エピローグ
ボクらがたどり着いたのは、ちょうど東京タワーが倒れた直後でした。
濃い霧のような、すごい砂ぼこり。
いっさい前が見えなくなりました。
「千鶴ちゃん!」
「ちづる――ッ!」
織絵さんと、二人の生徒さん――早苗ちゃんと洋子ちゃんが、必死に叫んでいました。
返事はありません。
地の轟きだけが、恐ろしく響いているだけでした。この世の終わりを告げている、悪魔の唸り声のような……。
ボクはてっきり、二人が死んでしまったものだと、勝手にあきらめていました。それが早とちりだったと、轟きがやみ、砂塵が薄らいできてからわかりました。
だれかが立っていました……。
江島周防くんです!
その周防くんに、お姫さま抱っこをされた千鶴ちゃんも無事のようでした!
二人のすぐとなりには、赤い鉄塔が、まるで恐竜の骨のように崩れていました。もう少し倒れる角度がズレていれば、二人は下敷きにされていたでしょう。
「大丈夫!?」
織絵さんと、洋子ちゃんたちが、急いで千鶴ちゃんのもとに駆け寄っていきました。それにおくれて、桐生玲さんと、桜子さん……ボクと浄明さんも近寄っていきます。
〈ちづる、無事ニャ!?〉
忘れてました……もちろん、ムクムクくんとソワソワちゃん、それにリスのリーちゃんも、だれよりもはやく、千鶴ちゃんのもとに駆け寄っていました。
「た……、助かったみたい」
とても疲れ切っているようでしたが、千鶴ちゃんは、かすり傷ていどだけですんだようです。アマテラスと戦ったというのに、それだけですんで、本当によかったです。まあ、ボクだったら逃げていたでしょうから、かすり傷もなかったでしょうけど。
「へえ、あんたが、もう一人だったのかい」
千鶴ちゃんをおろした周防くんに、玲さんが親しげに声をかけました。周防くんは、かなりの怪我をしています。出血は止まっていましたが、とくに右肩がひどい状態でした。
命の心配はないでしょうが、ボクのような小心者は、思わず眼をそむけたくなります。
「やったじゃないか」
「あんたもかよ……」
「ま、仲間ってわけさ」
周防くんは、どこか不機嫌そうに……それでいて、生への実感を噛みしめるような、とても穏やかな表情で、玲さんを見つめ返していました。
「どう? 欲求不満は解消できた?」
「うるさい」
鬱陶しそうに返事をしてから、少し間をおき、
「礼を言っとく。あのとき、あんたに止められてなければ、オレは……」
玲さんの人差し指が、周防くんの唇を阻んでいました。
「きっと、大丈夫だったさ。あんたなら、自分でやめてた」
「ちょっと、レイ姉さま! いつまで引っついているんですの!?」
なごやかな雰囲気の二人を、桜子さんが邪魔をしました。どうやら、桜子さんは男性が嫌いのようです。というより、ボクのことは女性にしてはめずらしく、あまり嫌悪していないようなので、男ではなく、『いい男』が嫌いなのでしょう。
「すごい有り様だね」
織絵さんに支えられていた千鶴ちゃんが、自力で立ち上がり、まわりの景色を眺めながら、そうつぶやきました。
ホントに、すごい有り様でした。
大都会の街並みは、もうどこにもありません。復興までに、どれぐらいの時間を費やさなければならないのでしょう。
「すぐ蘇るさ。人間は図太いからねえ」
玲さんらしい言葉でした。
ボクには、そんな楽天的な思考回路はありませんけど……そんなものかもしませんね、文明なんて。
「千鶴……髪のびてる……」
ボクはさきほど出会ったばかりですから、そこのところはあまりよくわからなかったんですが……たしかに、千鶴ちゃんの髪の毛が少し長くなっているような……。
左右の長さがちがう、ちょっとヘンなところは変わっていないんですけど……。
「うん……動きだしたみたい」
「え?」
その答えを聞いて、洋子ちゃんは首をかしげました。
「ここがね」
そう言った千鶴ちゃんの右手が、自分の胸を押さえていました。
「なーに、それ?」
「へへ、いいの」
おかしな表現かもしれませんが、そのときの千鶴ちゃんの笑みは、まるで少女のように明るいものでした。もちろん少女なのですから、当然と言われれば当然なのですが。
猛獣を従えて戦っていた、さきほどの勇姿が、幼いイメージを邪魔しているのかもしれません。
死闘が終わったいま、彼女は普通の少女に戻るのでしょう。友達の早苗ちゃんと洋子ちゃんも、きっと日常を取り戻すはずです。
そして、ほかのみんなも……。
玲さんは、民族学の研究者になろうかな、と言っていました。
「良蔵ちゃんのあとでも継ごうかねえ」
「ムリよ」
「あら、言ってくれるねぇ。最初に良蔵ちゃんに眼をつけたのは、あたしのほうだったんだからねえ」
「そういう問題じゃないでしょ」
「賭けるかい?」
「か、賭けるって……」
「スイチで一〇万」
「やめてよ!」
「あんたが勝てば四五万だよ」
「子供の前で、そういう話はしないで!」
「おや、先生になったら、ずいぶんマジメになっちゃったねえ」
「昔から、マジメです!!」
「あらぁ? 大学一年のとき、うちの賭場で――むぐっ」
なにやらあやしいことを暴露しようとした玲さんの口を、織絵さんが強引に押しとどめてしまいました。
「あれは、あなたにムリヤリつれていかれたんでしょ!?」
「そ、そうだったかねえ……」
そのときの織絵さんの眼が、悪夢に出てきそうなほど怖かったのは、ボクだけでしょうか……。千鶴ちゃんたち三人の生徒さんも、あきらかにひいていました。
「ま、まあ……賭はおいとくとして、まずは大学に入り直すところからはじめるとしようかねえ」
「レイ姉さま、でしたらわたくしも、その大学を受験しますわ」
「華道の家元はどうするんだい?」
「そんなものに興味ありませんわ」
というわけで、桜子さんもそのあとを追うようです。
そして、その横で難しい顔をしていた浄明さんは、こんなことを語っていました。
「最後の秘法を成しても、あいつの変貌の謎は悟れなかった……拙者は、また修行の日々を続ける」
「徹底的に堅苦しい男だねえ」
「クー・ホリン……いや、ヌアダというあの男にも、もう一度会わなければならないだろう……」
「なんだい、それ?」
しかし、浄明さんは、もうそれ以上なにも言おうとはしませんでした。
「織絵は先生を続けるんだろ?」
「ええ、そうね。それしかできないし……。それと、千鶴ちゃんをうちの養女にしようと思ってるの」
「せ、先生! その話は、お断りしたはずです!」
「ダメ、あなたがイヤでも、絶対そうする! うちの母が反対しても、わたしの養女にするからね! だから、あなたのお姉さんか、お母さんになるの!!」
「そ、そんな!」
「まあ、まあ、織絵も冷静になって……」
必死にまくしたてる織絵さんと、それをムキになって抵抗する千鶴ちゃんを、なんとか玲さんがなだめようとしていました。
姉妹になるにしろ、親子になるにしろ、このままでも家族のように似た二人だな、と思いました。
「あんたは、どうするの?」
ボクかと思ったら、訊かれたのは周防くんでした。
「なにも考えてない……ま、どうなってもいっしょだね、こんな世の中」
「ヒネてるねぇ」
「あ、あの……」
そこで、洋子ちゃんが恐る恐る声をあげました。
「またテニスしてください!」
「へえ、テニスの選手だったんだ」
「お願いします!!」
とても熱心に訴えかけていました。
「気が向いたらな」
周防くんは、ひと言そう応えました。
まんざら、やる気がないわけでもなさそうでした。
「不良少年を叩きのめしてるよりは、いいんじゃない」
「あー! 思い出した!!」
玲さんの言葉で、突然、織絵さんが叫びだしました。
「テニスやってる場合じゃないわ! あなたは警察に自首なさい!! そういえば、わたしの生徒もあなたに大怪我を負わされたんだったわっ!」
「彼らなら、死んだわ……」
ポツリと、千鶴ちゃんが言いだしました。
「え?」
「わたしが殺した……」
「な……なに?」
「わたしが殺しました」
「な、なに言ってるの!?」
戸惑いに、織絵さんの表情が曇りました。
「か、彼ら……って、林葉くんと、村田くん……!?」
「もう人間じゃなかったんだ。だから、オレが殺した。彼女はなにもしていない。オレが二人を殺したんだ」
まるで千鶴ちゃんをかばうように、周防くんが続けました。
だいたいの見当はつきます。神によって、その彼ら二人の身体が乗っ取られてしまったんだと思います。あの丸井善學教祖と同じように……。
「よく事情はわからないけど、千鶴ちゃんと彼だって、つらかったはずだよ。そのことはもうふれるべきじゃない……いいね、織絵」
「え、ええ……」
周防くんと千鶴ちゃんの、むしろ冷静さを装おうとする姿勢に、織絵さんも納得するしかなかったのでしょう。
「二人も、忘れるんだよ」
玲さんの言葉は、二人の心に、どうしみ込んだのでしょうか。
忘れられるのでしょうか?
忘れられないのでしょうか?
忘れたくても、忘れられない?
それとも、忘れるつもりなどないのでしょうか?
ずっと、心に深くとめておくのかもしれません……。
そのいずれにしろ、新しい時間が動きだしたいま、二人の苦しさを胸に秘めた人生も、はじまってしまったのだと思います。
「で、でも……傷害事件については、やっぱり自首すべきよ……」
「それも言わない! 彼だって、自分の力をそんなことに使うもんじゃないってことぐらい、とっくに気づいてるはずよ。それに、やられたボウヤたちにも非はあるんだ」
「で、でも……」
「いいから! 細かいこと気にしすぎるの、あんたの悪い癖だよ」
「わ、悪い癖ってなによ!」
「大学時代だって、それで何度、男に愛想尽かされたことか」
「そ、そんなことないわよ!」
「ああ、はいはい」
必死に否定する織絵さんを、玲さんは慣れた様子で受け流してしまいました。そんな、ぞんざいにあしらわれている織絵さんに、ボクは少しさびしいものを感じていました。
どこにでもいる普通の女性……。
いえ、言い方が悪いかもしれません。美人で、とっても魅力的な女性なのにはかわりありません。しかし、ボクは勝手に理想像をふくらませていたのです。
ボクのなかの彼女は、人間ではありませんでした。
天女か、女神か……。
彼女にとってみれば、まったくもって迷惑な話です。こんな男にあつかましく思い込まれてしまってたなんて。
彼女が《人間》だと実感できたことは、自分の幻想にたいするさびしさもありますが、同時にホッともしています。
人間である彼女の姿が、ほほえましい。
彼女だけでなく、完璧な女神でないことが、きっと世の女性たちの魅力でもあるのでしょう。女神が住むのは、ボクのようなモテない男の頭のなかだけで充分です。
もう電柱の陰から、うかがうのはやめようと思います。そうやって見ていたのは、女神としての彼女でした。
これからは、《人間》の彼女を見つめていきたい。それでも迷惑をかけてしまうかもしれないですけど……。
最後に――。
ボクにだけ、これからの話がまわってきませんでしたので、ボクのことを、自分の心のなかで語ります。
仕事はやめようと決心しました。
宗教からも、きれいサッパリ別れます。
次の仕事のあてなんてありませんけど、いまの会社で給料をもらうより、無職でいたほうがマシのような気がします。少しですが、今度のことで自信もつきました。ボクのようなダメ人間でも、一生懸命やれば、なんとかなるって。
神に祈ることで逃げていた自分は、まだ胸のどこかにいるのでしょう。
でも、そんな自分に勝ってみせます。
ボクにだって、人を守ることができたんですから――。
「太陽……」
本物の朝の日差しが、ボクらを照らしはじめました。美しい輝きに包まれた感触は、まるで母のお腹のなかにいるようにあたたかいものでした。
これから再生を迎えるこの街に、ふさわしい光景です。
「……なあ、一ついいか?」
言ったのは周防くんでした。
みんな昇っていく朝日を眺めていたのですが、その声でいっせいに振り向いてしまいました。周防くんは、千鶴ちゃんに問いかけたようです。
「どうやって、あの術を破ったんだ?」
二人は、アマテラス最後の秘術によって、身動きがとれなくなってしまったそうです。そして、本来なら千鶴ちゃんだけが、そのまま東京タワーの下敷きになってしまうはずだったと……。
「オレは結局、なにもできなかった。そういう意味では、オレは負けたんだ……。だが、キミはちがう。教えてくれ、なぜキミは助かることができたんだ?」
その問いに、千鶴ちゃんは、こう答えました。
とても、さわやかな笑顔を浮かべて……。
いいえ、ちがいました。
とても……とても悲しそうな笑顔で――。
「お父さんが押してくれた」




