第六章 7 女神
地上での終結イコール、天上での終わりとはなりえなかった。
ここでは、いまだ死闘が続いていた。
「むう、この『グングニル』をこうまで封じ込めるとは、その槍の魔力は本物か……」
もう何度、必殺の投槍を放ったであろうか……本来ならば、わざわざ飛ばす距離ではない。たった一つ窓があるだけの、白で埋めつくされた虚無の部屋だ。中央に円卓と、その上に残された三つのグラスだけが、この部屋にある物だった。
そのほかには、戦う二神――オーディンとルーフ、そして、立会人……いや、立会神と化しているゼウスが空間を埋めているにすぎない。
「見ていなかったのですか? われわれの策略は失敗におわったのです。太陽の女神は沈みました。人間の勝ちでしょう……つまり、われわれの負けです」
「なにを言うか! おまえが……おまえたちダーナが裏切らなければ、人間のようなクズ虫どもにおくれなどとらなかったわ!」
オーディンは『グングニル』を振るった。
もはや、悔し紛れの一投のような虚しさがあった。
「せめて、おまえだけでも血祭りにあげてやる! そして、三神族の資格も取り上げ、ダーナは天界から追放されるのだ!」
近距離を流星のように駆け抜ける魔槍は、やはりルーフの身体をすり抜けていた。柔らかい紐のように巻きついた、こちらも名高い魔法の槍が、その身を守っているのだ。
「クソッ!」
「この戦いも、すでに意味のないものとなっています。オーディンよ、ここはおさめてください」
「黙れっ!!」
オーディンは、念の力で魔槍を右腕に戻した。心なしか、オーディンから発散されている《威気》が変化したような……。
むしろ小さく、冷たく、スケールを無くしたように感じるのは気のせいだろうか?
神だけがまとっている気配――威気。
それが大きく、熱くなっているのならまだわかる。しかし逆に、まるで力を抜いてしまったかのようなマイナスの変化は、怒りを増しているはずのオーディンの様子からは、府に落ちないことだった。
「次の一撃に、すべてをかけてやる!」
「なるほど……槍に全能力をそそぐというわけか」
そんなゼウスのつぶやきが、はたしてルーフとオーディンの耳に届いたであろうか。
神としての生体エネルギーを凝集させた一撃。
怒り、闘志、憎悪、闘争本能――それらの感情、根源的なものをこめた魔槍の力に、白の空間は支配されようとしていた。
「ならば、こちらも相応の力で受けなければならないでしょう」
ルーフの槍も動きをみせた。
自らの意志を持っているかのように巻きついていたものが、真っ直ぐにのびる。長い、長い槍。ほんの少し腕を出しただけで、オーディンを貫けるだろう。
さきほど見せた、まるで蛇のような攻撃ではなさそうだ。
「どちらの槍が、さきに相手を仕留めるか」
ピンッ、と空気が張り詰めた。
双方、微動もしない。
永遠とも感じられる時間が流れた。
ス──、二神の間にだれかが入り込んでいた。
「このままやり合えば、相討ちになるぞ」
「邪魔をするな、ゼウス!」
「ここは退こうではないか、オーディンよ」
「なんだと!?」
「勘違いしてもらっては困る。あくまでも一時的に退くだけだ」
冷静な面持ちで、ゼウスは語りだした。
「ルーフよ、おまえたちが人間の側に立つのもいいだろう。だが、わたしの考えはかわらない。やはり、人間は滅びるべきなのだ」
「……」
「いまだけ安息の時をくれてやる。せいぜい謳歌するのだな……人間よ」
フ、と一笑を残して、ゼウスの身体は、瞬く間に消えていた。
「……次は、このオーディン自らが……アース神族が先陣をきって、全人類を抹殺してくれよう!」
独眼の荒神は、マグマのようなたぎりを声にのせていた。
「そして、ルーフ……おまえもだ! 覚えておけ――」
おくれて、オーディンの姿も無くなっていた。
部屋に、ルーフだけが残った。
「ふう……」
ため息をつくと、ルーフは手のなかの槍を大気に戻した。
「ん?」
新たな気配が、部屋にあらわれていた。
「ヌアダですね」
「災難でしたなあ」
「だれのせいだとお思いですか」
まるで緊張感のない涼やかな声に、ルーフは苦笑してみせた。
「もう少しで殺されるところでしたよ」
「あなたなら、どうにか耐えてくれるだろうと信じてたんでねぇ」
「まったく……、簡単に言ってくれますね。あなたが『不敗の剣』など使うから……」
そう愚痴をこぼしてみたが、ルーフの眼は楽しそうに笑っているようだった。
「こちらのほうも、あれを使っていなければ、やられていたんでね」
「嘘を言いなさい。あなたは、わたしが困るのをおもしろがっているだけでしょう。王位を押しつけたときもそうでした」
「ははは、考えすぎ、考えすぎ」
銀の腕の王――ヌアダは、さわやかな屈託のないを笑顔をつくった。地上のときと同様に、白装束の袖に隠れて、その象徴たる左腕を確認することはできない。
ケルトの神話では、ヌアダがルーフに王位を譲ったとされているが、そんな微妙な二神の関係をあらわしているような会話だった。
「地上でできた友人のために、剣を使った」
「友……ですか。あなたが認めたほどの男なら、信頼できるのでしょう」
「いずれ、この高みにまでやって来るはず」
「わたしは、ダヌのために戦います。今回、人間の側に立ったのは、主神ダヌの意に従ったまで……。もしダヌがほかの神々と同調し、人間を切り捨てるのだとしたら、わたしはゼウスたちと行動をともにするでしょう。ヌアダ、あなたはどうするのです?」
「さあ」
ヌアダは、答えを笑顔ではぐらかした。
「……いいでしょう。あなたが、その友のために……人のために戦うのだとしても……」
そのルーフの言葉を、ヌアダは無言で受け止めた。
「そのときは、敵になるかもしれません」
やはり、ヌアダは言葉を返さなかった。
地上で、浄明に見せたような笑顔の余韻だけを残して、やがてヌアダも姿を消した。
ただ一人となったルーフは、円卓上の自分の杯を手に取った。
「人間諸君よ、いまは休みなさい」
部屋にある、一か所だけの窓。
その外を眺めて……。
「乾杯! わが麗しの女神に――」
そこには、美しい……心をつくような、とても美しい、青い地球が浮いていた。
わが夫、建速須佐之男よ。
なんという清々しい光景なのでしょうか。
わが妻、櫛名田よ。
ここがわれらの宮となるのだ。
幸せに……。
永遠に――。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣つくる その八重垣を