失恋記念日
肌寒い季節がやって来た。
鮮やかに彩られた紅葉も散り始め、冬を迎える準備に入っている。
あれから数ヶ月が経ち、明日香の進路問題にも進展があった。
水族館で働く夢を父親に打ち明け、 明日香は島を出る事を許してもらったのだ。
母親として娘が心配な弥栄は納得していない様子だが、現実を突きつけるように就職試験の結果が届く。
明日香 は水族館の就職試験に合格した。
修学旅行で訪れた水族館では無く、島から距離が近い小さな水族館だ。
船とバスを使えば日帰りでも行ける場所にあり、最近では島に住む若者のデートスポットの一つになっている。
故郷に近い場所で、自分の好きな仕事をして生きていく。
それが、悩んだ末に明日香が出した答え。
母の思いも汲み取り、 明日香は内定した水族館で働く事を決めたのだろう。
無事に夢を叶える道へと進み、残りの高校生活は安泰だと思っていた。
そんな矢先、明日香が泣きながら帰って来た。
制服は土で汚れ、擦りむいた膝からは血が出ている。
小学校を最後に見ていなかった転んで怪我をした孫の姿。
色歌は慌てて駆け寄り、明日香を廊下に腰掛けさせた。
「自転車で転んだんですか? 怪我もしちゃって……今、消毒しますね」
救急箱を持って来た色歌は、明日香の怪我の処置を行う。
「事故にあった訳じゃないですよね? 誰かと喧嘩したとか、いじめられたりした訳じゃないですか? もし、何かあれば警察に連絡をしないと――」
「……ただ転んだだけ。泣きながら走ってたら、視界がぼやけて躓いた……」
帰って来てから初めて口を開いた明日香。
苦しそうな声を聞けば分かる。
全力で走るほど、辛く悲しい出来事があったのだろう。
「今日はどうしたの?」
泣き続ける明日香の背中を優しくさすり、色歌はくだけた口調で声をかけた。
俯いて涙を落とした明日香は、消え入りそうな声を漏らす。
「……こんな辛い思いをするくらいなら、恋愛なんてするんじゃなかった……」
どうやら失恋してしまったらしい。
色歌は言葉を返さず、溢れ出る思いを吐露させる。
「もう行きたくない……生きたくもない……」
涙が土で汚れたスカートを叩く。
「あのまま死ねたら良かったのにっ――」
「軽々しく、死ぬ選択をしないで!」
色歌の声が響いた後、辺りは静寂に包まれる。
自分でも驚くくらい大きな声が出てしまった。
「生きていれば、どんな未来にでも進めるんです」
色歌は明日香をそっと抱きしめる。
おばあちゃんになっても消えない後悔がある。
あの夏、色歌は珠景姫を止める事が出来なかった。
人生を十七歳で終わらせる決断に、色歌は力を貸してしまったのだ。
今度こそ、生きる道を選ばせたい。
心の底に眠っていた思いが、咄嗟に 色歌を突き動かしたのだろう。
「明日香を大切に思う人は、残された後もずっとあなたを想い続けるんですよ。そんな辛い日々を私は送りたくない。これ以上、大切な人を簡単に失いたくないの――」
色歌の言葉を聞いて、明日香は『あっ』と声を漏らす。
明日香が後悔に浸る前に、色歌は優しい声で語りかける。
「辛い時は私が傍に居るから、そんな悲しい選択をしないで。大丈夫。一人じゃないよ。明日香は一人じゃない」
「……うん。ありがと……」
「明日香」
抱きしめていた腕を解き、色歌は明日香の顔を見る。
涙で濡れた顔は、まだ悲しそうに色歌を見つめていた。
「人生が失敗だったかは、最期に決めなさい」
伝えたい言葉を繋ぐ。
「もし、最後に良かったと思えるなら、どんな人生も失敗じゃない」
自分の人生を振り返り、色歌は穏やかな表情で微笑む。
「人生は長いですから、青春時代は一瞬ですよ。残りの高校生活を無駄にしない為にも、明日からは切り替えていきましょう。朝を迎えれば、今日の涙も思い出になりますから」
涙を拭い、明日香は静かに頷く。
「過去が全てではないんです」
言葉の意味を理解出来ず、明日香は戸惑いの表情を見せる。
「いつか、分かる日が来ますよ」
ゆっくりと立ち上がり、 明日香に手を差し伸べた。
「先にお風呂入っちゃってください。今日はお寿司を頼もうと思います」
色歌の手を取り、明日香も立ち上がる。
「……なんかの記念日だっけ?」
「明日香の失恋記念日です」
「ひ、ひどいっ!」
「今日は盛大にお祝いしましょう」
笑みを浮かべた色歌は厨房へと歩き出す。
明日香も自室へと向かい、二人の距離は遠ざかる。
「おばあちゃん」
呼び止められて、色歌は後ろを振り返る。
「ありがとっ。なんか元気出てきた」
口元を緩めるを明日香見て、色歌は安堵の息を漏らす。
「どういたしまして」
その一言を残して、色歌は厨房へと戻った。
あとは一人でも大丈夫だろう。
孫と暮らせる時間も残り僅かとなり、色歌の心は寂しさを覚える。
切ない表情を見せる色歌を、栄一は優しい目で見つめていた。




