第16話 火竜肉は誰のものか
火竜の素材を誰が、どれだけ受け取るのかを決める会議は、朝の鐘が鳴る前から始まった。
場所は冒険者ギルド二階の会議室。
中央の長机には、火竜から回収された素材の一覧と、分厚い帳簿、秤、革袋へ分けられた鱗の見本が並べられている。
部屋に集まったのは、冒険者ギルド支部長のガルド、商業ギルドのベルトラン、町役場の防災担当官、薬師組合の老薬師、火竜討伐隊を代表する銀級冒険者二人、鍛冶職人のドルガン、そして蓮司たち三人だった。
さらに、王室への献上分を確認するため、セドリックが残していった近衛騎士の一人も、壁際へ立っている。
朝早いというだけでも人間は不機嫌になる。
そこへ、金、命、仕事、名誉が絡む話を持ち込めば、穏やかな話し合いになるはずがなかった。
「最初に確認しておく」
ガルドは全員が席へ着く前から、疲れた顔で言った。
「今日の会議で料理勝負はしない。決闘もしない。声が大きい奴の取り分が増えることもない。特に、そこにいる料理人と鍛冶屋は、気に入らない意見が出るたび立ち上がるな」
「俺は、まだ何も言ってない」
蓮司が答える。
「昨日の夜、必要量も分からないまま火竜の鱗を寄越せと言ってきただろう」
「今日は、ドルガンを連れてきた」
「だから何だ」
「必要量が分かる」
「分かっただけで、お前のものになるわけじゃない!」
開始前から支部長の声が荒れている。
ミーナが隣のリーゼへ顔を寄せた。
「ガルドさん、昨日から寝てないの?」
「少しは眠ったと思いますが、火竜襲来後の被害確認、討伐隊への報酬、王室への報告、素材管理を同時に行っているのでしょう」
「店主より忙しそう」
「蓮司より仕事を分けていますから、まだ倒れずに済んでいるのだと思います」
「聞こえてるぞ」
ガルドが二人を睨んだ。
「俺の体調まで議題へ増やすな」
「疲れている人間が、金額と命に関わる判断をしてよいのでしょうか」
リーゼが真面目に問い返す。
「今朝、医務室で診てもらった。問題ない」
「食事は?」
「食った」
「何を?」
「黒パンと煮込みだ!」
「焦げていましたか」
「料理長へ聞け! なぜ俺まで、お前たちの店の従業員みたいに食事を確認されなければならん!」
ガルドは机を叩き、無理やり話を本題へ戻した。
「素材の一覧を読む。火竜の鱗、大小合わせて百八十六枚。翼膜、左右のうち右側は損傷が激しく、利用可能部分は全体の三割。左側は六割。牙四本。爪十四本。火袋一つ。ただし魔力が不安定なため、薬師組合の封印箱へ保管中。竜核は崩壊しており、研究以外への利用は禁止する」
「肉と骨は」
蓮司が尋ねる。
「今から言う。食用候補の肉は、およそ三百二十斤。脂が七十斤。肋骨、背骨、腿骨を合わせて百斤ほど。ただし焔蛭の毒と崩壊した竜核の魔力が回っている可能性がある部位は除外済みだ」
「除外した部位は?」
「火山地帯の封印穴で焼却する。食用にも素材にも使えん」
「焼く前に、もう一度確認したい」
「駄目だ」
老薬師が蓮司より先に答えた。
「竜核の崩壊物が染み込んだ肉は、鍋へ入れれば毒になるか、魔力暴走を起こす可能性がある。食材鑑定に何と出ようと、今回は触らせないよ」
「食えると言うつもりではない。どの程度まで変色と臭いが広がるか、今後の判断材料にしたい」
「記録は残した。肉の切断面、臭い、魔力反応も、薬師三人で確認している」
「俺も見たい」
「死骸のすべてへ料理人が立ち会わなければ気が済まないのかい」
「次に同じ状態の竜を見つけたとき、毒が回った場所を早く見分けられる」
「その次を当然のように考えるんじゃないよ」
「火竜が一頭しかいないとは限らない」
「それはそうだが、あんたの言い方だと、次の仕入れ先を探しているようにしか聞こえないね」
「半分はそうだ」
「半分もあるのかい!」
老薬師は呆れたように椅子へ座った。
ベルトランが帳簿を指で叩く。
「素材の総量は分かった。次に確認すべきは、所有権だ。討伐依頼を出したのは町、依頼を受けたのは冒険者ギルド、実際に火竜を止めたのは討伐隊と住民、最後に仕留めたのは神谷蓮司。通常の規則へ従えば、魔石や主要素材の一部は依頼主へ、残りは討伐者へ渡る」
「なら、俺たちの取り分を先に決めてくれ」
討伐隊代表の一人、赤髪の女戦士が言った。
名はサーシャ。
火竜を拘束した縄を最後まで引き続け、両手へ火傷を負った冒険者である。
今も指へ包帯を巻いていた。
「俺たちは、鱗を飾りたいわけじゃない。怪我をした奴は、治療が終わるまで依頼へ出られない。弓を焼かれた奴も、盾を失った奴もいる。町を守った名誉だけでは、宿代も薬代も払えない」
「報酬は、町から出る」
防災担当官が答えた。
「緊急討伐に関する基本報酬と、負傷者の治療費は全額負担する」
「基本報酬では、失った装備まで買い直せない」
「町の予算にも限りがある」
「限りがあるのは、こっちの命も同じだ」
サーシャの声が低くなった。
「町を守るためだから、安く戦えと言われても困る。次に火竜が来たとき、“前回は命を懸けても赤字だった”と分かっていて、誰が前へ出る?」
防災担当官は言葉を詰まらせた。
町を守った冒険者へ報いるべきだ。
しかし町の金は、火災で壊れた工房の修理、負傷した住民への補償、防壁の改善にも使わなければならない。
どちらも間違っていない。
「なら素材を売ればいい」
別の冒険者が言った。
「鱗も牙も、貴族や商人へ売れば高値になる。その代金を討伐隊で分ける。それが一番早い」
「全部売れば、次の火災へ備えられない」
防災担当官が反論する。
「火竜の鱗は耐火盾と、防火扉へ使える。火袋も研究できれば、火の魔道具を制御する技術へつながるかもしれない」
「次の火事に備えるため、今回戦った奴が損をしろと?」
「そうは言っていない!」
「聞こえ方は同じだ」
机の両側で、冒険者と役人が睨み合う。
「一度、話を分けましょう」
リーゼが口を開いた。
「討伐者への報酬と、素材の用途を同時に決めるから、誰かへ渡した素材が、そのまま報酬になると思われています。まず、討伐隊へ支払うべき金額を決める。その金額を、町の予算だけで払えないなら、素材売却代金の一部を充てる。そのあと、残る素材をどう使うか話すべきです」
「まともな意見だ」
ベルトランが頷いた。
「なぜ、この店では料理人より調理助手のほうが交渉へ向いているのだ」
「俺も同じことを考えていた」
ガルドが言う。
「本人の前で言うな」
蓮司は不満そうに答えた。
「では、蓮司はどう考えているのです」
リーゼが尋ねる。
「火竜の肉と脂は、俺が受け取る約束だった」
会議室の空気が変わった。
「誰と交わした約束だ」
ベルトランが問い返す。
「ガルドだ。討伐へ協力する代わりに、食用部位を受け取る」
「俺は、“安全に食用へできる部分については、優先的に買い取れるよう調整する”と言った」
ガルドが訂正した。
「買い取る?」
「無料で全部渡すとは言っていない」
「火竜を旨く倒す方法を考え、解体もした」
「だから優先権は認める。だが、お前一人で倒したわけではない」
「分かってる」
「分かっている顔ではないな」
ガルドの言うとおり、蓮司は不満だった。
火竜を食材として扱えるよう、傷めない倒し方を考えた。
焔蛭を外した。
最後の刃を入れ、血抜きと解体を指揮した。
肉と脂を使い、料理勝負へ勝った。
自分が使うことを前提に考えていた。
「店主」
ミーナが袖を引いた。
「火竜のお肉、全部欲しいの?」
「全部を一度に使うわけじゃない。《寸胴収納》へ入れれば保存できる。部位ごとに調理法を試す」
「ほかの人は?」
「食いたいなら、店で料理へして出す」
「それって、火竜のお肉を店主が全部持って、みんなは店主から買うってこと?」
「そうなるな」
「ベルトランと同じじゃない?」
蓮司は動きを止めた。
会議室の全員が、ミーナへ視線を集める。
「どういう意味です」
リーゼが静かに尋ねる。
「ベルトランは、毒牙鼠を商業ギルドで全部買って、店主へ高く売るって言ったでしょう。店主は、それじゃ一人だけが決めることになるって怒った」
「ああ」
「でも今、火竜の肉を全部もらって、食べたい人には自分の店で出すって言ってる。それなら、値段も、誰に食べさせるかも、店主が決めるんでしょう」
「俺は高く売るつもりはない」
「安ければいいの?」
ミーナは、責めるような声ではなかった。
本当に分からないから尋ねている。
「火竜の肉で、火へ強くなる料理を作れるんでしょう。町の人は、火事のときのために残したいかもしれない。薬師さんは、薬へできるか調べたい。冒険者の人は、売ったお金で新しい盾を買いたい。店主だけが持っていたら、ほかの人は、店主へお願いしないと何もできないよね」
「……そうだな」
「それは、いいことなの?」
蓮司は答えられなかった。
自分が正しく調理できる。
無駄にしない。
安全に扱える。
それは事実である。
だが能力と技術があるから、所有権まで自分へ集めてよいわけではない。
「子供に言われて、ようやく気づいたか」
ベルトランが皮肉を口にする。
「お前に言われたくない」
「私は、一つの組織で管理しなければ混乱すると主張した。独占的な価格設定については譲歩したが、管理の必要性まで間違っていたとは思っていない」
「それは認める」
蓮司が答えると、今度はベルトランが驚いた。
「何だ、その顔は」
「君が私の意見を認めるとは思わなかった」
「間違ってない部分まで否定するほど、子供じゃない」
ミーナが蓮司を見上げる。
「今、あたしに言われたばかりだけどね」
「黙ってろ」
「店員の意見を聞くって言ったでしょう」
「聞いた。だから反省してる途中だ」
部屋へ、小さな笑いが広がった。
張り詰めていた空気が、僅かに緩む。
「食用部位について、俺の優先買い取り権は残してほしい」
蓮司は言い直した。
「ただし全部ではない。料理研究用、町の備蓄、薬師の検査、王室への献上分を先に決める。その残りを、正当な値段で買う」
「食材の値段は誰が決める」
ベルトランが尋ねる。
「商業ギルドだけでは決めない。冒険者ギルド、薬師、料理人で、処理費と安全確認の手間を出す」
「それでは、価格決定へ時間がかかる」
「急いで安く決めれば、冒険者が損をする。急いで高く決めれば、料理へ使えない」
「では、最初は試験価格とするか」
ベルトランは帳簿へ指を置いた。
「火竜肉は、市場での前例がない。通常の竜種素材は高価だが、食肉として価値があるかは、まだ神谷の料理以外で証明されていない。希少性だけで値をつければ、誰も調理できなくなる」
「お前が、それを言うのか」
「私は、商品が売れなくなるほど高い値をつけることを商売とは呼ばない」
「毒牙鼠へ銀貨一枚と言っただろ」
「あれは交渉のため、最も高い管理費を含めた価格だ」
「つまり、ふっかけた?」
ミーナが尋ねる。
「商談では、最初に希望額を出すことがある」
「ふっかけたのね」
「子供へ説明すると、言葉が乱暴になるな」
ベルトランは咳払いをした。
「ともかく、食用部位の仮価格は、同量の高級獣肉の二倍を上限としよう。ただし火炎耐性の効果が安定して確認された場合は、薬用素材として改めて評価する」
「薬用価格になれば、店で出せなくなる」
「だから料理用と薬用を分ける必要がある」
老薬師が言った。
「すべての脂へ、同じ強さの効果があるとは限らないよ。どの部位に火の魔力が多いか。精製方法で、効果と危険がどう変わるか。研究用の脂を少なくとも十斤は欲しい」
「十斤も?」
蓮司が顔をしかめる。
「七十斤しかない」
「だから十斤なんだよ。全部寄越せとは言っていない」
「料理の試作にも要る」
「薬師が調べなければ、どれだけ食べれば身体へ悪影響が出るか分からない。火に強くなるからと毎日食べ、体内へ火の魔力がたまったらどうする」
火炎耐性。
体温維持。
疲労軽減。
便利な効果だけを見れば、食わせればよいと思ってしまう。
だが火竜は、竜核の崩壊によって死んだ。
火の魔力は、強すぎれば身体を内側から壊す可能性もある。
「十斤渡す」
蓮司は答えた。
「ただし調査結果は、全部共有してくれ」
「研究者の記録を、あんたの店だけへ渡す気はない。町と各ギルドへ公開するよ」
「それでいい」
「それと料理の試作品も寄越しな。脂だけ調べても、味噌や骨と合わせた際の変化までは分からない」
「金は取る」
「研究協力だろう!」
「食材と仕事には金がかかる」
「本当に、少しも可愛げがないね!」
「薬師組合から、試作費を出します」
ベルトランが淡々と言った。
「安全性の確認は、商業流通にも必要だ」
「お前が払うわけじゃないだろう」
「組合間の予算調整をするのも、私の仕事だ」
「役に立つな」
「その言い方を、もう少し敬意あるものへ変えられないのか」
「かなり助かる」
「……それならよい」
ベルトランは満足してしまった自分に気づいたのか、すぐ不機嫌な表情へ戻った。
「町の備蓄としては、脂を十五斤、鱗を四十枚希望する」
防災担当官が言った。
「脂は救助隊用の火炎耐性食へ。鱗は耐火盾二枚と、染物工房地区の防火扉へ使う」
「十五斤も料理へした状態で保存できるのか」
蓮司が尋ねる。
「脂のまま保存し、火災時に調理する想定だ」
「誰が作る」
「町の料理人へ手順を教える」
「火竜脂の精製を、いきなり任せるのか」
「では、お前の店へ依頼する」
「火事が起きたとき、俺が町にいるとは限らない」
「だから手順を残し、別の料理人を育てる必要がある」
また、自分だけでは駄目だという話へ戻る。
「分かった。脂十五斤は町へ。ただし全部を一か所へ置くな。火災で備蓄倉庫が焼ければ終わりだ」
「三か所へ分ける予定だ」
「精製済みと未精製も分けろ。誰かが間違えて、そのまま鍋へ入れないよう印をつける」
「保管箱と表示は、町で用意する」
「調理担当へ教えるときは、俺も立ち会う」
「料金は?」
防災担当官が恐る恐る尋ねる。
「町を守る仕事だから、最初の講習は取らない」
全員が蓮司を見た。
「何だ」
「お前が無料と言うとは思わなかった」
ガルドが言う。
「ただし二回目以降は取る。何度教えても覚えない奴のために、店の営業を休めない」
「やはり、お前らしいな」
防災担当官は苦笑しながら、条件を書き留めた。
「次、火竜の鱗」
ガルドがドルガンを見る。
「厨房馬車へ何枚必要だ」
「炉の内張り、床の防火板、煙突周りへ使う。大きい鱗を十二枚。割れた鱗でも、隙間へ使えるものを八枚。合計二十枚だ」
「多い」
防災担当官が即座に反対した。
「耐火盾一枚へ、大型鱗が十五枚必要だ。厨房馬車一台へ二十枚回せば、盾が一枚減る」
「馬車の炉が燃えれば、王室の護衛隊ごと焼くことになる」
ドルガンが言い返す。
「耐火煉瓦で代用できないのか」
「できる。だが重さが増え、馬車の動きが悪くなる。災害時へ使うと言うなら、狭い道や坂を走れる軽さが必要だ」
「災害時に使うというのは、料理人側の希望だろう。町の所有物ではない」
「なら鱗を買う」
蓮司が言った。
「町が必要とする盾より、高く買えばいいのか」
「金の多い者へ渡せばよい、という話ではないでしょう」
リーゼが止める。
「蓮司自身が、昨夜そう説明しました」
「では、どうする」
「厨房馬車を、町の災害協力設備として登録します」
「店のものだ」
「所有権は店に残します。ただし緊急時、町から要請があれば、通常営業を中止し、避難所や消火現場へ食事を運ぶ。その義務を負う代わり、町は火竜鱗の一部を提供する」
「王都へ行っているときに災害が起きたら?」
「不在時は応じられません。契約へ明記します」
「町から勝手に使われる可能性は?」
「店側の責任者が同行しなければ使用できない、とします」
「責任者は俺か」
「将来は、ほかの店員も登録できます」
リーゼは、わざと将来という言葉を強調した。
蓮司は少し顔をしかめたが、反対しなかった。
「町としては、悪くない」
防災担当官が言った。
「耐火盾は一か所でしか使えない。厨房馬車なら、避難所へ移動できる。平時の維持費を店が負担する点も助かる」
「代わりに鱗二十枚?」
「大型鱗十枚、破損鱗八枚。残り二枚分は、耐火煉瓦と組み合わせてくれないか」
「炉の真下と煙突だけ鱗にし、側面は煉瓦へするなら可能だ」
ドルガンが考える。
「少し重くなるが、車軸を補強する」
「金額は」
ベルトランが尋ねる。
「鱗の価値を全額、店へ負担させるのではなく、町の災害設備提供分として半額補助。残り半額は《異世界麺処・蓮》が支払う形でどうだ」
「払う」
蓮司は即答した。
リーゼが横から睨む。
「金額を聞いてから返事をしてください」
「必要なら払う」
「店の残金を確認してからです」
「王室へ請求する」
「支払いの確認前に使わないでください」
同じやり取りを何度繰り返すのだと、会議室の何人かが笑った。
「火竜の翼膜は、王室が希望している」
壁際に立っていた近衛騎士が初めて発言した。
「王都の魔道具研究院で、耐火衣の材料として調べる。牙一本と鱗二十枚も、国王陛下への献上品として求められている」
「多すぎる」
サーシャが言った。
「王室は討伐へ一人も出してないだろう」
「王国領内で討伐された希少魔物の一部を、王室へ献上する慣例がある」
「慣例で命を持っていくのか」
「王室は国防、街道、冒険者ギルドの認可へ費用を出している。何もしていないわけではない」
「今回、火を浴びたのは俺たちだ」
二人の間へ、険しい空気が生まれる。
近衛騎士も命令を伝えているだけだ。
王室への献上を拒否すれば、町と王都の関係へ影響が出る。
だからといって、戦わなかった者が当然のように希少素材を受け取ることへ、冒険者が反発するのも分かる。
「王室への献上品は、誰の取り分から出す」
蓮司が尋ねた。
「通常は依頼主、つまり町の分からだ」
ガルドが答えた。
「なら町が決めればいい。ただし献上したことで、討伐隊への報酬が減るのは違う」
「王室から見舞金を出せないのですか」
リーゼが近衛騎士へ尋ねる。
「火竜による負傷者と、焼失した装備に対する補償です。希少素材を献上するのであれば、王室側も、守られた町と討伐者へ応じるべきでしょう」
「私に決める権限はない」
「伝令魔術で、セドリックさんへ確認してください」
「出発準備中の侍従長へ、今から?」
「王室の献上分を決める会議です。必要でしょう」
近衛騎士は不満そうだったが、間違っているとは言えなかった。
「回答が出るまで、王室分は保留だ」
ガルドがまとめる。
「献上を拒否はしない。ただし見舞金と装備補償を求める」
「それなら、俺たちも納得できる」
サーシャが言った。
「全部、自分たちで売るよりは安くなるだろうが、町と喧嘩したいわけじゃない。次も呼ばれたら戦えるだけの装備と、怪我を治す金があればいい」
彼女は包帯を巻いた手を見た。
「それと、死者が出なかったから忘れられそうだが、俺たちは運がよかっただけだ。次に同じ作戦を使えば、人が死ぬかもしれない。残った金があるなら、火竜相手の訓練と装備へ回してくれ」
「自分の取り分を減らしても?」
防災担当官が尋ねる。
「全部は嫌だ」
サーシャは、きっぱり答えた。
「命を懸けたんだから、金は欲しい。旨いものも食いたいし、酒も飲みたい。でも次の新人が、俺たちと同じ安い縄で火竜を止めろと言われるのも嫌だ」
立派なことだけを言わない。
自分の金も欲しい。
後の者の安全も守りたい。
その両方を口にできることが、人間らしかった。
「討伐隊への分配金から一割を、対火竜装備の共同基金へ回すのはどうだ」
ベルトランが提案する。
「強制なら反対する奴もいる」
ガルドが言う。
「各自の取り分を先に示し、そのうえで基金へ出すか選ばせる。商業ギルドと町が、冒険者の拠出額と同額を追加する」
「町にも出させるのか」
防災担当官が眉を寄せる。
「次の被害を減らす金だ。町にも利益がある」
「商業ギルドにも?」
「街道が焼かれれば、商品が届かない」
「なら、冒険者だけに負担させないということか」
「そうだ」
サーシャは頷いた。
「それなら仲間へ話す」
少しずつ、形が見えてくる。
全員が一番欲しいものを手に入れるわけではない。
それでも、誰か一人だけが損を引き受ける決め方からは離れ始めている。
「リーゼ」
ガルドが彼女を見た。
「お前は何か希望があるか」
「私ですか」
「竜人として、火竜の最期へ立ち会った。取り分を求める権利があるという話ではないが、何も言わないまま進めてよいのか気になった」
リーゼは、机の上の鱗を見た。
赤黒い鱗。
寄生虫へ苦しみ、自分の火で内側から焼かれ、最後には蓮司の刃で命を終えた若い竜。
「素材として使うことに、反対はありません」
彼女はゆっくり言った。
「食べ、道具へし、町を守るために使う。それは、ただ燃やして捨てるよりよいと思います」
「なら、希望はないか」
「一つだけ」
「何だ」
「火竜の喉元にあった、小さな白い鱗を残してほしいのです」
「白い鱗?」
蓮司が尋ねる。
「竜種は、幼い頃の鱗を一枚だけ、喉の奥へ残すことがあります。成長すれば周囲と同じ色へ変わりますが、あの火竜は若かったため、まだ白かった」
「何に使う」
「使いません」
リーゼは答えた。
「山へ返します。焔蛭が張りついていた場所の近くへ、埋めたい」
「価値のある素材では?」
ベルトランが尋ねる。
「魔力は、ほとんどありません。貴族の装飾にも、魔道具にも向かないでしょう」
「なら、分配対象から外しても問題はない」
ガルドは帳簿へ記録させた。
「リーゼに預ける」
「ありがとうございます」
リーゼは頭を下げた。
素材を無駄にしたくないという蓮司の気持ちと、すべてを用途へ変えず、一つだけ死んだ場所へ返したいというリーゼの気持ち。
どちらかだけが正しいわけではない。
「俺も行く」
蓮司が言った。
「埋めに?」
「ああ」
「料理へ使えない鱗ですよ」
「分かってる」
「それでも?」
「最後に刃を入れた。行く理由はある」
「では、三人で行きましょう」
ミーナが口を挟む。
「店は?」
「閉店後です」
「帰りに火山地帯の食材を――」
「仕入れではありません」
リーゼに即座に止められた。
「分かってる」
「今、少し考えましたね」
「周りを見るくらいはいいだろ」
「墓参りの途中で食材を拾わないでください」
「落ちていて、食えるものを無視するのか」
「その話は、あとでします!」
会議室に、また笑いが起きた。
◇
最終的な分配案がまとまったのは、昼の鐘が鳴る直前だった。
火竜の素材を売却した代金から、最初に負傷者の治療費と装備補償を支払う。
残った利益の一定割合を、討伐隊へ分配。
さらに冒険者、町、商業ギルドが共同で、対大型魔物装備の基金を作る。
火竜脂は七十斤のうち、十五斤を町の防災備蓄、十斤を薬師組合の研究、五斤を王室への献上候補として保留。
残る四十斤のうち、半分を《異世界麺処・蓮》が試験価格で買い取り、残りは効果と安全性の検証後に再分配する。
肉は王室献上分と研究用を除き、蓮司が優先的に買い取る。
ただし、火竜を食材として扱う技術を独占せず、処理と調理の記録を各組合へ提出することが条件となった。
鱗は町の防災設備、厨房馬車、王室献上候補、素材売却用へ分けられる。
厨房馬車には大型鱗十枚と、破損鱗八枚。
その代わり、《異世界麺処・蓮》は厨房馬車を災害協力設備として登録し、可能な範囲で避難所への炊き出しへ応じる。
「全員、異論はないか」
ガルドが確認した。
「異論がないというより、これ以上話しても、自分の取り分が増えないことは分かった」
サーシャが言う。
「正直だな」
「もっと欲しいに決まってる。でも町を守る鱗まで売って、その金で酒を飲んだら、次の火事で自分が困る」
「私も完全には満足していない」
防災担当官が続ける。
「鱗はもっと町へ残したかった。だが討伐者へ報いなければ、次に戦う者がいなくなる」
「薬師組合も、脂を二十斤は欲しかったよ」
老薬師が言う。
「だが料理として人へ食べさせた際の記録は、あたしたちだけでは取れない」
「商業ギルドとしては、売却可能な素材を増やしたかった」
ベルトランも答えた。
「しかし市場へすべて流せば、価格だけが先に上がり、研究も安全管理も追いつかない」
ガルドが蓮司を見る。
「お前は?」
「肉も脂も、もっと欲しい」
「分かっていた」
「ただ、全部が俺のものではないことも分かった」
「今さらだがな」
「ああ。今さらだ」
認めることは、負けではない。
間違いを認めず、次も同じことをするほうが、料理人としてはよほど恥ずかしい。
「では決定だ」
ガルドが帳簿へ署名する。
全員が順番に名前を書く。
蓮司の番になり、彼は筆を持ったまま止まった。
「どうした」
「自分の名前を、まだ全部書けない」
部屋が静まった。
「ここまで話して、最後がそれか!」
ガルドが頭を抱える。
「最初の文字は書ける」
「店の契約書へ署名しているだろう!」
「リーゼが代筆し、指印を押した」
「王都へ行く前に、絶対覚えろ!」
「必要だな」
「今、気づいたのか!」
リーゼが蓮司へ筆を持たせた。
「今日は、私が手を添えます。ただし次からは自分で書いてください」
「子供みたいだな」
ミーナが楽しそうに笑う。
「お前も書けないだろ」
「あたしは、名前の最初の二文字まで書ける」
「いつ覚えた」
「店主が寝てる間に、リーゼから教わった」
「先を越された」
「悔しい?」
「少しな」
「なら、一緒に練習しよう」
「店主と店員が、同じところから読み書きを始めるのか」
ベルトランが呆れる。
「店の帳簿は大丈夫なのか」
「私が管理しています」
リーゼが答えた。
「それが一番安心だ」
「全員、俺を信用しなさすぎじゃないか」
「料理以外では、実績が不足している」
ベルトランの言い方は冷静だったが、会議室には笑いが広がった。
蓮司はリーゼの手を借り、自分の名前を帳簿へ書いた。
形は歪んでいる。
看板職人が見れば、また呪符だと言うかもしれない。
それでも自分で書いた、最初の署名だった。
◇
会議が終わると、ドルガンは火竜鱗の使用許可証と見本を抱え、すぐに立ち上がった。
「工房へ戻る。寸法を合わせ、今日中に炉の枠を作るぞ」
「俺も行く」
蓮司が言う。
「お前は店へ戻れ」
「炉の高さを確認する」
「昨日、測った」
「実際に鍋を置かなければ分からない」
「鍋も測った」
「料理人が立ったときの動きを――」
「今日は、店を二人へ任せる日でしょう」
リーゼが止めた。
「俺は王都の準備をする」
「火竜肉の処理と、国王陛下への質問表を作る仕事があります。ドルガンさんの工房へ行けば、また設計へ口を出し、夜まで帰らないでしょう」
「口を出すなとは言わん」
ドルガンが言う。
「だが今日は、弟子たちと骨組みを直すだけだ。お前が見ても、料理へ関係する部分はない」
「車軸が壊れれば、料理できない」
「車軸の作り方まで覚える気か?」
「知っておけば、旅先で壊れたとき――」
「四日で鍛冶まで覚えるつもりなら、頭を一度打ってもらえ!」
ドルガンは怒鳴り、鱗を抱えて出ていった。
「任せてください」
リーゼが言った。
「ドルガンさんは、蓮司の料理へ勝手に塩を足しません。蓮司も、職人の仕事を途中で取り上げないでください」
「取り上げるつもりはない」
「ずっと横から質問するのも、作業を止めます」
「必要な確認だ」
「必要かどうかを、ドルガンさんと決めてください。蓮司一人ではなく」
蓮司は工房へ向かうドルガンの背中を見た。
心配だった。
炉の高さ。
鍋の位置。
麺台の強度。
水樽の固定。
考え始めれば、確認したいことはいくらでもある。
だがドルガンもまた、自分の仕事へ責任を負っている。
「分かった。今日は行かない」
「本当に?」
「夕方、進み具合を聞きに行く」
「それは構いません。ただし閉店後、三人で行きます」
「ああ」
ミーナが机の上の分配表を覗き込んだ。
「結局、火竜のお肉は誰のものになったの?」
「いろいろな人間のものだ」
蓮司は答えた。
「町、冒険者、薬師、王室、店。部位ごとに分けた」
「火竜のものじゃなくなったんだね」
「死んだからな」
「死んだら、残ったものを生きてる人が分けるの?」
「ああ」
「少し変な感じ」
「俺もだ」
命を食材と呼び、無駄にしないと言うことは簡単だった。
だが無駄にしないという言葉を盾にして、自分が全部使うことまで正しいと思い込んでいた。
「誰のものでもあるが、誰か一人だけのものではない」
リーゼが言った。
「私は、今の分け方が完璧だとは思いません。おそらく、あとから不満も出るでしょう」
「全員、少しずつ損した顔をしてた」
ミーナが言う。
「それでいいのか」
「全員が少し不満なら、公平なこともあります」
「リーゼも、ずいぶん面倒な考え方をするな」
「人間の分配に、誰も不満を持たない答えなど、ほとんどありません」
「ラーメンなら、全員が旨いと言う味を目指せる」
「塩が濃い、薄い、麺が硬い、柔らかいと、毎日意見が分かれているでしょう」
「それでも料理のほうが簡単だ」
「だから、蓮司は何でも料理で解決しようとするのですね」
否定はできなかった。
階段を下りると、ギルドの入口には、今日の営業を待つ客がすでに集まり始めていた。
昨日、リーゼとミーナの焦がし葱塩ラーメンを食べた客が、別の仲間へ話したらしい。
「店主、今日は何杯出すんだ!」
「昨日の焦がし葱を頼む!」
「王都へ行く前に、火竜ラーメンも出してくれ!」
客の声を聞き、蓮司は反射的に厨房へ向かおうとした。
リーゼが袖を掴む。
「本日の店主は、私とミーナです」
「店主は俺だ」
「では、本日の調理責任者です」
「スープの味は確認する」
「危険があるときだけです」
「塩気くらいは――」
「店主」
ミーナが蓮司の前へ立った。
「火竜のお肉を、みんなで分けるって決めたばかりでしょう」
「それと店は関係ない」
「店の仕事も、分けるって決めたよね」
「……そうだったな」
「今日は、あたしたちの鍋」
ミーナは厨房の戸口を示した。
「店主は、王様の一杯を考えて。困ったら呼ぶから」
「呼ばなかったら?」
「無事だったってこと」
それが、少し怖い。
自分が呼ばれず、店が回ること。
必要とされない時間が生まれること。
だが、その怖さを理由に、二人の仕事を奪うことはできない。
「六杯だけだぞ」
「今日は十二杯」
「増やすなと言っただろ」
「昨日、六杯全部売れて、あとから来た人が食べられなかった」
「食材は足りるのか」
「処理済みの肉はあります。スープも昨日のうちに、二鍋分仕込んでいます」
リーゼが答える。
「俺の知らないところで?」
「知っていました。蓮司は王宮の毒見手順を考えながら、隣で私たちが鍋を用意しているところを見ていました」
「見ていたが、十二杯とは聞いてない」
「聞かれませんでした」
以前、自分が食事を取らなかった理由として使った言葉を、そのまま返される。
「分かった。十二杯だ」
「はい」
「余ったら、まかないへする。無理に売らない」
「分かっています」
「焦がし葱を、昨日より早く火から――」
「それも覚えています」
「肉の筋は――」
「店主」
ミーナが白い粉で引かれた厨房の境界線を指した。
「ここまで」
蓮司は線の前で止まった。
「行ってきます」
リーゼが暖簾を上げる。
ミーナが客へ声をかける。
「今日は十二杯! 焦がし葱塩ラーメンだけ! 店主の味と違っても、あとから文句を言わない人だけ並んで!」
「文句は言ってもいい」
蓮司は後ろから訂正した。
「客の感想は聞け。ただし、店主の味と違うというだけで無料にはしない」
「分かった!」
ミーナが振り返らず答える。
二人は厨房へ入った。
蓮司は、境界線の外へ残った。
火竜の素材を一人占めしないことよりも、自分の厨房を二人へ任せるほうが、今の蓮司には難しいのかもしれなかった。
それでも、線を越えなかった。
王都へ向かう前に、本当に分けなければならないものは、火竜の肉だけではなかった。




