ここで働かせてください
実際は、面接は前日だったのだが。
仕事ができそうな、眼鏡をかけた受付の人からその事実を聞いて湊はまず、目を見開いた。
次にいそいそとスマホを取り出し予定を見る。アプリが言うには面接は今日だ。しかし、何度確認しても受付の人は意見を変えない。
そこまで言うのなら証拠を見せましょう、と面接の日付が載ったメールを受付の人に見せれば、それでも反応は芳しくない。
困惑、というか、自分とノリの違う人に合わせるときのような引きつった笑顔。
湊が思わずスマホの画面を見てみれば。無機質なフォントが示す面接の日付は、なんと昨日ではないか。
麦茶と間違えてめんつゆを飲んだときのような、階段を降りきったと思ったら最後にまだ一段あったときのような。
脳が読み込みに要する時間というものを感じる瞬間だった。
要は、予定管理用のアプリに間違った日付を入れていたわけである。
そうして開いた口が塞がらないまま建物を出て、もう、なんだかどうでもよくなって、家路を足を引き摺るようにして歩いていたわけだ。
それから、夕日を見ていたら三階建てのビルの屋上から落下した。
なんとも情けないというか、踏んだり蹴ったりとはこのことであると辞書に載せたくなる気持ちだった。
◆
「僕は……頑張ろうとすることすら許されないのだろうか……」
「おや、どうしたんだい」
思考の海に沈んでいた湊はその声を聞いて我に帰った。いつのまにか、ベッドの近くのパーテーションの方へ来ていた鈴木が、首を傾げる。
「鈴木さん……すみません、また考え事を……って、ええ!?」
垂れていたこうべを上げて彼を見た湊は目を見張った。鈴木の顔が見えないほど、彼が手に持った箱から菓子が積み上がっていた。
器用に片手で箱を持って、もう片方の手には四人分の飲み物が乗ったおぼんを持っている。
「……お茶請け多すぎません?」
「いつもこう」
高橋は慣れた様子で歩いていくと、鈴木の片手からおぼんを受け取り戻ってきた。ベッドの横に置いてあった丸椅子の一つを引く。
少し遅れて鈴木も、両手で持ち直した箱を湊の座っているベッドの端に置く。その若干の衝撃でバランスを崩したポテトチップスの袋が、ベッドに軽い音を立てて落ちた。
「人の話を聞くには相応の肴がいるだろう?」
鈴木がそれを拾いながらウィンクする。
「僕の話どれだけ楽しみにされてるんですか……!」
湊が思わず呟くと、鈴木は急に勢いを失い、丸椅子に腰掛けながら続けた。
「ああそうだ……ごめんね、オレンジジュースなくて。百均に売ってた謎の果実の種が沢山入った不思議な味のするジュースになってしまったんだよ」
「代わりの癖が強いですね?」
そのジュースは高橋のものと同じグラスに注がれていたが、緑とも白ともつかない色をしていた。黒色の種が沢山入っていて、なかなかに稀有な見た目である。
「さて、物心ついた当初の記憶から今までの身の上話をたっぷり聞かせてもらうとしようか!」
「距離の詰め方が変な方向にバグってる!!」
元気になった鈴木に、助けを求めて高橋を見れば、彼は鈴木から渡された袋を開けて中身を食べ始めていた。楽しむ気満々である。
「そのことだがね」
ベッドに置いたおぼんからコーヒーの入ったマグカップを取りながら、佐藤が続ける。
「この子にウチで働いてもらうことになったよ」
「え?」
湊は思わず佐藤を見た。マグカップに口をつけてから、佐藤は微笑む。
「この子」というのは今この場に湊以外い居ない。つまり、湊がこの店で働くということしか考えられなかった。もちろんそんな話をした覚えはない。
「へえー、わかりました。これからよろしくね!」
大きめのチャンククッキーをもそもそと咀嚼しながら鈴木が微笑む。
「なぜさっきはあんなに驚いてたのにそんなに反応薄いんですか! 今でしょ驚くべきなの!?」
湊が鈴木に吠える。高橋が己は仲間だと言うように同情の目線を送った。
「この人をここで雇うんですか」
高橋の声が室内に静かに響く。その声音は責めるようではなかったが、厳しさを含んでいた。上司にもひるまずに物申す高橋を、湊は少し意外に思う。
「嗚呼。この様子じゃあ面接には落ちているだろうし、あずまやの前に落ちてきたのも運命的だろう?」
「なぜ落ちているとわかるんです」
「ひとつ、世間知らず。ふたつ、服装が見合ってない。みっつ、その話をすると下を向く。こんなところでしょうか」
追加のクッキーの包装を破りながら鈴木が言葉を継いだ。
「まあこの子ならそもそも日付を間違えていた、なんてこともありそうですけど」
チョコチップの入った小さめのバニラクッキーを口へ運びながら続ける。湊が無言で思わず身じろぎをすると、図星だとバレたらしく、くすりと笑われた。
「でも僕はここで働きたいなんて一言も……」
「おや、じゃあ断るかい? 大方君は貯金を崩しているか実家暮らしだろう。その様子だと書類審査もあまり通っていないんじゃない? 周りからの目が痛かったり金銭面が辛かったりするんじゃないのかな」
またクッキーの袋を漁りながら鈴木は言い切った。
「まあ、それが運命ってものなんじゃないかと私は思うよ。本人の意向なんて興味ないんだ。あれは」
そこで何かを思い出したのか佐藤が笑う。怪訝そうにそちらを見た湊に、佐藤は口を開いた。
「そういうことらしいけど、どうだい。後悔はさせないよ。歳の近いのがきたら高橋も嬉しいだろうしねえ」
高橋に目をやれば、猫のように目を丸くして湊と佐藤たちを見比べていた。
湊は思案する。
生きて残ってしまった今、前を向かざるを得なくて、働き始めたいのは事実だが。勝手にどこで働くか決められるのは本望ではない。
出会って数分の湊を審査もなしに雇おうとしているというのも、通常はありえないが故に裏がありそうだった。
かといって、何か明確に働きたい職種があるわけでもない。
そしてそれ以上に、湊の頭を支配している考えはこう言っている。
——邪神の皆さんと働くの、めちゃくちゃ楽しそう!!
湊は理論より感情で動くタイプであった。
どうせこのままここを後にしても、また大嫌いな自分を責め続けて、自責の念だけ募って何も進展などないだろう。それならば、どうせそんな生活に戻るくらいなら。
裏があったって良い。もう、自分で自分を世話できるようにならないといけないのだから。
「……わかりました。このお店で……あずまやで、働かせてください」
佐藤の目を見てから、頭を下げる。高橋の目がこぼれ落ちそうなほど大きく見開かれて、湊に釘付けになっていた。鈴木が目を細める。
そして、佐藤は湊の頭を上げさせて微笑んだ。
「ようこそ、人ならざる者の巣窟へ」
「ふふ、入社おめでとう。ところで君、名前はなんて言うんだい?」
鈴木がどこからか取り出した雇用契約書とバインダーを差し出す。湊が受け取ると続いてペンを渡された。
「ここに書いてみてよ」
「流れるように契約させてきますね」
従業員の氏名欄に湊が氏名を書く。「四月一日 湊」と。
「四月、一日?」
高橋が呟く。湊は苦笑した。
「わたぬきって読むんです、これ。皆に驚かれます」
「はぇーー」
高橋が目を輝かせて湊の字を見る。
「店長、僕たちも改名しませんか」
「そういう反応は初めてだ……」
曰く、人間社会に溶け込むために彼らは日本で一番多い苗字を順々に自身のものとしたらしかった。
「じゃあ、これからよろしくね。湊君」
鈴木が口角を上げた。




