お散歩日和
淡い桜色は爽やかな新緑へ。
侍女の配置転換から一ヶ月。
孤独感に苛まれていた珠景姫の瞳にも光が戻り、昔のように良く笑うようになった。
いつかの日常に似た日々は、傷ついた珠景姫の心を癒していく。
一人で済ませていた食事も、色歌や双子姉妹と一緒に食べるようになった。
退屈な時は花札や百人一首で遊び、寂しい夜は消灯時間まで雑談を楽しんだ。
色歌や双子姉妹と過ごす時間が増えた事で、珠景姫の侍女に対する認識は『身の回りの世話をする人』から、『一緒に生活をする仲間』へと変わっていったと思う。
自由に過ごす珠景姫の姿を見ると、嬉しくて涙が込み上げそうになる。
姫は孤独であるべき。という古い考えが嫌いだった。
千年以上続く長姫制度の歴史が生み出した伝統が、珠景姫の人生を縛り上げて苦しませる。痛みを堪えて生きる姿を何年も近くで見て来た。
珠景姫の侍女である前に、私は姉さんの妹だ。
姉さんを苦しめる環境は私が壊していこう。
揺るがない決意が心に宿った日から、色歌は頭を使うようになった。
侍女として仕えるだけの一生を送るくらいなら、人生をかけて姉さんが幸せに生きられる環境を作りたい。
だから、変革を起こせるくらいの知力と、意見を通せるくらいの信頼を得ようと努力してきた。十四歳の若さで『島一番の軍師』と謳われるようになっても、満足していない。
色歌が欲しいのは、珠景姫が幸せに生きる世界だけだ。
それ以外、何も要らない。
望む未来の為に、今日も色歌は努力を積み重ねる。
いつか、この努力が報われると信じて。
「準備出来ましたか?」
部屋の外から声をかけると、不満げな珠景姫の声が返って来た。
「まだって事にしておいて」
「分かりました。付き添いの色歌さんに伝えておきますね。私ですけど」
今日は珠景姫の付き添いで外に出る予定だ。
父である大扇に呼び出された為、幼少期まで過ごした神島家の屋敷へと出向く。
姉妹揃って大扇の事が嫌いなので、わざわざ出向いてまで会わなきゃいけないのは苦痛でしかない。
残念な父の頭が生み出した愚策を聞かされて時間が過ぎるのは、出来たてのご飯が冷めるのを待ってから食べるのと同じだ。無駄でしかない。そして、意味が分からない。
考えるだけでもため息の滝が出来そうなので、色歌は別の考え方に切り替える。
「集合時間まで余裕がありますし、二人で散歩しませんか? 父の呼び出しによる外出の扱いになるので、止める人も居ませんし。相手の我儘を上手く利用しましょう」
「妹が天才過ぎて、すぐ準備出来た」
部屋から出てきた珠景姫は、言葉通り準備が整っていた。
そして、いつになく明るい表情で目を輝かせている。
「あまり遠くには行けないので、御神体の方へ向かいましょう」
宮殿を出た二人は、島の御神体がある岬へ向かって歩き出す。
爽やかな青空を見上げ、珠景姫は笑顔を見せた。
「お散歩日和だね!」
開放感に浸る珠景姫の足取りは軽く、嬉しそうに笑いながら外の世界を楽しんでいる。
景色を眺めるのが好きな珠景姫にとって、宮殿に閉じ込められる日々は苦痛でしかないのだろう。中庭の桜が見せる四季の移り変わりだけしか、普段は楽しむ事が出来ない。
自由に旅が出来たら、姉さんは誰よりも幸せに笑うはずだ。
この世界に生まれた美しい景色に触れる度に、珠景姫も綺麗な瞳を輝かせる。
絶景を眺める珠景姫の姿は、名画を超えるくらい絵になるだろう。
「ねぇ、色歌」
名前を呼ばれ、隣を歩く珠景姫を見上げる。
「長姫になったら、何か変わるのかな?」
「長姫権限が使えるようになるくらいで、大きくは変わらないと思いますよ」
「長姫になっても、あの人が居るから……ねぇ?」
色歌の脳裏に、父である大扇の顔が浮かび上がる。
ため息が出た。
「あぁ、一応父親のあの人ですか…… 長姫権限を使って左遷させるのはどうです?」
「あの人が言うこと聞くわけないし、『長姫の父が一番偉いんだ』って言い張りそうじゃない? 絶対に無理だと思う」
「姫奥島の害虫ですからね。駆除方法はしっかりと考えないと」
「……害虫はさすがに」
「虫に失礼でしたね。すみません」
大扇の話をしていると、小さなトンネルが見えてきた。
苔に包まれたトンネルの中は真っ暗で、遠くに白い光が見えるだけだ。
あの光の向こうに、島の御神体は姿を隠している。
「もう少しで着きますよ」
明かりの無いトンネルの中へと、二人は足を踏み入れる。
ひんやりとした空気が肌にまとわりつき、潮の香りが鼻を掠めた。流れ込む風の声と、二つの足音が響く世界をゆっくりと歩いていく。
眩しい光を抜けると、海辺の景色が広がった。




