第13話 王様でも順番は守ってください
王室侍従を名乗った男が、国王陛下のためにラーメンを作ってほしいと告げた瞬間、《異世界麺処・蓮》の前へ集まっていた人々は、示し合わせたように声を失った。
料理勝負の勝者。
火竜を食材へ変え、その料理によって火災現場から子供を救った異世界の料理人。
そうした噂が広がり始めたばかりとはいえ、開店してから数日しか経っていない六席の店へ、王室の馬車が直接乗りつけたのである。
貧民街の子供から鉱山帰りの男まで、身分に関係なく同じ板へ並んで食事をする店にとっては、客としてあまりにも大きすぎた。
「国王陛下が……店主のラーメンを?」
ミーナが小さく呟いた。
「王様って、何を食べるの。毎日、金色の皿で竜の肉を食べてるの?」
「国王陛下だからといって、毎日竜肉を召し上がるわけではありません」
蓮司の身体を支えながら、リーゼが呆れたように答える。
「そもそも竜肉を食べる習慣自体、この国にはありませんでした。昨日までは」
「では、毎日何を食べてるの?」
「宮廷料理です」
「だから、それが何か聞いてるの」
「王宮で出される料理です」
「答えになってない!」
二人の言い合いを聞きながら、王室侍従は眉一つ動かさなかった。
整えられた白髪。
紺色の礼服。
皺のない白手袋。
年齢は五十歳を越えているようだが、背筋は近衛騎士よりも真っ直ぐ伸びている。
小さな店の前に立っていても、そこだけ王宮の一室になったかのような緊張感があった。
「申し遅れました。私は王室侍従府にて、国王陛下の食卓と公式行事を預かっております、セドリック・ヴァルトと申します」
「神谷蓮司だ」
「存じております」
「なら、紹介は短くて済むな」
「蓮司」
リーゼの手が、蓮司の腕を強く掴んだ。
「相手は、国王陛下の代理として来ている方です。せめて“遠路お越しいただき、ありがとうございます”くらいは申し上げてください」
「俺が呼んだわけじゃない」
「呼んだかどうかは関係ありません!」
リーゼは小声で怒っているつもりなのだろうが、周囲が静かなため、ほとんどの者へ聞こえていた。
セドリックも当然聞いている。
それでも老侍従は不快そうな顔をせず、僅かに口元を緩めた。
「陛下からは、形式より料理を優先する人物だと伺っております。挨拶が足りない程度は、想定の範囲内です」
「国王が、俺のことを知っているのか」
「先ほど申し上げたとおり、ラグナ領主、冒険者ギルド、アルバート・グランシェフ殿から報告が届いております。特にアルバート殿の報告書は、あなたの料理について褒めているのか、欠点を指摘しているのか、途中から判別が難しくなるほど長いものでした」
「あいつらしいな」
「蓮司の料理について、麺の弾力、スープの温度、火竜脂の濃度まで細かく記されていました。それに加え、あなたの性格についても相当な量が割かれております」
「料理と関係ないだろ」
「料理へ関係のない話を始めると、すぐに不機嫌になる、とも記されていました」
周囲から小さな笑いが漏れた。
蓮司はアルバートへ次に会った際、余計なことまで王室へ書くなと言うことに決めた。
もっとも、本人へ注意すれば、事実しか書いていないと返される可能性が高い。
「それで、いつ作ればいい」
蓮司は尋ねた。
「こちらで食わせるのか。それとも国王が来るのか」
近衛騎士たちの顔が一斉に険しくなった。
ミーナは目を丸くし、リーゼは片手で額を押さえた。
「国王陛下に、このギルド裏の六席の店まで来いと言うつもりですか」
「ここで食いたいならな」
「陛下には、王宮を離れる際の警護や日程があります。食事一つのために、突然辺境都市へお越しになることなどできません」
「では、王都へ来いということか」
「はい」
セドリックは懐から、王国の紋章で封じられた書状を取り出した。
「五日後、王都へ入っていただきます。翌日、王宮内で食材の検査と調理場の確認を行い、その次の日に国王陛下へ料理をお出しいただく予定です」
蓮司は書状ではなく、セドリックの顔を見た。
「五日後?」
「移動には、王室の馬車をお使いいただけます。通常ならラグナから王都まで七日ほど必要ですが、馬を途中で交換し、護衛をつければ、四日で到着可能です」
「明日出ろということか」
「今夜はお疲れでしょう。明日の朝までに必要な荷物を整えていただき、昼前に出発する予定です」
「無理だ」
蓮司が答えると、今度こそ周囲の空気が凍った。
火竜の冷気でも、《厨房領域》の力でもない。
王命を拒否するという行為への、純粋な恐れだった。
「蓮司!」
リーゼが思わず大きな声を出した。
ミーナも蓮司の服を引く。
「店主、王様に無理って言って大丈夫なの?」
「無理なものは無理だ」
「何が無理なのですか」
セドリックの声から、僅かな柔らかさが消えた。
「火竜を討伐した直後で疲れていることは理解しております。しかし明日の昼までなら、休息と準備の時間は十分に――」
「店を開ける」
「……はい?」
「正式な営業許可が、明日届く。設備を直す必要もある。昨日と今日、店を休んだ。開店したばかりの店で、さらに何日も休めば、客が戻らなくなる」
「国王陛下からの召し出しです」
「だから?」
近衛騎士の一人が剣の柄へ手を置いた。
「言葉を慎め、料理人」
「やめなさい」
セドリックが低い声で制した。
騎士は不満そうに手を離したが、蓮司を睨み続けている。
「神谷殿」
セドリックは一歩近づいた。
「陛下から料理を求められることが、どれほどの名誉か理解しておられないようですな。王宮へ料理を出したという実績があれば、この店の名は王国全土へ広まります。王都の貴族、商人、冒険者から注文が入り、六席の店どころか、大通りに大きな店を構えることも可能になるでしょう」
「大きな店を欲しいとは言ってない」
「成功する機会を、目の前へ差し出されているのですよ」
「今の店を放り出してか?」
「数日の休業です」
「始めたばかりの店には、その数日が大きい」
「王命より?」
「王様が偉いことと、先に約束した仕事を破っていいことは別だ」
今度は、笑う者はいなかった。
蓮司の言葉は、不敬を承知で国王を貶めようとしたものではない。
だからこそ周囲の人々には、どう受け止めてよいか分からなかった。
セドリックも、すぐには返事をしなかった。
「先に約束した仕事、とは?」
「明日、店を開ける。そう思って待ってる客がいる」
「営業時間を告知しているのですか」
「まだしてない」
「では約束ではないでしょう」
「昨日も今日も、客を帰した。料理勝負と火事があったからな。明日は食えると思って、仕事の前に来る奴がいる。貧民街から、働く代わりにまかないを食わせてほしいと来る奴もいる。店員へ給料を払うには、営業もしなければならない」
「店主、まだ給料もらってないけどね」
ミーナが小さく言った。
「売上が出たら払うと話しただろ」
「分かってる。忘れてないか確認しただけ」
「こういう店員がいる」
蓮司はミーナを示した。
「王都へ行くから、あとは勝手にしろとは言えない」
「私たちへ店を任せる方法もあります」
リーゼが言った。
蓮司が振り返る。
「塩ラーメンであれば、私とミーナで――」
「まだ早い」
言った瞬間、リーゼの目が細くなった。
「その言葉を、また使うのですか」
「火竜の件で二日空いた。仕込みも足りない。毒牙鼠の処理は、完全には任せられない」
「処理済みの肉を用意すれば、営業できます」
「それでも、客へ出す味の確認が――」
「蓮司」
リーゼは、周囲に王室の使者や大勢の客がいることも忘れたように、真正面から蓮司を見た。
「人へ任せると決めたのではありませんか」
「全部を、急に任せるとは言ってない」
「では、いつならよいのです」
「もう少し経験を積んでからだ」
「前の店でも、そう言い続けたのでしょう」
「今は事情が違う」
「蓮司にとって、事情が同じになる日は来ません。忙しいときは失敗できないから任せない。暇なときは急いで教える必要がないから任せない。大切な客が来れば、自分で作らなければならないと言う」
リーゼの言葉に、蓮司は口を閉じた。
セドリックは二人の言い合いへ割り込まず、興味深そうに見ている。
「私は、明日から蓮司の代わりに店を完全に営業できるとは思っていません」
リーゼは続けた。
「ですが、一日六杯だけ、常連の方へ限定し、私たちが作れる一杯を出すことはできます。毒牙鼠の処理は、今夜のうちに蓮司が行い、スープの土台も作る。明日の朝、私とミーナが味を確認し、問題があれば営業を中止する」
「それでは、俺が王都へいる間にスープがなくなる」
「毎日営業する必要はありません。二日に一度、六杯だけ。店が完全に閉まっているのではなく、店主が戻るまで、残った者が店を守っていると伝えられれば十分です」
「失敗したら?」
「そのときは、客へ謝ります」
「食材を無駄にしたら?」
「原因を記録し、次に直します」
「客が不味いと言ったら?」
「私たちが聞きます」
「店の評判が落ちる」
「店の評判は、蓮司一人で作るものなのですか」
問いかけられ、蓮司は答えられなかった。
今朝、三人の店だと言った。
料理勝負でも、三人で作ったと認めた。
それなのに店を守る話になると、また自分一人の味へ戻ろうとしている。
「店主」
ミーナが口を開いた。
「王都へ行きたくないの?」
「仕事なら行く」
「じゃあ、あたしたちへ任せるのが怖い?」
「怖くは――」
「本当は?」
ミーナの猫耳が、蓮司の答えを逃さないように前へ向いている。
「……怖い」
蓮司は認めた。
「俺がいない間に、何か起きるのが怖い。毒牙鼠の処理を間違える。火事を出す。客へ違うものを出す。金を盗まれる。お前たちが怪我をする」
「それだけ?」
「店へ戻ったら、俺がいなくても問題なく回っていた、というのも少し怖い」
口に出してから、蓮司は自分の面倒くささへ嫌気が差した。
任せられないのではない。
任せた結果、自分が必要とされなくなるのが怖い。
前の店でも、どこかに同じ気持ちがあったのかもしれない。
相馬がスープを調整できるようになったとき、喜ぶより先に、自分との差を探した。
新人が麺上げを覚えたとき、任せられると安心するのではなく、まだ駄目な点を並べた。
店長である自分が、誰より必要とされていなければならない。
そうでなければ、自分が死ぬほど働いてきた意味までなくなる気がした。
「店主がいなくても、一日くらい店を開けられるようになりたい」
ミーナが言った。
「でも、店主がいらないとは思ってないよ」
「同じだろ」
「違う。あたしが掃除できるようになったからって、店主が掃除を教えた意味はなくならないでしょう」
「掃除と料理は――」
「そうやって、また料理だけ特別にする」
ミーナが頬を膨らませた。
「店主の料理を、全部同じに作れるとは言ってない。あたしたちが作れるものを出す。店主が帰ってきたら、店主の味へ戻る。それじゃ駄目?」
蓮司は、すぐには答えなかった。
「神谷殿」
それまで黙っていたセドリックが、ようやく口を開いた。
「少しよろしいですかな」
「何だ」
「私は、明日の出発へ同意していただくために来ました。ですが、どうやら王命の話をする前に、あなた方の店の問題を整理しなければならないようだ」
「聞いていたのか」
「この距離で聞くなというほうが難しいでしょう」
老侍従は、店の六席を見た。
「国王陛下には、多くの臣下がおります。料理人、侍従、騎士、文官、庭師、馬丁。陛下が一人で王宮のすべてを行おうとすれば、国は一日も持ちません」
「俺は王様じゃない」
「規模は違っても、立場は似ています。誰かへ任せなければ、守りたいものが増えたとき、最初にあなた自身が壊れる」
蓮司は顔をしかめた。
「王室の使者まで、説教するのか」
「私は、国王陛下が無理をなさろうとした際、止めることも仕事としております」
「止まるのか」
「止まらないこともあります」
「王様も面倒だな」
「その言葉は、陛下へ直接申し上げないことを勧めます」
「善処する」
「守る気のない返事ですね」
セドリックは小さく息を吐き、書状をしまった。
「しかし、神谷殿の言い分にも一理ある。辺境の小さな店であっても、始めたばかりの商売を突然放棄させることは、王室の望むところではありません」
「では、日程を変えるか」
「こちらにも事情があります」
セドリックの表情が、再び侍従のものへ戻った。
「陛下の食欲不振が、ここ数月で悪化しております。王都の医師、神殿の司祭、宮廷料理人が手を尽くしましたが、改善しない。火竜料理によって、火災現場へ入れるほどの力を得たという報告を受け、陛下はあなたの料理なら、自分の身体にも何か変化を起こせるのではないかと期待なさっています」
「病気を治せと言うのか」
「そこまで断定はいたしません。ただ、陛下はあなたの料理を、一日も早く試したいとお考えです」
「俺は医者じゃない」
「承知しております」
「料理を食えば必ず治るとも言えない」
「それも承知しています」
「では、なぜ急ぐ」
セドリックは、僅かに視線を落とした。
初めて、完璧な侍従の顔から、個人的な感情が見えた。
「陛下は、食べることを諦め始めています」
周囲の人々が静かになる。
「以前は、地方から届く珍しい食材や、祭りの菓子について楽しそうに尋ねる方でした。国の食料事情にも関心を持ち、凶作の地域があれば、ご自分の食卓を減らしてでも民へ回そうとなさった」
「今は?」
「料理が運ばれても、数口召し上がるだけです。毒見と検査を通すうちに冷え、香りも失われる。何を出しても同じだと、そうおっしゃいます」
リーゼが眉を寄せた。
「病気によって、味覚を失っている可能性があるのですか」
「医師は、内臓や魔力経路の衰弱と診断しております。しかし明確な原因は見つかっておりません」
「味が分からないと、ご本人が?」
「味がないとはおっしゃいません。ただ、食事を楽しめないと」
リーゼの手が、無意識に自分の口元へ触れた。
彼女には、その苦しさが分かる。
味覚を失い、食事が生きるために口へ入れる作業となった時間。
国王と自分が同じ症状だとは限らない。
それでも、食べることを諦める人間を放っておけないという気持ちは生まれたのだろう。
「蓮司」
「分かってる」
「まだ何も言っていません」
「行かないとは言わない」
蓮司はセドリックを見た。
「ただし、明日出るのは無理だ」
「五日後に王都へ着く必要があります」
「王様が食べたいと言ってる料理は、昨日の火竜ラーメンか?」
「王宮からの最初の要望は、それでした」
「最初の?」
「アルバート殿の報告を読まれたあと、陛下ご自身が希望を変更なさいました」
「何を作れと?」
「毒見をしても冷めない、温かい一杯を」
蓮司は眉を寄せた。
「毒見をしても冷めない?」
「王の料理は、食材の検査、調理人の確認、完成後の毒見を通ります。一皿ごとに複数の者が口をつけ、一定時間異常がないことを確認してから陛下へ運ぶ」
「何分かかる」
「短くても半刻。正式な宴席なら、さらに長くなります」
「ラーメンなら伸びる」
「はい」
「味が死ぬ」
「承知しております」
「承知していて、作れと?」
「だからこそ、陛下は“冷めず、伸びない一杯”を求めておられます。あなたが常識にない方法で魔物を食材へ変えたように、王宮の食事の常識も変えられないかと」
蓮司は考え込んだ。
火竜脂には、保温の効果がある。
だがスープの温度を保てても、麺は水分を吸う。
麺とスープを別に運ぶ。
王の前で合わせる。
しかし完成後の毒見という規則へ反する。
毒見役と国王が同時に食べる。
王宮が認めるはずはない。
《寸胴収納》で時間を止める方法もあるが、能力へ頼り切れば、蓮司以外には再現できない。
「五日では足りない」
蓮司は言った。
「移動しながら考えることもできます」
「厨房も食材もない馬車で?」
「必要な道具は王室で――」
「俺が使う鍋と包丁を、お前たちが選ぶのか」
「王宮には、王国最高の設備があります」
「最高かどうかは、俺が決める」
セドリックのこめかみが、僅かに動いた。
「では、どの程度の時間が必要です」
「十日」
「長すぎます」
「店の営業を三日。王都へ持っていく道具の準備に二日。移動に四日。一日は予備だ」
「三日も営業する必要がありますか」
「ある」
「陛下は、今も食欲を失っておられるのです」
「だからこそ、準備不足の料理を出せない」
「火竜味噌ラーメンは、すでに完成しているのでしょう」
「あれは完成していない」
セドリックの表情が険しくなる。
「審査で勝ち、人命を救った料理が?」
「一度うまくいっただけだ。火竜脂の精製は、少し間違えれば鍋が燃える。食った人間に火炎耐性が出たが、量も持続時間も分からない。国王へ出すなら、身体への影響をもっと調べる必要がある」
「そこまで慎重な方が、未知の魔物肉を最初にご自分で食べたのですか」
「客へ出す前だからだ」
「自分の命は、客より軽いと?」
「違う。最初に危険を引き受けるのが、作った人間の責任だ」
「その考え方で、過労死なさったのでは?」
蓮司は黙った。
王室の人間にまで過労死の話が知られている。
アルバートの報告書は、どれほど余計な内容を含んでいたのだろう。
「言葉が過ぎました」
セドリックはすぐに頭を下げた。
「ただ、陛下のために急ぐ私と、料理を安全に完成させるため時間を求めるあなた。どちらも、自分の守る相手のために譲れないという点では同じなのでしょう」
「俺は国王を守るとは言ってない」
「料理を出す以上、客として守るのでしょう?」
蓮司は答えなかった。
セドリックの言うとおりだった。
国王でも、貧民街の子供でも、器の前へ座れば客である。
食べさせるなら、危険なものは出せない。
「七日」
セドリックが言った。
「これ以上は、王宮の日程を変えられません」
「九日」
「八日」
「王都への移動時間を短くして、馬が潰れたらどうする」
「王室の馬を心配しているのですか」
「食材を運ぶ馬車が止まれば困る」
「やはり、そこですか」
「八日でいい。ただし条件がある」
「伺いましょう」
「王室が旅費を出す。俺だけでなく、リーゼとミーナも同行する」
「ミーナも?」
猫獣人の少女本人が、驚いて蓮司を見た。
「店主、あたしも王都へ行くの?」
「味噌ダレと脂の匂いを見る仕事がある」
「店は?」
「閉める」
「さっき、店を閉めたくないって――」
「三日営業して、王都へ行くことを客へ説明する。中途半端に店を任せ、何日戻れないか分からない状態にはしない」
「私たちに任せるのが怖いからでは?」
リーゼが疑う。
「それもある」
「認めるのですね」
「だが一番は、国王へ出す料理を三人で作ったほうがいいからだ。火竜ラーメンは三人で完成させた。王都で俺一人の料理に戻す必要はない」
リーゼとミーナが、揃って目を見開いた。
「ただし」
蓮司は続ける。
「王都へ行くまでの三日間、店の営業は二人へ任せる」
「蓮司は?」
「王都用の食材と道具を準備する。厨房にはいるが、塩ラーメンの調理へは手を出さない」
「本当に?」
「問題があれば言う。客の命へ関わる場合は止める。だが、味が俺と違うという理由だけでは取り上げない」
リーゼの表情が、僅かに柔らかくなる。
「それなら、引き受けます」
「あたしも」
ミーナが勢いよく手を上げた。
「六杯じゃなくて十二杯売る」
「六杯だ」
「けち!」
「最初から増やすな。六杯を無事に出してからだ」
「じゃあ二日目は十二杯」
「話を聞け」
「店主は王都の準備で忙しいんでしょう。店のことは、店員に任せて」
先ほどまで自分が言っていたことを、そのまま返される。
蓮司は顔をしかめたが、反論はしなかった。
「旅費、食材輸送、護衛については、王室が負担いたします」
セドリックが答えた。
「ただし猫獣人の少女を王宮内へ入れるには、身分証明と保証人が必要です」
「俺が保証する」
「神谷殿ご自身も、正式な身分は鉄級冒険者証だけですが」
「では、リーゼが」
「私は現在、騎士団から追われている立場です」
リーゼが静かに言った。
セドリックの目が僅かに細くなる。
「リーゼ・ドラグニール。お名前には聞き覚えがあります」
「でしょうね」
「王都竜人騎士団、元近衛隊副長。軍用魔石横流し事件への関与を疑われ、職務停止後に失踪したと報告されています」
周囲がざわついた。
ミーナがリーゼを見上げる。
「横流しって、盗んだってこと?」
「私は盗んでいません」
リーゼは即座に答えた。
「ですが、その説明をここでするつもりもありません」
「王都へ入れば、拘束される可能性があります」
セドリックが言う。
「承知しています」
「なら、同行は認められない」
「なぜだ」
蓮司が尋ねた。
「王室が犯罪容疑者を護衛して王都へ運ぶことになります」
「犯罪者と決まったのか」
「容疑が晴れていない」
「なら、王都へ行って調べればいい」
「料理を作るための旅です。騎士団の事件へ関わる余裕はありません」
「リーゼがいなければ、火竜味噌ラーメンは作れない」
「調理助手なら、王宮で用意します」
「代わりにはならない」
蓮司は迷わず言った。
リーゼが驚いたようにこちらを見る。
「味噌ダレを選んだのも、麺を上げたのも、火竜脂の量を調整したのもリーゼだ。国王が食いたいのが、あの一杯なら、作った人間を外すな」
「蓮司」
「何だ」
「そこまで言われるとは思いませんでした」
「事実を言っただけだ」
「今くらい、素直に仲間が必要だと言ってもよいのでは?」
「必要だから、代わりにならないと言った」
「相変わらず、少し足りませんね」
リーゼは困ったように笑った。
「私も行きます。王都で拘束されるとしても、逃げ続けていれば疑いは濃くなるだけです」
「だが」
「店を手伝い、料理を食べている間だけ、自分の問題を忘れていました。けれど、いつまでも蓮司の厨房へ隠れているわけにはいきません」
「隠してるつもりはない」
「蓮司になくても、私はそのつもりでした」
リーゼはセドリックへ向き直った。
「王都へ入った時点で、騎士団へ出頭します。ただし国王陛下へ料理を出す日まで、身柄を王室侍従府の監督下へ置いていただけませんか。逃亡防止の魔道具を装着しても構いません」
「簡単に認められる条件ではありません」
「王命による召し出しへ必要な調理助手です」
蓮司が言った。
「同行を認めないなら、俺も行かない」
「脅しですか」
「条件だ」
「神谷殿は、王命を交渉の材料にすることへ、何も感じないのですか」
「国王へ出す料理を、まともに作るための交渉だ。王様だって、不味いものを食わされるよりいいだろ」
セドリックは長い間、何も言わなかった。
近衛騎士たちは、今度こそ怒りを隠していない。
だが侍従本人は、蓮司とリーゼ、ミーナの三人を順番に見たあと、静かに息を吐いた。
「王都へ確認を取ります」
「今から?」
「伝令魔術を使います。回答には半刻ほど必要です」
「では、その間に飯を食うか」
「何ですと?」
「国王からの使者を、何も食わせず立たせて帰せば、リーゼに礼儀が悪いと言われる」
「今さら気にするところが、そこなのですか」
リーゼが呆れる。
「ただし火竜ラーメンはない。白角鹿の塩スープと、失敗した生地を焼いたものだけだ」
「失敗作を王室の使者へ出すのですか!」
「食えるように直した。失敗したままではない」
セドリックは、しばらく蓮司を見つめた。
「毒見が必要です」
「目の前で俺が食う」
「あなたが食べることと、王室の規則は別です」
「国王本人ではないだろ」
「王室侍従も、職務中の飲食には決まりがあります」
「面倒だな」
「あなたに言われたくありません」
初めて、セドリックの言葉へ明確な苛立ちが混じった。
ミーナが小さく吹き出す。
「王室の人も、店主に面倒って言うんだ」
「全員、同じことを言うな」
「では、自分に問題がある可能性を考えてください」
リーゼも続ける。
「もう考えてる」
「直すところまでは?」
「少しずつだ」
結局、王室侍従と近衛騎士たちは、老薬師の簡易検査を受けた白角鹿のスープを飲むことになった。
六席の店へ、セドリックと近衛騎士二人が座る。
残る二人は立ったまま、周囲を警戒していた。
「座って食え」
蓮司が言う。
「護衛任務中です」
「食うときまで立っていれば、味が分からない」
「味を楽しむために来たのではありません」
「では、出さない」
「神谷殿」
「食わせるなら、最低限、食事として出したい」
「蓮司、王宮の警護には役割があります」
リーゼが止める。
「全員で座れば、何か起きた際に対応できません」
「なら交代で食え」
「時間がかかります」
「料理は、時間がかかるものだ」
近衛騎士たちは不満そうだったが、セドリックが頷いたことで、交代で席へ座ることになった。
出されたのは、白角鹿の骨から取った薄い塩スープ。
昨夜ミーナとリーゼが失敗した多加水の生地を、薄く延ばして焼いたもの。
間には、干し肉と刻んだ野菜が挟まれている。
ラーメンではない。
疲れた身体へ入れる、簡単なまかないだった。
「王へ出す料理を依頼しに来て、店員のまかないを食べることになるとは思いませんでした」
セドリックが言う。
「嫌なら残せ」
「食事を粗末にするつもりはありません」
老侍従はスープを飲んだ。
礼儀正しく、音を立てない。
それでも一口目のあと、僅かに目を細めた。
「薄いですな」
「火竜の一件で疲れた人間へ出すから、塩を抑えてる」
「しかし、味がないわけではない。飲み込んだあとに、甘みが残る」
「白角鹿の骨だ」
「陛下にも、このような味が分かればよいのですが」
セドリックは、ぽつりと言った。
侍従としてではなく、長く国王へ仕えてきた一人の人間として。
「国王は、どんな人間だ」
蓮司が尋ねた。
周囲の近衛騎士が緊張する。
「不敬な質問へ聞こえますな」
「料理を作る相手のことを知りたい。脂が好きか、肉が好きか、麺は硬いほうがいいか。甘いものが苦手か。食べるのが早いか遅いか」
「国王陛下を、普通の客と同じように考えるのですか」
「器の前に座れば同じだ」
「蓮司」
リーゼが止めようとする。
だがセドリックは、片手を上げた。
「陛下は、以前は肉料理を好まれました。特に焼いた羊肉と、黒胡椒の香りをお気に召しておられた。しかし近頃は、脂の多いものを避けておられます」
「麺に似た料理は?」
「陽麦の団子や、細く切った生地を乳で煮た料理はあります。しかしラーメンのようなものは、口にされたことがありません」
「食べる速さは」
「公務の合間ですから、以前から早いほうでした。ですが最近は、一口ごとに手が止まります」
「温かい料理を食べたのは、いつだ」
セドリックは答えなかった。
少し考えたあと、低い声で言う。
「私の記憶では、王太子時代まで遡るかもしれません」
「何年前だ」
「二十七年前です」
ミーナが信じられないという顔をした。
「王様なのに、二十七年も温かいご飯を食べてないの?」
「毒見を終えれば、完全に冷たいわけではありません。保温箱も使います」
「でも、作りたてじゃないんでしょう」
「はい」
「王様なのに?」
ミーナには、王が最も自由で豊かな人間に見えていたのだろう。
しかし王だからこそ、口へ入れるものすべてを疑われる。
食事一つにも、多くの人間が関わる。
「偉い人も、大変なんだね」
「大変だから偉いわけではありません」
セドリックは苦笑した。
「ただ、陛下はご自分の食卓が冷えることより、毒見役が命を懸けることを気になさいます。毒見を減らす提案を、何度も拒否されました」
「自分が毒を受けるより、先に食う人間を心配してるのか」
「そういう方です」
蓮司は、国王のために作る一杯について、初めて輪郭を感じた。
病人だから、身体へ優しい料理。
王だから、高級な材料。
そういう単純なものではない。
毒見役の犠牲を望まず。
料理が冷えることを諦め。
食事そのものを楽しむ気持ちまで、少しずつ失った人間。
「火竜味噌では重すぎるかもしれないな」
蓮司が呟く。
「何を作るのですか」
「まだ決めない」
「国王の希望は、温かい一杯です」
「温かいだけでは駄目だ。食べる気のない人間が、もう一口欲しいと思う味にする」
「できますか」
「分からない」
「そこは、できますと言う場面では?」
「根拠もなく言い切る料理人を、信用するのか」
セドリックは一瞬黙り、それから小さく笑った。
「なるほど。陛下が、あなたへ興味を持たれた理由が少し分かりました」
「俺には分からない」
「おそらく、陛下へも同じ態度で接するのでしょうな」
「客ならな」
「できれば、王であることも忘れないでいただきたい」
「善処する」
「その返事は禁止です」
リーゼとミーナが、同時に言った。
◇
王都から回答が届いたのは、日が沈み始めた頃だった。
セドリックは伝令魔術の紙を読み、何度か眉を寄せたあと、蓮司たちへ向き直った。
「条件付きで、認められました」
「リーゼの同行か」
「はい。王都到着後、王室侍従府の監督下へ置く。行動範囲は宿舎、指定された調理場、王宮内の許可区域に限る。騎士団から事情聴取を求められた場合は、応じること」
「拘束は?」
「国王陛下への料理提供が終わるまでは行わない。ただし、明確な逃亡や証拠隠滅の行動があれば別です」
「受けます」
リーゼは迷わず答えた。
「ミーナについては、神谷殿の雇用下にある調理見習いとして仮身分証を発行します。保証人はラグナ冒険者ギルド支部長ガルド殿、ならびに王室侍従府」
「ガルドに確認したのか」
「本人から、長い苦情とともに了承が届きました。“料理人が面倒を起こしたら、王室で責任を持って叱ってくれ”とのことです」
「俺は子供か」
「行動だけを見れば、ミーナさんより手がかかる場面もあるのでは?」
セドリックにまで言われ、ミーナが声を上げて笑った。
「出発は八日後」
蓮司が確認する。
「はい。明日から三日間は店の営業と準備。その翌日、王室の馬車と護衛隊が改めて参ります。移動四日目の夜に王都へ入る予定です」
「王都へ着いた翌日に国王へ出すのか」
「まず食材と設備の検査があります。そのあと日程を決めます」
「毒見の規則を確認したい。調理後に半刻置くなら、普通のラーメンは出せない」
「規則を変えることは困難です」
「変えなければ、陛下が求めるものは作れない」
「それを含めて、王宮でご説明ください」
「今から伝えておけ」
「どのような方法を求めるのです」
「国王の目の前で作る。毒見役も同じ場所にいる。完成したら、毒見役と国王が同時に食う」
近衛騎士が声を上げた。
「認められるはずがない!」
「だから、今から伝えろと言ってる」
「陛下が毒を口にされる可能性が――」
「毒見役が先に食べ、半刻待つなら、麺は伸びる。温度だけ保っても駄目だ。スープと麺を別にして毒見し、国王の前で合わせる方法もあるが、完成後に何かを入れたと疑われる」
「ならばラーメン以外の料理を作ればよいでしょう」
「国王が食いたいのは、俺のラーメンだろ」
「温かい一杯です」
「なら、一番旨い状態で食わせる」
セドリックは深い溜息をついた。
「王宮へ着く前から、これほど多くの問題を持ち込む料理人は初めてです」
「まだ行ってない」
「だからこそ不安なのです」
「八日ある。方法を考える」
「一人で、ですか」
リーゼが尋ねた。
蓮司は振り返った。
「三人でだ」
「はい」
リーゼは満足したように頷く。
ミーナも笑い、尻尾を揺らした。
「王様にも、三人で作るのね」
「ああ」
「王様だから、肉をいっぱい載せる?」
「身体の状態を見て決める」
「値段は?」
「王室へ請求する」
「国王陛下へ、代金を請求するのですか」
セドリックが呆れる。
「食材と仕事へ、正当な金を払うのが王様だろ」
「陛下へ一杯分の銅貨を要求するおつもりですか」
「王室への出張費、店の休業分、食材費、人件費を計算する」
「人件費」
ミーナの耳が跳ね上がった。
「あたしの給料も入る?」
「当然だ」
「王様から給料をもらうの?」
「王様が払うのは店へだ。店から、お前へ払う」
「たくさん?」
「仕事に応じてだ」
「王様の料理を作るんだから、少し多くして」
「交渉は、仕事が終わってからだ」
「けち」
「商売だ」
セドリックは、額へ手を当てた。
「陛下へ料理を出す前から、報酬の交渉を始めるとは……」
「先に決めなければ、あとで揉める」
「その部分だけは、商業ギルドの監査役より商売人らしいですな」
「ベルトランと一緒にするな」
「彼も、同じことを言うと思います」
王室との話がまとまり、セドリックたちは馬車へ戻った。
出発前、老侍従は店の暖簾を振り返った。
「神谷殿」
「何だ」
「陛下は、国王として多くの料理を召し上がってきました。しかし、一人の客として食事をした記憶は、おそらく長く持っておられない」
「王様と客は違うのか」
「王の食卓では、何を食べても国の問題になります。産地、費用、毒、外交、貴族の思惑。陛下が美味しいとおっしゃれば、その食材の値が上がり、まずいとおっしゃれば、生産者が困る。そのため近頃は、味の感想すらほとんど口にされません」
「面倒な客だな」
「ええ。王国で最も面倒な客かもしれません」
「なら、遠慮なく不味いと言える一杯を出す」
「そこは、美味しい一杯を出すとおっしゃってください」
「旨いかどうかを決めるのは、食う本人だ」
セドリックは一瞬驚き、やがて静かに笑った。
「八日後、王都でお待ちしております」
馬車が去ったあと、店の前には、まだ多くの人々が残っていた。
皆、話の行方を気にしていたのだろう。
「店主、本当に王様へラーメンを作るのか!」
「王都へ店を移すんじゃないだろうな!」
「俺たちは、また並べるのか?」
客たちから声が飛ぶ。
蓮司は暖簾の前へ立った。
「明日から三日、店を開ける」
歓声が上がる。
「ただし、一日六杯だ」
「少なすぎる!」
「俺は作らない」
今度は、別のざわめきが広がる。
「リーゼとミーナが作る。塩ラーメン一種類。味は俺のものと同じではない。それを分かったうえで食いたい奴だけ並べ」
「店主は、何をするんだ?」
「王都へ持っていく一杯を考える」
「自分の店を、弟子へ任せるのか?」
「弟子ではありません」
リーゼが訂正する。
「私は一時的な調理助手で、ミーナは見習い料理人です」
「長いな!」
「店員でいいだろ!」
「駄目です。役割は正しく――」
「客へ説明するのは、あとにしろ」
蓮司が止める。
オルドが人垣の奥から顔を出した。
「明日の最初の一杯は、俺が買う」
「オルドさん、昨日も最初だったでしょう!」
「新しい料理人の最初の一杯なら、別の話だ」
「俺も並ぶぞ!」
「六杯なら、今から場所を取る!」
「明日まで店の前へ座るな。営業の邪魔だ」
人々が口々に言い合うなか、リーゼは少し緊張した顔で蓮司を見た。
「本当に、私たちへ任せるのですね」
「ああ」
「味が違っても?」
「客へ説明するならいい」
「失敗しても?」
「客へ危険がない失敗なら、次に直せ」
「蓮司が厨房の隅から、ずっと睨んでいるのでは?」
「王都用の試作をする。お前たちの鍋は見ない」
「本当に?」
「見るかもしれない」
「蓮司」
「手は出さない」
「約束です」
「ああ」
ミーナが、蓮司とリーゼの間へ割り込んだ。
「じゃあ今夜、仕込みするよ。店主は、自分の仕事をして」
「毒牙鼠の処理は俺が――」
「あたしたちも一緒にやる。店主がいなくなったら、いつまでもできないでしょう」
「今夜全部覚えるのは無理だ」
「全部できなくても、前より覚えればいい」
ミーナの言葉に、蓮司は少し黙った。
「分かった。最初の三頭は俺が見本を見せる。次をリーゼ。その次をミーナが、俺と一緒にやる」
「はい!」
「ただし、包丁を勝手に動かすな。毒腺を傷つければ、その一頭は全部使わない」
「分かってる」
「手袋も――」
「分かってる!」
「確認は必要だ」
「店主は、自分の準備を忘れないでね」
「何をだ」
「王様が、何を食べたいか考えること」
蓮司は、王都へ消えていった馬車の方向を見た。
温かい料理を、二十七年食べていない国王。
毒見役を危険へ晒したくない国王。
食事の味について、国への影響を考え、感想すら言わなくなった国王。
王だからではない。
一人の客として、何を食べさせるべきか。
「まず、冷めない方法を考える」
「火竜脂を使いますか」
リーゼが尋ねる。
「火竜脂だけでは重い。白角鹿の冷気と合わせれば、温度が安定する可能性はある。だが、熱と冷気を同時に入れれば、魔力が喧嘩する」
「火竜と白角鹿の合わせスープでは、うまくいきました」
「あれは煮込んで馴染ませた。毒見に半刻かけても、麺まで同じ状態を保つには別の方法が必要だ」
「麺をスープへ入れなければいいのでは?」
ミーナが言った。
「毒見が終わったあと、王様の前で入れる」
「完成後に入れたものが、毒ではないと証明できない」
「麺だけ先に毒見する」
「茹でた麺を半刻置けば、表面が乾く」
「じゃあ、茹でない麺を見せる」
「生の麺では毒見にならない」
「面倒!」
「だから、これから考える」
問題は多い。
店の営業。
移動手段。
リーゼの容疑。
ミーナの身分。
王宮の毒見。
国王の体調。
そして、自分が店を離れている間、二人へ仕事を任せられるか。
前世なら、すべて一人で解決しようとしただろう。
今も、その癖は消えていない。
だが隣には、勝手に仕事を増やす元女騎士と、給料交渉だけは一人前の猫獣人がいる。
「店主」
ミーナが尋ねた。
「王様でも、並ぶの?」
「何がだ」
「店の順番。先に約束した客がいるって言ってたでしょう」
「王都へ出張する。店の列へ並ばせるわけじゃない」
「じゃあ特別扱い?」
「王室が出張費を払う」
「お金を払えば、先に食べられるの?」
「そういう契約を、先に決めた場合だけだ。店の列へ急に割り込むのは駄目だ」
「王様でも?」
「ああ」
蓮司は迷わず答えた。
「王様でも、順番は守ってもらう」
その言葉を聞き、リーゼは疲れたように息を吐いた。
「王都で、同じ言葉を国王陛下へ直接言わないことを、今から祈っておきます」
「必要なら言う」
「やはり、私も同行して正解でした」
こうして《異世界麺処・蓮》は、王都へ向かう準備と、店主不在を想定した最初の営業を、同時に始めることになった。
王の注文は入った。
しかし、その一杯を作る前に、蓮司が越えなければならない壁は、王宮の門よりも、ずっと身近な厨房の中に残されていた。




