扇寿朗の願い
夢奥島に、長姫制度の名残は必要無い。
鎖国状態が続いていた島には、本州の文化や技術が持ち込まれるようになり、徐々に近代化が進んでいた。その裏で、長姫制度が根付く場所や文化は姿を消していく。
宮殿から御神体のある岬までの土地は、新たな区画整理によって『長姫地区』と名前を改め、特別区として神島家の私有地となった。
御神体の方に住んでいた島民も立ち退き、彩美家も屋敷の場所を移した。
長姫地区には、色歌と栄一だけが住んでいる。
結婚して新たな人生を歩み出した二人は、今後の生活について話し合っていた。
「――トンネルより先は、神聖な場所として立ち入りを禁じましょう。神島家の人間以外は入れないようにしたいです」
トンネルの先にある御神体には、珠景姫が眠っている。
あの場所だけは、大切に守っていきたい。
島の観光地として利用されたり、部外者によって荒らされてしまう未来だけは、何としても避けたいのだ。
島民に忘れ去られた土地として、私有地の奥に隠しておく。
それが色歌の考えた策であり、残された家族としての願いだった。
「良いと思う。あの場所の価値は、僕達にしか分からないからね」
栄一の言葉に、色歌は深く頷く。
「あとは仕事の件だけど……ごめん。何か変な音が聞こえない?」
「変な音ですか?」
耳を澄ますと、音は玄関の方から聞こえてきた。
色歌は栄一と共に厨房を出て、玄関へと向かう。
すると、はっきりと音が聞こえてきた。
ふぉっ、ふぉっ。
音の正体に気づいた瞬間、笑いが込み上げて来た。
「こ、これは笑い声です……祖父爺の、ふふっ」
玄関戸を開けると、予想通り扇寿朗が姿を現した。
「元気か? わしじゃ」
右手を軽く挙げて、扇寿朗は笑みを浮かべた。
同じように手を挙げる色歌の横で、栄一が丁寧に頭を下げる。
「先日はお世話になりました。本日はいかがなさいましたか?」
「これを渡そうと思っての」
扇寿朗から分厚い封筒を手渡され、色歌は何気なく受け取った。
中身を確認しなくても分かる。
これは、大金だ。
「最後のお小遣いじゃ。そして、結婚祝いでもある」
「こ、こんなに貰えません!」
状況を理解した色歌は、慌てて封筒を返そうとする。
扇寿朗は首を横に振ると、封筒に視線を落とした。
「その金額と同じ支援金を、島を出ていく息子が置いて行ったんじゃ。何故、こんな大金を残して行ったのか分からんがの」
大扇との別れ際、色歌は一つのお願いをしていた。その内容を思い出す。
『長姫神社の神主である祖父・扇寿朗に、多額の支援をお願いしたいです。後継者も不在で、長姫神社の存続も厳しいでしょうから、残りの余生を過ごせるくらいの支援をしていただきたいです。あなたの父親なんですから、それくらいはしてただけませんか?』
支援金を渡すように促したのは色歌だ。
あの日伝えた願いを、大扇は聞き入れてくれたらしい。
「中身はわしの財産と入れ替えてある。息子から貰った物を、そのまま渡す訳にはいかんからの。何より、色歌が受け取ってくれん」
扇寿朗は一拍置いて続ける。
「これからは一般の島民として生きていくんじゃ。経済的にも暮らしが大きく変わることじゃろう。だから、このお金を使うといい」
「ありがとうございます。大切に使いますね」
色歌は丁寧に頭を下げる。
満足げに頷いた扇寿朗は、栄一に目を向けた。
「色歌をよろしく」
「はい。必ず守り抜きます」
栄一の言葉を受け取った扇寿朗は、安堵したように笑った。
そして、新婚の二人を見て告げる。
「珠景姫が心配しないように、幸せに生きなさい」
あの夏、珠景姫の最期に立ち会った色歌と栄一。
二人の心に、最後の言葉が響き渡る。
広がる波紋は温かった。
「では、元気での」
扇寿朗の背中は、遠く離れていく。
幼少期から積み重ねて来た思い出は、色歌の宝物だ。
最後まで見送った色歌は、静かに玄関の戸を閉めた。




