15 黒雪と蒼志の場合:深夜の残業スパイ
その場に、へたり込んでしまった。
あの男性が去ってもまだ動揺が隠しきれず、がれきの中、座り込んでいた。
心臓がバクバクいってる。
会社員時代もドラマはほとんど見なかったけれど、ドラマみたいな展開とはこんなことかと思ってしまった。しかしながらドラマの人たちのようには振る舞えない。
役者は一体どんな心臓してんだろう。
何が起こったのか自分の頭では消化しきれない。
なんだか口説かれていた気がするが、なぜそうなったのかもよくわかっていない。
そもそもいつからいたんだろう。
聖堂の掃除をしていたら、つい疲れはてて、しかも聖堂の空気が気持ちよすぎてねこけてしまった。こんな夜中に、こんな状態の聖堂にまさか人が来るとは思っていなかった。
なんて失態。
少しばかり軽くなった体で顔に触れると、おかしいぐらい熱い。
こんなことなんて前の人生からなかった気がする。自分に興味があるなんて言う人はいままでいなかった。
いつもみたいに美しいとかみんな同じことを言いだして、こちらの話も耳に入れず勝手につっぱしるばかりだった。
おでこに触れる。誰かにキスされるなんて人生で起こらないと思っていた。こんなことされたら絶対嫌だと思ってた。思わず顔を覆う。
かわいいなんて初めていわれた。
人生で自分のことをそんな風に言う人はいなかった。
そういうことを言われると嬉しく思うものだなんて思わなかった。そしてあの不思議な感じ。不思議なのは、人は普通清浄と汚染なら、清浄を好む。清浄なエネルギーを得て、汚染されたエネルギーに太刀打ちする。でもあの人は、汚染も清浄も共に惹きつけて共に動かす。それでいてなんともなさそうなのだから、おかしな人だ。私みたいに汚染にまみれている人間からすると、とても心地が良い。ずっとそばにいたいと、思ってしまう。
はっとして我に返る。
私は、今一体なにを。
自分の頬を叩いて正気に戻る。
とりあえずここを出ないと。
聖堂で少し休んだから体は少し楽になった。立ち上がりドアから外の様子を伺うも外はまた静まり返っている。彼が言った通り人がいなくなっている。
彼の謎がますけれど今はここを出ないといけない。
『またここにきて。明日とか』
あれは、本気なのだろうか。
扉からそっと外に出た。
ヒンヤリとした空気が頬にあたり、さっきと違うんだということがよりわかる。暗闇に身を滑り込ませる。月明かりが思ったよりも明るい。
明るい所を避けるようにして城壁沿いまで走り、勢いをつけてジャンプし、木の枝に手をかけそのまま城壁を登り、そのまま反対側へ身を滑らせるとようやく人心地つく。
「ふう」
こんなスパイっぽいことしたことないから、すごく緊張する。
自分がいかに普通の人かっていうのを実感する。今までも教会で片付け仕事か僻地で汚染の除去作業しかしたことがない。
私が色々と頭が固すぎるからと、姉が采配を振った結果だった。それはそれで楽ではないけれど、こういう時どうしたらいいかわからない。
外壁に沿って慎重に歩く。
まだ胸がどきどきしている。でも別にこれは私がうろたえているだけ。
誰かを好きになったとか、そういうことじゃない。
「…なんでそんなこと思うんだ」
思わず降ってわいた考えに自分でも困惑した。
誰に言ってるんだろう、そんなこと。
「これは仕事。これは仕事だから」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、余計なことを追い出す。同時にいくつものことができるほど、器用な人間じゃない。
しばらく進むと教会の上に出た。
音を立てないように屋根に移り部屋の窓の上までいくと、屋根のヘリにぶら下がり窓から部屋に転がり込んだ。
蒼はいなかった。
昨日から寄り付く気配すらない。その理由もわかるが、そのことよりもあの聖堂で見たことを少し話さないといけない。
空を見れば星が夜明けの星に変わりつつある。
とりあえず寝よう。
衣類を脱ぎ捨てると、ベッドにもぐりこんだ。
ふとよぎる「明日も来て」という言葉にどぎまぎしながら、そんな自分に見て見ぬふりをして眠った。
蒼志の場合
夜の闇に紛れて街をふらふら歩いている。実は昨日から若干の動揺を残していて、まだ黒雪姉に会えないでいた。
黒雪姉ちゃんは、おそらく気づいている。
俺と焔姉ちゃんが仕込んだことを。
背筋がぞっとした。
焔姉ちゃんには確実に怒られる。
殺されないだろうかとさえ思う。
実は焔姉ちゃんに言われ、黒雪姉より先に皇国に潜り込んでいた。それもかなり前から。
そしてそこそこの数の人に汚染を吸う術式をしかけた。
もちろん彼らは気づいていない。
彼らはただ皇都にいくだけでお金を上げると言われただけだ。
『もちろん来ない奴らもいないだろう。でもそれでもいい。仕込め』
そう焔姉ちゃんに言われている。
自分がやることは、汚染を集める術式を人にかけ、皇都へ誘導し、皇都の汚染を増加させて圧力をかけることだった。
なかなか動かない皇都の背中を押すために。
そして嫌がるだろう黒雪姉を必ず皇都まで連れて行く。
そしたら黒雪姉ちゃんが都で見つけてしまった。
黒雪姉ちゃんははっきりと口にしなかったが、姉ちゃんが去った後、倒れた奴らを後で確認した。彼らから自分の術の形跡が消えていた。
この術に関して疎い国ができるわけがない。姉がとっさにやったんだと思った。
つまりばれたのだ。
こんなのもできないのかと焔姉ちゃんの呆れる声が簡単に予想できる。
焔姉も黒雪姉も自分の本当の兄弟ではない。
義兄弟だが、血よりも濃いつながりと姉が言い続け、本当の家族のように自分も思っている。見た目も考えも育った境遇も何もかも違う。
黒雪姉に至っては、自分のほうが年上だが、ここのルールにそって自分が弟である。ルールは簡単で組織に入った順だ。
でも不満も特にないし、まさか自分に姉ができるとは思っていなかったので、結構これはこれで満足している。
そしてその姉が結構な人嫌いで、そのくせ生真面目なので、今回の指示も苦労するだろうと思ったものの、違う方向で困ってしまった。
教会の大原則は、より大きな善のために動く、そのための破壊は許されるというのがある。
多少の破壊が正当化されることはたびたびある。
おそらく黒雪姉は気づいただろう。
俺がこの国にさらに汚染を持ち込むことよりも何か大儀があり、自分はそれを知らされていないことを。
街をふらつきながら、考える。
皇都は古い町並みながらも、歴史を感じさせる街並みと、その建物自体の美しさが前々から名高いのだが、今はその評判も落ちめと思ってしまう。
くすんだ壁に、どことなく活気のない街並み。
影が色濃く感じるのは、気のせいではなく実際に汚染が濃いためだ。
遠くから見た時の華やかさもこれが続けば、廃城に近づいていくだろう。
自分たちが追い込む前に、なぜこの国の王は、教会の助けを呼ばずにいたのか。
あえてやったのではないか、という気がしてくる。
真剣に考えていたら、頭痛くなりそうだった。
そうでなくても汚染濃度が濃くて、今の自分を維持するのが難しいのにな。
ちぇっと年甲斐もなく舌打ちをして、とりあえず飯でも食べて気晴らししようかと飲み屋の多い通りへ行く。
この都で比較的活気がある一角だろう。それ以外は驚くほどさびれている。
いま、自分が歩いている飲み屋街のはずれも、どことなくさびれていて、人けがない。
「あれ?」
少し気になる人物がいた。目立たないようにふるまっている人、という感じの人だ。
物腰の上品さが際立つ。この街にいるような人とは明らかに違う。そして妙な違和感がある。
男が突然立ち止まり周囲に注意を払い出す。
そっと物陰に隠れた。自分を気にしていたとは思えない。
息を殺し壁張り付く。
その男は足音を立てずに歩くとこのさびれた裏手を抜けて表通りへと行く。
しばらく見張るか。
なんとなく気になる。
少し距離をあけて男の後をついていく。特に人目を引いている様子はない。黒雪姉のほうがよほど目立っていたぐらいだ。
男が味気ない扉のあまり目立たない店へと入っていく。この店は昨日、姉が入ったところではなかったか。
不思議だなと思いつつ遠目に見張る。
しばらくして男が出てくる。
もう一人見たことがある男も出てきた。
この飲み屋の店主だ。
苛立ちを隠しきれない、でもその怒りを押し殺し不安との間で揺らいでる。そんな複雑な感じだった。
一方、自分がつけていた男はそこまでではない。
落ち着き払っている男の一瞬見えた横顔が気になった。恐ろしく生気がない。
あんな状態で、立っているのが不思議なくらいに見えた。そしてドアに手をかけたその手。片手がおかしかった。手を甲冑のようなもので隠している。
姉ならもっとよくわかるだろうが、自分だと確信が持てない。
その蒼白な顔の男が歩き出す。身を隠しながら男の行く先を目で追う。
ある程度、距離を取ったところでそっと後をつけていった。
汚染が増していく。
ますにつれて町並みが更に荒んでいく。壁は汚れ、臭いがひどくなり、人の顔は冴えない。同じ街とは思えない。
男は気にせずさっさと歩いていく。そしてその先にある廃屋へと入っていった。
見た目は廃屋だが、あまり普通じゃあない。汚らしい格好をしているが明らかに只者じゃない目つきの男が、地べたに座り貧民のふりをしながら警戒してる。
これは迂闊に近づけないが、何かがあるのは確実だ。
これは都合がいいのな。
にやけてくる。




