第9話 麺は貧民の餌らしい
十人の鉱夫たちが、開店前の《異世界麺処・蓮》へ押しかけてきた朝、蓮司が最初に考えたのは、客が増えた喜びではなく、十二食しか仕込んでいない麺をどう配分し、三人分のまかないを何で代用するかという、ひどく現実的な問題だった。
「肉増し濃いめが三人、並の濃いめが四人、普通が二人、それからオルドさんは昨日と同じ濃いめの並で、合計十人です」
リーゼが注文を書き留めた板を見ながら報告する。
「麺大盛りは?」
「今のところ二人ですが、本当に受けてよいのですか。大盛り二杯を出せば、十二食分の麺をすべて使い切ります」
「断る理由を説明しろ。今日は仕込みが少ないから、並だけだ」
「値段を追加しても駄目なの?」
ミーナが尋ねた。
「金の問題じゃない。大盛りを二人へ出して、後ろの客へ何もないでは商売にならない」
「でも、お金を多く払う人を優先したほうが、店は儲かるんじゃない?」
「今日だけを見ればな。だが、自分の順番が来るまで待った客へ、金を多く払う奴がいたから売り切れたと言えば、次は来なくなる」
「お金持ちを優先しないのですね」
リーゼが言った。
「払った金額に応じて、肉や麺を増やすことはある。ただ、列の順番まで買わせるつもりはない」
「私は、その考え方が好きです」
「急に褒めるな。何か頼みがあるのか」
「純粋な感想です。人から褒められるたび疑うのは、そろそろやめたほうがよいと思います」
「褒められ慣れてないわけじゃない」
「料理は、でしょう。蓮司自身が褒められたときには、毎回、居心地の悪そうな顔をします」
「顔の話はいい。最初の六人を入れろ」
「はい、店主」
リーゼが暖簾を上げると、オルドを先頭に鉱夫たちが店へ入った。
全員、朝から鉱山へ向かう途中らしく、厚手の作業着を身につけ、腰には鶴嘴や槌を下げている。額や腕には古い傷があり、手のひらは分厚く硬くなっていた。
「本当に六席しかねえな」
一人が椅子へ腰を下ろしながら言った。
「十人連れてきたのは、お前たちだろ」
蓮司が返す。
「オルドが、六席の店だとは言わなかったんだよ」
「俺はラーメンが旨いとしか言ってねえ」
「肝心なことを話さない奴だな」
「昨日一人だった店に、十人も来ると思わなかったんだよ。もっと喜べ」
「喜んでる」
「その顔で?」
「生まれつきだ」
鉱夫たちの間から笑いが起きた。
前日のオルドが話したのだろう。
彼らは、蓮司の愛想が悪いことも含めて、この店を見物へ来ているようだった。
「店主、俺は濃いめな。それと肉増し」
「俺もだ。今日は東坑道だから、昼まで長い」
「麺の大盛りは無理だと先ほどお伝えしたでしょう」
リーゼが念を押す。
「分かってるよ、竜人の姉ちゃん。代わりに肉を多くすりゃ、腹に溜まるだろ」
「肉増しは銅貨二枚追加です」
「高くねえか?」
「毒牙鼠の肉は、毒腺の除去、血抜き、下茹でに手間がかかっています。捨てられていた肉だから無料だろうと考えるのでしたら、ご自分で処理なさいますか」
リーゼが穏やかな声で尋ねると、鉱夫はすぐに両手を上げた。
「悪かった。払うよ。姉ちゃん、綺麗な顔で怖いことを言うな」
「適正な対価の説明をしただけです」
「リーゼ、客を脅すな」
「脅していません。それに、蓮司が材料費と手間を無視して安売りしようとするので、私が説明しているのです」
「だから銅貨六枚で決めただろ」
「当初は四枚で出すと言い張ったでしょう」
「開店前の話を客へするな」
「昨日は、一杯売れたことに安心して、オルドさんから受け取った銅貨を数えず、丸ごと私へ渡しました」
「お前が帳簿をつけると言ったからだ」
「確認せず渡すことと、任せることは違います」
「店主、あんた、料理以外は本当に駄目なんだな」
オルドが愉快そうに笑った。
「飯を作る仕事だけできればいいと思ってた」
「店を持つ奴の台詞じゃねえ」
「前の世界では帳簿もつけてた」
「それで過労死したんでしょう」
リーゼが涼しい顔で言う。
鉱夫たちの視線が一斉に蓮司へ集まった。
「本当に死んだのか?」
「どうやって生き返った?」
「異世界から来たって話も本当なのか?」
「食い終わってから聞け。今は営業中だ」
蓮司は鍋の蓋を開けた。
白い湯気が立ち上り、それまで好き勝手に話していた鉱夫たちが、揃って口を閉じる。
白角鹿の骨と毒牙鼠の肉から取った澄んだスープに、岩鎧猪の脂で作った香味油を合わせている。
塩気は昨日のオルドの意見を受け、濃いめ用のタレを別に用意した。単純に塩を増やすのではなく、干し肉と香草を煮詰めたタレを追加することで、旨味の輪郭も強くしてある。
「ミーナ、濃いめの器へ印を置け」
「分かってる。白い石が普通で、黒い石が濃いめでしょう」
「肉増しは?」
「赤い木札。昨日、三回も確認したじゃない」
「間違えたら客へ別のものが出る。何度でも確認する」
「信用してないの?」
「信用しているから、仕事を任せてる。ただ、確認をしなくていいという意味ではない」
ミーナは一瞬だけ不満そうな顔をしたが、やがて黒い石と赤い木札を三つの器の横へ並べた。
「分かった。間違えない」
「ああ。頼む」
頼む、と言われたことで、ミーナの伏せかけていた耳が少し上がった。
蓮司は見なかったことにして、スープを温める。
「リーゼ、麺六人前」
「はい」
陽麦の麺が湯へ入る。
リーゼは長い木箸で麺をほぐしながら、湯の状態を確かめていた。初日に比べれば、手つきはかなりよくなっている。まだ蓮司ほど正確ではないが、茹で上がりを数息単位で外すようなことはなくなった。
「上げます」
「一本食え」
リーゼは湯から麺を一本取り出し、息を吹きかけてから噛んだ。
「中心に僅かに硬さがありますが、前回より細い麺なので、器へ移している間にちょうどよくなると思います」
「上げろ」
リーゼが湯切り籠を持ち上げる。
最初の頃なら、蓮司が横から手を出していただろう。
今も、籠を振る角度や回数に口を出したい気持ちはある。
だが、スープとタレへ集中し、自分の仕事を進めた。
「店主、竜人の姉ちゃんに麺を任せて平気なのか?」
鉱夫の一人が尋ねた。
「平気じゃないなら任せない」
「昨日まで料理人じゃなかったんだろ」
「今も料理人ではありません」
リーゼが答える。
「私は一時的な調理助手であり、試食係です」
「一時的なのか?」
「その予定です」
「店主、逃げられるぞ」
「余計な心配をするな」
蓮司は器へスープを注いだ。
「本人が行きたいなら止めない」
言葉にした瞬間、胸のどこかが小さく痛んだ。
リーゼも一瞬だけ手を止めたが、すぐに湯切りを再開する。
「今は営業中です。私の今後については、あとで話してください」
「言い出したのは客だ」
「ですが、答えたのは蓮司です」
「では、あとで話す」
「……はい」
妙な空気が流れかけたところで、ミーナが大きな声を出した。
「最初の三杯、できたよ! 濃いめ肉増しが二つ、普通の肉増しが一つ!」
「まだ載せ終わってない」
「早くしないと冷めるでしょう」
「だからといって、完成前に客へ声をかけるな」
「店主は細かい!」
「料理は細かいところで味が変わる」
「はいはい」
「返事」
「はい!」
最初の六人へラーメンが行き渡った。
鉱夫たちはオルドと同じく、木製の二股叉で麺を巻く者、器へ直接口をつけてすする者、匙で麺を短く切りながら食べる者と、それぞれ好きな方法で口へ運んでいく。
「おお、濃いめはいいな」
「汗をかいたあとなら、もっと旨そうだ」
「肉、柔らけえな。本当に鼠なのか?」
「鼠だ」
「言われると少し嫌だな」
「食ってから言うな」
「いや、味は旨い。でも鼠だろ?」
「お前たちが毎日捨てていた肉だ」
蓮司は答えながら、二巡目の麺を準備した。
「捨てていたものを旨い料理へ変えられるなら、別に食材の名前を恥じる必要はない」
「店主の言うことは分かるが、恋人を連れてくるなら、鼠料理だとは黙っておきたいな」
「材料を隠す客は、連れてこなくていい」
「商売する気あるのか?」
「騙して一度来る客より、知ったうえで何度も来る客のほうがいい」
「頑固だねえ」
男は笑いながら、もう一口スープを飲んだ。
「でも、そういう店だから、オルドも俺たちを連れてきたんだろうな」
「俺は旨かったから連れてきただけだ」
オルドが言う。
「店主の性格まで保証した覚えはねえ」
「味だけ保証すれば十分だ」
「少しくらい自分も保証してほしいのか?」
「必要ない」
「今、一瞬間があったぞ」
「麺の茹で時間を見てた」
「便利だな、料理は。都合の悪い話から何でも逃げられる」
リーゼが意味ありげに蓮司を見た。
「何だ」
「いいえ。私も同じことを思っただけです」
十食の提供は、開店から半刻もかからず終わった。
最後の客が器を空にしたとき、麺は二食分だけ残っている。
蓮司たちのまかないにするには足りない。
だが、最初から分かっていたことだった。
「今日はこれで売り切れだ」
蓮司が木札を裏返すと、まだ店の外を覗いていた冒険者が不満そうな声を上げた。
「もう終わりか? 俺も食おうと思ってたのに」
「明日来い」
「昼の営業が始まる前だぞ」
「十人来るとは思ってなかった」
「商売なら、多めに仕込めよ」
「余らせれば、食材が無駄になる」
「客を逃がすのも損だろう」
「分かってる。明日は増やす」
自分で口にすると、単純なことだった。
しかし、どこまで増やすかは難しい。
今日十人来たからといって、明日も十人とは限らない。二十人来るかもしれず、一人も来ないかもしれない。
「二十食」
ミーナが言った。
「急に何だ」
「明日の仕込み。二十食にしよう」
「多すぎる」
「今日、食べられなかった人がいる。鉱夫の人たちも、ほかの仲間へ話すかもしれない」
「十五でいい」
「また余らせるのが怖いのですか」
リーゼが尋ねた。
「怖いわけじゃない。食材を無駄にしたくない」
「以前の店では、一日に何杯分を仕込んでいたのです」
「平日は二百五十、休日は三百を超える日もあった」
「それを一人で?」
「店員はいた。だが、スープとタレの最終調整は俺がやった」
「今は二十杯の仕込みに迷っているのですね」
「知名度も客の数も違う」
「それだけですか」
リーゼは蓮司の顔を見つめた。
「また店が忙しくなり、自分では抱えきれなくなることを、どこかで恐れているのではありませんか」
痛いところを突かれた。
蓮司はすぐには答えられなかった。
客が来なければ悔しい。
だが客が増えれば、また自分が何もかも抱え、前と同じように潰れるのではないか。
昨日、一人だった店へ十人が来ただけで、仕込みの量、席の回転、麺の不足、まかないの確保という問題が一気に増えた。
嬉しい。
同時に、怖い。
「……少しはある」
「認めるのですね」
「認めないと直せないんだろ」
「はい」
「だから、明日は十八食にする」
「二十ではなく?」
「いきなり倍にはしない。十八食なら、三人分のまかないを残して十五杯売れる。売り切れたら明後日増やす」
「悪くないと思います」
リーゼが頷く。
「ミーナは?」
「二十がいいけど、店主が一人で決めなかったから十八でいい」
「妙に上からだな」
「店員の意見を聞いたでしょう」
「ああ」
「じゃあ、頑張る」
ミーナがそう言ったところで、店の前へ長い影が落ちた。
「随分と繁盛しているようだな」
聞き慣れない男の声だった。
暖簾の向こうに、上等な黒い外套をまとった男が立っている。
年齢は四十歳前後。
黒髪を油で丁寧になでつけ、指には緑色の宝石をはめた大きな指輪。革靴はギルド裏の土を踏むことさえ嫌うように、磨き上げられていた。
後ろには、書類鞄を持つ細身の従者と、短剣を腰へ下げた護衛が二人。
鉱夫たちの何人かが、男を見るなり表情を硬くした。
「ベルトラン……」
オルドが小さく呟く。
「知り合いか」
「商業ギルドで、食材の卸売りを仕切ってる男だ。この町で店をやるなら、嫌でも顔を合わせることになる」
ベルトランは六席だけの店を眺め、それから空になった器へ視線を落とした。
「なるほど。貧民街で無料の食事を配り、評判を作ったあとで、有料の商売へ切り替えたというわけか。なかなか頭のよい手口ではないか」
「頭は使ったが、手口と言われるようなことはしてない」
蓮司が答える。
「まず、客へ挨拶をするところから覚えたらどうだ」
「ここは商売人が店主を教育する場所ではない」
「その商売について、話がある」
「今日は売り切れだ。食いたいなら明日来い」
従者が目を見開き、護衛たちが顔を険しくする。
ベルトラン本人は、怒る代わりに薄く笑った。
「私を客だと思っているのか」
「店の前へ来た人間は、食うか、用事があるかのどちらかだろ」
「私はベルトラン・グリム。このラグナ商業ギルドにおいて、食料品部門の監査役を務めている」
「蓮司だ」
「知っている。異世界から現れ、魔物を食材にするなどという奇行で冒険者たちの注目を集めている男だろう」
「奇行かどうかは、食ってから決めろ」
「食べる気はない」
「なら、味について話すな」
店の空気が張り詰めた。
リーゼが蓮司の隣へ立ち、ミーナは無意識に肉の入った籠を背後へ隠した。
ベルトランはその様子を見て、小さく鼻を鳴らした。
「話の分からない男だと聞いていたが、噂以上らしい。では単刀直入に言おう。この店の営業許可は、まだ仮申請の状態だ。正式な許可が下りるまで、有料で料理を提供することは認められない」
「ギルドの受付では、申請中でも試験営業は可能だと聞いた」
リーゼがすぐに反論した。
「一日十五食未満、座席六席以内、酒類を提供せず、火災対策と衛生監査を受けることを条件に、七日間の試験営業が認められるはずです」
「よく調べているな、竜人のお嬢さん」
「正式な規則を確認しただけです」
「だが、その規則は通常の家畜肉や穀物を扱う店を想定したものだ。毒を持つ魔物を調理する店など、前例がない」
「ギルド薬師が毒牙鼠の安全性を確認し、処理方法も冒険者ギルドへ提出しています」
「冒険者ギルドは、食料品の流通と営業を監督する機関ではない。魔物を倒すことと、人間の口へ入れることは別の問題だ」
ベルトランの主張には、一理あった。
前例のない食材。
毒腺を外し損ねれば、死人が出る可能性もある。
安全確認を受けること自体は、蓮司も拒むつもりはなかった。
「なら、何を調べる」
「魔物肉の仕入れ経路、加工場所、保管方法、毒物の管理、調理器具、客への説明。すべてだ」
「いつ来る」
「監査の日程は、商業ギルドが決める」
「それでは困る。今日の肉は保存できるが、陽麦や野菜は傷む」
「正式な許可を得るまで営業を止めればよい」
「監査を遅らせ、その間に店を潰すつもりか」
蓮司が尋ねると、ベルトランの笑みが僅かに深くなった。
「随分と疑い深いな」
「客が来始めた翌日に、規則を持って現れた。偶然だと思うほど、お人好しじゃない」
「では、こちらも率直に言おう。お前は冒険者ギルドから、毒牙鼠を無償で受け取っているそうだな」
「あれは廃棄物だ」
「廃棄物であろうと、食材として価値が生まれた時点で商品となる。それを市場へ通さず、独占的に受け取れば、既存の食肉業者と料理店を不当に圧迫する」
「昨日まで金を払って焼いていたものを、俺が引き取ることで廃棄費用が減る。誰が損をする」
「今は、だ。だが魔物肉が売れるようになれば、お前だけが無償で仕入れ、安い料理を売ることになる。通常の肉を扱う店は、価格で対抗できない」
「俺一人が独占する気はない。処理方法を覚えた奴が、安全に扱えばいい」
「随分と立派なことを言う。だが技術を教えるのは誰だ。認定するのは誰だ。価格を決めるのは誰だ。結局、お前がすべてを握るのではないか?」
蓮司はすぐに返さなかった。
自分が技術を教える。
ギルドと協力して、処理できる人間を増やす。
そう考えていた。
だが、誰が安全を保証し、誰が流通を管理するかまでは決めていない。
ベルトランは嫌な男だ。
それでも、すべてが言いがかりというわけではなかった。
「必要なら、商業ギルドとも話し合う」
「そのために私が来た」
「なら、最初からそう言え」
「話し合いには条件がある」
「何だ」
「魔物肉の買い取り、処理、流通は、商業ギルドが一括して管理する。冒険者ギルドから食材を直接受け取ることは禁止だ。お前が必要とする食材は、我々の検査と価格査定を通し、正規の代金を払って購入する」
「いくらで売る」
「種類や状態による。毒牙鼠一頭で、銀貨一枚程度からだろう」
ミーナが目を見開いた。
「銀貨一枚? 昨日まで捨ててた鼠を?」
「検査、輸送、保管、解体の費用がかかる。安全を得るには金が必要だ」
「毒腺の処理は、俺たちがやる」
「未認定の小さな店へ、毒物の処理を任せることはできない」
「銀貨一枚で仕入れたら、一杯銅貨六枚では出せない」
「ならば値上げすればよい。安全な食事を求める客は、相応の金を払う」
「貧民街の人間は?」
「商売とは、金を払える者へ商品を売る行為だ。慈善をしたいのなら、教会へ寄付でもすればよい」
ミーナの耳が伏せられた。
「払えない人は、食べるなってこと?」
「子供は口を挟むな」
ベルトランの言葉が落ちた瞬間、蓮司の顔から表情が消えた。
リーゼがそれに気づき、咄嗟に蓮司の袖を掴む。
「蓮司」
「分かってる」
「何もしていない人の声ではありません」
「殴らない」
「包丁も抜かないでください」
「抜かない」
ミーナは悔しそうに唇を噛んでいた。
ベルトランは彼女を一人の店員としてではなく、話し合いへ参加する資格のない貧民の子供として見ている。
「この店では、働いている人間に口を出す権利がある」
蓮司は低い声で言った。
「年齢は関係ない」
「盗みで暮らしていた獣人の娘が、商業規則を理解しているとでも?」
「理解していないなら教える。理解している人間だけで決めた結果が、昨日まで食える肉を山積みにして腐らせる仕組みなら、賢い大人だけに任せる理由もない」
周囲の鉱夫たちが、息を呑んだ。
ベルトランの目が細くなる。
「言葉には気をつけることだ。正式な営業許可を出すのは、商業ギルドなのだぞ」
「許可が必要なら、必要な検査を受ける。だが、食材を買い占め、値段を釣り上げる条件は飲まない」
「では、この店は今日までだ」
「ベルトラン」
オルドが口を挟んだ。
「俺たちは、もう金を払って食った。毒も出てねえ。商業ギルドが安全を確かめるのは分かるが、食材の値段を百倍にする話は別だろう」
「鉱夫が商売へ口を出すな」
「客が値段の話をして、何が悪い」
「お前たちは安ければ喜ぶ。だが安値で既存の商売を壊したあと、店が消えれば食べ物そのものがなくなる。その責任を取れるのか」
「こいつは店を消す気はねえよ」
「人間は気持ちだけで商売を続けられない」
「それは正しい」
蓮司が言った。
オルドが振り返る。
「店主?」
「気持ちだけでは続かない。だから、俺も無料で配り続ける気はない。食材、薪、塩、店員の給料。必要な金は客から取る」
「ならば、こちらの管理へ従え」
「ただし、価値のなかった食材へ、商業ギルドの名をつけるだけで高い値段をつけることは認めない」
「認めるかどうかを決めるのは、お前ではない」
「では、客に決めさせる」
ベルトランが眉を動かした。
「何?」
「料理勝負をしろ」
店の前が静まり返った。
リーゼが蓮司の袖を掴む力を強める。
「蓮司、話し合いはどこへ行ったのです」
「話し合った。意見が合わない」
「だからといって、なぜ料理勝負になるのですか」
「こいつは、麺が貧民の餌だと思っている」
「私は、まだその言葉を口にしていないが」
ベルトランは冷たく笑った。
「だが、あえて言えば、そのとおりだ。粉へ水を加えて伸ばしただけのものを汁へ沈め、捨てられた鼠肉を載せる。腹を満たすことしか考えられない貧民には、ふさわしい料理だろう」
ミーナの顔が強張った。
鉱夫たちの空気も変わる。
蓮司は怒鳴らなかった。
ただ、ベルトランをまっすぐ見た。
「麺を食ったことは?」
「ない」
「俺のラーメンを食ったことは?」
「ない」
「それで貧民の餌だと決めた?」
「食材と作り方を聞けば分かる。料理とは、選び抜かれた肉、香辛料、技術によって価値を与えられるものだ。安い材料を煮て、腹を膨らませるだけの汁物と同列ではない」
「なら、お前が選び抜いた食材で料理を作れ。俺は、お前が価値なしと呼ぶ材料でラーメンを作る」
「私が料理を?」
「自分でできないなら、商業ギルドが認める料理人を連れてこい」
「勝敗は、誰が決める」
「町の人間だ。貴族、商人、冒険者、鉱夫、貧民街から、それぞれ同じ人数を集めろ。身分を隠して食わせ、どちらが旨いか選ばせる」
「味だけで、流通の問題を決めるつもりか」
「味だけでは決めない。原価、処理の安全性、継続して作れるかも公開する」
リーゼが蓮司の言葉を引き取った。
「勝負の結果、魔物肉が安全で、安価な食材として価値を持つと認められた場合、商業ギルドは独占的な買い取りを要求せず、冒険者ギルドと共同で取扱規則を作る。逆に危険性や継続性に問題があると判断された場合、《異世界麺処・蓮》は営業を停止し、改善後に再申請する。それならば、単なる料理の好みだけで規則を決めることにはなりません」
「リーゼ」
「何です」
「話が早いな」
「あなたが勢いだけで勝負を申し込んだので、条件を整えています」
「助かる」
「あとで、勝手に決めたことについては話し合います」
「今じゃないのか」
「今は相手の前です」
笑顔だった。
だが、あとで相当怒られることだけは分かった。
ベルトランはしばらく考えていた。
断れば、客や鉱夫たちの前で、料理そのものから逃げたと思われる。
受けても、自分が負けるとは考えていないのだろう。
「面白い」
やがて、ベルトランは言った。
「三日後、中央広場で行う。こちらは王都の料理学校で修業した料理人を用意しよう。食材は市場から自由に選ぶ」
「俺は、魔物食材を使う」
「好きにしろ。ただし、食材の安全性は事前に薬師が確認する。勝手に未知の毒物を持ち込むことは認めない」
「当然だ」
「テーマは?」
「働いた人間が、明日も働ける一杯」
「曖昧だな」
「高級食材を並べて終わりにしないためだ。金持ちが一口食って褒めるだけではなく、腹を満たし、身体を温め、また食いたいと思える料理を作れ」
「貧民の食事を競うのか」
「貧民も貴族も、腹が減れば食う。料理は、身分で舌を変えない」
「理想論だ」
「なら勝って証明しろ」
ベルトランは外套を翻した。
「よいだろう。お前が負けた場合、この店は閉める。魔物肉の処理方法と《寸胴収納》の能力について、商業ギルドへすべて開示してもらう」
「能力は渡せない」
「使い方と制限を報告しろという意味だ」
「店を閉める条件は受ける。ただし、能力の開示は安全管理に必要な部分だけだ。俺のすべてを、お前へ売る気はない」
「交渉だけはするらしいな」
「前の店で嫌というほどやった」
「なら、契約書を用意する」
ベルトランは踵を返した。
数歩進んだところで立ち止まり、肩越しに店を振り返る。
「忠告しておこう。料理は、腹を満たせばよいものではない。格式、希少性、食べる者の身分によって価値が決まる。お前の麺が貧民の餌であることを、中央広場で教えてやろう」
「一つだけ訂正する」
「何だ」
「腹を満たせない料理は、どれだけ格式があっても飯として半人前だ」
ベルトランは何も答えず、従者たちを連れて去っていった。
姿が広場の角へ消えた途端、リーゼが蓮司の袖を離した。
「さて」
「営業許可の話なら、勝負で――」
「そうではありません」
リーゼの笑顔が深くなる。
「三日後に料理勝負をすると、私やミーナへ一言も相談せず決めたことについてです」
「時間がなかった」
「“少し相談したい”と言う時間くらい、ありました」
「相手が待たないと思った」
「それも、蓮司が勝手に決めています」
「でも、逃げたら店を閉められた」
「だから勝負そのものへ反対しているのではありません!」
リーゼの声が店の中へ響く。
「私が怒っているのは、あなたがまた、自分一人で責任を引き受ける形にしたことです。負ければ店を閉める。その店はもう、蓮司一人の店ではないでしょう」
蓮司は言葉に詰まった。
今日は、三人の店だ。
自分でそう言った。
なのに、店を賭ける話を一人で決めた。
「……悪かった」
「早いですね」
「言い返せない」
「では、どうしますか」
「勝負へ出るかどうか、二人の意見を聞く」
「もう申し込んだあとでしょう!」
「取り消すなら、今から追いかける」
リーゼは目を瞬いた。
本当に走って追いかけるつもりだと分かったらしい。
ミーナは腕を組み、難しい顔をしていた。
「勝負する」
やがてミーナが言った。
「いいのか」
「あいつ、あたしのことを子供だから口を挟むなって言った。貧民街の人が食べるものを餌だって言った。腹が立つ」
「腹が立つだけで、店を賭けるのか」
「それだけじゃない。勝たないと、毒牙鼠を高い値段で買わされるんでしょう。そうなったら、あたしの給料も出ないし、貧民街の人も食べられない」
「現実的ですね」
リーゼが感心したように言う。
「蓮司の店員だもの」
「俺のせいにするな」
「私は」
リーゼは一度目を閉じ、短く息を整えた。
「勝負を受けます。ただし条件があります」
「何だ」
「仕込みを一人で抱えないこと。徹夜をしないこと。料理を決める段階から、私とミーナへ相談すること。勝つためだからといって、食材や身体を粗末にしないこと」
「全部守る」
「今、考えずに返事をしましたね」
「守る必要がある条件だからだ」
「では、三日間の作業を、今から分けます」
リーゼは注文を書いていた板を裏返し、新しい文字を書き始めた。
「一日目。勝負の条件と審査員を確認し、使用する食材を決める。二日目。試作と原価計算、安全確認。三日目。朝から本番の仕込み。ただし前夜は必ず眠る」
「麺は前日に打ったほうが、少し寝かせられる」
「では二日目の夜までに終わらせ、蓮司は眠る」
「スープは当日の朝からでは時間が足りない」
「前日から煮る必要があるなら、交代で火を見る。蓮司一人で夜通し見張ることは禁止です」
「交代だと、味が変わる」
「だから教えるのです」
「三日で?」
「三日しかないからです」
リーゼは逃げ道を塞ぐように言い切った。
ミーナも大きく頷く。
「交代でやる。あたし、匂いなら分かる」
「火の管理まで任せるには早い」
「じゃあ教えて。勝負するんでしょう」
二人に挟まれ、蓮司は炉の上に置かれた鍋を見た。
以前なら、任せられないと言った。
自分がやる。
それが一番早く、確実だと。
だが今回の相手は、ベルトランが連れてくる料理人だけではない。
自分一人で抱え込もうとする、前世から変わらない自分自身でもある。
「分かった」
蓮司は頷いた。
「三人で作る」
「本当に?」
ミーナが念を押す。
「ああ。ただし、勝つために手加減はしない。忙しいぞ」
「毎日ご飯は出る?」
「出す」
「なら働く」
「基準がそこなのですね」
リーゼが苦笑する。
「腹が減ってたら、いい仕事できないって店主が言ったもの」
「正しい」
蓮司は店の外へ目を向けた。
ベルトランの姿は、もうない。
広場では料理勝負の噂が、早くも冒険者や鉱夫たちの間へ広がり始めている。
「食材を決めるぞ」
「もう候補があるのですか」
「白角鹿では、材料が希少すぎて継続性を示せない。毒牙鼠だけでは、ベルトランに貧民向けの安物だと言われる。岩鎧猪は脂が強く、短期間では肉を柔らかくする仕込みが間に合わない」
「では、何を使うの?」
ミーナが尋ねた。
蓮司は冒険者ギルドの依頼板を見た。
今朝、新しく貼られた赤い依頼書。
町の北東にある火山地帯で、若い火竜が目撃されたという緊急討伐依頼だった。
「火竜だ」
リーゼとミーナの表情が同時に固まった。
「蓮司」
「何だ」
「先ほど、食材や身体を粗末にしないと約束したばかりですね」
「粗末にはしない。火竜の脂は、味噌と合わせれば強い香りになる。肉も骨も、調べる価値がある」
「なぜ料理勝負の食材を決める話から、いきなり竜を狩る話になるのですか!」
「最高の一杯を作るためだ」
「それが危険だと言っているのです!」
「討伐依頼なら、ほかの冒険者も行く。一人では戦わない」
リーゼは反論しかけ、そこで口を閉じた。
「……今、一人で行かないと言いましたか」
「ああ」
「誰かと役割を分けると?」
「俺は食材を傷めない倒し方を考える。戦闘は、できる奴に協力を頼む」
ミーナが驚いた顔をする。
「店主が、人に頼るって言った」
「そこまで珍しいことか」
「白角鹿を一人で倒して、毒牙狼とも一人で戦おうとして、岩鎧猪の試験も一人で受けた人でしょう」
「今回は料理勝負もある。怪我をしてる暇がない」
「理由は少し気になりますが、進歩です」
リーゼは依頼書を見つめた。
「ただし、若い火竜であっても、銀級以上が推奨される魔物です。鉄級の蓮司が参加するには、上位冒険者の隊へ加わる必要があります」
「オルドは、もう冒険者ではない」
「ガルド支部長に相談しましょう。食材として扱うのであれば、冒険者ギルドにも利益があります」
「それから味噌を探す」
「味噌?」
「発酵させた豆の調味料だ。この世界に同じものがあるか、市場を調べる」
「ベルトランが仕切る市場へ行くのですか」
「あいつの市場でも、食材に罪はない」
「本人と会ったら?」
「必要なものを売るなら買う。売らないなら、別の方法を探す」
「喧嘩は?」
「しない」
「本当に?」
「料理で勝つと決めただろ」
蓮司は包丁を取り、刃へ映る自分の顔を見た。
麺は貧民の餌。
そう呼ばれたこと自体より、食べたこともない人間が、食べる者の身分だけで料理の価値を決めたことが腹立たしかった。
安い材料だから価値がない。
貧しい者が食べるから、粗末でいい。
その考えを、言葉で変えるのは難しい。
ならば、一杯を食わせるしかない。
「火竜味噌ラーメンを作る」
蓮司は言った。
「貧民の餌だと笑った男が、器の底まで飲まずにいられない一杯をな」
三日後の料理勝負へ向けた、最初の仕入れが始まろうとしていた。




