの人付き合いの苦手な黒雪だった。




