島の御神体
「もう少しで着きますよ」
明かりの無いトンネルの中へ、珠景姫と色歌は足を踏み入れる。
ひんやりとした空気が肌にまとわりつき、潮の香りが鼻を掠めた。流れ込む風の声と、二つの足音が響く世界をゆっくりと歩いていく。
眩しい光を抜けると、海辺の景色が広がった。
二つの大岩で形成された岬の上に聳え立つ、樹齢千年の杉の巨樹。
岩を呑み込むように太い根を張り巡らし、枝の先の深緑は空を目指している。
潮溜まりに浮かぶ小さな岩の上を進み、二人は巨樹を見上げた。
「立派だね」
「近くに居るだけで生命力を感じますし、大切なものを守ってくれそうな気がしますよね。不思議な力も宿っていそうです」
「そうかも」
笑みを浮かべた珠景姫は、黒松の大木に歩み寄る。
そして、御神体の樹皮にそっと手を置いた。
「どうかお守りください」
海風が巨樹の葉を揺らして遊ぶ。
木漏れ日を浴びながら、珠景姫は御神体を見上げて微笑む。
その姿はどこか儚く、ただ美しかった。
「そろそろ行きますよ」
「うん。手短に終わらせて早く帰ろう。宮殿の方がまだ居心地良いもん」
「閻魔の前が、居心地良いはずありませんからね」
「閻魔って」
「違いますか?」
「いや合ってる」
吹き出すように、二人は笑い出した。
楽しそうな笑い声が静かな岬に響き渡る。
何気無いこの瞬間が、二人にとっては特別だった。
周りを気にせず、姉妹で笑い合ったのはいつ振りだろう。
宮殿以外の場所で生きる珠景姫の姿を見るのは、幼少期以来かもしれない。
二人で外の世界を歩く事さえ、特別になってしまった。
いつかの日常も、今では良い思い出だ。
姉妹の私達は、成長の過程で『姫と侍女』へと姿を変えていたらしい。
あぁ、悔しいな。
「姉さん」
「え、ちょっ、色歌?」
色歌は珠景姫に駆け寄ると、力強く抱きしめた。
離れてしまった距離を埋めたくて、遠ざからないように抱き寄せる。
「……ふふ。どうしたの?」
珠景姫は色歌の頭を撫でながら、優しく声をかけてくれた。
温もりを感じながら、色歌は素直な思いを吐露する。
「ただの妹に戻りたくなった」
「出たな、甘えん坊」
「誰も見てないから良いでしょ?」
「別に宮殿でも甘えて良いんだよ。私は気にしないし」
「才色兼備の侍女ですよ? 姉さんに甘えてたら、示しがつかないです」
「これで十四歳は嘘だな。年齢偽ってるでしょ」
「本当は三歳。ばぶー」
「でっかい赤ちゃんですねぇ。父の腕に抱かれておいで」
「喜んでお断り申し上げます。あの人に抱っこされるくらいなら、今のままで良いです」
「嫌ってるね」
「姉さんは好きなんですか?」
「私も大っ嫌い」
「この世界にあの人を好きな人なんて居ませんよ」
抱擁を解き、二人は笑い合う。
「嫌だけど行くよ」
「仕方ないですね。行きましょうか」
御神体に背を向けて歩き出す。
しかし、すぐに珠景姫は足を止めた。
「こんな大きな穴あったっけ?」
珠景姫の視線の先には、巨樹の根の間に出来た大きな空洞だった。
落ちないように注意しながら、二人で穴を覗き込む。
周りが岩で出来ている空間は真っ暗で、底は全く見えなかった。
「……落ちたら一発だね」
「ですね。考えるだけでも恐ろしいです」
腕をさすった色歌は、「でも」と言葉を続ける。
「仮に落ちたとしても、生きていれば出て来れそうですけどね。斜面はなだらかですし、木の根っこも割と下の方まで伸びているので」
「無事な訳ないでしょ、これ」
「それもそうですね」
「ごめん。無駄な時間取って」
「大丈夫ですよ。今から聞かされる話ほど、無駄な時間はありませんから」
「行くかぁ……」
「行きましょう……」
綺麗にため息を重ねた二人は、神島家の屋敷へと歩き出す。
快晴の空の下、心は静かに曇り始めた。




