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34 黒雪: 彼と私の喪失の物語

まっしろな空間にいた。

目の前に誰かががいる。

ここがどこなのかよくわからない。彼しか見えないし、そもそも自分が目で見ている感じがない。汚染を吸いすぎて脈しか見えなくなった時に似ている。

でももうあまり関係ない。聖堂は中身を吐き出した。仕掛けた貴族はその罪を皆の前で暴露された。

償わなければいけなくなるだろう。つまり物語は終わりに差し掛かっていて、自分がどうだろうと、自分がほかの人を見えなかろうとあまり意味をなさない。

蒼志が黒い獣は片付けるだろうし、流れが起きたなら、あの国はなんとかなる。

「終わりが近いね」

誰かが終わらせないかのように言った。

目の前の誰かが急にはっきりと見えた。

ぽちゃっとした頬に、赤ら顔。短い金髪で、くすんだ青い目のかわいらしい少年だ。

ニコッと笑うとこちらまで気持ちが明かるなるようなそんな笑顔で、かれは白いシャツに小さなネクタイ、紺色のサスペンダー付きの短パンを履いていた。

ちょっとぽっちゃりしているお腹が丸みをおびえている。

よく知っている。

私は彼をよく知っている

「いま、ちょっとだけ時間がある。僕たちが終わりを迎えるための時間かな」

「…もうすることなんてない」

私は疲れ切ったし、やることはやりきった。

少し引っかかることがあるけれど、それは胸にちくりと刺さるけれど、でももうなくていい。

「そうじゃないでしょ」

少年がにっこりとほほ笑んだ。

「今は審議中だよ」

「…なんの?」

うつむいたまま希望もないまま、つぶやいた。

「神々がこのゲームの勝敗を審議中なんだって。あれは勝利にあたるかどうか。」

そもそもスタートがおかしいゲームなのだから、審議してもとは思うけれど。

少年はそれを察したのか、悲しげに微笑むと話を変えた。

「…君が泣いてくれたの嬉しかったよ。」

「見てた?」

私が言うと少年がうなずいた。

「あの夜、君が思い出してくれたのは、よかったんだと思う。まさか君が違う世界に行くと、記憶を無くすとは思わなかったんだ。」

「そうだね。」

確かにそうだと思う。彼は、この小さくて可愛らしい子は、そんなことができるほど有能でもなく、ちょっとポンコツで、そこも自分と似ていて、器用に振る舞えない。

「最もそんな器用だったらこんなことしないと思うんだ。」

「そうだね。」

私はもう一度言った。

悲しくなる。私と彼の長く無意味にもなりかねないこのゲームは、かなわないものを求めている。

「でもそろそろ終わりにしないと。僕はもう力がなく、君はこの人生でためられるだけの汚染を溜め込んで、つまりどうしようもなくなってしまった。」

「…」

それもわかっていた。きっとこの少年も。

お互い無益なことをいっぱいした。

きっと誰も知らない。

私たちの本当の苦しみと努力を、私たち以外知らない。

「僕が僕の望みを叶えたかったのは、僕の大好きな人たちに笑っていてほしかったから。だから、せめて君だけでも笑ってほしかった。」

ぽっちゃりとした頬を膨らませて、泣きながら少年は笑った。

「君が生き残って笑ってほしい。君が誰かを好きになって、誰かに愛されて、人生を楽しんで喜びを感じて生き続けるという希望を抱いてほしかった。でもそれは絶望しきっていた君には本当に酷だったと思う」

私は首を振った。これは私と彼の共同作業だったから私だけが苦しいことはなかった。

「そして君は、僕の願いがかなったら、君がこのゲームの勝ち。それがこのゲームのルール。君の願いも叶えられる。」

 少年が少し赤い目で笑った。この人はこんな現実とも肉体とは関係ない世界でも肉体の影響を受けている。本当にどこまでも人っぽく、どこまでも優しい力のない私たちの神様。

そう、私は日本人ではなかった。

この世界の人で、この世界の北に生まれたれっきとしたこの世界の人間だった。

見た目のためだけに売られかけ、友と、家族を失い、見た目以外価値のないという汚名と屈辱を受けたまま途絶えようとしている一族の一人で、この小さな神様とずっとゲームをしていた。

このお互いに不毛とも言える願いを叶えるために、ゲームとは名ばかりの共同作業をしている。

彼は唯一の生き残りの私が生きることを願った。

私が誰かを愛せば私が勝つというゲーム。

でもゲームで私が勝てば負けとなった神は消える。彼は力を使い切ってしまった。私は誰かを愛したら、私は友人たる彼を失い、彼は願いを叶えたというのに消える。長い間一緒にいた愛とは違う大好きな人をお互い失うことを意味してる。

つまりこれは、私もこの小さな神様も何かを失う喪失の話だ。



自分の認識がぐるりと変わったのは実はちょっと前だった。

ずっと彼のことを忘れていたくせに、私が彼のことを思い出したのは、なぜだかわからない。

月が異様にきれいな夜だった。眼前に広がる海、そしてその海の上に月が高く大きく上り、海面が夜なのにキラキラと輝いて遠くまでよく見える夜だった。

それはもしかしたら、自分たちの始まりのあの夜に似ていたからかもしれない。あの夜も夜とは思えないくらい、月明りだけで明るくて、思い出したこの時もその時と同じく死ぬほど疲れていた。

だからかもしれない。

街で異様な汚染の増加を感じて聖堂から急いで向かう途中だった。あとからわかったが、虫が皇都で沸いた時だった。海から回り込んで、城下町にいくため海岸に降りた。

ふと自分の視線の先に誰かがいた。ぽつんと、こんな夜中に、たった一人で少年が立っていた。

ああと思った。

過去にも見たことがあった気がした。

何かが脳裏をかすめた。それは少し前で、いえずっと前で。

また何かが脳裏をかすめる。私を遠くから見守るそれ。思わずその誰かを確認しようとふらふらと、そっちに向かって歩き出した。

灯りなんて必要ないくらいに明るい夜で、月の光で影ができるほどだった。

踏みしめる砂の音が、何かに似てる。深く足を取られる感触も、踏みしめるたびに小さくなる音も、何かにとても似ている。

胸がキリキリと痛い。

なんで自分はこの大事ななにかを忘れられていたんだろうか。

近づいて見えたのは、背が低く、薄い金色の髪に色白で、ちょっとぽちゃっとしてる少年がいた。この場に似つかわしくない紺色の短パンに、白いシャツ、サスペンダーをつけていて赤い蝶ネクタイが可愛らしかった。

その彼が私を見てにっこりわらった。

「こんばんは。」

その親しみある声音に思わず、うなずいた。

「月がきれいな夜だね。」

そう。

言おうと思ったけれど声が出なかった。

「元気だった?」

少年に聞かれて思わず首を降った。

おかしい。おかしいのはこの少年の声を知っている自分であり、そして同時に忘れていた自分だ。

「そっか…。こうして面と向かって会うのは、その、すごく久しぶりだね。」

そうだね。

心の声は答える。

涙が伝った。

「辛い思いもたくさんしたと思う。ごめん。」

なんで謝る? これはそういう話じゃない。

涙があとからあとからこぼれる。

私も謝らなくちゃいけない。

「…ごめんなさい」

頭の中が様々な記憶で埋め尽くされている。

教会の仕事は何度もしていた。そう本当に、何度も教会の職に着いた。

遠くに飛ばされて、泥にまみれて汚染を処理した。日本で仕事に明け暮れて鉄面皮をかぶったかのように感情なく平凡な生活をしていた。そのもっと前も教会の仕事をしていた。あまりに幸せそうな人たちが憎くて、汚染があろうと、汚染獣がいようと、指示じゃないからと放置もした。

頭の中を様々な情報が駆け巡った。走馬灯のように映像が駆け巡った。

とても一生の人間ができる量の経験ではなかった。

だってそうだったのだ。もともと、これはそういう話だ。

私と神様で合意したのは、一度の人生で終わるようなものではなかった。

思い出した。頭がぐるぐるする。自分がこうだと思った大前提が崩れていく。これらは完全なる同意のもとに行った行為だった。

この少年と私の同意のもとに、ずっとずっと長い時間をかけて、さようならのための長い準備期間のようなものだった。

「思い出した?」

うなずいた。

「まさか君が違う世界に行くと記憶を無くすとは思わなかったんだ。」

私が日本で働いていた時を思い出す。さらに小さいときの自分を思い出す。でも見たことがない。更にもっと違う小さい時の自分も。

その小さい自分は体が血まみれだった。

なぜと思ったら耳から血が垂れていた。お腹からありえないほどの血が出ていた。真っ白な雪の世界でそこだけが異様に赤い。

その自分は上を見上げていた。

崖が見えた。遠く上に切り立った崖と冷たく吹おろす風にのって舞い降りる氷のかけら。

冷たく凍えた世界で急速に体温を失う自分の体。

氷の中にいる。氷の世界にいる。友も家族も血の通うような温かい繋がりもない氷の世界の中に自分はいる。その氷の世界で、少年が心配そうな顔でこちらを見ていた。

そう今自分の目の前にいる、この少年が氷の世界で終わりかけていた自分を見つけた。

「久しぶり。…神様。」

声は上ずり、涙がこぼれた。

少年はにっこりと笑った。

もうちょっとで終わるよ

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