夢の足跡、夏の約束
『 珠景桜 』
彩美 小鈴。
最新作であり、最後の作品。
色と図形を駆使した抽象画家として、小鈴は制作活動を続けてきた。
その小鈴が引退作として描いたのは、対象物を具体的に描く具象画だった。
桜の木を見上げる女性の後ろ姿が、どこまでも優しく綺麗な色使いで描かれている。
「姉さん――」
「姫様に貰った夢なので、最後は姫様を描こうと決めていました」
どんなに歳を取っても、珠景姫は私達の憧れだ。
一緒に生きた時間は宝物であり、あの夏の思い出を今も鮮明に覚えている。
「素敵な作品をありがとうございます。心が温まりました」
感謝の思いを伝え、色歌は優しく微笑む。
作者の解説付きで個展を楽しんだ色歌は、入り口の方に目を向ける。
まだ他に来客は無く、個展会場には小鈴と色歌の二人だけだ。
「少しだけ、座って話しませんか?」
「良いですね! 受付の席でも良いですか?」
「ええ。どこでも大丈夫ですよ」
早速、二人は受付の席に座り、会話に花を咲かせていく。
あの夏の思い出を語り合った後、お互いの今について話し始めた。
「――画家としての活動は引退して、残りの余生は静かに暮らそうと思います」
「どうして、引退を決断したんです?」
「実は目が悪くなって来ちゃって、いずれ絵が描けなくなるかもしれないんです。なので元気なうちに『珠景桜』を描いて終わろうと思いました」
「そうだったんですね……」
「色歌さんは、今も宮殿の管理人をしてるんですか?」
「宮殿はもう取り壊したので――」
「えっ!? 何でですか!?」
大きな声を出した小鈴は、目を見開いて言葉の続きを待つ。
一度遮られてしまった話を、色歌は改めて語り始めた。
「孫が生まれた年に、老朽化によって解体する事が決まったんです。中庭の桜も老齢化による倒木の危険性があったので、宮殿の解体に併せて伐採されました」
「……あの景色はもう見られないんですね。残念です」
小鈴は寂しげな声を漏らす。
「解体後は、同じ場所に家を建て直して民宿を始めました」
「み、民宿ですか!?」
「はい。『民宿かみしま』として、新しいスタートを切りました」
「民宿を始めた理由とか、聞いても良いですか?」
「長姫制度の撤廃に向けて小春と共に旅に出た時に、奥汐咲温泉に宿泊したんです。人生で初めての外泊だったので、疲れを忘れてしまうくらい胸が高鳴りました。温泉を堪能したり、美味しいご飯を頂いたりするなかで、宿泊業に興味を抱いたんです」
一拍置いて、色歌は話を続ける。
「老朽化の話が出たタイミングで、民宿を営む夢を栄一さんに話しました。家族の協力が不可欠なので、娘達にも相談しましたよ。否定的な意見も一つくらい出ると思ったんですけどね。みんな協力的で、一緒にやりたいって背中を押してくれました」
「色歌さんが営む民宿。いつか、私も泊まってみたいです!」
「大歓迎です。是非来てください」
「今年の夏、お祈りと併せて泊まっても良いですか?」
「ええ、もちろん。姉さんも喜ぶと思います」
「夏が待ち遠しいです」
嬉しそうに笑う小鈴を見て、色歌も表情を緩める。
八月八日の予約を忘れないように手帳に書き記した後、色歌はある事を思いついた。
「一つだけ、頼み事をしても良いですか?」
「なんなりとお申し付け下さい!」
「宮殿の桜を忘れないように、何か作って欲しいんです。出来れば、普段から飾っておけるものが良いんですけど」
「なるほど……絵とか置き物じゃない方が良いですか?」
「そうですね。難しい注文をしている自覚はあるんですけど、日常に溶け込むような物であの夏を感じられるものが良いです」
「んぅ……えぇ。んむ……桜を題材にした夏を感じる日常的なもの……」
小鈴は頭を悩ませる。
静寂が時間を贅沢に使う。
息を吸う音を追いかけるように、小鈴の声が聞こえた。
「――桜色の風鈴とか、どうでしょう?」
「最高じゃないですか」
「ガラス職人の友人が居るので、相談して作ってみますね。泊まりに行く時までには、何とか仕上げて持っていきます!」
「ありがとうございます。楽しみにしていますね」
笑顔を見せた色歌は、ゆっくりと立ち上がる。
もうすぐ、一般の人も個展を見に来る時間帯だ。
現に階段を上る足音も近づいて来ている。
「また夏に会いましょう」
その一言を最後に、色歌は小鈴の個展を後にした。




