27 レイニ:何が起きたとしても
城下町で汚染が爆発した後始末を、体調を理由にルニに丸投げしたものの、貴族やらついでにティドーまで詰め寄ってきて大変だった。
何も動かない奴らが的外れなことばかりわめくのが時間の無駄以外の何でもない。
そしてクアドラが来なかった。
サイの店での話を実行しようとしているのか。汚染されたせいで印が痛むし、貴族らのせいでいらついてしょうがないしで考えがまとまらなかった。
解放されたのは深夜も近いころだった。体の疲れは時間の経過とともに取れたが、印はぎりぎりと痛みを増す。理由なくイライラがましてとてもじゃないけれど、寝るどころじゃなかった。
城を出て聖堂のほうへと歩き出す。おそらく彼女がいるのではないかと思ったのだ。
しかし実際には、違うものがあった。
聖堂への道の開けたところに、あからさまに人目につくように誰かが倒れている。
「…サイ?」
死んだか。
心臓を掴まれるかのような驚きとともに、サイにかけよる。黒く汚れた衣服に、皮膚がただれている。
しかし胸が小さく上下していた。息をしている。
少し安堵するとともに、彼に触れてみると、皮膚がただれていてもあの汚染でひりつく感じは何もなかった。外傷はあるものの、状態はそんなに悪くないのかもしれない。
ぴゅいっと指笛で人を呼ぶ。
「誰かいないか」
少し離れたところから人がくる音がして、衛兵が二人きた。
「診療所に空きがあるか確認して最優先でみせもらえ。」
驚きつつも、対応しようとする衛兵を残し立ち上がる。
「どちらへ。」
声をかける衛兵を無視し、聖堂へ向かった。
サイは彼女がやったのだろう。つまりあの青い男は律義にも約束を守ったというわけだ。まあ、あいつが実際にやったわけじゃないのだろうというのが微妙だが。
聖堂をのぞき込んでも誰もいない。なんとなくぴんときて城壁を上り、海のほうを見下ろす。
月が満ちて、海を明るく照らしていた。
いた。
月明りに輝く髪を見間違えるわけもなく、ほっそりとした体を黒いあの作業着を着たまま歩いている。
いつも思うけれど、あれだけ周りを気にしているくせに、時折こんな無防備になるのはなぜだろうか。いまもまた心ここにあらずといった感じで歩いている。
城壁を飛び降り、断崖を足場を使い下りていく。
こちらに一向に気づく気配のない彼女に、後ろから近付いて声をかけた。
「何してる?」
驚きと悲しみが入り混じったような顔に、胸が痛んだ。
何を考えているんだ?
彼女に何が起こった気がした。
「…月を、見てました」
「一緒に歩いていい?」
少しの間とともに彼女が小さくうなずき、うつむき加減に歩きだす。
その横顔が月明りに照らされて、いつも以上に美しく、それでいて青白さがはかなく見える。
何も言わない彼女の横にならび歩き出した。
何かを考えているのはわかる。不安定に揺らぎ、今にも手から逃れてしまう感じがする。
「何を考えてる?」
彼女の肩がびくっと震える。少しの間のあと、小さく話し出した。
「自分がそんなにいい人じゃないなって…」
「…そう?」
自分に比べれば何がと思う。
「…意外ですか?」
正直、意外だ。
彼女はただの馬鹿正直というわけではないが、この真正直、真面目を絵にかいたような人が、いい人じゃないと自分のことを言うとは思わなかった。
考えてる間に、彼女が自分のほうに向けて何かを取るようなしぐさをする。
体が軽くなり、同時にいらいらもおさまりつつあるのがわかる。
「お、楽になった」
彼女が何かを実際にとってくれたらしいが、彼女が教会員というのはしらないという体でふるまっているので、はっきりとは言わないままでいる。
それでも俺が言ったことに、彼女が驚いたように目を見開き、そして少し微笑む。彼女の青白い頬が、少し赤みおびると、ますます可愛らしく思える。彼女の頭をなで、そのまま彼女の髪の中に手を滑り込ませる。結んでいない髪はなめらかで、そのまま手を滑らせるように頬を撫でる。少しだけ顔を上向かせると、白いあの奇麗な目でこちらを見る。ぞくぞくする。
こんなに近くにいるのになぜか彼女がこの手をすり抜けてどこかに行ってしまう気がする。
何を悩んでいるのかはわからないが、それでも彼女を引き留めたかった。
「何を悩んでいるのかわからないけれど」
彼女の頬を撫でながら言う。
「いい人じゃない人なんてそこら中にいる。むしろ完全無欠のいい奴がいたら俺ならいやだけどな」
頭の中をクアドラやティドー他にも何人かが浮かぶ。
あいつらが悪い奴かというとそうは思わない。だけれど、悪意や根回しで頭を無駄に使っているのも確かだろう。
「どういうことですか?」
彼女が自分を見上げる。
「清廉潔癖できれいごとばかりのたまうやつよりも、ちょっとぐらい腹黒い方が人らしくていい」
「…」
彼女はおびえたような様子で思わず一歩後ろに引き下がった。自分から逃げるみたいに。
わからない。
「どうした」
「私は…人と一緒になんていられない」
彼女の声が上ずる。
動揺した彼女の表情からも、彼女が真剣なのがわかる。
それでも残念ながら、震える彼女の声も、あの白い目も、自分がしている悪いことに比べればおそらく大したことはなく、それでいて、自分を煽るのには十分だった。
「大丈夫、俺も結構腹黒い。たぶん周りが考える以上にね」
彼女が怪訝そうな顔をする。
「だからあなたが悪い人なら、俺は大悪人だけど。」
「…私は、言えないです。言えないほど、悪いことをいっぱい考えている」
「なら同じ」
彼女の頭をなでる。なでている自分の手も気持ちよく、この時間をずっと独り占めしたい。
彼女が目をしばたたかせ、目じりに涙が浮かんでいるのがわかる。
「それに意外と悪人も一人にならない。」
「そう、ですか?」
素直な子だなと思う。
涙を浮かべた目で見つめられると理性が吹き飛びそうになる。
「そう、だから一人になるかどうかは解決策じゃないし、ならいっそいて見えるところで迷惑かけてるほうがいい」
それでもいいから、そばにいてほしかった。
後始末はいくらでもする。
こちらを見る目がそれて遠くを見る。海に浮かぶ月の光を目で追っている。
何か嫌な予感がする。
「何があった?」
「…ただ思い出しただけです。昔のことを」
「むかし?」
何かあったのは予想に外れない。だけれど彼女には荷が重いのかもしれない。
「それは言えないこと?」
彼女がうなずいた。
「君はいなくなるのか?」
何も言わなかった。
沈黙だけが支配する。
「拒絶は何も生まない。祖母の言葉で、俺はあの人の言うことが好きだった。」
「おばあ様? もうお亡くなりに?」
「うん、だいぶ前にね。俺の一族は短命で病気で死ぬことが多かった。まあ、祖父と祖母は寿命を全うしたって感じだけれど、父と母も急だったけど他界した。」
「そうだったんですか」
「父が亡くなる時は本当に急すぎておれがまだ学院で勉強中だったから、まだ卒業できてない。それだけ見るとだめな学生なんだよな。使えるやつなんて誰もいないって思っても、嫌でも人がいた。嫌いだから人がいるって思えなかったけどね。自分が勝手に自分にとっていい人が周りにいることを望むものなんだなって思ったよ。後々だったけどね。当時は腹が立って嫌な奴らをいきなり飛ばしたけど」
「とば…え?」
当時を思い出すといまだに腹が立つ。
しかし自分が役職を解雇した老年の人物は多い。
彼女が心配そうに何かを祓うしぐさをする。イライラが和らぐのがわかる。
「いや、こっちの話し。でも飛ばしてみてわかったけど、その人たちがいたから成り立ってたものがあった。やることが増えたし、色々あったし、嫌なことをさんざん言われたけれどそれも広く見れば自分を含む周りのためだった。でもその時はうけいれられる気がしなかった。だから何かを言われないように仕事をしたけれど、それはそれであんまりうまくいかなかった。理由がよくわからなかったけれど、ひとつわかるのは自分が認めてなかったってこと」
「なにを?」
「自分が拒否してた。切り捨てて改めて始めたらうまくいくだろうと思って、周りのせいにばっかりしてて、やってるように見えて、誠実にやってなかった」
やってると思っていたのは自分の言い訳だったのだろう。
うまく形がなっていれば、質は問わないときもあったし、周りを顧みてもいなかったのだから、いい仕事では決してなかった。
彼女をみていると不器用で自分に合わないくせに、自分よりも何かを優先させているのは、自分とあまりにも違う姿だった。
「どっかの誰かが不器用なくせに真面目にやってるのを見てそうおもった。だから自分ももう少しまじめにやってみようかって思った」
「…そんな人がいるんですね」
全くぴンと来ていない様子の彼女の頭をなでながら言う。
「大丈夫。君がそうだから」
「はい?」
耳元でささやく。
「君がその不器用でまじめな人だから俺を変えたのは君だよ」
彼女がびっくりして肩をこわばらせるのがわかる。
「私は何もしてないです」
「そうだな。でも俺からするとそう見えたことが俺には大事だった。」
「私が、不届き者だったとしてもですか?」
思わず吹き出す。
「時々面白い言い方するよね」
「…」
顔を真っ赤にしている。まずい言い方だったと思ったのだろう。
「人でも殺した?」
「そんなことはしてません」
「じゃあなんだろな。どう不届きかわからないけれど」
彼女の手を取って、そっと手の甲に口づけた。
「おれもそこそこだから」
「そこそこってどういう意味ですか?」
「悪い程度ではそこそこ悪いことをしているよってこと」
「そうは思えないですけど」
くすりと笑う彼女の顔は声とは裏腹に悲しげだった。
何かを決意している。俺の声も言葉も届かなくなるどこかに行こうとしている。
「俺と一緒にいよう。」
両手で彼女の手を取ると彼女に言った。
自分の勘はよくあたる。今を逃しちゃいけないとも思っている。それは彼女の能力が役に立つからとか、彼女が利用価値があるからとかではなく、彼女のような人が早々でてこないだろうからだ。
自分を恐れず、自分の付加価値で判断しない人は。
「…俺は君と一緒にいたい」
彼女の顔を覗き込みその目をしっかり見て言った。
驚いているのも照れているのもよくわかる。でも同時に、彼女が自分のもとをすり抜けそうな気がしてならない。
「…私にはやらなくちゃいけないことがあります」
彼女はこちらの意をくんだのか深くは追及してこなかった。
「あなたの、おかげです。私は一人では踏み出せなかったから。」
うつむきがちになると彼女は目を合わせてこなかった。
瞼が何度か瞬くのが見え、長いまつげが震えている。
「それは仕事のこと?」
尋ねると、彼女はうなずいた。
「…ちょっとやることがあって、でも昔のことを思い出したら、できなくなりそうでした。でもいまは、…少し頑張ろうと思ってます」
まだ不安がぬぐえない。
彼女の決意が悪い方へ向かっている気がした。
「わたし、いきます」
そして自分の手をそっとほどき、そのままフードを目深に被る。単に手をほどくというよりもつながりもほどくかのような。
そしてフードから垣間見える表情で弱々しく微笑むといった。
「…さようなら」
あまり何も考えていなかった。
とっさに彼女を引き寄せて、口づけしていた。
もう帰って来ない気がしてならなかった。
本当は今この瞬間も手を離してはならない気すらする。
「今のは本当にさよならするつもりの言葉にきこえた。」
言うと彼女が動揺するのがわかった。見る見る間に彼女の目に涙が涙であふれる。
「私は、悪い人間なんです」
「それでもいいよ」
本心だった。
それでもいい。どんなに悪くてもいい。
おそらく自分の悪どさにはかなわない。
声を殺し涙を流す彼女を離さないように抱きしめた。
「あとででいいから、話せる時が来たら教えてよ。君がどんなに悪い人間かを」
彼女が自分の腕の中で首をぶんぶんと振った。
「大丈夫。俺も言った通り、そこそこ悪い」
彼女の緊張が少しだけほどけた気がした。
この大真面目で一生懸命な彼女なら、どれだけ思い詰めているんだろう。
それすら可愛らしい。一方で冷静にどうやったらこの人を手放さないで済むかを考えている。
「…必ず帰ってきて。帰って来なかったら迎えに行く」
小さくうなずく彼女をもう一度ぎゅっと抱きしめた。
意外と自分がほれ込んでいることに驚きつつも、何かあまりよくないことが動いている気がしてならなかった。
もうちょいシリアスが続くよ。




