25 レイニ:部下のミスは上司のミス
自分の目の前で、サイの手が異常に震え始め、変な音を立てた時だった。
嫌な感じがした。
カウンターを飛び越えとっさに手を掴み、庇っている手ぶくろをはいだ。
「頑固ものばかりで困るな。これはなんだ?」
サイの手には、指が一本なかった。
これが剣を握れなくなった理由か。
そして目を引く痣のような印があった。
大きな1つ目のような印に醜い文字。
その痣が醜く歪み、皮膚の下で水疱が生きてるかのように膨れ、うごめいている。
「これは教会の忌みの印…」
「いや、教会の忌みの印に似せているが、これはダリルの呪いだ。」
サイの表情は恐怖にひきつったまま変わらない。
「お前、クアドラにそそのかされたな」
サイは首を降った。
「私はやってはいけないことをした。」
サイは片方の手で手首をきつく抑え込む。そうでもしないと震えを抑えきれないように。
抑え込んだまま、こちらを見てきた。
その顔はふっきれたようで何かを諦めてもいた。
「何をしたっていうんだ」
「…でも自分で選んだのです。カリウスが王位を望んでいると思ったから。クアドラと私は、あなたの言う通りですが、一つ違うのは上皇后を呪ったのではなく、教会を呪いました」
ぼごっと変な音がした。
サイの腕が、抑えている腕から先が、異様に膨れている。
「教会の印に偽装し、ばれても教会のせいにしようとしました。カリウスは自分を信頼していると言ってた、間違ってると言えなかった」
サイが天をあおぐ。
「だから私もクアドラも自分の体をダリルに捧げ、代価に呪いを得て、教会を呪いました。教会が動かなくなれば、教会は出ていき、もとのままの誰もが間違っていない世界になるはずだった」
「それが間違ってるんだよ」
サイが悲しげに頷いた時だった。
膨れ上がった手から、更に膨れ上がり、中から人の形が現われ、途中まで現れた体からさらに人の形が膨れ上がった。
男とも女ともつかない形。
サイの体よりも大きく膨れ上がったそれを、サイは茫然として見つめている。
サイの目から涙が伝う。
「私たちは失うことが多すぎて、それを取り戻すことを悪いことだと思えなかったんです、陛下」
目にしたものが信じられなかった。
サイの体から膨れ上がったものが理解できないうちに、とうとう爆発した。彼の手から黒い人の形をした何かが膨れ上がったと思ったら、爆発的に膨らみ、サイをあっという間に飲み込んだ。止める間もなかった。
サイを飲み込み黒い肉塊となったそれを見ながら、距離を取る。ぶくぶくと膨れ上がりながら、店の屋根を突き破る。
近くにいた住人たちが気づいて叫び声をあげる。
「やれやれ、昼間だっていうのに派手だな」
塊に呑まれないよう後ろに下がる。
父のことを本当に知らなかったと思いしる。
ダリルの呪いは、教えとは真逆だ。
万物に感謝する教えとは違い、一つに捧げ続けることで蓄積し、強力になる。もし捧げるものがなくなったら、最後はわずかに残った自分すら食われる。このサイのように。
肉塊の一角がぼこりと膨らみ、自分をつかみかかろうとする長い腕が関節をいくつも作りながら伸びてくる。
気持ち悪いな。
実際に目にするのは初めてだ。自分の間際をかすめるそれを殴って破壊する。
そこから黒い霧が吹きだした。
ひどい濃度の穢れだ。
あびると自分の印が痛む。昨日の今日でこれだとさすがに、痛みがひどい。
これからは破壊に向かって動くはずだ。
まったく大迷惑だ。
周りの住人たちのことを考える。彼らをこれ以上驚かせてしまうのは気が引ける。さっさと片付けないとな。
サイをどうしたもんだか。
黒い塊は人の形が盛り上がっては爆ぜて、黒い霧をまき散らす。
狭い店内が黒い塊でいっぱいになる前に屋根にできた穴に向かって、肉塊をよじ登る。
自分の足を掴もうと、肉塊が手の形に変えて伸びてくるのを、足でふみつぶす。
ここまで穢れがひどいと通常の対処法では無理だ。
肉塊を駆け上り、自分につかもうといくつもの腕が折り重なるように伸びてくる。
それを殴ると吸い取るように自分の力になるのがわかる。その代わり印が痛む。
屋根の上に飛び出すと開いた穴から見下ろす。
黒い肉塊は、動きを止めたかと思うと、急に屋根を突き抜け、爆発的に成長した。黒い腕が、足が塊から生えては、生えた腕から別の足が生える。
「最悪だな」
自分に向かってきた塊を殴っては、引きちぎる
手にこびりついた黒い肉の破片がじりじりと皮膚を焼く。一方で自分がちぎった触手が崩れ落ちて黒い霧を撒き散らす。
なんて迷惑なんだ。
住人たちが泣き叫び散り散りになって逃げまどっている。サイにはきちんと責任を取ってもらう必要があるな。
屋根の上から悩んでいると、一瞬視界が暗くなり、自分の少し前にがちゃんと音を立てて落ちてきた。
青い男だった。簡単にいうと。
髪が青黒く、黒ずんだ青っぽいズボンを腰にひっかけるように履いている。そしてなぜか上半身裸で、顔半分をガスマスクをつけていた。
何だこの男。
体は引き締まってシャープな感じだが、何かが普通の人と違う。
体に傷が多い。
それ以上になにかが違う。こんな変なのが近寄って来ていることに気づかなかったのは、自分にしては珍しい。
その男が、少しだけこちらを見た。
ゾクッとした。
あの彼女の白い目みたいに、狂気じみた暗い目だった。
「それ以上、穢れるな。堕ちるぞ」
男は自分のほうを指差し言う。
すぐに俺の印のことをいってるんだとわかった。
青い男は、黒い肉塊へと一瞬で間を詰める。
サイを飲み込んだ肉塊から出ている手は3つ。
そのうちの一つに詰め寄り、腰から黒い小さなナイフを取り出し、異様に長いその手に斬りつけると、両腕でつかみ、ぶちぶちともぎりとる。
取った腕を店の中に投げ捨てると、店の中に飛び込んでいく。
自分もそれに合わせて中が見えるような場所に動く。
肉塊は狭い店の中いっぱいに広がっていた。
その上に男は乗って、さっきとは違う形の剣を取り出し肉塊を切り刻んでいく。
切ったそばから霧が吹き出し、男は霧まみれになるが、気にならない様子で剣を突き刺し、えぐっては肉塊を切り取り捨てていく。
堪らず肉塊がうねり悲鳴のような不協和音を出し、塊が形を変えて男をつかもうとするが、男は気にせず掴まれてもその部分を剣を突き刺して切り取る。
叫び声かと思うような空気の震え。耳が痛い。
この中にいても男は全く平気らしい。
意外と時間かかるな。
「おい、その塊の中に男がいる。そいつがいるあたりをきれ。」
叫ぶと青い男は振り向き、肩をすくめると一瞬止まってから剣を振り下ろした。
肉塊が大きくえぐれ霧が吹き出す。
迷惑な奴だな。
「やってもらってなんだが、まだでてこねーぞ。」
もう一度言うと男は苛ついたように眉間にシワを寄せ、もう一度きりかかる。無慈悲にまた配慮なく肉塊が切り裂かれる。
サイ、あたったらごめん。
自分のいいように男が腹を立てたんだとわかったものの、とりあえずこれが一番早いとそのままにする。
ブクブクと膨れ上がった肉塊が深く切り裂かれたときだった。
何かが目に入った気がして、黒い霧の中に飛び込んだ。
肉塊の上に乗ると深い割れ目に飛び込む。血のような粘液と汚染が体にまとわりつく。
その中に真っ青な顔をしたさいが力なく意識を失っていた。喉が焼けそうな痛みを覚える。肉塊をこじ開ける手がちりちりと痛む。長居はできない。
サイを引きずりあげようとしてもまだ体半分が埋まっていてままならない。
くそ。
息を吸うたびに肺が痛む。
高い貸しだな。
拳に御印によるエネルギーを上乗せして、肉塊を殴りつける。当たったそばから肉塊が弾け霧散する。
汚染の濃度が一層濃くなる。
青い男も割れ目に飛び込んで肉塊の割れ目をさらにえぐる。
サイの体が動き、出そうだと思った時だった。サイの手がまだ肉塊にのめり込んでいた。
あれがあの呪いのあったところか。
青い男が一瞬どうしたものかとためらいとまった。
悪いな、これも自業自得だ。
青い男の腕を取り、そのまま剣でサイの手首から先を切り取った。
体がようやく動くようになって、サイを抱えて肉塊をよじ登る。青い男が下から自分を押し上げ、肉塊から這いずり出る。
体中が痛い。
呼吸する度に肺が痛む。ここで止まるわけに行かない。そのままサイを担ぎ、黒い霧の中から這い出た。
霧から出たと思った時には店から出ていた。
げほ。
咽返りながら息をする。
肺の奥、体の奥にある異物を残らず吐き出してしまいたくなる。
もう一度嗚咽とともに履き出てきたのは黒い血の塊のようなものだった。
荒い息をつきながら、少し楽になったのを感じる。
こういう感じなのかな。
彼女がまっさおな顔で聖堂にいたのを思い出す。口元を拭うと黒い液体がべったりと手についてきた。
「陛下!」
聞き馴染みある声に顔を上げる。
真っ青な顔でルノがこちらに向かっていた。
「…よお。」
声を出したくともうまく出ない。
「何があったっていうんです。…これはサイ様じゃないですか。」
げほげほとむせながら、声を振り絞る。
「悪い。説明は後だ。」
ルノの後ろに立つ人物を見る。
青い男がたっていた。
顔色一つ変わっていない。
男は何かを投げてよこす。
掴み見れば黒ずんだ小さな肉塊だった。
「そいつのだ。いるんじゃないか。」
マスク越しの声で聞き取りづらい。見れば指のようなものが見える。
「この中は汚染が漏れないようにした。処置されるまで触るんじゃない。」
男が顎をしゃくって見せる。さいの店が黒い霧がぎっしりと詰まっていた。四角い何かで閉じられているかのように、霧が何かにぶつかっては、戻っていく。
「それから、お前。痛まない方の印のおかげで生きてるが、それ以上やると死ぬぞ。」
「…わかった。」
かすれた声で返事した。
「そいつはそのままだと死ぬ。」
男が顎でしゃくって見せる。
サイがどす黒い顔で倒れていた。
「なんとかしてくれない?」
自分が軽い調子でいっても男は何も答えない。
「あの女上司にうるさい事言われたくないんだろ?」
ここまで俺が言うと、男は今度は心底苛立たしい顔をして、舌打ちするとサイに近寄り彼を担いだ。
「…期待するな」
どす黒くなったサイを肩に担いで歩き出す。
住人たちが彼を怖がって道をあけていくのが面白い。
「レイニ、あれは…?」
ルノが怒りをにじませて男を見ている。あの態度に腹が立ったらしい。
「俺を助けてくれた。命の恩人だから、悪いように扱うな」
「…ほんとですか?」
かすれ声の俺を気遣ってかそんなに追及はしない。
まだ喉の奥が焼ける。
体がひりつくが、もう汚染でひりつくわけではない。代わりに印が痛む。
「手を貸します」
ルノが自分を支えようやく立ち上がる。
ルノが自分を支えながら、周囲に汚染地区の封じ込めを命じる。
それにしても疲れた。
彼女はこんなことを毎回しているのかと思うと、頭が下がる気がする。
教会を呪ったと言ってたな。
「あ、そうだ。聖堂にはだれも近づけさせないように」
「はあ」
ルノが間抜けな声で返事する。
きっとあそこは忙しいだろう。




