本音を語る夜
涼しい夜風が心地良い。
お風呂上がりの色歌は、廊下に腰掛けて中庭を見つめていた。
月明かりに照らされた桜の花と、濡れた前髪が風に揺れる。
「色歌ちゃん。一杯付き合ってよ」
隣に座った栄一は、徳利とお猪口を乗せたお盆を二人の間に置いた。
「お酒を片手にお花見ですか。最高ですね」
互いのお猪口に日本酒を注ぎ合い、そっと触れ合わせて音を鳴らす。
「「乾杯」」
お酒を嗜みながら過ごす夫婦の時間。
至福のひとときを彩るように、星空の下で桜が夜風と戯れる。
夜の静寂に寄り添いながら、二人は落ち着いた声で会話を始めた。
ゆっくりと流れる時間のなかで、話題も移り変わっていく。
「――仕事の件だけど、新たに設立される町役場で働こうかなと思ってる。成水さんが中心に動いているみたいで、結婚式の時にお話を頂いたんだ。長姫制度の撤廃に伴う支援金で今は暮らせてるけど、お金も有限だからね」
「成水さんが居るなら安心ですね。私からも一つ良いですか?」
色歌の問いかけに、栄一は小さく頷く。
「栄一さんに全てを背負わせる訳にはいかないので、私も稼ごうと思います。もちろん、妻として家事はこなしますよ?」
色歌は話を続ける。
「この宮殿を観光施設として運営しながら、長姫制度の歴史を伝えるお仕事をしたいんです。私達にとっては見慣れた建物ですが、一応 歴史的建造物ですからね。一般の島民や観光客には需要があると思います」
宮殿を見渡し、栄一は穏やかな表情を浮かべる。
「素敵な場所だからね。初めて来た人のなかには感動する人も居るだろうし、この景色を気に入って何度も足を運んでくれる人も居ると思う。来てくれたお客さんが過ごしやすい環境を整えたり、色々と準備を進めていこうか」
前向きに話を進める栄一を見て、色歌は戸惑いの声を漏らす。
「い、良いんですか? 上手くいく保証も無いんですよ?」
「色歌ちゃんには、やりたい事をして生きて欲しいんだ。これからは我慢せず、自分が幸せだと思える道に進んで欲しい。辛い時は僕が支えるから、失敗を恐れずに挑戦して良いよ。それに、生計は僕が立てるから心配しないで」
栄一の熱い思いが、色歌の背中を押してくれた。
「ありがとうございます、本当に……ありがとうございます」
涙が込み上げて来た。
侍女として自分を律する必要が無い今、泣き虫だった本来の色歌が表に出てしまう。
色歌にとって、栄一は希望の光だ。
理想の未来へ導いてくれる姿は、珠景姫に良く似ている。
だから、より好きになった。愛が深まっていく。
「家族になったんだ。遠慮なく頼って欲しい」
栄一はそっと色歌を抱き寄せる。
目尻に溜まった涙を拭い、色歌は深く頷いた。
優しい愛に包まれながら、栄一の温かさを肌で感じる。
「少しだけ、あの夏の事を語っても良い?」
色歌が頷くと、栄一は落ち着いた口調で語り出した。
「姫様の最期に立ち会った時は、本当に辛かった。でも、すぐに気づいたんだよ。一番辛いのは僕らじゃなくて、目の前で最愛の人を失った色歌ちゃんだって。だから、せめてこれからの人生を支えてあげたいと思った。それはどんな形でも良くて、夫じゃなくて友人でも、仕事仲間でも良い。とにかく、色歌ちゃんの支えになろうと思ったんだ」
一息ついて、栄一は続ける。
「でも、結局何も出来なかった」
その一言には、後悔の色が滲んでいた。
色歌は黙って耳を傾ける。
「大扇の悪行を止められず、長姫制度の撤廃に向けて力を貸すことも出来なかった。色歌ちゃんが傷つき、侍女のみんなと共に前を向く姿を、僕は見守る事しか出来なかったんだよ……あの夏から今日に至るまで、僕はただの傍観者だ。支える事すら出来ていない」
自分を卑下する栄一に、色歌は言葉を返さない。
燃えるような熱さを、栄一の声から感じたから。
「だから僕は、人生をかけて色歌ちゃんを支えていきたい。幸せに生きられる環境を作って、自分らしく生きる未来へ導きたいんだ。頼りないかもしれないけど、いつかこの人で良かったって思ってもらえるように頑張るから、これからは遠慮なく頼って欲しい」
栄一の思いを受け取った色歌は、素直な思いを口にする。
「私は栄一さんを頼りにしていますよ。それはあの夏から変わりません。あの日、姉さんの元へ向かわせたのも、侍女以外で唯一信頼出来る人だったからです。なので、私は栄一さんを頼りました」
優しく微笑む色歌の隣で、栄一は『でも』と声を漏らす。
色歌は栄一にそっと寄りかかり、温もりと本音を伝える。
「私は栄一さんの存在に、何度も救われました。最愛の姉さんを失った後、同じ痛みを共有出来るのは栄一さんだけでしたし、私の事を考えて動いてくれていたのも、栄一さんだけでしたからね」
それに。と言葉を繋ぐ。
「昔から好きだったので、一緒に居られるだけでも幸せでした」
照れ笑いを浮かべる色歌を見て、栄一も笑みを溢す。
暗い夜の世界を照らす月のように、二人の表情は明るくなった。
風向きが変わり、散った花びらが舞う。
過去になった出来事は、今を彩る思い出だから。
「大好きな人と結婚出来て、私は幸せですっ!」
これ以上、言葉はいらないだろう。
春の星空の下、色歌は栄一をぎゅっと抱きしめた。
夜風が髪を靡かせる。
ゆっくりと抱擁を解き、頬を桜色に染めて見つめ合う。
慣れ親しんだ景色を背景に、二人はそっと口付けをした。
互いを感じ合い、愛を深めた春のひととき。
色歌も大人になっていく。




