忘れ去られた場所
便利で暮らしやすい時代になった。
夢奥島には『夢波海岸鉄道』という、第三セクター鉄道が走っている。
島民の暮らしを支える移動手段の一つであり、島を横断するように伸びる線路は、侍屋敷家が移住した夢岬地区まで続いている。
鉄道の開業により、小春と旅で訪れた汐咲の町にも、数十分で行く事が出来るようになったのだ。今の時代なら奥汐咲温泉にも、簡単に行く事が出来るだろう。
夢波海岸鉄道は貴重な移動手段として、多くの島民の暮らしを支えているのだ。
全五駅のなかで唯一の有人駅であり、始発駅となる『夢奥島駅』は松浦坂商店街と隣接している。商店街の入り口と駅前広場が繋がっている為、利便性が高い。
かつて、お面工房があった海辺に立つ夢奥島駅が、今日の待ち合わせ場所だ。
水色の屋根の駅舎に、色歌は足を踏み入れる。
木の香りが漂う待合室と、海が見える駅のホーム。
――姉さんが好きそうな場所だな。
改札の先に広がる青の世界を見つめていると、朱色の気動車が姿を現した。
ブレーキ音を響かせて、気動車はゆっくりと停車する。
駅に降り立った乗客は数名で、その最後尾に大きな荷物を抱えた小鈴が居た。
「あ、色歌さん!」
ゆっくり歩み寄って来た小鈴に、色歌は疑問を投げかける。
「何です? それ」
「姫様が描いた桜の絵です――」
現存する唯一の珠景姫が描いた作品。
燃やされずに済んだ桜の絵は、守ってくれた小鈴に託していた。
「どうして、姉さんの絵を?」
「もうお婆さんなので、いつ死んでもおかしくないじゃないですか。この絵を託す子供も居ないので、この機会にお返ししようと思って」
結婚せずに画家人生を謳歌した小鈴は、今も一人で生活している。
年齢的にも、残りの人生と向き合っていかなければならない時期だ。
宝物を手放す覚悟を決めて、今日は来てくれたのだろう。
「ありがとうございます。あとは神島家で大切に守っていきますね」
「よろしくお願いします! あ、民宿までは私が持っていきますよ」
「では、お言葉に甘えて」
姉さんの絵を大事に抱える小鈴を見て、色歌は表情を緩めた。
駅のホームでは、気動車がゆっくりと走り出す。
「行きましょうか」
色歌は小鈴を連れて、駅舎を後にした。
駅前広場近くでタクシーに乗り、ある場所を目指す。
この機会に、小鈴と訪れたい場所があるのだ。
住宅街の中を走っていくと、木々が生い茂る丘が見えて来た。
「あ、ここで大丈夫です」
運転手に声をかけて、二人はタクシーを降りた。
目的地へ歩いていくと、草木に覆われた朱色の鳥居を見つけた。
森に呑み込まれた鳥居には『長姫神社』と文字が刻まれている。
「ここって……」
「人々に忘れ去られた場所。長姫神社跡です」
長姫制度の撤廃に伴い、この神社は役割を失った。
扇寿朗の跡を継ぐ人も居なかった為、管理者不在のまま時間だけが過ぎていく。
特別区として神島家の私有地になっている事もあり、一般の人々が介入する事も無かった。自然に還るようにして、長姫神社は廃神社となったのだ。
「少しだけ寄っても良いですか?」
「もちろんです!」
草木を掻き分けて、二人は朱色の鳥居を潜った。
苔に覆われた石段をゆっくりと上っていき、神社の境内に足を踏み入れる。
赤や緑の塗装が鮮やかな社殿は、雨風に晒される場所が朽ち始めていて、屋根には苔も生えていた。自然の一部になりつつあるが、まだ人の信仰があった頃の面影もある。
夏祭りや結婚式など、この場所に残る大切な思い出の数々。
社殿に近づくにつれて、懐かしい記憶が蘇って来た。
「なんか、感動しちゃいますね」
社殿を見上げて、小鈴は目を潤ませる。
「せっかくなので、社殿の中も見ておきましょうか」
色歌は閉ざされた社殿の戸を開き、明かりの無い室内へと足を踏み入れる。
あの時代に使っていた懐かしい物ばかり置かれていて、そのどれもが埃を被っていた。
まるで、一つの時代を閉じ込めた空間のようにも感じる。
「この場所に保管しませんか?」
色歌の言葉が、社殿の中に響く。
驚いた表情を浮かべる小鈴に、色歌は思いを伝える。
「あの頃で時間が止まっているこの場所なら、いつかこの絵を守り抜いた意味が生まれると思うんです。それに、神島家で管理していても、私の死後どうなるか分かりませんからね。売られたり、捨てられたりする可能性も否定出来ません」
「確かにそうですね。私は、色歌さんの気持ちを尊重しますよ」
「私達二人で、お別れしましょう」
長姫神社に珠景姫の絵を奉納する。
その決断をした二人は、最後に桜の絵を目に焼き付ける事にした。
作品を傷つけないように、小鈴は箱の中から一枚の絵を取り出す。
中庭の桜を描いた風景画。
まるで写真を見ているようだった。
この景色を見る事が叶わない今だからこそ、込み上げてくるものがある。
「本当に……綺麗で、素敵な絵ですね」
「絵の輝きが色褪せないんですよ。一人の画家としてお手上げです」
珠景姫の描いた風景画を楽しんだ二人は、絵を保管する場所を探し始める。
社殿の中央に立ち、暗い室内を見渡す。
「あ、色歌さん。扉の上とかどうです?」
小鈴が指をさす場所に、色歌も目を向ける。
そこは社殿の扉の上にある広い壁だった。
入り口からは見えない場所であり、背を伸ばしても手が届かない高さだ。
ここなら誰かに悪戯されたり、壊されたりするリスクも低い。
「良いですね。でも、どうやって飾るんですか?」
「一応、壁にかける為の小道具は持って来ています。どうにかして高さを出せれば、しっかりと飾る事が出来るんですけど……その高さを出す事が、一番の問題なんですよね」
「一度民宿に戻って、小さな脚立と共に誰か呼んできますか?」
「私達の力で何とかしましょう! この場所は、忘れ去られたままにしておきたいので」
「分かりました。では、足場になる物が無いか探しましょう」
社殿の中を物色している時、色歌はある事に気づく。
結婚式の際に使用した椅子が、どこかにはあるはずだ。
過去の記憶を頼りに探していくと、年季の入った椅子を幾つか見つけた。
その椅子を持って、小鈴の元へと向かう。
「これを使いましょう。壊れた時は、一緒に入院です」
身体機能が低下している高齢者にとって、大きな怪我は命取りになる。
細心の注意を払いながら、二人は珠景姫の絵を壁に飾った。
最後の姫が描いた風景画が、長姫神社で静かに眠り始める。
いつか、この場所に飾られた意味が生まれると信じて――
「お別れですね」
桜の絵を見上げ、色歌は切ない表情で微笑む。
しっかりと戸を閉めて社殿を出た二人は、最後にお詣りを行った。
長姫神社は、歴代の姫の為に祀られた神社だから――




