春は思い出、鈴は未来
残された色歌は、順番を待っていた小春と小鈴に目を向ける。
すると、先に小春が駆け寄って来た。
「色歌さん。耳貸してください」
小春は口元に両手を当てて、色歌の耳に向かって囁く。
「お嫁さんになれましたね」
その一言で、奥汐咲温泉の思い出が鮮明に蘇る。
旅の疲れを癒す温泉のなかで、小春に聞かれた一つの質問。
『色歌さんは、栄一さんの何になりたいんです?』
あの日、色歌は何故か素直に答えてしまった。
『……お、お嫁さんになりたいです』と。
色歌と栄一の結婚を一番喜んでいるのは、小春なのかもしれない。
この言葉を直接言いたくて、順番が来るのをずっと待っていたのだろう。
小春は清々しい表情を浮かべている。
「私が結婚して寂しいですか?」
揶揄うように声をかけると、小春は小さく首を横に振った。
「私も、もうすぐ幸せになるので」
「……え。小春も結婚するんですか?」
「そ、そうなの!?」
動揺する色歌と小鈴を見て、小春は黙ったまま頷いた。
「ちなみに、お相手は誰なんですか?」
「歯の無いお爺ちゃんです」
「……小春。冗談は良くないですよ」
「冗談じゃないですよ。『おじいちゃんみたいな人』が良いって言ったじゃないですか」
涙が込み上げて来た。
まだ未成年の小春と、余生が短い歯の無いお爺ちゃん。
愛の形は自由だが、素直に喜んであげられなかった。
「全部嘘ですけどね」
どこか勝ち誇ったように、小春は笑みを浮かべる。
「び、びっくりしたぁ」
小鈴は安堵したように息を吐いた。
何も言わない色歌に、二人の視線が向く。
色歌は桜の木を見上げ、寂しげな声を漏らす。
「小春。言わなくても分かりますよ」
「な、何がですか……?」
「本当は牛の青年と付き合っているんですよね」
「え。ちょっと、色歌さん?」
「知ってますよ。あの日、私が寝た後に二人で夜空を見上げながら、将来の話をしてたじゃないですか。いずれは奥汐咲温泉の女将として、牛と共に彼を支えていきたい。って」
「この人、息を吐くように嘘を言ってる……」
「一言しか喋らなかったのは、運命の人を前に緊張していたからですよね。分かります」
「分かられても困ります。運命というより運搬の人です、彼は」
不覚にも笑ってしまった。
軽く咳払いをして、色歌は小春に目を向ける。
「いつか、本当に好きな人が出来た時は、教えてくださいね」
穏やかな風が、髪を優しく靡かせる。
小春は姿勢を正すと、真っ直ぐな目で色歌を見つめた。
「色歌さん。結婚おめでとうございます。お幸せにっ」
深々と頭を下げた後、小春は可愛らしい笑顔を見せた。
そして、小鈴の肩をとんっと叩く。
「お待たせ」
その一言を残して、小春はどこかへ走って行った。
去り際が小汰郎とそっくりで、思わず笑ってしまう。
「色歌さん!」
元気な声に目を向けると、小鈴が真剣な表情を浮かべていた。
色歌は小鈴に向き合い、話を聞く姿勢を整える。
「私、画家になります!」
突然の告白に、色歌は思わず聞き返してしまう。
「画家ですか? あの絵を描く画家さん?」
「そうです。絵を描くお仕事の画家さんです」
「良い夢ですね。でも、どうして画家さんに?」
「姫様の夢だからです!」
「姉さんの夢……?」
「一緒に絵を描いていた時に言っていたんです。『本当は、島の景色を描く画家になりたかった』って。あ、内緒の約束なんですけど、言っちゃいました……ど、どうしましょうっ、姫様に怒られちゃいます」
あたふたする小鈴を見て、色歌は表情を緩める。
「小鈴が夢を継いでくれると知ったら、泣いて喜ぶと思いますよ。だから、絶対に叶えてくださいね」
「はいっ! 頑張ります」
御三家に生まれた女の子が自由に夢を抱き、叶える為に努力する事が出来る。
これもまた、姉さんが夢見ていた事だ。
好きな人と結婚した色歌。
自分らしく生きる道に進めた風瑚。
子供が姫にならなくて済んだ舞風。
立場に縛られず、自由に生きる小春。
叶えたい夢を追い続ける事が出来る小鈴。
侍女だった五人の幸せは全て、珠景姫が作った世界の恩恵だ。
あの夏、姉さんが語っていた理想の世界を、私達は生きている。
ここに珠景姫は居ない。
誰よりも今の時代を望んでいた姉さんは、永い眠りについてしまった。
でも、いつか帰って来て欲しい。
生まれ変わった姿でも、魂だけでも良い。
どんな姿でも良いから、姉さんには帰って来て欲しいのだ。
今の時代なら、きっと幸せに生きられるから――
桜の花びらが散った地面に、夕陽色の木漏れ日が揺れる。
「色歌さん」
小鈴は無邪気な笑顔で告げる。
「結婚おめでとうございます! これからも仲良くしてくださいっ!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
色歌が頭を下げると、小鈴も深々と頭を下げた。
ゆっくりと顔を上げた二人は、仲良く笑い合う。
小鈴との物語は、今日から始まるのかもしれない。
珠景姫の夢を叶える者同士として、これからも縁が続きそうだ。
「また遊びに来ます!」
大きく手を振りながら、小鈴も宮殿を去っていく。
一人になった色歌は、桜に背を預けて空を見上げた。
もうすぐ、夕陽の魔法が溶けてしまう。
新しい明日を迎える為に、夜空が世界を包み始めた。
桜色に彩られた特別な一日が、思い出に変わっていく。
次の物語へと進むために。




